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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
34/59

01~03 Side Akito 01話

 晴れ、か……。

 アラームの音で目が覚め、カーテンの向こうの天気を予測する。

 夏のこの時期、天気が良ければ異様に明るいため、カーテンを開ける前に察することができる。

 カーテンを開くと、そこには青空といくつかの雲が浮かんでいた。

 昨日の予報が当たるなら、今日は三十度近くまで気温が上がるだろう。

 コーヒーメーカーをセットすると、バスルームへ向かい少し熱めのシャワーを浴びる。

 正直、昨日の今日だ……会っていいのかすら疑問が残る。ふとすれば、彼女の負担を考えてしまう。

 昨日の夕方、海斗から届いたメールに写真が添付されていた。そこにはピンクのドレスを着た彼女が写っていた。

 すごく悲しそうな顔でピアノを弾いている写真と、茜ちゃんと一緒に笑顔で写っている写真。

 表情の差に、何を思ってこんな悲しそうな顔をしたのか、と思いをめぐらせる。

「どっちにせよ、今日は彼女を家まで送り届けなくちゃいけないし……」

 蒼樹が帰ってくるのが夕方と聞き、会うのは午後からにした。

 今日は湊ちゃんも栞ちゃんもマンションで待機してくれている。

 彼女をひとりで自宅に帰すのが心配ならここへ戻ってくればいい。

 いくつか逃避経路を確保しつつのデート――。

 俺はそれでも嬉しいけど、彼女はどうなのだろう……。

 投薬を遅らせてまで、そうまでして俺とのデートを確保してくれたのに、どうして俺は今日振られるんだろう。

 納得はいかない。でも、意を唱えることもできない……。

 シャワーのコックを捻りお湯を止める。

 両手で髪をかき上げ後ろに流し、鏡に映る自分を見た。

「情けない顔……」

 そのまま出ようかとも思ったが、もう一度レバーを捻り冷水を浴びた。

 ぬるま湯ではなく、正真正銘の水――。

 あぁ、こういうのって心臓に悪いんだっけ……。

 そんなことを思いつつ、それでも冷水を浴びた自分は幾分かすっきりとしたように見えた。


 バスルームから出ると、家全体にコーヒーの香りが満ちていた。

 キッチンで一口含み、

「苦いな……」

 とくに分量を間違えたわけでもなければ、とくだん苦かったわけでもない。

 カップ片手に目に入ったものに手を伸ばす。それは彼女の誕生日に上の戸棚から下ろしておいたカモミールティー。

「ハーブティーに慣れたかな」

 ふと笑みが漏れた。

 彼女に出逢わなければハーブティーを飲むようにはならなかっただろう。

 何がどう巡ったかは知らない。けれど、彼女は俺の人生に足を踏み入れた。ただそれだけのこと。


 クローゼットに入ると彼女と森林浴へ出かけたときに着ていたジャケットが目に入る。

 手は自然とそれに伸びた。

 一瞬、黒のジャケットにも視線は移ったものの、その案は却下。中に着るものを黒いシャツにするに留めた。

 人に会うために着るものを選ぶなんて、今まで意識したことはなかったかもしれない。

「本当に色んな気持ちを教えてくれる……」

 でも、振られるとわかっている日にお洒落ってなんだろうな。

 どこか自嘲気味な笑みを浮かべ、それらに着替えるとリビングでノートパソコンを開いた。

 一番に目にするのは彼女のバイタル。

 微々たる知識しかない俺にですら、いいものとは思えない数字が並ぶ。

 今日、連れ出して大丈夫なんだろうか……。

 いや、無理ならば湊ちゃんから連絡がくるはずだ……。

 連絡がないということは大丈夫なのだろう。

 十二時を回ると、彼女の体温が少しずつ上がり始めた。

「発熱……?」

 けれども三十六度五分をキープするに留まる。

 携帯が鳴る気配はない。

「気にしすぎ、かな……」

 湊ちゃんがついているわけだから、何か薬を服用したのかもしれない。

 湊ちゃんが何も策を練らずに彼女を放り出すとは思えない。

「……さてと、行くか」


 家を出て隣のインターホンを鳴らせば栞ちゃんが笑顔で迎えてくれた。

「秋斗くん、今日は翠葉ちゃんをお願いね。これ、荷物だから運んであげて」

「翠葉ちゃんの体調は?」

「さっき湊が滋養強壮剤を飲ませたから半日はもつと思うわ」

 なるほど……それで体温が少し上がったのか。

「わかった。申し訳ないけど、何かあったら連絡させてもらうね」

 荷物を引き受け、先にエレベーターホールへ向かった。

 ドアが閉まる音がし、栞ちゃんの家を振り返る。

 彼女を視界に認め、すぐに逸らす。

 ……何、俺、今何を見た……? 翠葉ちゃん、だよな……?

 もう一度振り返ると、足元に視線を落とし動けずにいる彼女が目に入った。

 確かに、そこに立っているのは彼女なのに、何もかもが違う。

 サイドの髪の毛を上げているから、彼女の表情はすぐに読めた。

 やばい、不安がらせた――。

「翠葉ちゃん、ごめん……。違うんだ――エレベーター来たから、だから……おいで」

 誤解を解く言葉も口にできず、彼女を呼び寄せる。けれども、彼女は一歩も動かなかった。

「翠葉ちゃん、おいで」

 少しも動かない彼女に再度声をかける。「おいで」と。

 彼女の手に少し力が入る。そして、ゆっくりと一歩一歩歩き始めた。

 相変らず視線は足元に落としたまま。歩く動作で柔らかいカールががふわりふわりと動く。

 今日の彼女はロングストレートのきれいな髪を見事なまでにカールさせていた。

 荷物を運び込み、エレベーターのドアを開けて待っていると、彼女は少し戸惑いながらエレベーターに乗り込んだ。

「ごめんね。ただ、少しびっくりしただけなんだ。……見違えるほどきれい」

 そうは言うも、彼女を正視できずに壁のほうへ視線を移す。

 彼女から注がれる視線が痛い。

 俺、どうしようもないな……。

 これは俺が彼女に何度も言われていた言葉だ。

 このまじまじと自分を見る視線がこんなにも痛いものだとは思いもしなかった。

「本当に、勘弁して……」

 俺は完全に壁側を向いた。

 翠葉ちゃん、ごめん――。

 俺、今こういう気持ちを知ったよ。

 これは本当にきつい……。


 二階に着くと、

「ごめん、エントランスで待ってて。車回してくる」

「えっ!? あの、駐車場まで一緒に行きます」

「いや――少しだけ時間ちょうだい。態勢立て直したい」

 彼女をエレベーターに残し、ひとりエレベーターを降りた。

 車に着くまで、自分の心臓を押さえて歩く。

 心臓がうるさい、なんだこれ――。

 車に乗り込み深呼吸をする。

「まいった……なんだよあれ、反則すぎ……」

 ネイビーのシンプルなワンピースに薄く化粧を施された顔。

 いつもはストレートの髪の毛が、今日は柔らかく波打ち、サイドの髪の毛をアップにすることで少し大人びて見えた。

 いつもは年相応にしか見えないのに……。

 あの格好なら二十歳には見えるかもしれない。

「……待たせている間も立ってるんだよな」

 そう思えばいつまでもこうしているわけにはいかず、すぐにエンジンをかけエアコンを入れた。

 今日、俺はどれだけいつもと違う自分を目の当たりにすることになるんだろう。

 少し先が思いやられつつ、いつもとは雰囲気の違う彼女を早く見たくてアクセルを踏み込んだ。


 ロータリーに車を着けると、エントランスから彼女が出てくる。

 少し考えて、車の内側からドアを開けることにした。

 外に出てドアを開けたいのは山々だけれど、彼女を目の前にしたら抱きしめたくなる。

 でも、今はできない……。

 触れられないって結構つらいものだな。

 俺、今日一日大丈夫だろうか?

 不安になるくらい、今日の彼女はきれいだ。

 慣れない手つきでドアを開け、助手席に座るとドアを閉める。

 目が丸っとしていて、何かそわそわしている。そして訊くんだ。

「秋斗さん、さっき言った『たいせい』の漢字、教えてくださいっ」

「……翠葉ちゃん、今日は意地悪だねぇ……」

「え? 意地悪だなんて……。ただ、どの漢字が当てはまってどういう意味だったのかを知りたいだけで――」

 俺はため息をつき、ハンドルにもたれかかる。

 この天然娘が……。

「白状しますか……。翠葉ちゃんがきれいすぎて驚いた」

「え……?」

 大きな目を見開いて、「何?」って顔。

「そんな格好も髪型もメイクも、全部予想外。……俺の笑顔が反則なんてかわいいものだ。今日の翠葉ちゃんは存在自体が反則」

 ちらりと彼女に目をやれば、目を見開ける限り見開いている、そんな顔だった。

 そんな顔で彼女は俺を見つめてくる。

 君は自分の外見を自覚すべきだと思う。

「人に見せて歩きたい反面、人目に触れさせるのが惜しくなるくらいにきれいだと思った」

 自分でも嫌になるくらい顔が熱い。でも、彼女を視界に入れたくて顔を上げる。と、

「秋斗さん、顔――」

 彼女は中途半端に俺を指差した。

「わかってる……。いつもからかっててごめん」

 きっと俺はあり得ないほどに赤面しているだろう。

 バックミラーに移る自分を見て、げんなりとする。

 思わず苦笑する程度には赤かった。

「じゃ、行こうか」

「……はい」


 まだ顔が熱いものの、何事もなかったように車を発進させた。

 カーステから流れてくるのはDIMENSIONの「Key」というアルバム。以前彼女が好きだと言っていたものだ。

 それを聞きながら思案する。

 これから彼女をどこへ連れて行ったらいいんだろう――。

 最初は買い物に付き合ってもらおうと思っていた。でもそれは、彼女の体調や状況を考慮してやめた。

 少しゆっくり歩ける広い公園を予定していたものの、日曜日ともなれば人出が多いだろう。

 今日の彼女はどこへ連れて行っても人目を集めてしまう気がした。

 そのうえ、俺には振られる予定まで入っている。

 彼女との大切な時間に不躾な視線は感じたくない……。

 そうこう考えているうちに藤山の周りを一周してしまった。

「秋斗さん……」

「うん、わかってる。ちょっと決めかねててね」

「行き先、ですか?」

「そう」

 ちら、と彼女を見て、

「やっぱり人には見せたくないな」

 今日は俺ひとりに独占させてほしい――。

 そう思えば、思いつく場所なんていくつもあるわけじゃない。

 俺はいつも出勤するのと変わらず、学校の私道へと車を走らせた。

「学校、ですか?」

「いや、その裏山に祖母が好きだった散策ルートがあるんだ」

 そこは藤山の一角。じーさんが一番大切にしている場所だ。ただし、そこへ入るためには許可がいる。

 でも、もうそこしか思いつかなかった。

「今の季節ならノウゼンカズラや紫陽花、栗の花やざくろの花、百合もところどころに咲いてる。普通に見て回るだけでも二時間くらいは楽しめるんじゃないかな」

 彼女は嬉しそうに聞いているかと思えば、足元に視線を落とした。

 あぁ、サンダルのヒールね……。

「翠葉ちゃん、大丈夫。道はきちんと舗装されているし、ところどころにベンチもあるから」

「……良かったです」

 学校と病院をつなぐ私有地に入り、二本目の横道を中に入った。すると、小さな庵が建っている。

 その庵には光朗庵こうろうあんという名がついている。

 庵の前には駐車スペースが三台。今日は二台が停まっていた。

 きっとじーさんの車と警護につく人間の車だろう。

「ちょっと待ってて。中に入る許可だけ取ってくるから」

 彼女を車に残し、俺は庵の戸を叩いた。

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