三森綾野の有意義な日々1
「あら、そろそろお父さんが帰ってらっしゃる時間ね」
時計を見上げ、お手伝いの島さんが言った。もちろん私はとっくにそのつもりで玄関に駆けだしていく準備をしている。幼稚園で描いた『かぞくのにがおえ』を握り締め、今か今かと耳をすませた。これ見せたら、喜んでもらえるかな?
ガチャリ、と錠が開く音がするが早いか走り出し、帰ってきたお父さんの足に抱きつく。
「お父さんおかえりなさい! 今日もはんにんつかまえたの?」
眼をきらきらさせて尋ねる私の頭を撫で、疲れた顔のお父さんは微笑んだ。
「はは、ただいま。今日はそこまでいかなかったんだよ。明後日が山場だな」
「そうなの? じゃあまた帰りおそくなる?」
「あぁ……ごめんな、綾野。まだ小さいお前と一緒にいるべきなのはわかっているんだが……」
申し訳なさそうに言うお父さんに、私はううんと首を振った。
「だいじょうぶ、しまさんがいるもん」
一年前にお母さんが事故で死んじゃってから、お父さんはお手伝いさんを雇い始めた。島さんはお母さんほど綺麗じゃないけど、優しくて料理も上手だから好きだ。島さんの子供はもう大人になっちゃったから、小さい子と仲良くできてうれしいって可愛がってくれる。でもお父さんは、仕事が多くて私とあんまり遊べない事を気にしてるみたいだった。
まぁもちろん、お母さんがいない上にお父さんともあんまり会えなくて寂しいなって思う時はある。島さんは好きだけど家族じゃないもの。でも私はお父さんの仕事が立派で大事なものだってわかってるから、絶対にそんなこと言って困らせたりしない。
「いいよ、気にしないで! お父さんががんばってるおかげでみんな幸せになれるんだもんね! 私お父さん大好き!」
にこっと満面に笑顔を浮かべ見上げると、お父さんは私を抱き上げてくれた。
「そうか。……ありがとうな。俺も綾野が大好きだよ。いつも寂しい思いをさせてすまないな」
「うぅん……あのね、私、決めたんだ」
「ん? なんだい?」
「ふふ。私、しょうらいお父さんみたいなせいぎのみかたになるよ! わるいひとたちをこらしめるの!」
まっすぐお父さんを見つめ、決意を表明する。お父さんは嬉しそうに破顔し、私と額をくっつけた。
「おぉ、それは頼もしいな。綾野は優しくて強い子だからきっとできる。お父さん、楽しみだよ」
「うん! 私がんばってもっとつよくなるね!」
未来の自分への期待に胸を高鳴らせながら、私はもう一度お父さんの瞳を見つめた。強く強く、誓うように。
第二章★三森綾野の有意義な日々
そういえば、あれが初めて私が正義に生きるって宣言した瞬間だったなぁ。
懐かしい記憶を思い出しながら、右手に持った鉄パイプを迷いなく振り下ろす。悲鳴を上げて倒れ伏した男どもの付近には煙草の吸い殻が転がっていた。
いくつなのかなぁ、この子たち。中学生ぐらい? しょうがないなぁ、まだよくわかってないんだね。ちゃんと教えてあげなくちゃ。
「あのね、煙草吸うのは勝手だけど」
私はしゃがんで、手を前に伸ばしぴくぴくさせている少年に言い聞かせた。
「道に捨てちゃ駄目だよ。私ちゃんと忠告したでしょ? しかもまだ火がついてたじゃない。もしゴミ捨て場とかに飛んでって火事になったらどうするの? また同じことしてるの見かけたら指折るからね。わかった?」
少年は頭の傷から流れてくる血に目をしばたかせつつ、呆然と私を見上げていたが、軽くでこぴんすると必死で何回も頷いた。よし、いい子だね。中学生はおバカだけど素直な子が多いから好きだ。高校生になるとバカのくせに変な知恵つけて始末に負えない。
今日の相手チームみたいにね。
「道草しちゃってごめーん。もう終わっちゃった?」
聞くと、道の向こうで制裁が終わるのを待っていた佐上は、まだ、と首を振った。
「終了のメールは来てない。それより、その鉄パイプ持ってくのか? つーかどこから持ってきたんだ」
「え? 適当に。なんか使えるかなって。あ、今のは手加減したから見た目ほど痛くなかったと思うよ?」
「……そう」
「佐上使う?」
「あぁ、んじゃ貰う」
佐上はあっさりと受け取った。賢明な判断だ。私はメリケンサックとか常備してるし素手でも勝てる自信はあるけど、佐上は弱いから鉄パイプぐらいないとまずいだろう。
「今日の相手ってどこだっけ」
カラカラ音をさせながら鉄パイプを引きずる佐上に、「ノヴァヘッジ」と答える。
「ノヴァか……えげつねぇんだよな、あそこ」
佐上は顔をしかめる。温厚で寛容な佐上にすらそういわしめるとは、私が聞いてた以上にあくどい奴ららしい。
ここら一帯にはいくつか不良チームが存在している。その中で一番大きいのは『神国』だけど、ほかのチームをみんな従えてるわけじゃない。
だから私は『神国』の下位メンバーと共にほかのチームと戦い、実力で従わせていくつもりなのだ。すでに二つのチームは傘下に入れて一つのチームは解体させた。比較的小さいもう二つのチームは話し合いだけでわかってくれて、とりあえず協定関係。
あとはノヴァヘッジと名雲高校の奴らだけだ。
どうしてこの地域はこんなに不良が多いんだろう。それともほかの場所もこんななのかな? 今は全国的に見て不良って少なくなってるってお父さんも言ってたのに。
まぁあからさまに不良な格好してる人だけが『悪い奴』なわけじゃないけどね。すました顔して汚いことやってる奴だっている。
私はどんな不正義も許す気はない。法律では裁けない、裁きにくい、裁ききれない悪人を懲らしめるのが私の役目だ。
何の罪もない善人を悪人から守るためならなんだってする。例え相果てることになろうとも。
橋間はただ強い奴と喧嘩するのが楽しいって言って、なんかスポーツでもするみたいに正々堂々と闘って満足してる。
でも私はそんなことのためにチームに入ったんじゃない。喧嘩なんかどうでもいいのだ。私がやっているのは『制裁』。悪を懲らしめ、正義を守ること。
『神国』のメンバーにはカツアゲ禁止や万引き禁止を徹底させてるけど、ほかのチームにまで目を光らせるのは難しい。一刻も早く全てのチームを傘下におさめ、悪の芽をつみ取らなくちゃ。
「ノヴァはクスリ流してるって噂もあんだよな」
佐上の言葉に、ますます闘志が高まった。
「今日遠藤がいれば良かったね。そしたらもっと早くカタがついたのに」
「あいつ瀬田さんとこだってあ――あこ、う? あこつ? なんだっけ、あのちっさくて地味な奴が言ってた。もともと瀬田さんがよこした助っ人だしあんまあてにしないほうがいんじゃね」
「そうだね」
遠藤は細身だけど凄く強い。橋間が言うには、瀬田さんの命令で私たちと一緒にいるらしい。強面のわりに悪いことしたって話も聞かないから、私はどっちかというと好感を持ってる。
でも、あいつは多分正義とか考えたりはしないんだろうな。戦うときに協力してって頼めば手伝ってくれるけど、機械的に相手をやっつけてるだけで、なんのためにやってるのかとか、全然知りたがる様子がない。
だから遠藤のことを完全に信用はしない。信念がない奴は何するかわからないから。
「あ、わり、俺トイレ行っていいかな」
佐上が気まずげに言った。少し先のコンビニに視線をやっている。
「いーよ。あとから合流して」
誰しも生理現象には勝てないものだ。ぶっちゃけ佐上そんなに戦力にはならないし別にいい。
私がひらっと手を振ると、佐上はわりーなともう一度謝り鉄パイプをその場に置いてコンビニに向かった。
深夜でもところどころ外灯は灯っている。それを頼りに歩いていくと、大きな倉庫がいくつか並んでいる通りに出る。人通りの少ない、寂れた場所。
ノヴァの本拠地だ。メンバーの誰かの親が持ってる倉庫だとかで、よくここに溜まってるらしい。中に入らないうちから鈍い打撲音と叫び声と何かがひっくり返ったような音が聞こえてくる。みんな頑張ってるなー。
私も参加しようと入り口を目指したら、何かにつまづいて転んだ。
「いだっ……え、なに」
ガラス瓶だ。手に持ってみるとなんか酒臭い。酒盛りでもしてたのかな。
ゴミはゴミ箱に捨てろっての、もう。
地べたに座って顔をしかめていると、上から声がかけられた。
「なんで女の子がこんなとこいんの? 危ないな~」
若い男だ。暗いからよく見えないけど、なんか相当髪いじってる。ちゃらそう。
男はにやにやしながら私を見下ろした。なにこいつキモい。顔立ちはいい方だけど、にやけ面で台無しだ。自分のことかっこいいって思ってるタイプだな。ノヴァの関係者?
「今ここ、不良の抗争やってんだよね。あ、俺片方の副総長だったりするんだけど、ダリーからちょっと抜けてんの。せっかくだからさー、うちまで送ってあげるよ。君可愛―し、ボディガード代わりにさぁ」
「余計なお世――副総長?」
その単語にひっかかって繰り返すと、男は自慢げに「そぉそー」と笑った。
「つえーんだぜ、結構。ノヴァヘッジのキョウスケって言ったらここらの奴はすぐわかる――」
「キョウスケ」
バチ、と記憶の中の名前と合致した。ノヴァヘッジの副総長でキョウスケ。どおりで嫌な感じがしたわけだ。私はこないだ、こいつについての酷い話を聞いたばかりなのだ。
立ち上がって目線をあわせる。
「ミナって彼女いる?」
「え? 知って……」
驚いたように目を見開く男。確定。
「っぐへぁっ!!?」
男が吹っ飛ぶ。私は奴に振り下ろしたガラス瓶を持ちなおし、今度は床に叩きつけた。派手な音をたてて瓶が割れる。
「ご自慢の顔を二度と使えないようにしてあげるから、ちょっと待っててね」
割れたガラスを掴み取って、茫然と鼻血を流している男の顔に次々と突き刺していく。何か叫んで暴れ出したので急所殴って抑えつけて、体重をかけて足を折った。片足だけなのはせめてもの優しさ。これだったら頑張れば這いずって救急車呼んでこれるでしょ。幸いお仲間も近くにいるみたいだし。もっとも、そいつらも今頃救急車が必要な状態になってるかもしれないけど。
「だいじょーぶ、このぐらいじゃ死なないから」
ね、と真顔で言ったら、泣きじゃくられた。醜い。
所詮薄皮一枚、こんなに簡単にぐちゃぐちゃになってしまうのに、馬鹿な男だ。
「覚えといてね。悪は滅びるって決まってるんだよ」
世の中には、こんな当たり前のこともわからない奴が多すぎる。くぐもった呻き声を背に、倉庫の入り口に向かい戸を開けた。
中は予想通りぐっちゃぐちゃ。何がどうなって誰が敵なのか味方なのかもよくわかんないほどに荒れている。まぁ床に散った煙草と酒瓶は元からだろうけど。
見覚えのある顔が押され気味だったので、ちょっと加勢して相手の男の首に手刀を叩き込んだ。後ろから襲いかかってきた別の男の股の間を蹴り上げる。どさりと倒れる様を見届け、あたりをもう一度見渡した。
やっぱ、来るの遅すぎたな。もうあらかた片づいちゃってるみたい? 闘ってる奴らもすでにかなり消耗してそうだし。
「ノヴァのトップってどこー?」
声を張り上げ聞くと、離れたところにいる仲間の一人が、意識を失ってるっぽい男の手を掴み、掲げた。
「おー、やったんだ。偉い偉い。お疲れさま。遅れちゃってごめんね」
にこりと勝者に微笑みかけ、死屍類々を跨いで近づく。
しっかし、トップが気絶してるんじゃ誰に話聞けばいいのかな。無理矢理水かけて起こす? 起きればいいけど、起きなければ……うーん。
「三森」
「あ、佐上来たの、ってそれは」
聞き慣れた声に振り返ると、佐上はなんか怪しげな小袋が大量に入った箱を抱えていた。
「奥で見つけた。これクスリかもな」
「佐上偉い!」
思わず叫ぶ。さすが佐上だ。野暮ったい髪型のせいで地味で冴えなく見えるけど、やる時はやる奴なのだ。喧嘩は弱くても目端が利く。
しかしまさか本当にクスリがあるとは思わなかった。念のため確かめとこう、ぐらいの気持ちだったのに。何やってたんだこのチーム。もしかヤクザとかと繋がりあったりして。げえぇ。
「じゃあ箱はそこら辺の目立つとこに置いといて。みんな、お疲れさまー! 副総長もヤったからうちの勝利だよ! 各自解散。怪我してる人は中川医院で見てもらってね。動ける人は動けない人をなんとか引っ張ってくこと。あと、二十分後に警察に通報するからこの倉庫には留まらないで! わかったー?」
うおぉす、と力のない返事があちこちから上がった。こんなに手こずったの久しぶりだなぁ。ノヴァかなり強かったんだ。
でもいくら遠藤がいなかったとはいえ、ノヴァ程度でこんなへばってたら名雲高校最高勢力のHADとなんか戦えないよね。強い人集めて、あと私ももっと鍛えて強くならなきゃ。
すべては正義のため、より良い世界のために。
今日もいい仕事したね、と同意を求めて佐上に微笑みかけると、困ったように小さく笑い返された。
ノリ悪いなぁ。そういえば佐上が思いっきり笑ったところとか見たことないかも。ニヒルなのも嫌いじゃないけど、やっぱ正義のヒーローに似合うのは太陽みたいな満面の笑顔だよね!
「もう遅いから帰ろうぜ、三森」
佐上はハンカチを取り出し私の顔を拭う。返り血でもついてたかな?
「うん、でも倒れてる味方運ばなきゃ」
「お前小柄なんだからそういうことじゃあんま役にたたないだろ。みんなそれぞれ普段つるんでる奴らが運んでるみたいだし、気にすんな」
まぁそれもそうか。私は女子としては力がある方だけど、がたいのいい男を背負うのは難しいものがある。かえって邪魔になるかもしれない。
倉庫から出て夜の冷たい空気を吸い込み、足取り軽く歩き出す。
「そこに倒れてる奴、ノヴァの副総長だって。ナンパしてきたから潰しといた」
「あぁ、見てた」
「え? 佐上、あの時近くにいたの? 女の子が絡まれてるのになんで来ないのよ」
「俺より三森のが強いじゃん……そんな危なそうでもなかったし。てゆーかむしろ、危ないのはあっちだったし」
石を蹴り転がしながら佐上は言う。それって小さい子の遊びじゃない? 男子っていつまでも子供だ。まぁさっきの馬鹿みたいに小賢しく大人ぶってるよりはずっといい。
「じゃあ普通の女の子だったらちゃんと助ける? 彼女とかなら?」
「そりゃまぁ……助けられるかはともかく努力はする。つーか嫌みか? 彼女なんかできねーよ。俺よかお前のが女子にモテてんじゃん」
「うーん、たまに勘違いした子がいるんだよね」
お姉さま、とかって。好かれることは嬉しいけどよくわかんない世界だ。
それはそうと、と佐上は私より一歩下がった位置からぽつりと言った。
「お前、やりすぎじゃね?」
やりすぎ? 何が? えーと、今回一番キツくお灸を据えたのは副総長だったよね。つまりあいつに対してやりすぎって言いたいのかな。別に全然そんなこと思わないけど。むしろ優しすぎたぐらいだよ。肛門に棒でも差しとけばよかった。
誰にでも優しいのは佐上のいいとこだけど、あんな奴のことまで気にかける必要はないのに。人がいいっていうか、甘いっていうか。
「えー? だってアイツ彼女脅して援交とかさせてたんだよ? クズだよクズ。当然の報いだっての」
「にしてもお前……捕まんぜ、ここまでしたら」
「んなわけないじゃん。いーい? 佐上。警察っていうのはね、国民の味方で正義の組織なの。正義側の私のことを捕まえるはずがないでしょ?」
言いきって、振り返る。佐上は微妙な表情をしていた。
「ツッコミどころありすぎて返せねぇ……」
「む。なに、なんか文句あるの?」
「いえなんでもございません」
す、と目を逸らし佐上はため息をついた。なんか含みがある感じ。変なの。
佐上は、正義を貫こうとは思わないのかな? なあなあでなんとなくやってこうって妥協してんの? 誰かが正さなきゃ悪は蔓延るばかりなのに。悪人にかける情けなんて無駄なだけだ。
「佐上ってさ、なんで私と一緒にいるの」
急に疑問が湧いて、聞いた。
「佐上って確か従兄弟が橋間のファンで、抗争で人手不足の時無理に連れてこられたんだよね? 元々喧嘩とか好きじゃないなら、もう従兄弟につきあわなくてもいいんじゃない?」
「従兄弟は大学行くんで引っ越したからもういない。気にすんなよ、好きでやってんだ。確かに喧嘩は慣れないけど……」
口ごもって、佐上はまたため息をつく。
「最後まで見届けなきゃいけない気がしてんだ」
「何を?」
抗争を? 『神国』がこの地域をまとめるのを? 不良がみんな更生するのを? でも佐上、あんたそんなこと思うような性格だったっけ。
不思議そうにしていると、佐上は私の横に並び、ひどく真面目な顔で言った。
「俺は三森の傍にいるよ」
静かに、真っ直ぐに私をみつめる。
「――多分ずっと」
「……へぇ」
そんなのありえないなぁと思いつつも、私は嬉しかった。普段淡白だと思っていた佐上が、こんなにわかりやすい友情を示してくれるなんて!
うん、青春とはかくあるべきだ。お父さんも、学生時代はいい友達をたくさん作りなさいって言ってた。佐上はもっとぼーっとしてるかと思ってたけど、ちゃんと考えて私の傍にいてくれたんだな。良かった。
「佐上意外といい奴!」
「意外とってなんだよ、意外とって」
佐上は苦笑しながらも、はしゃいで歩を早めた私にちゃんとついて来てくれる。
今日は悪い奴を退治できたし、佐上と仲良くなれたし、いいことが沢山あった一日だったな。
――小さいころの私、大丈夫だよ。私、夢を叶えられてる。あの日誓ったことを一瞬でも忘れたことはない。みんなを守るために、強く正しく在り続けるんだ。
三森綾乃は、いつだって正義の味方です。