第五話 世界の真理。それは宇宙ラプソディー?
「失礼しまーす……」
放課後、ソロソロと図書室の扉を開ける俺。生徒の姿はチラホラあるが、誰かが本のページをめくる音以外はほとんど無音の世界。
しまった、やっぱり必要なかったか……。
この篠原高校に入学して以来、実は図書室に入るのは今日が初めてだった。作法がわからずとりあえず小声で挨拶をしてみたのだが、誰も返事をしてくれる様子はない。奥の机で読書をしている神経質そうな男子が、一瞬こっちに敵意の視線を向けたくらいである。
えっと、とりあえず……こっちか?
気を取り直し、俺は本棚へと向かう。出来るだけ周囲の人間を刺激しないように気配を消しながら。ツグルステルス、実に3話ぶりの登場である。
……にしてもアイツどんな本の趣味してんだ?
俺はケータイのメモを眺めながら、呆れたため息をつく。
柚木が向こうの図書室で借りたという本のタイトルは『宇宙ラプソディー ~恋とメルヘンの浪漫飛行~』。話がややこしくなりそうだったのであえてその場で突っ込まなかったが、やはり何度見返しても目を疑いたくなる。そもそもこんな本、ホントに実在するのか?
「うわ……」
小説とカテゴリ分けされた本棚の列を前にして思わず声が漏れた。小説だけで一体何千、何万冊あるのだろうか。通路の両側にずらりと並ぶのは自分より背の高い本棚の壁。中には、上から下まで本の背表紙がびっしり詰まっていた。
「しかも作家順かよ……」
そこで俺は一気に絶望する。柚木からは本のタイトルだけで、作家名までは教えてもらっていない。これでは探そうにも探せない。
諦めて帰ろうか……そんな風に呆然と立ち尽くしていたところ、誰かに呼び掛けられた。
「あれ? 三毛君?」
何ッ!? もしかして俺って人気者? ……なんてことは無く。
「ん……おお、降雪か」
よく聞いたことのある声だなと思って振り向くと、そこには降雪の姿があった。
彼女は珍しいものでも見つけたかのように、本棚の壁に挟まれた俺を通路の入り口からしげしげと眺める。
「こんなところで何やってんの?」
俺は彼女が重そうな本を何冊も抱えているのを見て首を傾げた。なんだろう、奉仕活動でもしてんのかな?
「え……だって私図書委員だよ?」
「おお、なるほど……」
そう言われてみれば確かにそうだった気もする。降雪が文化系の部活か何かに所属してることは知っていたが、あまりに自分とは無縁の世界だったためすっかり失念していた。
「ってかそれはこっちのセリフだよ。三毛君こそ、こんなところでどうしたの?」
降雪の心底不思議そうな眼差しにチクリと胸が痛む。確かに俺はおよそ本なんて読むキャラじゃないが、たまにはこうしてゲーテだとかミュラーだとか、聞いたことあるような無いような文豪の名前を背表紙に見つけては知った風に一人頷いたりもしてみたいじゃないか。
「あ……待てよ」
「ん?」
そこで俺はあることに気づく。
図書委員の知り合い……それはまさに俺が今一番欲していたものじゃないのか? 降雪なら作家名がわからなくても、この大量の本の中から目当ての一冊を見つけ出す方法を知っているかもしれない。
「ちょっと聞きたいことがあってだな……」
「ふむふむ」
文字通りふむふむと頷く降雪。俺はもう一度ケータイのメモを表示させ、借りたい本があることを彼女に伝えようとしたのだが……。
「いやっ、やっぱ無いっ!」
瞬時にその案を取り下げた。
だってこんな恥ずかしいタイトル、俺の口から言えるはずがない。
「へ?」
しかしここで彼女の協力を得られなければ、おそらく俺はこの先ずっとこの本にたどり着けないわけで……。
「いや、あるんだ! 厳密にはあるんだが……いいや、無いっ!」
「どっち!?」
二転三転する俺の発言に、思わず降雪のツッコミが飛ぶ。
「ええっと……とりあえずこれ片付けてからでいい?」
彼女は呆れた風に一つため息をつくと、両手で抱えた本を少し持ち上げて見せた。
「はい、誠にありがとうございます。非常に助かります。恩に着ます」
さすがは降雪、なんて心が広いんだ。迷える子羊に手を差し伸べてくれた彼女の姿が、その時はさながら聖女のように俺の目に映ったのである。
********
「ふへっ……?」
文字にするのが難しい、彼女独特の驚きリアクション。
「いやっ、あのっ、それはだな……」
そして、額に汗をにじませ必死に弁明を試みようとする俺。
「宇宙ラプソディー……? 恋とメルヘン……浪漫飛行?」
もしこれが漫画だったなら、降雪の頭上には8個くらい『?』マークが浮かんでいたことだろう。
「えっと……これ、探してるの? 三毛君が?」
「い、いいや! 俺じゃなくてリ、リンがだな……!」
「リンちゃんがこれを? ……こんなの読むかなぁ?」
苦しい言い訳。ここで輪廻の名前を出したのはかえって失敗だったかもしれない。
「と、とりあえず探せそうか?」
「えっと、一応ここの端末で蔵書検索が出来るんだけど……作家名知りたいだけなら今の時代ケータイで検索した方が早いよね?」
「た、確かに……」
降雪に指摘され、俺は己の愚かさに気付く。何でそんな簡単なことに気づかなかったのだろう? おかげで俺は今死ぬほど恥ずかしい思いをして、降雪に協力を仰いでいるというのに。
「まあせっかくだから一応こっちで調べてみよっか」
そう言って降雪は受付のPC前へと移動した。
「図書室にある本なら全て、ここにタイトルを入れれば場所を教えてくれるんだ」
「へぇ……」
そのシステム自体はどこの学校にもありそうな一般的なものである。しかし、降雪はそれをなんだか得意気に話して聞かせるもんだから、俺は微笑ましくって心が和む。
「えっと……本のタイトルなんだっけ? 三毛君もう一回教えてくれる?」
キーボードに指を構え、降雪は俺の方を見る。
「も、もう一回か……よし」
わかってる。降雪は何の悪意もなくただ純粋に聞いてるだけなのだと。しかし、この本のタイトルを口にするのはどれだけ勇気のいることか……自傷行為と言っても過言ではない。心のなんとかセンター的なとこに電話したら、きっと優しく止めてくれるはず。
「う、宇宙ラプソディー 〜恋とメルヘンの浪漫飛行〜」
「宇宙ラプソディー……か。何度聞いても面白いタイトルだね」
ブハッ……! やめてくれ! そんな笑いをこらえ切れないみたいな目で俺を見るのはよしてくれ! 俺だって本当は…………ああ、もう死にたい……。
人知れず心の中で大粒の涙を流す俺を他所に、検索はあっという間に終わったようだ。モニタには結果が表示される。
「あ、ウチにもあるみたいだね」
「ほ、本当か!?」
「こーらっ、図書室では静かにしなくちゃ」
「す、すみません……」
思わず身を乗り出してしまった俺を、降雪はたしなめる。
まさか本当に見つかるとは思っていなかった。柚木衣沙という生徒がこの学校に存在しなかったように、どうせこの本も見つからないんだろうな……と半分諦めていたというのが正直なところ。
「あれ? でもなんか少し名前が違うかも……」
PCのモニタを食い入るように覗き込む俺の隣で、異変に気づいた降雪が表示されたタイトルを読み上げる。
「『宇宙ラプソディー 〜届け想いよ☆一夜限りのしし座流星群〜』……続編か何かかな?」
「この作家の命名センスが理解できん……」
だって間に☆とか入っちゃったよ? もはやサブタイトルの方がメインタイトルより目立っちゃってるよ?
「探してたのって……これじゃないよね?」
「あ、いやこれでいい」
申し訳なさそうに眉を下げる降雪に対し、俺は小さく首を振った。
確かにタイトルこそ微妙に違うが、きっとこれで正解なんだと思う。こっちの図書室には同じ本が無かったとか、柚木がタイトルを間違えたとか、なぜかそういうことでは無い気がした。
誰かがいたり、いなかったり。おそらくこちらの世界とあちらの世界では他にも色々と相違点があるのだろう。きっとこの本のタイトルもその一つ。著者の気まぐれか、はたまた編集者が血迷ったか、何らかの理由で偶然☆がついてしまったのだろう。
「場所はE-4c。さっき三毛君がいた列の入口から4つ目、上から三段目の棚にあるはずだよ。……見つけられそう?」
降雪はモニタから目を離すと、隣に立つ俺の顔を見上げた。
「ああ、大丈夫だと思う。仕事の邪魔して悪いな、降雪」
「ううん、困ってる人を助けてあげるのも私のお勤めだよ?」
立ち上がった降雪は穏やかに微笑むと、俺の耳元で悪戯っぽくささやいた。
「……それより三毛君、また本の感想教えてね?」
「う……」
『リンが読みたい』ってのは嘘だって、やっぱちゃんとわかってたのか。俺は降雪の意外な鋭さに驚きつつ、恥ずかしさから顔を上げることが出来なかった。
********
「キャハハハハハ!! 何それ! マジウケる! 私も見たかったなぁ……」
「あのなぁ……」
深夜の山奥に響く少女の笑い声。一方、深いため息をつく俺は降雪と別れてからもずっとブルーな気分を引きずったままだった。一体今度あの本について聞かれたら何と答えようか……。考えたところで何も良いアイデアは浮かばず、かえって憂鬱さは増すばかりであった。
「……元はと言えばお前があんな訳わかんない本借りるから悪いんだろ」
「わ、訳わかんなくないしっ! 私の好きな作家さんなんだもんっ!」
「はぁ? なら一層わからん。お前どんな本の趣味してんだよ」
「ひ、人の本の趣味をバカにしないでよっ! ……ってか『お前』って言うなっ!」
柚木はムキになって声を荒げる。大学生と間違われても不思議じゃないくらい見た目は大人びているくせに、意外と性格はガキっぽい。とりあえず彼女をからかってストレス解消。
「まあそれはそうとして……2-Fの机、友達にも手伝ってもらって全部あたってみたけどそれらしいものは何も見つからなかったよ」
彼女は残念そうにハァとため息をつく。
「そっちはどう? 何かわかった?」
「そうだな……」
図書室で無事本を見つけた俺は、周囲の視線を警戒するあまり一度も中身を開けることなく家まで持ち帰った。そしてご丁寧に鍵までかけた自分の部屋で心置きなくタイトルにケチをつけまくった後、満を持しての御開帳。
……実に彼女の提案は大正解だった。
「こんなメモが挟んであった」
俺はヒラヒラ一枚の紙切れを揺らして見せる。それは宇宙ラプソディーの表紙と一ページ目の間に挟んであった、ルーズリーフの切れ端だった。
「ウソっ!? ちょっと見せて!」
「はいよ」
そして俺は文字が書いてある方の面を、ベッタリ岩肌へと押し付ける。すると、しばらくして柚木はその内容を読み上げ始めた。
「『親愛なる我が後輩へ。これを読んでいるってことは、キミも晴れて月の囚人の仲間入りを果たしたわけだね』……月の囚人? どういう意味?」
「さあ? 俺にもわからん。とりあえず最後まで読んでみろ」
~~~~~~~~~
親愛なる我が後輩へ
これを読んでいるということは、キミも晴れて月の囚人の仲間入りを果たしたわけだね。
おめでとう。そしてお気の毒様。
さあ、キミはあの場所で、誰と、どんな風に出会ったのだろうか。
出来れば好みのタイプの異性との衝撃的な出会いであったことを心から願う。
そしてよくここに辿り着いた。きっとパートナーとの相性が良かったのだろう。
しかし、キミが今知りえたことなんて、まだ世界の真理のほんの一部でしかない。
この世界はキミが想像しているよりずっと複雑で、面白い。
もしキミが真理を欲するなら、僕達はその手助けをしよう。
次の鍵は向こうの世界に置いてきた。
そうだな……ヒントは「ラブロマンス」。
まだキミに探究を続ける意志があるなら、この言葉をパートナーに伝えてみるといい。
きっと面白い反応が見られるはずだ。
……ああ、一つ言い忘れていた。
“僕達”とは僕と、岩の向こうの彼女のことだ。
僕は彼女と協力して一つの大がかりな仕掛けを作った。
キミが真理を得るためには、必ずパートナーの協力が必要となる。
それはちょっとした僕達の遊び心だ。付き合ってくれるとありがたい。
今はまだわからなくてもいい。
僕達がこうしてキミにメッセージを残した意味を、いつか理解してくれる日が来ると信じている。
それではまた会おう。
出来れば再会は急いだ方が良い。
~~~~~~~~~~
「……何これ?」
最後まで読み終えた柚木は、少々苛立たし気な様子。
「正直ふざけてるとしか思えないよな……」
俺も同感だった。世界の真理? パートナー? そして、全てを見透かしたような物言いが少々鼻につく。
「……んで、何のことかわかる?」
だが、気にならないわけではなかった。俺達がまだ気づいていないこと、一体この鏡岩にはどんな秘密があるのだろう。
「へ、何が?」
知りたい。それは純粋な知的好奇心だ。過去の先輩達は探究の末に何を知りえたのか。そして何を俺達に伝えようとしているのか。
「いや、この『ラブロマンス』ってやつ」
「ラブロマ? ……ああっ!」
柚木は急に大声を上げたかと思うと、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「?」
どうかしたのだろうか? 俺は岩に映った彼女の顔を覗き込む。
「何か心当たりがあるのか?」
しかし彼女は俺の言葉に大きく首を左右に振った。
「い、いやいやいや、何でもない! ってか絶対に言うわけない!」
「……」
“絶対に言うわけない”……ってことは何かあるんだな。コイツ本当にテンパった時の頭弱いのな。
「と、とにかく! 次の場所はわかったよ!」
取り繕うようにして、柚木は何度も頷く。
「どういうことか説明してくれって言っても……教えてくれないんだよな、きっと」
「うん、無理」
即答だった。いや、白黒ハッキリしてるのは良いことなんだろうけど……。
「それで……どこなんだ?」
彼女が隠す理由もよくわからないが、とりあえず先に次の手掛かりについて聞いておく。
「私の家だよ」
「は?」
しかし、予想外の場所を告げられた俺は思わず聞き返す。
「だから、私の家だって。マイホーム」
俺の聞き間違いではなかったらしい。彼女の表情を見るに、冗談で言ってる風でもなさそうだ。
「……いや、そうは言っても柚木衣沙がいないこっちの世界にそもそもお前の家なんてあるのか?」
俺が彼女の言葉を信じられない理由はそんなところにある。だが、彼女は今回ばかりは余程の自信があるようだ。
「し、知らないよっ! でも多分間違いない、きっと」
「……」
「とにかく今はそれしかないでしょ?」
柚木は何とか強引に俺を説得しようと試みる。
「せめてそう思う根拠を教えてくれたら、もう少し乗り気にもなるんだが……」
「何度も言うけどそれは絶対無理! あっ、ってかもう時間無いじゃん!?」
彼女の言葉につられ、俺も腕時計を見やる。確かに0時10分までにはもう残り1分もなかった。
「詳しいことはまた明日! って明日もまた来るよね……?」
時間を気にしてか早口気味になった柚木は、少し自信なさげに俺の顔を見上げた。
「ああ、しばらくは通うよ」
先輩のメッセージを見つけてしまった今、もう後には戻れない。少なくとも彼らの言う真理が何なのか、それがハッキリするまで俺はここに通い続けるつもりでいた。
「……ふふ、よかった」
すると柚木も岩の向こうで安心したように笑った。彼女も同じ考えだったらしい。
メッセージにもあったように、この謎はパートナーの協力が無いと決して先へ進めない。俺達はお互いの意思を確認し、これでようやくスタートラインに立てたのだ。
「あっ、ってかだな……柚木、お前昨日俺のこと……」
そして別れ際になって、俺はふと昨日のまさにこのタイミングでのやり取りのことを思い出した。
「えっ、何のこと? あ、やばーい! もう時間なーい!」
しかし、彼女はわざとわからないふりをしてすっとぼける。
「いや、だから……」
それでも俺は何とかして柚木に呼び名のことを訂正させようとしたのだが……。
「ごっめーん! じゃあ『ニャン吉』、また明日!」
「だからそれっ……!」
…………。
瞬時に辺りは闇に包まれる。
「……くそっ」
俺の舌打ちが森の中にこだまする。
「結局またやられた……」
0勝2敗。10分の制約に気づいてなかった最初の2日間はイーブンとして、今のところ負けが続いてる。
「……明日こそは一泡吹かせてやる」
結局そのつぶやきがフラグだってことに気付くのは、もっとずっと後になってからの話だ。