瀬田百雨の新しい日々2
「我が主よ、決着がついたようです」
圷の言葉で気持ちを引き戻される。
画面の中では何十人もの男たちが地に倒れ伏し泥にまみれていた。勝どきを挙げているのは皆、黒の学ラン。駒互第三か。
「どう思った?」
「そうですね。どちらもそれなりと言いますか、悪くはないのですがどんぐりの背比べです。駒互第三が勝ったのは運の要素が強いでしょう」
要するに特出した強者はいないってことか。俺は携帯で予定を確認してから言った。
「美木に行かせる」
「よろしいんですか? 問題を起こしたばかりですが」
「喧嘩に関しては使える。橋間でもいいがあいつにはここでやってもらう事があるからな」
「何かございましたか?」
「マツシタに顔見せだ」
圷はほんの少し眉をひそめた。
「あまりマツシタを信用し過ぎない方がよろしいのでは? 取り込まれるかもしれません」
「あいつらがその気になればとっくに取り込まれてるさ。こっちの情報なんか筒抜けだ。情報管理局の名は伊達じゃない。今のところ『神国』でマツシタに対抗できるのは俺の『力』だけだし、それだってあいつらの方が知識を持ってる。あいつらが俺を潰さないのは、利用できるからだ。昏行レイラは交渉できるような性格じゃない。まだ理性的な俺と組む方を選んだってだけだ」
世界情報管理局――通称、マツシタ。俺が『力』を手にしてから一週間後、どこから嗅ぎつけたのか接触を図ってきた。お近づきの印に、と百万円が入った封筒と新しい戸籍を渡された時は、あまりの胡散臭さに咄嗟に時間を止めて、来た奴を縛りあげてしまった。
「マツシタとの関係は扱いが難しいが、上手く使えば強みになるだろう。俺が動けない時のための連絡役が欲しいんだ。美木には無理だ。あいつは隙になる」
「確かに橋間さんならそつなくおやりになるとは思いますが」
圷は渋々同意した。
「くれぐれもお気を付けください。マツシタの人間は得体が知れません。特に、安藤夏無は」
常にぼんやりと虚ろな眼をしている赤毛の男の名を挙げ、警戒するように目を細める。圷は読めない人間が嫌いだ。橋間や兵賀のような読みづらいタイプの人間でも、生きている限り必ず行動し誰かと関わり評価されていく。そこから性格や次の行動を推測することができる。しかし安藤夏無は文字通り正体不明なのだ。過去・不明、知人友人・不明、親族・不明、行動原理・不明。目の前にいる瞬間のあいつ以外何もわからない。
だが俺にとってそんなことはどうでもいいことだ。
「マツシタが気にくわないならお前が奴らを上回れ。そうでないなら俺はマツシタを使う。これは決定事項だ。何度も言わせるな」
俺が目指すのは最強ではなく昏行レイラの抹殺だ。圷と同じ目標を掲げているわけじゃない。最終的にマツシタに破滅させられようと、魔女に復讐できればそれでいい。
「御心のままに」
何か言いたげな目線をよこしながらも、圷は黙った。時折慇懃無礼な態度が見え隠れするが、あくまで俺が主体という姿勢は崩さないでいる。この男は、当初俺が予想していたより遥かに高く俺を買っているのだ。
一度、不思議に思って圷に聞いてみたことがある。
「兵賀というのは凄い男らしいな」
なんでも知っているという人間離れした能力を持つ情報屋。話が膨らみ過ぎているのでなければ、充分に畏怖と崇拝を集められる存在のはずだ。
「桐津は神の領域だと言ってたよ。どうしてお前はそっちを選ばなかったんだ?」
「どんなに優れた力を持っていても、使う気がなければ意味がありませんよ」
圷は薄く笑って答えた。
「兵賀さんは優しすぎますね」
俺は納得して、頷いた。
優しいというのは美点ではない。それはつまらない感傷であり、迷いにすぎないのだ。 兵賀聖がどんな人物かは知らないが、俺の敵になることはないだろう。
「なぁ圷、塚本はその後何か報告をあげてきたか?」
給仕よろしく俺の前に品のいいティーカップを並べ出した圷に尋ねる。
塚本始は、四十代のくたびれた監察医だ。俺の部下ではなかったが、手っ取り早く情報を得たかったので、軽く脅した。ナイフ突きつけて、中学生の娘がいるんだってな、と言ったら一発だった。三森みたいに正義感に燃える男じゃなかったのは幸いだった。
こんな強硬手段を取ったのは、予感があったからだ。
始まりは、桐津から転送された恵登のメール。嫌な胸騒ぎがして、マギダンのオーナーの機嫌を害すのも構わず、恵登に直接話を聞きにいった。
「そういえば、手が、ミイラみたいになってて怖かったです……」
震える声で告げられた言葉に、俺は真っ先にレイラを思いだした。あいつが触れたものは、古ぼけて朽ちる。崩れた壁。埃にまみれたソファ。今回は対象が人間だっただけだ。
――魔女が、この街にいる。
塚本から死体の情報を聞き出して、予感は確信に変わった。
マギダンの裏で発見されたという死体は、明らかに普通じゃなかった。刃物で刺された傷があることから殺人として扱われているが、腕や肩が一部激しく干からびていた理由は誰にもわかっていない。苦悶の表情で固まった顔には被害者の年齢に見合わない皺が大量に刻まれていた。殺されたのは十亀組組長の妻。組員でも信頼のおける奴にしか会わせないほど大事にされていたらしい。
警察では、ヤクザの抗争に巻き込まれたか、もしくは無差別殺人と見ているそうだが、異能者による殺人の可能性は指摘されていない。まぁあんなのは反則だからな。推理しようがない。
「塚本の話では、また一体、異様な死体が運び込まれたそうです。十亀祐子殺人事件との関連性がわからないのでまだ公表していないとか。これは、期待してもよろしいのではないかと」
訓練されたかのように優雅な仕草で紅茶を入れながら、圷は言う。こいつのこういう儀式ばったところに最初は違和感を覚えたが、今はさして気にならなくなった。そういう趣味なんだろう。
「そうか。引き続き調査してくれ。少しでもレイラに繋がりそうな情報があったら、すぐに報告するえように」
「承知しております」
何故昏行レイラがこの街に来たのか、なんのために人を殺して回っているのか、そんなことは知らないし知りたくもない。どうせ気まぐれとかイラっとしたとかだろう。
それよりもあいつが今どんな力を持っているのかが気になった。マツシタの情報によると、時の魔女の力として確認されているのは、時を止める力、時を進める力、時を巻き戻す力、時空を行き来する力、の四つらしい。俺はこのうち時を止める力しか持っていない。しかも、レイラから完全に奪っているのか、あいつもこの力をまだ使えるのかはわからない。
異能に関しては俺たちも分析できていないことの方が多いんだ、と安藤は言った。
「そもそも時の魔女は力が強すぎて、俺達を利用するメリットがあまりない。誰かとつるむこともないから情報がほとんど流れてこない。一人でも大丈夫というか、一人でしかいられないような性格の人がなるみたいだ」
確かに力が移った時、俺は一人だった。混乱の只中にいて、不安と絶望に支配されていて、そのあと、誰も信じられなくなった。レイラもそうなんだろうか。何か凄く辛いことがあったんだろうか。ずっと孤独を抱えているのかもしれない。いっそそのままのほうが苦しみが長引いていいんじゃないか、とも思ったが、やっぱり俺はこの手であいつを殺したかった。あいつが動かなくなるところを見たい。この世から消し去ってしまいたい。
俺の中にはもう憎しみしか残ってないんだ。常にあいつを殺すことを考え、あいつが死ぬことを夢見て、不良チームのトップなんていう馬鹿げたものにもなった。想像の中では何度も、俺はレイラの首を折り心臓を刺し車で轢き高所から突き落とし、バラバラに切り裂いて串刺しにした。
でも憎悪は消えることなく燃え続ける。現実にあいつはまだ生きているからだ。
この二年、できるだけのことはやった。水面下で使える人間を増やし、情報網を広げ、唯一の武器である『力』を検証する。元々ぼーっとした高校生だった俺はこういうことに全く慣れておらず、だいぶ手際が悪かったが、圷の入れ知恵もあってなんとか今までやって来れた。
音も立てずティーポットを置いた圷が、小首を傾げて言う。
「遠藤くんにメール送りましょうか?」
「電話の方が早い。俺がかける」
ところが、電話は繋がらなかった。呼び出し音が続き、終いに『お客様がおかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が――』というお決まりの文句が流れる。
「……おかしいな。出ない」
「充電し忘れているのかもしれませんね」
「いや、ありえない。あいつが俺からの連絡を取れない状態にするわけない」
いつもなら呼び出し音二回で繋がったはずだ。美木は俺が長く続く呼び出し音を嫌ってるのを知ってるから、何をおいても電話に出るのを優先する。
「そうですか? 戦闘力以外は能のない駄犬でしょう」
「忠義心はある。でなきゃ飼わない」
「はぁ……あぁ、GPSにも反応しませんね。やはり電源がついていないようです」
圷が携帯をいじりつつ困ったように眉を寄せる。
「GPS?」
「携帯の設定、遠藤くんの位置情報を確認できるようにしてあるんです」
「……なにやってるんだ」
「首輪代わりですよ。本人の了承は得てます。携帯を買うとき付き添ってあげたので」
悪びれずにこりと笑う。要するに、美木がよくわかっていないのをいいことに、自分にとって都合のいいように設定したんだな。俺はため息をついて、圷の額をはじいた。
「そういうことは報告しろ」
「これは失礼致しました。我が主のお耳を煩わせるほどのことでもないかと」
「独断行動は構わない。だがそれを俺が知らないのは問題だ」
「仰るとおりです。申し訳ありません」
圷がうやうやしく頭を下げるのを半ば諦めた気もちで見ながら、俺は美木に電話をかけなおした。しかし、今度も出ない。
「まずいな。また問題を起こしていないといいが……」
ただでさえ直接動かせる手駒が少ないのに、くだらない理由で怪我でもされたら困る。補導や逮捕はもってのほかだ。
遠藤美木は、『神国』を立ち上げる前に路地裏で拾った男だ。
その時俺は、絶対に何があっても俺の命令を聞く奴が欲しかった。圷は俺を立ててはいるものの完全に自分の利己心で動いている。マツシタの奴らとはかろうじて対等な立場といったところで、今のところ利害が一致してるから手を組んでいるだけ。俺のことを強いと思って心酔してくる不良はいたが、ろくに役に立たないし傍に置くとイライラさせられる。美木はその点、ちょうど良かった。喧嘩は強いし、俺に恩を感じてる。
私生児で、母親には十二歳の時に捨てられ、以来カツアゲや盗みなどで食いつないでいたが、チンピラに誘われて麻薬の売人に。しかし組織の連中と揉め、満身創痍の状態で道端に倒れる。
絵にかいたような不幸な人生だ。捨てられた時点で施設に行けば良かったのに、と言ったら、しせつって?と返された。
「そういえば、学校行ってたとき、せんせーに言われたかもです、ママからはなれてしせつに入れって。でもせんせーはオレのこときらいだったから、オレしせつがいいとこだとは思わなかったんです」
美木にとっては大人は信用できる存在ではなかった。親も、教師も、警官も。
以前の俺だったら、美木の過去に同情し、友達になって、これから困ったことあったら何でも言えよ、とか言って、今度こそ幸せな生活を送れるように協力したことだろう。
しかし俺は変わってしまった。話を聞いて抱いた感想は、「不幸な人生だな」、それだけだ。幼いころから大変な環境で生きてきた美木は、突然一家惨殺された俺よりも不幸かもしれない。
でも俺は美木を気の毒がったりしなかった。自分でも少し驚いたほど、冷静だった。
同類が欲しいわけじゃない。自分より不幸な人間を見て慰められたり、自分はまだましだと思いたいわけじゃない。
そんなものはなんの意味もありはしないのだ。不幸比べなんかどうでもいい。俺はただあの魔女が憎い。俺の人生を、俺の大切な人たちの人生をめちゃくちゃにしたあいつが。
必ずあいつを見つけ出して殺してみせる。
そのために美木は、いい駒になる。
暮枝清馬という名を捨て、瀬田百雨として生まれ変わった俺は、自分の目的のために他人を犠牲にすることに何の躊躇もなくなった。




