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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
本編
13/59

13話

 お昼前になると蒼兄に起こされた。

「具合、悪いんだってな」

 と、少し表情が歪む。

「嫌な期間に入っちゃった……。もう、身体も起こせないみたい」

「今日、荷物を取りに家に行くけど、翠葉はどうしたい?」

 ゲストルームでしばらくお世話になる、というのは、お泊りというよりもお引越しに近いものがある。

 学校の教材やピアノやハープの楽譜、それからルームウェアや多少のお洋服。

 少し考えただけでも持ってこなくてはいけないものがたくさんあった。

 蒼兄も同じようなものだろう。

 それに加え、パソコンを連動させるというのなら、それなりに大掛かりな作業があるのかもしれない。

 でも、今の私が行ったところで何ができるとも思えない。それなら、持ってきて欲しいものをリストアップするほうが足手まといにならずに済む……。

「車に乗るまで我慢してくれるなら、ここから下まで抱っこしていくよ。しばらくこっちにいるともなれば、持ってきたいものだって結構あるだろ?」

「……うん。でも――」

「翠葉が楽するためにここに来るんだ。だったら、快適に過ごせるようにするのは怠れないだろ?」

「私、わがまま言いすぎてない?」

「こんなの、わがままのうちに入らないよ」


 そこへ栞さんが入ってきた。

「さっき静兄様から連絡があったの。幸倉に引っ越し業者が着くのが四時って言っていたから、家での作業時間も入れると――そうね、お昼を食べたらここを出ましょう」

「……え?」

「あら、何? ここで寝てるつもりだったの? それでもいいけど……。でも、行きたいんじゃない?」

 どうしてだろう……。

 行きたいけど身体が起こせないとか、そういうのはあまり関係ないみたいに言葉をかけられている。

 もしかしたら蒼兄も同じだったのかな……。

「どうしたい?」と訊いたのは、私に思っていることを話させるリハビリのようなものだったのだろうか……。

「翠葉ちゃん、私が付いているのよ? 私は湊みたいに治療をすることはできない。でも、患者の状態を把握することやフォローするのは得意だと思うの」

 ふたりの優しさに触れて涙が滲む。

「行きたい……。迷惑かけちゃうかもしれないけど、行きたいです」

「許すも何もないわ」

「そうだよ。何をやりたいのかを自分で決めることは大切だから」

「栞さん、蒼兄……ありがとう――」

 心があたたかくなる。

 周りにいる人たちの言葉と笑顔で。

 私の心はとても救われている。

 私も何かを返したいけれど、それは今じゃない。

 今は自分の身体と闘うことだけを考えよう。

 少し落ち着けば何かできることが見えてくるかもしれない。

 それまでは――考えよう。考えることはいつでもできるから。

 実行に移せるようになるまではたくさん考えることにしよう。


 お昼は客間で食べることになった。とはいっても、私は朝と同じようにスープを飲むだけ。

 前半は栞さんが食べさせてくれ、後半は蒼兄が食べさせてくれた。

 栞さんと蒼兄は順番にご飯を食べていた感じ。

 申し訳ないと思っていると、

「翠葉ちゃん、そういう顔しないのっ」

 頬をぷにっと人差し指でつつかれる。

 栞さんはご飯を食べ終えると、

「私、着替えを持ってくるわ」

 と、トレイに食器を載せて部屋を出ていった。

「今は身体のことだけ考えな」

 蒼兄の言葉に頷く。

「ほら、あと五口くらい。がんばれ」

 と、口元にスプーンを運ばれる。

 ちょうどスープを飲み終えたとき、蒼兄の携帯が鳴った。

「はい。――えぇ、聞いています。これから自宅に戻って一通り設定をする予定なんですけど……。――翠葉も一緒に戻ります。――栞さんが一緒なので大丈夫かと……。――んー……正直、身体を起こせる状態ではないです。――あぁ、助かります。そうですね、二、三台あれば問題なくできると思います」

 相手は秋斗さんかもしれない。

「――え? 本当ですか? それはもう、助かりますが……。わかりました。自宅に戻ったらデータ転送する前に電話します。――はい。――はい。了解です。――え? あぁ、ちょっと待ってください」

 携帯を耳から離して、

「秋斗先輩が代わってほしいって。……どうする?」

「あ……お礼、言いたいの」

「お礼?」

「昨日、お昼にアンダンテのシュークリームを買ってきてくれて……」

「じゃ、出る?」

「うん」

 渡された携帯を耳に当てる。

「……翠葉です」

『元気のない声だね』

 秋斗さんと電話で話すのは久しぶりな気がした。

 じわりと心に何かが広がる。

「少し、つらくて……」

『君は嘘つきだね。絶対に少しじゃないでしょう?』

「……あの、昨日、お昼にシュークリームありがとうございました。とても美味しかったです」

『食べられたなら良かった』

 何も変わらない優しい声が耳に届く。

『今日、引越しだってね』

「はい。しばらくゲストルームに間借りさせていただくことになりました」

『じゃ、会う機会がたくさんあるね。今日、夕方にはそこへ若槻を届けることになっているから』

「えっ!? 秋斗さんも一緒なんですか?」

『ダメ?』

「あ、いえ……だめとか、そういうのではなくて――」

『あとで会えるの楽しみにしてる』

「蒼兄に、代わりますね」

 そう言って蒼兄に携帯を渡した。


 そこへ栞さんが戻ってきた。

「身体を締め付けるようなものは避けたのだけど」

 と、水色のロングワンピースをハンガーにかけて持ってきてくれた。

 サラッとしていて手触りのいい涼しげなワンピース。

 広めのスクエアネックにノースリーブのワンピースで、ウエスト部分は細いリボンはベルトループに通っていた。

「ワンピースなら大丈夫だと思って」

 電話を切った蒼兄が、

「俺、着替えが終わるまで外に出てるから」

 と、部屋を出た。

 私は心臓と頭の位置がずれないよう四つんばいの状態になり、栞さんに手伝ってもらって着替えを済ませた。

「あ、そうだ。美波さんに連絡入れなくちゃ」

 栞さんは思い出したように携帯を取り出す。

「みなみ、さん?」

「えぇ、ここのコンシェルジュ統括者、崎本さんの奥さんよ」

 にこりと笑って電話をかける。

「栞です。ご無沙汰してますがお元気ですか? ――えぇ、そうなんです。今から私の車ともう一台お願いできますか? ――えぇ、自宅です。――お願いします」

 短いやり取りをして切る。

「蒼くん、もういいわよ」

 廊下に声をかけると蒼兄が戻ってきた。その数分後、インターホンが鳴る。

 栞さんが出ると、「こんにちはー!」と底抜けに明るい声が聞こえてきた。

「きゃー! 栞ちゃん、元気?」

「元気です!」

「じゃ、また料理教室開催してくれないかしら? 前回のあれ、結構評判良かったの」

「本当ですか? じゃ、また何かやりましょう! でも、美波さん、もう卵を爆発させないでくださいね」

 ……卵が爆発って、何?

 目が合った蒼兄とフリーズしてしまう。

「いやぁねぇっ! あれはたまたまよ、たまたまっ! そういうこと秋斗くんに吹き込まないでよー?」

「はいはい。じゃ、これ私の車のキー。あっ、蒼くん! 蒼くんの車のキーも貸してらえる?」

 蒼兄は首を傾げながら客間を出ていった。

「これですけど……」

「こんにちは。私、コンシェルジュ崎本の妻、美波です。困ったことがあったらいつでも声をかけてね」

「御園生蒼樹です。今日からゲストルームでお世話になります。勝手がわからないので、ご迷惑をおかけしたらすみません」

「えぇ、聞いてるわ。妹さんの翠葉ちゃんがとてもかわいいって夫から情報は得ているの」

 崎本さんとはどのコンシェルジュだろうか……。

 何度となくこのマンションには来たことがあるけれど、自己紹介などはしたことがないし、挨拶も会釈程度なので、誰が誰だかさっぱりだ。

 ゲストルームにお世話になるようになったらコンシェルジュの人や、マンションの人の名前や顔を覚えなくてはいけないのだろうか……。

 そう考えるだけでも少し不安になる。

「下につけたら折り返し電話するわ。ところで、蒼樹くん。君の車は縦長かしら?」

「え? 一応、ステーションワゴンのタイプになるとは思いますが……」

「じゃ、そっちは夫に任せよう。私、長い車とは相性悪いのよ。じゃ、車出しておくわね」

 と、その元気な声は聞こえなくなった。

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