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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
25/59

25話

「もう、逃げないで?」

「逃げる、ですか……?」

「そう、色んな意味でね。自分の気持ちからも俺からも逃げていたでしょ?」

 自分の気持ちから、逃げる……?

 どういうことだろう……。

 それは、私が秋斗さんを好きだけど断ったことを指しているの? それとも――ううん、それしか思い当たることはない。

 秋斗さんから逃げるというのは、好きだけど一緒にいられないと言ったこと? それとも、あの日から態度がぎこちなくなってしまったこと? 目を合わせられなくなってしまったこと?

 こっちは思い当たることが多すぎて困る……。

 でも、もしかしたらそれらすべてを指しているのかもしれない。

「俺はね、君が隣にいてくれたらそれだけで満足なんだ」

 改めて秋斗さんを見ると、屈託のない表情をしていた。

「何か話してくれないと、俺はこのまま甘いことばかり言い続けるけどいいのかな?」

「やっ、それは困りますっ……」

「くっ、全力で拒否か」

 秋斗さんはおかしそうに笑った。

「前にも話したけど、付き合うからって何かが変わるわけじゃない。今までと一緒でいいんだ。森林浴へ行ったり散歩をしたり、時々翠葉ちゃんの手料理が食べられたりお茶を飲んだり。そういう時間を一緒に過ごせるだけで幸せなんだよ」

「……本当に?」

 秋斗さんは笑顔で頷いた。

「君は何も返せないって言うけれど、ちゃんと返してもらってる。ほかにも色々と返してもらえるものはあるんだけど、それはいつか、ね」

「……え?」

「今はわからなくていいよ。そのうち教えてあげるから」

 と、髪に手が伸びてきた。

 一房取ると、指に巻きつけ始める。

 髪の毛の先端に神経なんて通っているわけがないのに、どうしてかくすぐったく感じる。

「この髪は切らないでね?」

「どうして……?」

「俺が好きだから」

「――はい」

 もう、秋斗さんが何を喋ってもすべてが甘く聞こえてどうしたらいいのかわからなくなる。

「そういえば……秋斗さん、夕飯の途中じゃ?」

「あぁ、そうだったね。でも、もうお腹いっぱいかな」

「え……?」

「欲しいものが手に入るとさ、ほかのものってどうでもよくなったりしない?」

 訊かれて困る。

 そんなものは今まで一度もなかったし……。

 強いていうなら、アンダンテの苺タルトさえあればご飯はいらない、かな?

 そのときに言われる言葉を思い出す。

「……だめです。ちゃんとご飯は食べてきてください」

 タルトとご飯は混同しちゃだめ。

「……プリン、ありがとうございました。美味しかったです」

「どういたしまして」

 秋斗さんの笑顔に見惚れそうになってはっとする。

「秋斗さんっ、ちゃんとご飯食べてきてくださいっ」

 できるだけ力をこめて声を発すると、笑いながら「はいはい」と口にして部屋を出ていった。

「今日はいったいなんの日だろう……」

 色んなことがありすぎて頭の中が整理できない。

 できることなら、真っ白な紙に起きた出来事を全部書き出したい気分だ。

 ぼーっと点滴の滴下を見ているとドアがノックされた。

「はい」

「俺だけど……」

 司先輩……?

「どうぞ」

 ドアが開き、制服姿の先輩が入ってきた。

「具合は?」

 訊きながら窓際に腰を下ろす。

「ご覧のとおり、ですかね。身体は起こせなくて……」

「薬に慣れるまでの数日だろ? それまでは我慢するんだな」

「はい……早く、学校に行きたい」

「無理して行ってもいいことはないだろ。今週いっぱいは休め。海斗たちもそのうち来るから」

「でも、来てもらってもこの状態なんですけどね……」

「会えないよりは会えたほうがいいのかと思ったけど?」

 会えないよりは会えたほうがいい、か。

 確かに会いたいしお話しもしたい。でも、こんな状態の自分を見られることには少し抵抗があった。

「司先輩は窓際が好きですか?」

 ふと気づいたことを口にする。

 図書室でもたいていは窓際に座っていて、秋斗さんの仕事部屋でもそう。

 湊先生のおうちの司先輩の部屋は窓際にデスクが置いてある。確か教室の席も窓際だった。

「なんとなくってだけ」

「私も窓際が好き……。空を見ると落ち着くんです。それに、陽の光や風を感じることができるから、だから好き……」

「……右に同じく」

 びっくりして司先輩の顔をまじまじと見てしまう。

「何」

「意外です」

「知ってはいたけど失礼なやつだな」

 眉間にしわを寄せて口元を歪める。

 機嫌が悪いよりも照れ隠しに思えて、クスリと笑みが漏れた。

「口外はしないように」

「はい、秘密にします」

 最近、先輩との距離が少し縮まった気がした。

 海斗くんたちみたいに「友達」という感じではない。でも、とても頼りになる人。

 前は話すのも少し怖かったけど、今は普通に話せる。

 学年は違うけど同い年って、なんだか不思議な感じだ。

「少し、楽になったみたいだな」

「……え?」

「今日、ここに来たときはすごくつらそうな顔してた」

「あ……心配かけてごめんなさい」

「……秋兄と付き合うって聞いた」

「……そうなの」

「……念願叶ったり、だろ? ならもっと嬉しそうにすればいいものを」

 先輩は片膝を立て、その膝を両手で抱えている。さらにはその腕に顎を預けていた。

 顔が傾いて見えるからか、いつもとは違う表情に見える。

 相変わらずきれいで端整な顔をしているけれど、さらっと流れる黒髪がとくに美しい。

「嬉しいは嬉しいの……。でも、なんだか戸惑うことのほうが多くて」

「……嬉しいなら嬉しいで笑ってればいい。翠は笑っているほうがいい」

 言われた言葉をそのまま受け取ってみたけれど、どこか腑に落ちなくて先輩の顔をじっと見てしまう。

 すると、すぐに視線を逸らされた。……というよりは、顔ごと背けられた。

「先輩……?」

「……ってみんなが思ってる」

 と、小さく付け足す。

 なるほど……。

 桃華さんにも湊先生にも蒼兄も、笑ってろと言われた気がする。秋斗さんにも笑っていてほしいと言われた。

 私、そんなに笑っていないのかな――。

「先輩は好きな人いますか?」

「っ――何を急に」

 背けられていた顔がこちらを向いた。

「なんとなく、です。でも、女の子が苦手って言ってましたよね」

 本当になんとなく訊いただけだった。

「……女子は苦手。でも、例外はいるし好きな人もいる」

「……桃華さん?」

「……むしろ、なんで簾条の名前が挙がるのか訊きたいんだけど」

 すごく嫌そうな顔をされる。

「だって、先輩と桃華さんって息がぴったりな気がして……」

 それまで以上に嫌な顔をした。

「眉間にしわ……痕が付いちゃいそう」

「そしたら翠のせいだから」

「……それはどうかと思います。だって、先輩はいつも眉間にしわを寄せているもの」

 そう言うと黙り込む。

「でもね、先輩の恋愛はうまくいきそう」

 深く考えたわけではなく直感だった。

「どうしてそう思う?」

「だって、司先輩は格好いいもの。それに頭もいいしなんでもそつなくこなすイメージ。まず憧れない女の子はいないんじゃないかな。桃華さんだってなんだかんだ言っても先輩のことは尊敬しているみたいだし……。それに始めは冷たそうで怖かったけれど、実はとても優しいし。女の子が苦手なら、好きな子にだけ優しいのだと思うし……そういうのはきっと、女の子側からしてみたら嬉しいと思うの」

「……今、失恋したばかりだけど?」

「えっ!?」

 司先輩みたいな人を振る勇気のある女の子がいるのだろうか!?

 思わず先輩を凝視してしまう。

「そんなに意外?」

 コクリと頷く。

「……でも、諦めるつもりはない。俺を見てくれるまでは待つつもり」

 それほどまでに好きなんだ……。

「その人は幸せですね。こんなにも先輩に想ってもらえて」

「……それはどうかな。好きでもない男に想われていても迷惑なだけじゃない?」

「……どうでしょう。私にはそういうのはわかりませんけど」

 先輩は小さくため息をついた。

 つらい恋なのだろうか……。

 私も少し前まではすごくつらかった。

「恋愛って楽しいだけじゃないんですね……」

「俺はまだ恋愛がどういうものかはよくわからない。でも、悪いものではないと思う」

 先輩は何をどんなふうに思っているのだろう。

 床に固定された物憂げな目をじっと見ていると、

「気持ちが報われるとか、そういう自分主体もあると思う。でも、俺はそいつが笑ってたらそれで満足みたいだ」

 そう言った先輩の顔には険しさなど一切なかった。きっと、本心なのだろう。

 そして、先輩にそんなふうに想われている女の子が少しだけ羨ましく思えた。

「先輩は心が広いですね」

「そうでもない。ただ、自分の目が届くところに対象がいればなんとなく安心なだけ」

「……そういうものですか?」

「今のところは」

 そういえば、また好きな人を「対象」扱いしてるし……。

 先日の静さんとの会話を思い出す。

 ――「たとえそういう対象がいたとして、それが俺って人間を理解してくれないと意味がないですから」

「その人が先輩のことを理解してくれるといいですね」

 先輩は一瞬目を見開き、すぐにいつもの無表情に戻る。

「……かなり鈍いんだ。だから、まだ当分先かな」

「じゃぁ、先輩はがんばらなくちゃですね」

「……それなりに。――翠、何か悩みがあればいつでも聞く」

 悩みごと……。

「今のところはないと思っているんですけど、時々自分でも悩んでいることに気づいてなくて……」

「翠らしいけど、バカだな」

 真顔で言われて苦笑する。

「でも、先輩のことは頼りにしています。きっとこれからも頼ることがあると思います」

「……いつでもどうぞ」

 そこへノックの音がし、秋斗さんが入ってきた。

「何を話してたの?」

「司先輩の恋愛話」

 答えると、先輩は咽こみ秋斗さんはフリーズした。

「……どうか、しましたか?」

 ふたりは顔を見合わせ表情を引きつらせる。

 そんなふたりを交互に見ていると、

「なんでもないよ」

「なんでもないから」

 秋斗さんと先輩は同じようなことを口にした。

 まるでふたりだけ意味を理解していて、私だけがわかっていない感じ。

「秋斗さんは司先輩の好きな人を知っているんですか?」

 秋斗さんは引きつる顔を押さえながら、「知ってるよ」と答えてくれた。

「どんな人ですか?」

「……そうだなぁ、すごくかわいくて、半端なく鈍い子だね」

 秋斗さんにも鈍いと言われてしまうのだ。これは相当苦労しているのかもしれない。

「先輩、がんばってくださいね」

 言うと、ふたりは再び固まった。

「……どうしたんですか?」

 訊くと、司先輩は立ち上がり、

「俺、もう帰るから」

 と、逃げるように部屋から出ていった。

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