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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
39/59

13 Side Shin 01話

「はぁ……」

 思わずため息が漏れる。

 俺の上司、藤宮秋斗様は今日も職場にいらっしゃらない。今日も、だ。今日もっ。

 それが指すのは昨日もいなかったということ。正確には、昨日の午後から雲隠れ。

 デスクにある電話の受話器を置く。次に携帯から携帯へかけるもつながらない。自宅の電話も応答せず。

 基本は連絡がつく人なんだが――。

 とりあえず、秋斗様の行動範囲を反芻する。

 高校敷地内にある職場、自宅、実家、本社――そこにいないとなれば、ほかに考えられるのは御園生家か唯のところだな。

 気を取り直して唯の携帯にかけると、ニコールもしないうちに応答があった。

『はい、若槻です』

「俺だけど、そこに秋斗様いたりしないか?」

「いますよー。ただいま失恋中にて使い物にはなりそうにありませんが」

「やっぱ唯のところだったか……。今から行く。悪いけど、今日はそこで仕事させて」

 そう言って携帯を切ると、必要な書類だけをかき集めて部屋を出た。


 本社からホテルまで、道が混まなければ十分とかからないだろう。

 秋斗様の行動範囲は基本狭い。というより、夜遊び以外はあまり外に出ない。

 仕事も好きらしく、意外と真面目にそつなくこなす。が、最近は年下の女の子にご執心で、こっちに仕事を振ることを覚えた。

 今まではなんでもかんでも自分でやらないと気がすまない性分だったのに……。

 人に仕事を振れるようになったことはいいことだと思うが、何分俺に振られてもできないものはできないわけで……。

 そのあたりはもう少しご考察いただきたい。

 四年前の異動で急遽俺の上司になった六つ下の御曹司。

 どう考えても子守役に付けられた感が否めなかった。

 秋斗様の専属秘書になった始めの頃は、仕事の内容や会社内部のことを教えるところから始まり、半年後にはひとりで仕事ができるようになっていた。

 仕事ができるようになった、というのは新入社員とかそういうレベルではない。

 システムを開発し、それを運用できる状態にまでして会社内部へと食い込ませることまでをもやってのけるようになっていた、という意味。

 この短期間でここまでできるようになる新入社員はまずいない。そのうえ、人を動かす才も持っていた。

 年下とか社長の息子とか、そういうものを差し引いたとしても、仕事上尊敬のできる人間だと思えた。だから、ずっとこの人の秘書というポジションにいる。

 どうにもならないボンクラだったらとっとと会社を辞めて、ほかの会社に再就職するつもりでいた。が、そんなことをせずに済んだくらい、この人は会社に貢献している。

 普段なら仕事を投げ出すようなことはしない。それがこの二日間連続欠勤。

 唯が変なことを言っていたけれど、失恋とは翠葉お嬢様がお相手なのだろうか。

 先日ふたりを見ていた限りでは、仲睦まじかったように思える。それがどうして……?

 とりあえずは仕事だ、仕事――。

 これを片付けてもらわないことには社長から直々にクレームが来る。


 ウィステリアホテルの地下駐車場に車を停めると、高速エレベーターで三十九階の唯の部屋へ向かった。

 カードキーを通しドアを開けると、並んだパソコンの端と端に唯と秋斗様が座っていた。

 唯は俺に気づくと、「それそれ」と秋斗様を指差す。

 唯、人を指差すのはやめなさい……。

「秋斗様、お願いですから所在くらいはわかるようにしておいてください」

 俺の言葉に振り返り、

「でもわかるだろ? 俺の行動範囲なんて高が知れてる」

 悪びれもせず答えるから性質が悪い。

「……わかりますが、これ、本日中に片付けていただかないと困るものです」

 先ほどかき集めてきた資料を見せる。と、

「今若槻の仕事手伝ってるから無理。蔵元やっておいて」

 あぁ……間違いなく確信犯だ。

「できるものならやらせていただきますが、無理ですから。秋斗様がやらないなら唯にやらせますが?」

 俺にできずとも唯にならできる。

「あぁ、それでもかまわないよ」

 やっぱり……どう考えても確信犯だ。

「唯、おまえ真面目に本社に戻らないか?」

 実のところ、一ヶ月くらい前からずっと打診はしているんだが……。

 まぁ、今はまだ無理なことくらいわかってはいる。それに、静様が唯を手放しはしないだろう。

 そんなことを考えていると、

「蔵元、若槻はまだだめだ」

 秋斗様がこちらを向いた。

「近いうちに使えそうなのひとり入れるからちょっと待ってよ」

「唯以上に使える人間なんて思いつかないのですが」

「うん、今のところはね。誰か使えそうなのいないの? 俺、また仕込むけど?」

 どうやら、どうあっても唯を本社に戻すつもりはないらしい。

「俺、本社でもかまわないですよ?」

 唯が話しに加わると、秋斗様の顔つきが少し変わった。

「若槻、まだだめだ。本社のあの部屋に入ったらほかとの関わりがなくなる」

 ……やっぱり。そこまで考えてのことですよね。

「は?」

 要領を得ない唯に、

「おまえはまだ若いから。外で色んな人間に会ったほうがいいし、ここにいれば割と色んな経験ができるだろ」

「……別に俺は――」

 唯が俯いた。

「秋斗様、ご配慮感謝いたします」

「蔵元は身元引受人ってだけなのに、若槻の親みたいだな」

 と、秋斗様は苦笑した。


 唯は十九歳のときに両親と妹を事故で亡くしている。

 血縁者という血縁者もおらず、専門学校で身に付けた技術をハッキングという違法な手段で駆使し、生活の糧を得ていた。

 それこそ、何人もの女の家を渡り歩くようなその日暮らしをしていた。

 あのとき、秋斗様に引き上げられなければ今もそんな暮らしを続けていただろう。

「若槻、良かったな。蔵元みたいなのが身元引受人になってくれて」

「……感謝しています」

 小さな声で口にした。

 仕事は秋斗様並みにできるものの、こういうところはまだ子どもの様相を残している。

 実際、事故とはいえ、一家心中のようなものだったという。

 心臓を患っていた妹は確か十七歳で芹香せりかちゃん。どうやら小さい頃から入退院を繰り返していたものの、最終的には心臓移植が必要だったらしい。

 が、家には金銭的な余裕がなく、娘をひとりで死なせるのがつらい、と三人車に乗り両親が無理心中を図った、というものだった。

 彼らはここから一時間ほど走ったところにある幸倉峠と呼ばれる山の崖下で発見された。

 当時の新聞をいくつか見たが、それは悲惨なものだった。

 唯に残された手紙には、「唯は賢いからひとりでも生きていける。父さんと母さんを許してくれ」という言葉のみだったという。

 あまりにも惨い……。

 両親は保険金が下りると考えていたようだが、父親の自殺だけでは済まず、母親も自殺扱いになり生命保険が下りなかったのだ。

 結果、十九歳の唯にはノートパソコン以外は何も残されず、父親名義の賃貸アパートも程なくして追い出されたのだとか……。

 ただ、その日その日をどう生きていくか――。

 そこにしか意識は向かなかったという。そのときの唯が自棄になったとしても仕方のない状況だと思った。


「あ、もう昼過ぎてたんだ?」

 時計に目をやって携帯を手にした秋斗様。

「こんにちは。今、若槻のところにいるので適当にランチを三人分お願いします」

 オーダーを済ませて携帯をテーブルに置く。

「蔵元もまだだろ?」

「まだですが……。それよりもこちらをどうにかしてください。これ、今日の夕方までに上がらないと社長から直々にクレームが来ますので」

「……そんなやばいのあったっけ?」

 不思議そうな顔をして、ようやく資料に手を伸ばしてくれた。

「土日休みで昨日は午後から早退でしたからね。この案件は昨日の夕方に緊急で入った仕事です」

「悪い、メールチェックもしてなかった」

 資料に目を通すと、さも面倒くさそうな顔をした。

「交通整理は済んでいます。簡単なものなら代われますが、この仕事は無理です」

 俺が自分にできることとできないことを明確に提示すると、

「わかってる。これは俺か若槻にしかできない」

 どうやら諦めてくれたようだ。

 秋斗様は唯に向き直ると、

「若槻、今日急ぎの仕事ってある?」

「ちょっと待ってください」

 唯は仕事のリストに目を通す。

「今手をつけているものと、メインコンピューターのチェック。夕方からはオーナーに頼まれてる仕事があるくらいです」

「じゃ、今手をつけてるのが終わったらこっち手伝って。蔵元、若槻の代わりにメインコンピューターのチェック」

 ま、妥当な采配ですね。

「了解しました。仕事に入る前に澤村さんか静様の了解が必要そうですが?」

「今日はオーナーいないから澤村さんだね」

 唯がホテル事情を開示した。

 そんな話をしていると、インターホンが鳴る。

「ランチかな」

 唯が言いながら席を立った。

 ドアを開けると澤村さんがカートを押して入ってくる。

「本日のランチセットです」

 にこやかに言うと、素早くテーブルセッティングを始めた。

 秋斗様が、 「澤村さん、忙しいところすみません。で、ものは相談なんですが、若槻をちょっと借りたいので、今日のメインコンピューターのチェックは蔵元に行かせたいのですが……」

「かしこまりました。では時間になりましたらお迎えに上がります」

 澤村さんは一礼をして部屋を出ていく。

「澤村さんっていつもあんなに丁寧?」

 秋斗様の質問に、

「んー……俺と喋るときはもっと砕けてますよ」

「あぁ、なら良かった。若槻が天狗にでもなったらどうしようかと思った」

 と、笑う。

 実は親みたいなのは自分じゃなくて、秋斗様だったりしないだろうか、と思う今日この頃……。

「ここの人はみんな優しいですよ。仕事の場ではひとりの社会人として扱ってくれるし、そうでないときは年相応と思える対応をしてくれます」

 少しはにかんだ顔で唯は言った。

「まだつらいか……?」

 秋斗様がうかがうように訊くと、

「つらいって、こういうことを言うんですかね? ただ、後悔はしています。もっと――もっと家族と接していれば良かったって。俺、セリには言葉なんてかけてやれなかったし、助けるようなことは一度もできませんでしたから。両親はいつもセリばかりを見ていて、それは寂しかったかもしれません。でも、三人に死んでほしいなんて思ったことはなかったし、ひとり置いていかれたときのことは思い出したくないですね……」

「なら、余計にだ……。おまえはまだここにいたほうがいい。俺と蔵元はいつでもおまえの側にいるけど、それ以外の人間にもしっかり触れろ。女に逃げるのも構わない。けど、地盤はしっかりと築け」

「……はい」

 昼食を食べ始めてしばらくすると、唯の携帯が鳴りだした。

「唯……なんでダースベーダー……」

 着信音がダースベーダーってどうなんだ……。

「オーナーからの電話の着信なんです」

 と、すぐに電話に出る。

 その答えに俺は固まり、秋斗様は腹を抱えて笑いだした。

「――今日の夕方でいいんですよね? ――今ここにいますが? 換わりましょうか? ――はい。秋斗さん、オーナーです」

 秋斗様は「なんだろう?」という顔をしてそれに出る。

「仕事か?」

 唯に訊くと、

「あー……プライベートな仕事、ですかね?」

 と、首を傾げる。

「どうやらお姫さん、オーナーの家に引っ越してくるみたいで、お兄さんのパソコンを実家のものと連動させるのに、色々機材を運び込め、という命令なんですが」

「お姫さんって、翠葉お嬢様のことか?」

「ですです」

 それが指すところは身体の不調だろうか……。

 先日、秋斗様に急ぎの仕事を持っていったとき、その日は検査の日だとうかがった。

「――機材はうちの会社のものを出します。五時は過ぎると思いますが、自分が機材と若槻を送るし、手伝います。――わかってます。ではまた」

 なんだか非常に機嫌がよろしそうだ……。

「秋斗様、失恋というのは本当なのでしょうか?」

「悔しいけど事実。でも、諦めてはいないけど」

 と、笑みを深める。

 翠葉お嬢様、ここに性質の悪いクマがいます。早くお逃げなさい。イヤリングなんか受けとらず、とっとと逃げたほうが御身のためです――。

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