遠藤美木の生きられる日々3
「おまえのふくだっせー」「なんでそんなかみぼさぼさなの?」「なんかくせーし」「いいじゃん、いこーよ」「だってさぁ、せんせーがみんなであそべとかいうから」「オレこいつとあそぶのやだ」「オレも。おかあさんにかかわるなっていわれてるし」「なんで?」「なんかしせいじだからって」「しせいじってなに?」「しらね」
うるさい。オレはダサくない。くさくない。おまえらとあそばなくたってべつにいい。おまえらなんかすきじゃない。
「きもいよなー」「そういうこといっちゃいけないんだよ」「だってきもいじゃん。せんせーだってさぁ、いわねーけどそうおもってるぜ。こいつのかあさんも『ろくでもないしょうばいおんな』だって――」
ガッ!
めのまえのやつがたおれた。オレがなぐったからだ。からじゅうすごくあつい。どうしよう。でもだって、ママをわるくいうから。なんていったかはわかんないけど、なんかぜったいわるいことだ。あんなかおして、ばかにしたみたいにわらって、ママのことを、ママを……!
「ひどい! なにするのみきくん!」「なんだよおまえせんせーにいうぞ!」「い、いた……いたい……ふぇ」「ゆーきくん、ほけんしついこ!」「さいてー」「あやまれよ!」
全部の、めが。
オレをみる。オレにいう。おまえがわるい。おまえがまちがってる。おまえなんかきらいだ。
「……っ!」
てがいたい。なぐるほうもいたいんだって、はじめてわかった。それならどうしてママとかおじさんはオレをなぐるんだろう。じぶんもいたいのに。どうしてなんだろう。
「あやまれよ!」
たかくんがもういちどつよくオレにいう。めがギラギラしてこわい。たかくんはさっきちょっとおれのことかばってくれたのに。すこしすきだった。でもいまはもうだめだ。たかくんはオレのこときらいだ。オレがわるいのか? オレがまちがってるのか。あやまらなくちゃいけないのか。なんで? ゆーきくんはママのことをわるくいったのに。でもオレがわるいのか。そっか。
からだがもっとあつくなる。あたまのなかがまっしろだ。なんもかんがえられない。なんも。
オレはもういちどみぎてをふりあげた。
「 」
ママはつまらなそうにあくびをして、オレのほうを向いた。さっきグロスをぬってたからくちびるがピンクにテラテラ光ってる。ママはつけづめをひっかけないように気をつけながら、オレのかみをつかんで引っぱる。
「面倒起こさないでって言ってんでしょ。あんた小さいころからほんとそうね。あたしに嫌がらせしてんの? ただでさえ隣のババアに嫌味言われてんのにさぁ」
二のうでをぎいいぃっとつねられる。オレはだまってうつむいてた。よけいなこと言っちゃいけない。ママはオレが泣くのを見てよろこぶわけじゃないから、そこまでいたいことはされない。だから何も言わないで、口答えしないで、ただじっとがまんしてなくちゃ。
「ほーんとバカなことしたよねぇあたし。なんであんたなんか育てちゃったんだろ? ま、それも今日で終わり。こんだけ大きくなったんだしさ、ハハオヤのギムってやつは果たしたよね。あたし今日この部屋出てくから。あんたのことは町田さんが引き取ってくれるんだって。良かったじゃん、気に入られて。やっぱコブつきはモテないの。わかるでしょ?」
……え。
「あー気分爽快。あたしだってまだ若いんだから、もっとしたいこと一杯あったんだよ? 今まで我慢してた分超遊ぶんだぁ。じゃあ元気でねー」
え、は? なんだそれ、どういう、まさか、
「ま、待っ……!」
「ばいばい」
ハンドバッグ一つ手にとって、ヒールぐつをつっかけるようにはいて、びっくりするほどあっさりと、ママは家を出て行った。たのしそうにわらってかけていくママを、オレはおいかけることすらできなかった。足がはりつけられたみたいにゆかにくっついてはなれない。
……え、なんで、なにが、ママ、げ、元気でねって、そういう、そういう、こと、か――。
つまり、すてられたんだ、オレは。
もうママの子じゃないんだ。
どうしたらいいのかわからないまま、ぼんやりとあたりを見わたす。
ちらばったプリント、がさがさのたたみ、すいがらでいっばいのはいざら、きばんだかべがみ。しょっきがたまったシンク。切れかけたけいこうとうのまわりを虫がとんでる。近づいてははなれて。いみなんかないのに。
ちゃぶだいの上にガムとアメが一こづつ、これは今日のオレの夕はんだ。のろのろと近づいてつつみがみを開く。
ママはいない。どこにもいない。
もうかえってくることも、ない。
「……く、ひくっ……ひっ……」
泣いた。うでで目をおさえて、それでもなみだは流れた。のどがあつくていたい。くるしい。
ママの全部が好きだったわけじゃない。だけどママだった。なにがあっても、ママだと思ってた。
力のぬけた左手から、そつぎようしょうしょが入ったツツがおちる。
――むねのおくに、ぽかりとあなが開いた気がした。
「 」
はらを何回もけられてふまれて、かおを何回もなぐられてはがおれて、ぎりぎりまで首をしめられてきぜつして、つぱをかけられてひどいこと言われてメシももらえなくてトイレに行けなくされてオレはやっと気づいた。
――ころされる。
今までだってにたようなことはあった。けられたしなぐられた、首しめられたしひどいこと言われた、でもオレはあきらめていた。オレはママの言うことをきかなきゃいけなかったし、ママは町田さん――おじさんをたよってて、この部屋はおじさんがかりてる部屋なんだから。
でもママがいなくなったって知った時のおじさんはすごかった。いつも少しずつなぐってオレがいたがるのを見てわらうのに、ママはかえらないって言ったとたん、がしっとオレのかおをつかんでかべにぶつけて、それからずっとめちゃくちゃにされた。
いちばんひどいのは、メシがないことだ。そつぎょうしたオレは、もう学校には行けない。つまりきゅう食が食えない。
食わなきゃ死ぬ。学校でもそうならった。えいようバランスがだいじ。バランスどころかなんもない。
オレは天井をみつめた。見なれた木のふしがいつもどおりのもようのままそこにある。起きなくちゃ。起きなくちゃ。起きろ、オレ!
本当は小ゆびの先すらうごかしたくなかった。というか、うごかせなかった。体中いたいしだるいしはらはへってるしで、ちょっとでもうごくたびに死んだ方がましって気分になる。
でももう少ししたらおじさんがかえってきちまう。そしたらもっとひどいことされる。
もう一びょうだってこんなとこいたくない。おじさんがわらうところを見たくなかった。今すぐにげなきゃ。どうしても、ぜったいに。
オレはむりやり体を起こしてよつんばいになった。すげー時間がかかったけど、少しずつはって前に進む。おじさんにぜったい開けるなって言われてたたなを開けて、カップめんを三つ取り出す。ゴミぶくろに入れて、ズボンにひっかけた。引きずっちゃうけどちゃんと持っていける。
ぎりぎりまで手をのばしてげんかんのかぎを開けてのぶをまわして、ようやく外に出られた。
ざらざらしたコンクリートのせいで手のひらがちくっとする。でもそんなの今さらだった。いたくないところなんてない。オレはよつんばいのままゆっくりかいだんをおりて、こうえんを目指した。こうえんには水のみ場がある。おゆは出ないけど、カップめんに入れたら多分ふやける。そしたら食える。それに、こうしゅうトイレだったらかぜが入らないからねられるかも。
早く行かなきゃ。もうはらがへりすぎてどうにかなりそうだった。でもあせったって、体はうごかない。走ってけば五分もかからないのに。
前から来たスーツの男が、ぎょっとしたようにオレを見て、そのあと目をそらして早足で通りすぎていった。今のオレはぼろぼろで血だらけで、あいつに近づくことなんてできないのになんでいやそうにするんだろう。いつだってみんなオレをそんなふうに見る。でもそんなことどうでもいい、とにかくこうえん、こうえんに行きさえすれば。
とちゅう何度も、うでががくってなって地面にかおをぶつけた。足がみぞに引っかかって切りおとしたくなった。もう起き上がれない、起き上がらないままの方がらくなんじゃないかって思った。
でもなんとか、ぎりぎりでオレはこうえんにたどりつき、はーっと大きく息をついて土の上にふせる。あんまり大きくこきゅうすると、のどとかむねがぎんっていたくなるんだけど、今のはしょうがない。やっと、やっとだ。
やっと、ついた……!
オレはさいごの力で水のみ場まではっていく。カップめんのふたをはがし、水を入れて、がまんできなくなってかじった。かたい。
かたいけど、食える。スナとか木とかじゃない。これは、たべものだ。
がりがりがりがりがりがりがり。ほかのものは何も目に入らなかった。ただ目の前にはうすきいろのめんだけがある。ひっしでかじって、かんで、のみこむ。しょっぱい。
もうすぐ全部食い終わるころになって、オレははらとのどが変なかんじになってることに気づいた。
――きもちわるい。
「うっ……うぉ、え、うおぉぁあぁぅ」
はいた。
きもちわるいきもちわるいきもちわるい。
はぁはぁとあらく息をしながら、はいた物を見る。うすきいろですっぱいにおいがする、ぐちゃっとしたもの――食えんのかな、これ。
考えただけでもっと気持ちわるくなった。
じゃぐちをひねって水をあびる。じゃーって音といっしょに、はいた物と顔にひっついてたかわいた血が流れていった。うがいもして、水をのむ。うまい。水ははかないみたいだ。良かった。
ふくの前が水びたしになった。つめたい。でもぬいだらもっとさむいよな。
――オレ、これからどうすればいいんだろう。
なんとなくでこをさわったらあつかった。でもここには体おん計がないからはかれない。だから、つまり、ねつなんか出てない。かぜもひいてない。
「……」
ふき出てきたなみだとはな水は、また水であらい流した。
「 」




