橋間彰宏のとりとめのない日々6
服はボロボロだし体は傷だらけだしで、どう考えても今の俺には休養が必要だった。知り合いに見つかりませんようにと祈りながら家に直帰する。驚いてる母さんに、カラスにつつかれてと無理のある嘘をつき、自分の部屋で傷を消毒してたら、験也さんから電話がかかってきた。
「今から来れるか」
「喧嘩したばっかでよければ」
「そんなのどうだっていい、とにかく来い。話したいことがある」
きつい口調。今度は何が――あぁそういえば、と前回マギダンに行った時の会話を思い出す。ついに瀬田さんが来たんだな……。
「恵登どうしてます?」
「怯えてる。お前は聡いからこうなるってわかってたんだろう」
「いや、半々だと思ったん、ですよ。恵登明るいから打ち解ける可能性もあったし」
「化け物にそんなの通用するか」
酷い言いようだな。まぁあながち間違いとも言えないけど。
つか呼び出されるならせめて明日であって欲しかった……今日はもう思いっ切り眠りたい。クッションを抱きしめベッドに沈むが、恵登の悲しそうな顔と験也さんの怒った顔を思い浮かべ、これは放置するとあとが厄介だと渋々起きあがる。
痛む体を引きずるようにしてまともな服に着替え、母さんの目を盗んで家を出て自転車に跨った。
サドルを握るのが辛いが、多分骨は折れてねぇし、なんとかなるだろ。ふらつくのが事故りそうで怖いけど。今警官に会ったら職質されそうだな~。
いつもより時間をかけて辿りついた店に入ると、験也さんがはっとしたように俺を見て少しすまなさそうな顔をした。
「お前、青タン作んの久しぶりだな……そんな手強い相手だったのか」
「名雲の原西と」
「HADか。悪かったな、呼び出して。でも俺はちゃんとした説明を聞くまではお前を帰せない」
「わかってます」
俺は験也さんの向かいのソファに座った。
「瀬田って奴が来たんだ。俺がちょっと目を離した隙に……。出かけてたとかじゃない、冷蔵庫にアイスコーヒーを取りに行ってた、ほんの一分ぐらいの間だ、その間に瀬田は現れて恵登に山ほどの質問をし、帰っていったそうだ」
験也さんは疲れの滲む表情で言う。
やっぱり『力』使ったんだな、瀬田さん。
「じゃあ験也さんは直接会ってないんですね。恵登と話していいですか?」
当事者じゃないと話が通じない。験也さんは逡巡したが、二階に恵登を呼びに行った。
少ししてゆっくりと階段を下りてきた恵登は、見るからに憔悴していた。いつもの明るい笑顔はなりを潜め、病人のように青ざめている。
「橋間……凄い怪我……大丈夫?」
定位置のカウンター席に座りながら心配そうに聞いてくるのを笑ってかわして、俺は恵登に切り出す。
「瀬田さんに会ったんだってな」
「あ……」
うん、と恵登は頷いた。涙目を俺に向け、恐ろしげに言う。
「橋間……橋間、あの人何者なの」
小さい拳を膝の上で握りしめ、体を縮こまらせた。
「あの人は――何の躊躇いもなく人を殺せるよ」
ヤクザのときより怖がってるなぁ、これ。瀬田さん何やったんだろう。無闇に怖がらせるような人じゃないのに。つったって俺、そんなあの人のこと知ってるわけじゃないけど。
「なんかされたのか?」
「うぅん、いろいろ聞かれただけ……変だよね、こんなに怖がって。自分でも不思議なんだ……別に殴られたとかじゃないし、脅されたわけでもないし、でも、でもあの人の目、ぞっとする……」
恵登は唇を震わせた。
あぁ、あれで駄目だったのか。確かにあの目は怖い。底なし沼を覗いているかのような光のない黒は、長いこと目を合わせていると精神が引きずり込まれそうになる。それ以外は一見普通なのにな。特別美形でも不細工でもなくそこらへんにいそうな――でも目を合わせた途端、そんな考えは吹っ飛んでしまう。
「それでね、橋間……俺あの人がここに来てからずっと、験也さん早く来て、なんでまだ来ないのって思って待ってたのに、験也さんは全然来なかったんだ。その間瀬田さんは俺に沢山聞いてきた。――死体の状態がどうだったかとか」
「状態?」
「切り刻まれてたり、不自然なところがなかったかって。俺死体なんか怖くてほとんど見れなかったし詳しく覚えてないですって言ったんだけど、しつこくて――それと、周りに誰かいなかったか、動物もいなかったか、少しでも違和感はなかったか、とにかくいっぱい聞かれたよ。あんなに話してたんだから絶対十分以上はたってた。それなのに……」
迷子の子供のように戸惑いきった表情で、恵登は俺を見た。
「験也さんはせいぜい一分しか離れてなかったって言うんだ。験也さんが嘘つくとは思えない……もう俺、なにがなんだか」
「そうか。大変だったな、恵登。でも大丈夫だ、そんな深刻に考えるほどのことじゃない」
俺は立ち上がり、恵登の傍に行って腕に抱え込むように頭を撫でる。今のこいつにはとりあえず慰めが必要だ。そういうのは本来験也さんの役目だが、今目の前にいるのは俺だから俺がなだめてやる。
「瀬田さんは『力』持ってるって言っただろ。理屈じゃわかんねぇかも知れねぇけど、そういうもんなんだ。だから俺たちは、あの人の下についた。逆らいようがねぇからな。まぁ慣れれば段々怖くなくなると思うぜ。ちょっと変わってるだけだから」
「か、変わってるとか、ですむ話なんかな……」
「今のところ悪い人だって印象はないしな」
雰囲気は暗いけど、惹きつけられずにはいられない何かを持っている。
涙を浮かべ上目遣いで見上げてくる恵登の頭を、今度はわしわしと荒っぽく掻きまわした。絡まったふわふわの髪と情けない表情が合いまわって、小型犬みたいな可愛さがある。
俺には瀬田さんが何をしたかったのかはわからない。どうしてヤクザの奥さんの死体に興味があったのかも。だけど、あの瀬田さんがそれだけ真剣になるってことは、きっと大事な用件だったんだろう。
「恵登が怖がる気持ちはわかんだ、俺。俺だって最初にあの人と会った時はすげー緊張した。今までの自分の常識が全然通用しないし、瀬田さんにこりともしないし、怖かったよ。でも段々割り切れるようになった。だから恵登がそんなに怯えてんの、残念な気もする。恵登だったら俺より瀬田さんと仲良くなれるかもって、ちょっと期待してたんだ。なんだかんだで今は俺も瀬田さんのことけっこう好きだし」
「……な、なんで?」
信じられないというような表情で聞いてくる恵登に、俺は瀬田さんとのやりとりを思い返して、ちょっと考える。
あの人は怖くて謎めいてて超自然的な力持ってて無愛想で。
だけど、まぁ、そんなのはたいした問題じゃない。俺は安心させるように恵登の手を両手で包み、にっこり笑って答えた。
「んー……頑張りやさんだから、かな」