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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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25 Side Tsukasa 01話

 食事が終わる頃、秋兄はすごく嬉しそうな顔でリビングへ戻ってきた。

 こんなの話を聞くまでもない。うまくいって付き合うことになったか何かだろう。

 誰もが秋兄の顔を見て察したと思う。

 栞さんが秋兄のシチューをあたためなおしに行くと、

「どうでした?」

 御園生さんが訊いた。

「無事、彼氏に昇格」

 姉さんの視線が自分に貼り付いていて痛い。

 そういう目で見るな。

 正直、面白くはない。でも、それで翠があんな顔をしないで済むなら今はそれでいい。

 今、翠の気持ちは秋兄にある。そんなの、誰が見たって歴然としていて、それを捻じ曲げるようなことだけはしたくない。

 俺は……翠がひとりで泣くようなことがなければそれでいい。願わくば、笑っていてくれたらそれでいい。

 今は、それでいい。

 俺がいるからか、秋兄もそれ以上のことは口にしないし誰もがそれ以上を訊こうとはしなかった。

 居心地の悪さに席を立つ。と、四人の視線が俺に集まった。

「翠のところに行ってくる」

 ……だから、そういう目で見るなよ。

 俺、別にかわいそうじゃないし、今想いを告げるほどバカでもない。


 廊下を歩きながら思う。

 俺はまだ何もしていない。

 秋兄はそれなりに努力をして翠に近づいたと思う。

 気持ちだって散々伝えてきたのだろう。そうでなかったらあの鈍感が気づくわけがない。

 その点、俺は何も伝えていない。ほのめかしたくらいじゃ気づかないなんてことは茜先輩にも言われていた。

 それでも直接的な言葉を伝えないのは、伝えることに躊躇しているからではなく、今はその時期じゃないと思っているから。

 じゃぁ、いつその時期が訪れるのか――。

 そんなことは俺が一番知りたいと思ってる。

 けど、今じゃないことは確かだ。今伝えたところで翠を困らせるだけ。

 それは俺の望むところではない。

 今は少しでも身体の復調を優先させたい。

 何よりも、翠が学校へ行きたがっているのだから……。


 ドアの前に立ち軽くノックをすると、中から「はい」と澄んだ声が聞こえてきた。

「俺だけど……」

「どうぞ」

 ドアを開けると、こちらに身体を向けて横になっている翠と目が合った。

「具合は?」

 訊きながら窓際に座る。

「ご覧のとおり、ですかね。身体は起こせなくて……」

 翠は少し体勢を変え、俺が見える位置に移った。

「薬に慣れるまでの数日だろ? それまでは我慢するんだな」

「はい……早く、学校に行きたい」

 切実そうな声音……。

「無理して行ってもいいことはないだろ。今週いっぱいは休め。海斗たちもそのうち来るから」

「でも、来てもらってもこの状態なんですけどね……」

 翠は少し困ったように笑う。

「会えないよりは会えたほうがいいのかと思ったけど?」

 尋ねると、何か考えるふうだったのに、突拍子もないことを口にした。

「司先輩は窓際が好きですか?」

 相変わらず話が飛ぶ……。この話の飛躍ぶりはどうにかならないものだろうか。

 でも、よく見てるな……。

 俺が窓際に座るのを見る機会なんてそうそうないだろうに。

 そして、見てくれていたことに少し嬉しさを覚えた。

「なんとなくってだけ」

「私も窓際が好き……。空を見ると落ち着くんです。それに、陽の光や風を感じることができるから、だから好き……」

 びっくりした。理由まで同じだとは思わなくて。

 俺は不自然にならないぎりぎりのタイミングで、「右に同じく」と口にする。

 翠はというと、まじまじを俺の顔を見ていた。

「何」

「意外です」

「知ってはいたけど失礼なやつだな」

 苦し紛れに返した言葉だったが、翠はクスリと笑った。

 今、翠は何を思ったのか……。

 そんなことを考えつつ、

「口外はしないように」

「はい、秘密にします」

 そう言って笑った顔が天使のように見えた。

 翠の笑い声と表情には不思議と毒気を抜かれる。

 浄化されるとはこういうことを言うのだろうか、と柄にもないことを考えるくらいには。

「少し、楽になったみたいだな」

「……え?」

「今日、ここに来たときはすごくつらそうな顔してた」

「あ……心配かけてごめんなさい」

 翠は眉尻を下げて申し訳なさそうに口にした。

「……秋兄と付き合うって聞いた」

「……そうなの」

 肯定したものの、翠は困ったような顔をしていた。

「……念願叶ったり、だろ? ならもっと嬉しそうにすればいいものを」

 翠の表情、言葉ひとつもらさず見ていたくて視線を固定した。

 翠はそんな俺をじっと見て、

「嬉しいは嬉しいの……。でも、なんだか戸惑うことのほうが多くて」

 なるほどね……。事態の変化についていけない、といったところか。

 でも、秋兄が無理やり推し進めたわけでもなさそうだ。

 それならいい……。

「嬉しいなら嬉しいで笑ってればいい。翠は笑ってるほうがいい」

 なんでそこで黙って俺の顔を凝視するんだ……。

 やめろ、そんなにじっと見るな……。

 思わず固定していた顔を逸らす。と、今度は「先輩?」と声をかけられた。

 普段は鈍いくせに、こういう変化にだけ気づくな。

 ごまかす理由なら適当に転がっている。

「……ってみんなが思ってる」

 咄嗟に言葉を付け足すと、翠はそれで納得した。

 素直で単純で鈍感で無防備で――そのくせ変なところで警戒心が強くて鋭い。

 厄介な人間だと思うのに、なのに俺は翠が好きだ。

 それに、最近は警戒されていないと思う。

 少しずつ確実に距離を縮めている手ごたえはあった。

「先輩は好きな人いますか?」

「っ――何を急に」

「なんとなく、です。でも、女の子が苦手って言ってましたよね」

 頼むから、心臓に悪いタイミングで突拍子もないことを言ってくれるな。

 でも、いい機会かもしれなかった。

「……女子は苦手。でも、例外はいるし好きな人もいる」

「……桃華さん?」

「……むしろ、なんで簾条の名前が挙がるのか訊きたいんだけど」

 今自分がどんな顔をしているのかには少し自覚があった。

 翠は俺の表情を無視して話を続ける。

「だって、先輩と桃華さんって息がぴったりな気がして……」

 そう言った直後、

「眉間にしわ……痕が付いちゃいそう」

「そしたら翠のせいだから」

 間を開けずに責任転嫁を試みる。いや、今の件に関してだけなら翠のせいに間違いはない。

「……それはどうかと思います。だって、先輩はいつも眉間にしわを寄せてるもの」

 それには言い返せるものがなかった。黙っていると、話はまた恋愛話に戻される。

「でもね、先輩の恋愛はうまくいきそう」

「どうしてそう思う?」

「だって、司先輩は格好いいもの。それに頭もいいしなんでもそつなくこなすイメージ。まず憧れない女の子はいないんじゃないかな。桃華さんだってなんだかんだ言っても先輩のことは尊敬しているみたいだし……。それに始めは冷たそうで怖かったけれど、実はとても優しいし。女の子が苦手なら、好きな子にだけ優しいのだと思うし……そういうのはきっと、女の子側からしてみたら嬉しいと思うの」

 どうしてかすごく嬉しそうに俺の話を続けた。

 少々褒めすぎな感が否めない。が、恋愛対象者に対する俺の行動は強ち外れていなかった。

 確かに、俺はほかの女子はどうでもよくて、どうでもよくないのは翠だけだ。

 そんなことは何度となく伝えてきているけれど、翠はそのくらいじゃ気づかない。

「……今、失恋したばかりだけど?」

「えっ!?」

 すごく驚いた顔をされたけど、そっくりそのまま翠に返したい。

 おまえだよ、おまえ――。

 相手の恋愛成就により自動的に失恋。現状はそんな感じだ。

「そんなに意外?」

 コクリと頷く仕草がかわいいと思った。

 身体を起こしているときにそれをすれば、長い髪が連動してさらりと動く。けれど今は、横になっているため、シーツ上に髪が乱れていた。

「……でも、諦めるつもりはない。俺を見てくれるまでは待つつもり」

 翠はたっぷりと間を空けてから、

「その人は幸せですね。こんなにも先輩に想ってもらえて」

 その相手が自分であるとは全く気づかずに口にする。

「……それはどうかな。好きでもない男に想われていても迷惑なだけじゃない?」

「……どうでしょう。私にはそういうのはわかりませんけど」

 きっと翠はきちんと言葉にしないと自分だとは自覚しない。もしかしたら、なんて寸分も思わないのだろう。

「恋愛って楽しいだけじゃないんですね……」

「俺はまだ恋愛がどういうものかはよくわからない。でも、悪いものではないと思う」

 まだ言葉が続くと思ったのか、翠は口を挟まずに俺をじっと見ていた。

「気持ちが報われるとか、そういう自分主体もあると思う。でも、俺はそいつが笑ってたらそれで満足みたいだ」

 だから、連日泣き顔なんて見せないでほしい。できれば笑っていてほしいんだ。

 それでも、泣きたくなったときには頼ってもらえたら嬉しい。ひとりでは泣いてほしくないし、ほかの人間の前でも泣かれたくない。

「先輩は心が広いですね」

 そんな大したものでもない。

「そうでもない。ただ、自分の目が届くところに対象がいればなんとなく安心なだけ」

「……そういうものですか?」

「今のところは」

 ただ、強いて言うなら秋兄とふたりでいるところは目にしたくないけど……。

「その人が先輩のことを理解してくれるといいですね」

 ……その相手にこう言われているのだからまだまだ道のりは長いだろう。

 思わずため息をつくくらいには。

「……かなり鈍いんだ。だから、まだ当分先かな」

「じゃぁ、先輩はがんばらなくちゃですね」

「……それなりに――翠、何か悩みがあればいつでも聞く」

 鈍くてもいい、今はわからなくてもいい。だから、そのポジションだけはキープさせてほしい。

「今のところはないと思っているんですけど、時々自分でも悩んでいることに気づいてなくて……」

「翠らしいけど、バカだな」

 つい真顔で返してしまった。

「でも、先輩のことは頼りにしています。きっとこれからも頼ることがあると思います」

「……いつでもどうぞ」

 素っ気無く答えたものの、実のところはかなり嬉しかった。

 こんなふうに言ってくれたのは初めてだった。しかも、翠の中でそのポジションは意外と特別な部類に属すと思う。

 そこにノック音が割り込んだ。きっと御園生さんか秋兄。

 ドアが開くと秋兄が入ってくる。

 きっと俺とふたりにしておくのが気になって仕方なかったのだろう。

 でも、残念ながらふたりになったところで秋兄が危惧するような会話になどなりようがない。

「何を話してたの?」

 秋兄が訊くと、翠は屈託のない顔で「司先輩の恋愛話」と答えた。

 俺は激しく咽こみ、秋兄は俺を見てフリーズする。

 それはそうだろう。さっきの話でこれだ。秋兄がフリーズしてもおかしくない。

「……どうか、しましたか?」

 意味がわかっていないのは約一名。

 俺と秋兄の顔を交互に見ては、「何?」という顔をする。

 教えるか、阿呆……。

「なんでもないよ」

「なんでもないから」

 秋兄と俺は同じタイミングで同じ内容を口にした。

 それから、心境もほぼ同じだと思う。

 翠はその答えに少しつまらなそうな顔をすると、

「秋斗さんは司先輩の好きな人を知っているんですか?」

 俺は再度咽そうになったのを必死で堪える。

 秋兄も引きつり笑いを貼り付け、

「知ってるよ」

 と、短く答えた。

 翠は興味津々で、「どんな人ですか?」とさらに尋ねる。

 秋兄は少し考えてから、

「……そうだなぁ、すごくかわいくて、半端なく鈍い子だね」

 その返答を聞くと、翠は何を思ったのか、

「先輩、がんばってくださいね」

 などと言ってくる。

 必然と、状況を知っている俺と秋兄だけが固まる。

 俺は一応がんばるけど、がんばられると困るのは秋兄と翠だと思うけど……?

 露ほどにも察することができない翠は、

「……どうしたんですか?」

 それ以上は耐えられる気がせず、俺はすかさず立ち上がり、

「俺、もう帰るから」

 と、返事も聞かずに部屋を出た。

 ドアを閉めると胸を撫で下ろす。

 翠と話していてこんなに心臓に悪い思いをしたのはこれが初めてだった。

「先が思いやられる……」

 俺、寿命が縮むかも――。

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