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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
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04話

 チリンチリン――音と共に玄関のドアが開き、動きのなかった空間に新鮮な風が入ってきた。

「っ……!? 翠葉、電気もつけずに何して――」

 何……? 私、何をしていたのだろう……。

「力、抜けちゃって……」

 蒼兄は荷物を置くと、私の目の前にしゃがみこんだ。

「今日はまたえらいめかしこんだな。すごく似合ってる。先輩も褒めてくれたんじゃない? ……なのに、なんでそんな顔してる?」

 なんでって……。よくわからないことになっているからだよ。

「話せるか?」

「……すごく好きだと思ったの。でも……一緒にはいられないとも思った。それを伝えたら、諦めるつもりはないから覚悟してって……」

「……話いっぱい聞きたいし、まずは玄関から離脱しよう」

 そう言って、腕を掴まれ引き上げられる。

 本当に、水底から引き上げられるような気がした。


 リビングのラグに座らされ、「ちょっと待ってろ」と言われる。

 私の頭は秋斗さんと別れたときから思考停止状態だ。

 少しすると、ホットミルクとお土産の生チョコが目の前に置かれた。

「翠葉、生チョコ好きだろ? ほら、口開けて」

 言われたままに口を開けると、表面にココアがまぶしてある生チョコを入れてくれた。

 ほろ苦いココアのあとに優しいミルクチョコレートの味が口に広がる。

「美味しい……」

「ホットミルクも飲んで」

 言われてカップに手を伸ばす。

 あたたかく優しいミルクが食道を伝って胃に流れ込んだ。

 蒼兄は、先日の秋斗さんのように私の真横に座る。

「どうして断っちゃったんだ? 秋斗先輩のこと好きだろ? それに先輩とはうまくいってると思ってた。――触れられないから?」

 そっか……。大丈夫になったのはまだ誰も知らない。

「土曜日はだめだったの。手が触れるだけでもだめだったの。でも、今日は大丈夫で……。手をつないでお散歩して、抱きしめてくれてキスもしてくれて――すごく嬉しかった。でも、だめなの」

「……治ったのか?」

 コクリと頷く。

「でも、それでどうして断ることに? 何がだめ?」

 もう、いいよね。時効だよね。

「木曜日――検査の日、病院で雅さんに会ったの。そのときに言われた。秋斗さんには釣りあわないって。身体が弱い人は、子どもを産めるかもわからない人にはその資格がないって、そんなようなことを教えてくれた。……それに納得しちゃったの」

「なんでっ――なんでもっと早くに言わなかった!? ハープをあんなふうに弾いてるから何かあったとは思っていたけど――」

 蒼兄が肩に腕を回し、自分の方へと引き寄せてくれる。

 その拍子にポロ、と涙が零れた。

「知られたくなかった……。口にして自分がもっと不安になるのが怖かったの。だって、誰かを好きになるのも初めてだったのに、いきなり結婚がどうとか子どもかどうとかって言われても話についていかれなくて、でも、一度考え始めちゃうと私に恋愛なんてする資格があるとは思えなくて。自分の身体ですら持て余してる状態なのに、人の何かを背負うようなことができるのかなって――。考えれば考えるほどに怖くて……」

「翠葉、おまえ抱えすぎだっ――どう話してあげたらいいのかわからないけど、でも、翠葉はまだ十七歳になったばかりだろ? そこまで深く考えなくていいと思う。人には過去があって今の自分がある。そして、未来に何かを求めるから歩むものだとも思う。でも、何が一番大切かって言うなら、『今』じゃないか? 今の翠葉は先へ先へと考えすぎていて、今いる場所から一歩も歩けない状態になってるんじゃないか?」

 一歩も前へ進めない――そうかもしれない。

 中間考査のあたりからずっと、自分の未来というものに不安を抱いている。

 その答えは今も見出せず、高校のあと、自分がどういう進路を進むのかすら定まってはいない。

 それよりも、これからの二ヶ月をどう乗り切ろうか、とそれだけでいっぱいいっぱいなのだ。

「蒼兄、私、ちゃんと妹できてるかな? ちゃんと娘できてるかな? ちゃんと、友達できてるかなっ?」

「翠葉っ、しっかりしろ。どんなことがあっても、どんな状況でも翠葉は俺の妹だし、父さんたちの娘だ。ちゃんと友達できてるかなんて不安に思っていたら簾条さんや佐野くんたちが悲しむぞ!?」

「だって、わからないの。全然先のことが見えない。考えても考えても地盤すら、欠片すら見えてこない。どんどん不安になって、どんどん自信がなくなっていく」

「わかった……。一緒に考えよう。ただ、それは今じゃない。今は体調第一だ。わかるな?」

 私の顔を覗き見た蒼兄の目に揺らぎはなかった。

「……そうだよね。そうだった。……あ、今何時っ!?」

「六時半だけど……?」

 薬、薬飲まなくちゃっ――。

 手に持ったままだったバッグからピルケースと取り出すと、蒼兄がキッチンへ水を汲みに行ってくれた。

 薬を飲み終え隣にいる蒼兄に、

「蒼兄、今日だけ――今日だけでいいから一緒に寝ちゃだめ?」

「いいよ。翠葉の部屋で寝よう。別に今日だけじゃなくてもいい。不安ならいつでも側にいるから」

「……ありがとう。頼りない妹でごめん……」

「……翠葉ストップ。そんなふうに考えなくていいから」

「うん、ごめん……」

 蒼兄だけは絶対に側にいてくれる。

 それが唯一の私の支えだった――。


 その夜は蒼兄がお素麺を茹でてくれ、それを少しだけ口にした。

「それしか食べないのか?」

「……ごめんね」

「ちょっと待ってろ」

 蒼兄は席を立つとキッチンへと入って行く。

 そして冷凍庫を開け電子レンジがジーと動く音がした。

 数分して戻ってきた蒼兄の手にはスープカップがあった。

 カップを差し出されて驚く。

「っ……!? 蒼兄、これっ」

 椅子に座ってにこりと笑う。

「栞さんのスープ。いくつか小分けにして冷凍してくれてるんだ」

 ……自分がいないときのこういう事態も想定済み?

「それだったら飲めるだろ? 少しは胃にものを入れておかないと。どんどん胃が小さくなってもっと食べられなくなるぞ」

「ん……これなら飲める」

 そう答えると、蒼兄が満足そうに頷いた。

 夕飯を食べたらお風呂に入る。そして上がってくると、私の部屋ではすでに寝る準備をしている蒼兄がいた。

 看護用の簡易ベッドをセッティングしているのだ。

 懐かしい……。

 退院してきた頃は必ず誰かが私の部屋で寝てくれていた。

 お父さんだったりお母さんだったり蒼兄だったり……。

 でも、ダントツお母さんと蒼兄が多くて、お父さんはいつも、「また負けた」ってしょんぼりしていた。

 お父さんはどうしてもお母さんには逆らえないみたいで、蒼兄にはどうしてか抑えこまれてしまうのだ。

 そんなお父さんはなんだかんだと家族に甘い。色んな意味で優しい人なんだろうな。

 部屋に戻ってきた私に気づくと、

「ちゃんと髪の毛乾かせよ」

「うん。お風呂お先にいただきました」

「俺も入ってきちゃうから」

 蒼兄が出ていくと、念入りに髪の毛の水分を拭き取り、ドライヤーを頭の方から順に乾かしていく。

「髪の毛、長いなぁ……」

 そろそろ切り時かな。夏場にドライヤーをかけるのもちょっとつらいし……。

 でも、秋斗さんはこの髪をすごく好きだと言ってくれた。それが気になって切れないでいるのも確か。

 髪の毛を乾かし終えると、ダイニングの棚から薬を取り出す。

 交感神経を抑えこむ薬――これを飲みはじめたら二週間は地獄だ。

 明日の学校は厳しいかもしれない。

 薬一式を持って自室に戻るとグラスに水を注ぎ、ローテーブルに薬と並べて置と、ラグに座り込んでそれらと対峙する。

 けど、もう限界……。

 本当はもう少し前から飲み始めなくてはいけなかった。痛みが本格的に出てくる前に。

 それを自分の都合で遅らせたのだから、これは守らなくてはいけない約束。

「飲むの躊躇ってるのか?」

 ドアの方から首にタオルをかけた蒼兄に訊かれる。

「ううん、躊躇ってるわけじゃないよ。ただ、やだなって思っただけ」

「そうか……。明日学校は?」

「……行けるなら行きたい」

「それでいいよ。行ってみて無理なら保健室で寝かせてもらえ。湊さんには俺から話しておくから」

「それでいいのかな……?」

「それでいいんだよ」

 本当にそれでいいのだろうか。迷惑がかからないだろうか。


 ソファに座り、蒼兄が話し始める。

「あのさ……翠葉はまだ十七歳なんだ。大人に甘えていい年なんだよ。どこからが大人かって訊かれると俺も困るけど、少なくても湊さんや栞さんは十分に大人なんだ。さらには湊さんは翠葉のメインドクターだろう? だからいいんだよ」

 いつものように、頭をポンポンとしてくれる。

「そうなのね……」

 納得できたようなできていないような……。

 でも、納得していようがしていまいが、目の前の薬を飲まなくちゃいけないことに変わりはない。

 仕方ないからそれらに手を伸ばし、グラスの水を飲み干した。

「はい、飲んだたらとっとと横になりなさい」

 真横に出された簡易ベッドは、簡易ベッドといえど蒼兄のデザイン設計で、スプリングもいいものを使っているし枠に使われているパイン素材も粗末なものではない。

 蒼兄はそのベッドに横になりながら小難しい雑誌を読んでいる。

「こうやって一緒に寝るのは久しぶりだね」

「そうだなぁ……。前は結構頻繁に一緒に寝てたもんな」

 この部屋ができる前の私の部屋は六畳ほどの広さで、広くもなく狭くもなくひとりで過ごす空間としては最適なものだった。

 しかし、この部屋は十畳ちょっとある。ひとりで過ごすのには無駄に広すぎるのだ。

 それが時に、寂しさを助長させ、しばらくはひとりで眠ることができなかった。

「いつでも言いな。一緒に寝るから」

 優しい声がベッドの下から聞こえてくる。

「俺はさ、翠葉の悩みを聞いたり、ちょっとしたアドバイスをしたり、側にいることしかできないんだ。不安になったら手を握ってやる、そんなことしかできない。痛いって言ってるのをどうにかしてあげられるわけじゃないし、血圧を上げることもできない。それならさ、せめてわがままくらいは言ってほしいんだよね。それを叶えてあげられるなら、そうしたいと思うから」

「……わがままはたくさん言ってるよ」

「おまえなぁ……」

 蒼兄はガバッと起き上がって私を見る。

「世の中にはもっと最悪なわがまま姫がわんさといるんだぞっ!? それに比べたら翠葉のわがままなんてかわいいものだ」

 いったい誰のことを話してるんだろう? 蒼兄は雅さんを知らないし――。

 そこまで考えたら少しおかしくなった。

 わがまま姫、イコール雅さんという方程式が自分の頭にできあがっていたことに。

 私は雅さんという人を全然知らないのに、変なの……。

「翠葉はもっと言っていいよ。俺が聞ける範囲なら喜んで聞くから」

 蒼兄は目を細めて穏やかな笑みを浮かべる。

「じゃぁね、わがままふたつ目」

「ん?」

「手、つないで寝たい」

「これはわがままっていうか……。ま、いっか。それくらお安い御用だよ」

 再び横になると、大きな手を「ほら」と差し出してくれた。

 その手を右手で取ると、とてもあたたかかった。

 大きくてあたたかい手に秋斗さんの手を思い出す。すると、自然と目に涙が滲んだ。

 けれども、しばらくすると抗いようのない睡魔に襲われ眠り淵に落ちた。


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