遠藤美木の生きられる日々4
男は自転車を止めてオレを見た。オレのことへんに思ってる目。ヤバイ。こいつ多分、ヤバイ。
「君、ちょっと来なさ、あっ!」
にげた。
全力で走って細い道に入る。ちらっと後ろを見たら、おっかけてきてた。やだ、くんな、くんな!
曲がって、かくれて、とんでをくりかえして、こないだ見つけた空き家にとびこんでまどからたしかめたら、もうあのこわい男はいなくなってた。
いきなりかけたから息切れしてる。やっぱまだ体力がついてない。もうちょっとメシ食えれば元気になれるのに。
男は、ぴしっとした感じのぼうしとせい服をきてた。あの服をきてるヤツには近づいちゃダメだって、ママが言ってた。つかまったらろうやに入れられる。
つかまえられるのはわるいやつだけだってテレビは言う。ドラマのけいさつは大体せいぎの味方。つまり、きっとオレはつかまるだろう。オレはわるいやつだ。『ぼうりょくてき』だし、『なまいき』だし、人の家に入ってメシとか服とか取ったりしてるし。
どろぼうはいけないことだ。でもどうやったら、どろぼうしないでメシが食えるんだ? 大人はみんなはたらいて金をかせぐらしい。オレは大人じゃない。金のかせぎ方なんかわからない。中学生ははたらけないみたいだし、オレはそもそも中学生ですらない。
学校では人のもの取っちゃいけないっていわれてたからさいしょはまよったけど、今はもうなれた。まよってたら食えない。きれいな服きてないと大人に声かけられるし、金がないとでんしゃにものれない。ずっと同じこうえんにいるとヘンに思われるから、少しずつうごいてるのだ。
オレはいつ大人になれるんだろう。いつはたらけるようになるんだろう。いつまでわるいことしてなくちゃならないんだろう。いつになったら色んなものをこわがらなくてすむんだろう。
こたえは返ってこない。オレはいつだってどうしたらいいのかわからない。
でもやっぱりはらはすくから、金がなくなったらまたぬすみに行く。
一週間前にぐうぜんひろったくろいさいふの中には、まだ二百円のこっている。スーパーのいちばん安いべんとうがぎりぎり買えるかもしれない。わりびきになってれば。とりあえず今日はだいじょうぶかな、と安心しかけたところで、まわりがくらくなったことに気づいた。
「……え?」
かおを上げると、かみをそめた男たちがこわい顔でオレをかこんでた。オレの正面にいるヤツが、にい、とわらってオレの両かたをおさえつける。な、なに、なに、なにが……
「その財布、オレのなんだよなぁ」
「……あ、」
「落し物は交番に届けるって決まりがあんだよ。わかってんのか? このクソガキ!!」
「いっ……!」
いたいいたいいたい! すごい力でおされて、オレはその場にしりもちをついた。かこんでるヤツらがますます大きく見える。四人、いや五人――ムリだ。かてない。にげられない。どうしよう、どうしたら――あ、あやまって、ダメだ、そんなことでゆるしてくれそうには見えない。金は返せない、力じゃかなわない、このままじゃきっとオレ――
「死ねや!」
こぶしがぐわっと近づく、こんな場面は今まで数えきれないぐらいあった、なぐられる、なぐられたんだ、オレは後ろにたおれてほかのやつらにかおをふまれる、いたい、口の中に土が入った、なんかほおを流れてるのは鼻血かなみだか、みんなわらってる、うれしそうに、オレをバカにするみたいに、にやにやにやにや「おら謝れよ」「ぎゃはは、かわいそーだろ、ガキじゃん」「だからちゃんとしつけねぇといけねんだよ、だろ? 痛い目みねぇとわかんねぇからさ」「お前が言うなっつう、はは、あ? こいつ鼻血出してやがる、おい、靴が汚れんだろこのゴミが!」「じゃあ今度は腹いっとくー?」
――おじさんと同じかお。
オレがいたがるとよろこぶ。オレが泣くとなぐる。ゆるしてって言ってもなぐる。ごめんなさいって言ってもなぐる。何もしなくてもなぐる。
オレが死んだってなぐっただろう。
だからオレは家を出た。おじさんからにげた。死にたくないから。死にたくない。死にたくない、死にたくない、オレはまだ生きてたい!
ふってきたあしをつかむ。あいてがはんのうする前に、全力でかじりついた。ズボンごしだけど男はすごい声でさけぶ。
「てめっ、なにしやがんだこのガキ!」「え、なに、どしたのお前、」「今こいつ俺の……!」オレがかんだ男があしをおさえてすわりこむ。そのままなぐりかかってくるのをひっしでかわしながら、オレは体を起こした。くらい中で男ののどがうかびあがるように見える。しゅんかん、オレはのどをくいちぎって男をつきとばし、走った。
後ろから男たちがどなってるのが聞こえる。オレがかんだヤツ以外は元気だ、なんとかふりきらなくちゃ。オレはまたせまい道に入って、いっしょうけんめいかけた。かけてかけて、自分でもどこを走ってるのかわからなくなって、息切れして、もう走れないって思ったとき、道の反対がわにすべり台が見えた。こう、えん……? もどってきたんだ。
大きいトイレに入ってボタンおしてカギかけてから、手をあらうところに血と肉をはきだし、口をゆすぐ。
流れていった小さい肉のかけらを見て、食えばよかった、と思った。
「 」
今日はあたたかい。
あせをかくほどじゃない、でもうわぎなんてぜんぜんひつようじゃないあったかさ。ベンチの上にすわってると、気持ちよくてなんかうとうとしてくる。
だめだ、これからしごとなのに。オレは自分のうでをつねって、目を何度も開けたりしめたりした。そう、オレはやっとしごとができるようになった。なんか言われたとおりのばしょに行って、小さなふくろをわたし、金をもらえばいいらしい。
「一回ごとに二千円やるよ。いい話だろ? ただ袋と金を交換するだけだぜ。あぁ、けどさ、もし誰かに絡まれても俺を頼んなよ。自己責任ってやつだから、な?」
茶色いサングラスをちょっとずらして、おれより少し年上っぽい男はそう言った。先のとがったくつとこうすいの甘いにおいと変な形に流したかみがたが、ママがよくつきあってた人みたいであんまり好きじゃない。でもこいつはわざわざオレに声かけてきて、しごとをしょうかいしてくれたのだ。みかけぐらいがまんしなくちゃいけない。
オレはもう五回、しごとをしていた。本当にかんたんだった。かんたんにおわって、かんたんに金をもらえた。客は小さいふくろの代金として、四万とか五万とか平気ではらってく。気になって、これなんなんだって男にきいたら、男はにやりと笑ってこたえた。
「幸せの素だよ」
しあわせってなんだろう。だいぶ高いな。金出したらオレもしあわせになれんのかな。ふくろを開けてみたくなったけど、男に「袋の中見たらもう仕事は頼まねぇよ。代わりはいくらでもいんだ」って言われたから止めた。よくわかんねぇもんより今日のメシ代のがだいじだ。
オレはうっかりねむっちまわないように、立ちあがってのびをした。あたまがかゆい。そろそろシャンプーであらった方がいいかも。しごとがおわったらネカフェ行こう。
「や。いい天気だねぇ」
うしろから声がした。ふりかえると、にこにこしたおじさんが立っている。スーツきて、ネクタイして、かっちりしたかばん持って。シワとしらががあるから五十代ぐらい? ふくろをわたすように言われた人じゃない。
「こんないい日は、ピクニックとかしたくなっちゃうよねぇ」
おじさんはゆっくりした言い方でつづけた。なんだろ。ただ話したいだけ? でもここにいられるとちょっとじゃまだ。あの男は、なるべく人に見られないようにふくろわたせって言ってた。
「実はおじさんも、今日ちょっと会社サボっちゃったんだ。特に何かあったわけでもないんだけど……ふ、と魔がさしてね。あとで怒られちゃうなぁ」
ははは、となさけなさそうに笑う。
おじさん、も? そっか。オレが学校サボったと思ってるんだ。でもおこんないんだな。まぁおじさんもサボったらしいしおこれないか……。こんなちゃんとしてそうな人なのにサボったりするんだ。
おじさんはベンチにすわって、やさしそうなかおでオレを見ながら、となりをポンポンとたたいた。えぇと。すわれってことか?
オレはまよって、すわんなかったけど近くによった。この人おだやかで、いい人そうだけど、なんかあったらすぐにげられるようにしとかなきゃ。おじさんは、なんですわんないんだろうってかんじでふしぎそうにオレを見て、でもすぐ気にしないことにしたみたいで、ぼそぼそ話しだした。
「私はね……ずっと堅物できたんだ。学校をサボったことなんて一度もない。でも今にして思えば、サボっておけば良かったのかもしれないね。気の抜き方を知らなかった」
いっぱいにおひさまをあびて光ってるのに、なんでか少しかなしそうに見える。おじさんもしあわせがほしいんかな。あの男に会ったら、おじさんにもしあわせのもとを売っていいかきいてみよう。
「今にしてやっとわかった気がするよ。こういうのんびりした日が、たまにはあってもいいんだねぇ……」
おじさんはまぶしそうに目を細めてぼんやりと目の前をながめている。オレもたいようにてらされてぼんやりした気分になって、ハトが何びきか、ちょっとはなれたじめんの上をぐるぐる回ってるのを見ていた。
あぁ、本当にあったかい。今日みたいな日がいちばん好きだ。ストーブもエアコンもなくたってぜんぜんこまらねぇんだ。
「失礼するよ」
おじさんの声といっしょに、ジ、という音がする。なんだろ、とそっちを向いて、かたまった。
おじさんは口に白いぼうをくわえてた。ぼうの先は赤くもえている。おじさんはぼうをくちからはなし、ふうぅ、とまんぞくそうにけむりをはく。
気づいたらなぐってた。
――あれ、オレなにを、あ?
こぶしが血にぬれてる。目の前の男がびっくりしたかおではなから血をながしてる。きたねぇ。
きたねぇきえろなくなれどっかいけ!
ふっとんだ男の手をぼうごとふみつけてぎりっとかかとを回した。男がさけぶ、なんか言ってるけどわかんねぇ、だまれ知らねぇよお前の言うことなんてききたくないだまれたまれだまれ! 上にのって何度もこぶしをふりおろした。かおのかたちが変わってく。むらさき色のほお。口からたれた血。土と灰がついた手。きたない。なんでこんなきたないものがオレの近くにあるんだ、今まで何もなかったのに、いきなり出てきた。
なくさなきゃ、つぶさなきゃ、ぜんぶけさなきゃ、きれいにならない。きれいにしないと。きれいにきれいに、このせかいから、よごれたもの全部なくして。
ぜんぶ。
「――あ」
男のおびえた目と目が合った。
こわくてこわくてどうしたらいいのかわかんないって目。
なみだをためてオレを見ている。
――きたない。
「ああああぁぁあ!」
頭がいたい。むねもいたい。きりきりつぶされて苦しい。オレだってどうしたらいいかなんてわかんねぇ。
男のかおを地面におしつけて、立ちあがって走った。とちゅうでふくろをおきわすれたことに気づいたけど、取りにもどる気にはなれなかった。
「 」




