第七話 柚木衣沙の事情
『は? なんだそれ?』
電話越しの千畳の声は少し苛立たし気だった。
「いや、ちょっと知り合いに頼まれてさ……」
日曜日の朝。俺は昨日柚木に頼まれた動画の件で、協力してもらえないかどうか千畳に電話で相談していた。
『この街のことを紹介する動画? そもそも継流に市外の知り合いなんていたのか?』
だが、千畳は相当訝し気な様子。まあ予想はしていたが。
「いや、なんだ、ほら、昔転校してったクラスメイト的な……」
『元々この街に住んでたなら、紹介するまでもないだろ』
すごく不自然な頼みだということもわかっている。そりゃそうだ。誰が好き好んでこんな何でもない街を紹介する動画を撮ったりするのか。
「あ、ああ、まあそうなんだ。大体の状況はそいつもわかってる。だからちょっと最近はこんな感じ……みたいなのを簡単に撮れたらなあと思って」
それでも俺は千畳に相談を持ち掛けた。なぜって、それは……。
『まあなんとなくやりたいことはわかったが……そうだな、今日の午後は空いてるから、とりあえず学校の近くと駅前くらい行ってみるか』
なんだかんだ言っても、結局千畳は最後には必ず助けてくれるやつだからだ。
「悪い、助かる」
俺は簡単に礼を言うと、待ち合わせの場所と時間を伝えて通話を切った。
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「ツーグニャン!」
「うおっ! なんだビックリした!」
深夜0時ちょうどの美山の森の中。いつものように音楽を聴きながら岩の前で時間が来るのを待っていた俺だったが、その日は柚木の姿が映った途端、思わず後ろに大きくとびのいた。
その……近いんだよ、胸が……。
「今日はまたおめかししてきたよ! どう、可愛い?」
「あ? ああ、まあ……別に、普通じゃね?」
昨日とはまた別の装いをしてきた柚木。全身をすっぽり包み込むような白のニットにブルージーンズ、頭には赤いベレー帽を載せている。
そして経緯は知らないが、なぜか前に屈み込むようにして岩を覗き込んだ状態での登場だったもんだから、大きく膨らんだ胸のあたりがやけに強調。まるでイケナイDVDのワンシーンのようだった。
……ったくなんて破壊力だ、このメロン性人め。
「『普通』って、何それ? リアクション薄くない? せっかく休日用のおしゃれしてきたんだからもうちょっと褒めてくれたっていいじゃん」
柚木は頬を膨らませ、フンと鼻を鳴らす。
ったく、なんだよ女ってのは面倒臭えなあ……。
「ああ……その、なんだ、似合ってるんじゃないか」
非常に不本意ながらも適当に賛辞を述べる。
「えへへ……ありがとう♪」
そっけない言葉だったが、柚木はそれで満足気に笑った。
「あ、それより……撮ってきたぞ、動画」
千畳にも手伝ってもらって撮影したこっちの世界の篠原市の様子である。観光客向けというよりはここに暮らす俺達のような目線で、商店街とか駅の中とか出来る限り生活に密着した場所を意識して選んだ。柚木が知りたいのはおそらくそっちだろう。
「うそ!? ホントに!? 見せて見せて!」
「ああっ! だからお前は近づかなくていい!」
興奮して、岩に顔を寄せようとした柚木を俺は慌てて制する。それ以上近づかれたら、また無駄に主張する胸に気を取られそうでたまったもんじゃない。
「いいか? 俺がケータイの画面を岩に貼り付けるから、お前はそこから見るんだ」
「んん……なんで? 近づいた方が見やすいじゃん? なんかよくわかんないなぁ?」
納得いかないと言う顔をして首を傾げる柚木。
俺はどうしてお前がそんな立派に成長しちゃったのかよくわかんないなぁ?
「とりあえず外の様子だけだぞ。休日だったから学校の中は撮れてない」
「それでもいい! 見せて!」
早く早く、と急かす柚木。俺は適当に切り貼りして繋いだ2分近くの動画を、そのまま黙って柚木に見せた。
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「へぇー! やっぱり違うところあるんだ! 学校の近くにカラオケあるとかいいなぁ……あ、そういや駅前にボーリングは無かったね!」
最後まで見終わると、柚木はまるで映画の感想を言い合うかのように興奮して話し始める。
「……うん! ありがとね、ツグニャン! 楽しかったよ!」
「どういたしまして」
まあこっちとしても午後まるまる使って用意した動画だ。喜んでもらえて悪い気はしない。
しかし、しばらくすると柚木の表情に段々と陰りがさしてきた。
「やっぱり私もそっちの世界に行ってみたいなあ……」
「どうした?」
ついさっきまでとは打って変わって、急に声のトーンが落ちる柚木。どこか沈んだ雰囲気に俺は首を傾げた。
「……ああ、ごめんね」
柚木は困ったように笑うと、少し遠慮がちに上目で俺の顔を覗き込んだ。
「今日はその……真理の探究? についてとくに進展とかないからさ、ちょっと重めな話していい?」
『重め』な話? 一体どんな内容だろう? 俺は少し身構える。
「……お前の体重より軽ければいい」
「ツグニャン、よく思春期の女の子に対してそんなこと言えるね。呪い殺すよ?」
軽いジョークで緊張がほぐれたのか、柚木は一度深呼吸すると意を決したように口を開いた。
「私ね、学校でハブられちゃってるんだ」
自嘲気味に告げる柚木。
「ハブ……お前が?」
衝撃だった。何か良くない話だという予感はしていたが、これは想像していたよりもずっと『重い』。
でも、どうして? 性格も明るく容姿も良い柚木が、とてもそういう対象にされるとは考えにくいのだが……。
「私ね、学年一の人気者みたいな男の子に告白されちゃったの。そしたら同じ子を好きだった割とキツめの女の子に恨まれて……」
なるほど……その手の話なら納得がいく。自分に魅力が無いからって、持ってる者をただ妬むやつ。さらにそいつが中途半端に地位を持ってたりするとそれはことさらに面倒くさい。
「自分は興味ないって言えばよかっただろ?」
そうだ。いくら告白されたからといって、こっちにその気がなければ男は誰かに盗られるわけじゃない。どっかの馬鹿な女からすれば、元々自分に興味のなかった憧れの男が、相変わらず自分には目も向けてくれない、ただそれだけのこと。
だけど柚木は哀しそうに首を振った。
「ううん、違うの。私その男の子のこと本当に好きだったの。だからとても嬉しくて、すぐにOKしちゃって、舞い上がっちゃってた。そしたら……」
柚木はそこで言葉を切り、急に目をつぶって唇を噛みしめた。……相当嫌な思いをしたんだろう。
「……バカだな、って思うよ。何であんな浮かれちゃったんだろ……ってすっごく後悔してる」
柚木は今にも泣きだしそうな顔をして言葉を続ける。伏し目がちな彼女の身体は、よく見るとさっきから小刻みに震えていた。
「結局怖くて学校も行けなくなっちゃった……ははは……」
無理に笑い話に持っていこうとする柚木だが、とてもそんな風に割り切れているとは思えない。
「学校行けないって、でもお前いつも制服……」
「あれ、お母さんの目を誤魔化すためのカモフラージュなんだ。本当は朝家を出てからずっとその辺をウロウロしたり、行っても図書室とか保健室登校。これじゃ、ただの不良生徒だよ」
彼女の苦しそうな笑顔が見ていて辛い。柚木はいつもそんな事情を隠したまま、俺の前では明るく振舞って見せていたのか。
「親、知らないのか?」
「今はまだ……ね。でもそれも時間の問題かな? その内学校から連絡行くと思う。いよいよ、本気で怒られちゃうなあ……」
深いため息。学校から連絡が行って、親に怒られて、そしたら柚木はどうするのだろう? それで学校に行くのか? それくらいで行けるようになるのか?
そしてもう一つ、俺には疑問があった。
「いいのか? こんな時間に、こんなところにいて」
家にも帰らず、毎日こんな遅くまで制服のまま外を出歩いているなんて、そっちの方が先に親には咎められそうなもんだが……。
「お父さんは単身赴任。お母さんは病院の夜勤が多くて、ほぼ昼夜逆転。だから私がこんな風にツグニャンとこっそりと逢瀬を重ねていても気づかれないんだ」
「『逢瀬』ってお前なぁ……」
「うふふ、でも状況はまさにそんな感じでしょ?」
柚木は下がった眉のまま、控えめに笑った。
彼女は強い子だ。こんな時で何とか気を持ち直そうと努力している。
「ん……でもお前、この前友達に手伝ってもらって教室で机の落書きを探したって……」
「ごめん、あれウソ。本当は放課後教室に誰もいなくなったのを見計らって一人でこそこそ探したの。もし、誰かに見つかったら……って死ぬほど怖かったけど」
誰にも気づかれないよう息を殺して教室中の机を調べている間の彼女の心境を想うと、俺はいたたまれない気持ちになった。
「その、悪いな……ツライことさせて」
だが、柚木は心外といった風に大きく首を振った。
「ううん! そうじゃないの! たとえ怖くたって、それでも今はこうして何か打ち込めることが出来て嬉しい。ただ逃げてただけの毎日よりずっと生きてる感じがする」
そうか、だから柚木はこの真理の探究にあれほどの執着を見せたのだ。彼女にとって先輩達が過去に残した謎解きは、まさに今の生きる目的の全てなのだろう。
「だけどやっぱり辛いよ……ずっとこうしてるわけにはいかない。いつまでこうやって逃げてられるのかと思うと毎日怖くて……」
柚木は両手で体を抱くと、とうとうその場にしゃがみ込んでしまった。そして、震える声でポツリと呟く。
「助けて……ツグニャン」
それはとても、とても、小さな声だったが、俺の耳にはハッキリと届いた。彼女は俺に助けを求めている。
「…………わかった」
長い逡巡の後、俺は静かに頷いた。
「お前がちゃんと元の生活に戻れるまで、俺が毎日付き合ってやる。毎日、毎晩、ここで話を聞いてやる」
ああ……何言い出してんだろ俺。そんなキャラじゃないのになあ……。
「だからもう一人で悩まなくていい。俺の前で強がらなくていい。泣きたいときは泣いて10分使えばいい。ここなら俺以外に誰もいない。誰にも見られることも、聞かれることもない」
「ツグニャン……」
柚木は伏せていた顔をゆっくりと持ち上げる。彼女の潤んだ瞳と目が合った途端急に恥ずかしくなった俺は、最後は照れ隠しで話を締めた。
「俺達は『パートナー』だろ? お前がいなくなったら俺は世界の真理とやらにたどり着くことがないまま一生を終える。そんなのあってたまるか。ここまで来たら何が何でも最後まで暴いてやる」
そうだ。ここで柚木が塞ぎ込んでしまったりしたら、困るのは俺も同じだ。
「……だからそんな顔するなよ。調子が狂う」
「ツグ……ニャン」
柚木は細い指で目尻を拭うと、ぶるっと一度身震いをして立ち上がった。
「わかったか? なら明日はどうやって人に見つからないように美術室に忍び込むか、その作戦を考えよう」
「……うん、そうだね! 」
柚木はまだ目にキラキラと光るものを残しながらも、さっきよりずっと良い表情で笑った。彼女の不安もかなり落ち着いたようだ。
「……ありがと、ツグニャン」
「……別に」
そんな彼女の言葉が妙にむずがゆくて、俺はまたそっけない言葉を返すのだった。