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魔法少女は信じちゃいけない・完全版  作者: 夜光始世
第三章★桐津羽衣児
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桐津羽衣児のくだらない日々4




 よくできた子供だった。

 親の言うことには素直に従い、困らせたことなどない。使用人に威張ったりもせず、話しかけられれば笑顔で答える。小学生の頃のテストは常に百点で、苦手な教科があっても努力してできるようにした。

「そんなのなんの役にも立たない……」

 自室のベッドに倒れ込み、低い声で呟く。いつもへらへらしている俺が突然固まってしまったのを佐上は心配してくれたが、なんでもないからと押し切って逃げるように帰ってきた。

 あのままあの場にいたら、いらぬことを口走ってしまいそうだった。そんなのは俺のプライドが許さない。だって俺はもうふっきったのだ。ふっきって割り切って、全部捨ててきたはずなのに。

 普段隅の方に追いやっている昔の記憶が、次々と脳裏に蘇ってくる。

 風に揺れる窓際のレースのカーテン。椅子に座り静かに微笑む長髪の女。毛足の長い絨毯を踏みしめ、俺は女に近づく。

俺はまだ幼くて一生懸命で、そして、愚かだった。それはもうどうしようもないほどに。 

 父親はほとんど家に寄り付かなかった。愛人が何人かいたらしい。直接俺にそのことを告げる者はいなかったが、当時から聡かった俺はなんとなく察していた。 子供らしい正義感でそれはよくないことだと思い、何より儚げな母親が嘆き悲しんでいるのを見ていられず、七歳のある日ついに父親に直談判しに行った。大きな家に見合う広い玄関のあがりかまちに座り、父親の帰宅を待つ。

 前回の帰宅時にこっそり手帳をのぞき見たおかげで、その日は帰ってくると知っていた。十一時を過ぎ、さすがにうとうとし始めたころようやく現れた父親は、しかし俺をほとんど視界に入れずに通り過ぎて行った。

 俺は慌てて、ちょこちょことその後ろをついて行く。書斎の前まで来たところで、やっと意を決して、話しかけた。

「お、お父さん、おかえりなさい。あの、お母さんしょっちゅう泣いてるんです。もうちょっとお家に帰れませんか」

 父親はうるさそうに顔をしかめて俺を見下ろした。大きな存在から露骨に示される不快感に、思わず萎縮する。この家で一番偉いのは父親であり、俺はお情けで養われているにすぎなかった。なんの生産性もない、ただの子供。

「あいつの入れ知恵か、え? 子供を使うなんていかにもあいつらしいな。つまらん女だ。こんな陰気くさい家に長くいれるものか」

 くるりと向けられる背に焦り、俺は必死に声をかける。

「お、お母さんのこと好きじゃないんですか! なんで、なんでお父さんは……!」

「好きだとも」

 奴は振り返らずに言った。

「この家でおとなしくしてくれる限りはな。あまり私を困らせないでくれよ」

 そのまま書斎に入り、厚みのある扉をばたりと閉めてしまう。 

 どうしたらいいのかわからずに扉を見つめ立ち尽くしていると、後ろからどさっと何かが倒れたような音が聞こえた。

「え……お母さん!? お母さん!」

 見れば、青い顔をした母親が床にうつぶせに倒れ伏している。もしかして今のやりとりを聞いていたのか、と俺も青くなった。すぐに駆け寄って手を握る。

「だ、だいじょうぶ……?」

 気絶したわけではないようだった。母親は辛そうに息を乱しながら、潤んだ瞳で俺を見上げる。

「ええ……いいの、ありがとうね。私が悪いのよ、あの方の仰る通り、もっと明るくできればいいのに。気が利かないし暗い顔立ちだし、つまらない女で、本当に申し訳ないわ。あの方がもっと素敵な女性をお求めになるのも、し、仕方がないことね」

 無理に笑おうとしてほろりと涙の粒を溢れさせる母親を前に、俺は胸が引き絞られる思いだった。

 こんな綺麗で健気な人をどうしてここまで苦しませるのか。お父さんがお母さんに優しくしてくれればそれで全部解決するのに。幸せな家族になれるのに!

 母親は深層のご令嬢で、体が弱かったものだから滅多に外にも出ず、俺と弟の世話もベビーシッターに任せていた。母乳の出も悪かったらしい。

けれど優しげでたおやかな風情の母親を、俺は憧れにも似た気持ちで慕っていた。

 弱くて傷ついてばかりいる、報われない母親が可哀想だった。父親に対する激しい憎しみが燃え上がり、俺の体を熱くする。

「お母さん、お母さん、泣かないで」

 俺はひざまづき、精一杯短い腕を伸ばして母親を抱きしめた。

「僕がいるよ。僕が守るから。泣かないで。大丈夫だよ」

 大丈夫だよ――

 懸命に紡ぐ言葉は、果たして母親に届いていたのか。

 今となってはわからない。





 何をしても、何年たっても、家族の関係が変わることはなかった。いや、むしろ悪化していたかもしれない。

 父親はますます家に寄り付かなくなり、母親はちょっとした散歩にさえ出かけることはなくなった。運動らしい運動をほとんどしないわりに細かったのは、小鳥がついばむほどしか食べなかったせいだ。俺と弟は心配してもっと食べさせようとしたが、母親が無理に食べると吐いてしまうと知ってからは、為すすべなく見守るしかなかった。

 家事は、母親の代わりに二人の使用人が交代でしていた。ごく普通の人たちで、ごく普通に仕事をこなし、俺達とはいたって事務的な関係を築いていた。

 二つ年下の弟の面倒は俺がみた。といっても母親が全くなにもしなかったわけではないし、弟も俺と同じく手のかからない子供だったからたいした負担ではなかったが、例えば弟を殴って泣かせた奴に注意しに行くとか、あるいは弟が遊びに行った先の家でうっかり花瓶を壊してしまったのを謝りに行くとか、そういうつきあいは俺がこなした。俺だって年齢的には子供だったが、周りの誰も頼りにならないとなれば自分がやるしかないのだ。

 最新の空気清浄機が設置され、高い天井からシャンデリアが下がっていても、家の中の空気は常に暗く重い。 

 俺は日課のように母親の部屋に通っておもしろい話をしようとした。あの先生がこんなことを言った、うちの学校にはこんな伝説があるらしい、さっきニュースでこんな出来事を伝えていた――途切れなく喋る俺の話には、当然嘘も含まれている。まぁでも真偽なんかどうだっていいのだ、それで母親が笑ってくれるならば。

 けれど中学一年の五月、俺を迎え入れた母親は、珍しく最初から機嫌が良かった。たまぁにだが、それまでもそういうことはあった。大抵、父親が気まぐれで比較的優しめな言葉をかけた時だ。

「お母さん、今日いつもより綺麗だね。調子良さそう」

 真新しい学ランの上着を脱ぎながら言うと、母親は嬉しそうに笑った。

「そうね、今日はとっても楽しいわ。お天気もいいし、いいこともあったし」

 あ、やっぱりそうなんだ。お父さん来たんだ。

 俺は腹立たしいような悔しいような気持ちになったが、そんなのは母親が笑っている事実に比べれば些細なことだった。

そして、そうだ、と思い立って手に提げていた鞄を漁る。

「あ、あのさ」

 俺は躊躇いながら、でもせっかくだし、と勢いに任せて言う。

「授業参観、あるみたいなんだ。来てくれるかな?」

 今まではそういうことはあまり言わないできた。母親は外に出るとすぐに風邪をひいたり体力切れで倒れたりしてしまうから無理だし、父親が来るなんて天地がひっくりかえってもありえない。

 百メートル走で一等をとった運動会も、準主役を張った学芸会も、俺の前に当てられた二人が答えられなかった問題をすらすらと解いて見せた授業参観も、一度として両親が見にくることはなかった。 

 けれど今なら、言ってもいいんじゃないかな。もしかしたら来られるんじゃないかな。

 淡い期待を胸に、授業参観お知らせのプリントを見せてみる。

「まぁ、そうなの……」

 母親はおっとり微笑んだ。

「いいわね。羽衣児さんが授業を受けているところ、見てみたいわ。あなたがしっかりしているからお母さんつい甘えてしまっていたけど、本当は行けない事を心苦しく思ってたのよ。最近は体調がいいからきっと行けるわ」

「ほんと!? わぁ、ありがとうお母さん!」

 思ってもみない返事に俺は喜んだ。……けどまぁ、結果として母親は来なかった。

 そうなることはなんとなく予想していたので、俺は落ち込みはしたものの、立ち直れないほどではなかった。そのころにはもう、大体のことはしょうがないと諦められるようになっていた。

要するに期待をしなければいいのだ。期待が大きければその分落胆も大きい。俺は半分は母親が来ることを楽しみにしていたが、半分は駄目になるんじゃないかなと予防線を張っていた。

だから文句を言ったりはしない。母親だって本当は来たかったのだ。でも体が弱いから無理なのだ。仕方ない。わかってたことだ。

そう思って自分を納得させて、でもちょっと、ほんの少しだけ、ちくりと言うぐらいはいいんじゃないかなと、思いながら母親の部屋のドアをノックする。

「……?」

 返事がない。どうかし――

「どけ!」

 バァン、と凄い勢いでドアが開かれた。険しい顔の父親が俺を押しのけ、猛然と去っていく。なんだあれ。またお母さんになんか言ったのか!? 慌てて中を見ると、案の定、母親はフローリングの上に横座りになっており、傍に倒れた椅子が転がっていた。多分突き飛ばされるかなんかしたんだろう。

 俺はちくりと言いたいなんて気持ちは途端に忘れて、なんとか母親を慰めようと頭をフル回転させる。

そうだ、そう言えば今日の授業参観中に一人凄く変な回答をした奴がいたんだった、そいつはあんまり頭がよくなくて、いつもとんちんかんなことを言ってみんなを笑わせてるけど、でもひょうきんなところが憎めなくて好かれていた。その話をしよう。きっと笑ってもらえる。

俺は母親を立たせるために手を差し出して話しだそうとした。

「お母さん、大丈夫? あの……授業、参観――」

 ――あ。

 目の前が真っ暗になるような衝撃に、俺は思わず手を引っ込める。

 母親は、怯えていた。

 あなたも私を責めるの、私に酷いことを言うの、私を苛めるの。

 そんな眼をして、傷ついた少女のように、体を縮こまらせて震えている。

 ――ぶつ、と何かの糸が切れた。

 やめてくれよ。

 やめろよ。そんな眼で見るな。どうしてどうしてどうしてどうして……!

 どうしてあなたは……俺は……こんな。

 ――どうして。

 体中が絶望で覆いつくされた気がした。どろどろした黒い膜に捕らわれて、一歩も前に動けない。

 俺は多分ずっと求めていた。自分を守ってくれる人、愛してくれる人を。無償の愛を、優しさを、慈しみを。

 それはほとんどの子供が多少なりとも親から与えられるもので、当然求めてしかるべきもので、でも俺は我慢した。

 自分よりずっと弱い人が近くにいたから。母親に『親』を期待してはいけない。守る側は俺なのだ。あの冷酷で無慈悲な父親から、か弱い母を守らねばならない。

 ずっと、そうやって俺は、自分を殺して、強く在ろうと踏ん張って、母親を慰めて労わって、けれどそれの状態がいつまでも持つはずはなかった。

 今まで溜めてきた寂しさや悲しみや怒りや我儘が全て凝縮され、一気に目の奥から溢れ出る。音もなく熱い液体が止めどなく流れてゆき、顎をつたって襟を汚した。

 母親は、相変わらず被害者の顔をして、途方に暮れたように俺を見た。

 十二歳の我が子が号泣しているというのに、心配の言葉一つかけなかった。俺と母親は向かい合って、お互いの心はまったく通わせないまま、ひたすら涙を流し続けた。

 





 そしてやがて激情は去り、虚しさだけが残る。

 泣き疲れて寝てしまった母親の顔は相変わらず綺麗で儚げだったが、俺はもはやそのことに何の意味も見出さなかった。

 母親の部屋に通うことを止め、無理に明るく振る舞いもせず、必要最低限の会話しか交わさない。

突然がらりと態度を変えた俺に弟は戸惑っていたが、フォローする気にもならなかった。俺は家族ってものに一切の幻想を抱けなくなっていたのだ。

 当然のことながら母親は何も聞いてこなかった。あの人は元々俺なんかに興味はない。こちらから出向かなければ、一週間顔を見ないなんてざらだ。

 最初からこうすれば良かったんだ。無駄な努力なんてせず、楽に生きる。適度に飾って、適度に手を抜いて。割り切って要点だけ抑え、裏を読んで網を張り巡らせれば、世界はこんなにも簡単に思い通りになる。

父親は人間性は最悪だったが社会的地位は相当高く、母親は世間知らずだったが御家柄の関係で上流の知り合いには事欠かなかった。

 考えてみれば相当恵まれた環境だ。一々金の心配をしなくてもいいし後ろ指さされたりもしない。俺は大多数の人間に羨ましがられるような生活を送っている。

 辛いことなど何もない。

 何一つ、ありはしない。

「……くっ」

 枕に染みを作る涙が腹立たしかった。布団をぎりぎりと握り締めて目に力を入れ、これ以上泣かないように堪える。こんなのただの分泌液だ。埃が目に入ったわけでもないのに、泣く必要なんてない。

 二、三回深呼吸して、感傷を追いやった。冷静になれよ、なぁ。俺は自分を可哀想がって蹲ってるようなつまんねぇ奴じゃねぇだろ。

 心が凪いでいくに従って、目の奥に溜まっていた熱い塊はすっと引いていった。サイドボードに置いてあったティッシュを引っ掴んで、目元に当てる。

 こんなめんどくさい状態になったのはいつ以来だろう。地味男くん相手だからって油断しすぎたな。ため息をつき、俺は立ち上がった。喉が渇いた。水でも飲むか。スリッパをつっかけて、台所に向かう。……が、既に先客がいた。

 冷蔵庫から麦茶のボトルを出している静弥と目が合い、嫌な予感がしてすぐに逸らすが遅かった。静弥は怪訝そうな顔で俺に近づいてくる。

「兄さん、なんかあったの」

「なんもねぇよ」

 鋭すぎねぇかこいつ、さすが俺の弟。内心舌打ちしながらその場を離れようとしたら、静弥は俺の前に回り込む。

「でも目の周り赤い……」

「気のせいじゃねぇの? 疲れてっから用がないなら話しかけんなよ」

「待てよ! あ、あのさ、あんた、なんで変わっちゃったんだ」

「……は?」

「俺は前の兄さんの方が好きだよ」

 またそれか。小さい頃静弥を守ってやれるのは俺しかいなかったから、こいつはだいぶ当時の俺に幻想を抱いている。あの時だって別に俺は麗しい兄弟愛とかを発揮してたわけじゃない。ただ母さんに褒められたい一心で、余裕のあるふりしてお兄ちゃんぶっていたのだ、

「兄さんは優しくて、賢くて大人でいつも頼りになって……一番尊敬してたよ。俺もいつか兄さんみたいになろうって。なのになんで……」

「知るかよ。うぜぇ」

「そんな乱暴な言い方もしなかったっ……!」

 そうだな。むしろ俺は諫めてた方だった。テレビとか周りの友達の影響で静弥が下品な言葉を使った時に、頭のいい人間はそんな言い方しないんだよって。こいつがいつまでもいい子ちゃんぽいのは、馬鹿正直にその教えを守ってるせいもある。

「今のが賢いぜ、俺は。お前もいい加減わかれよ」

 静弥から麦茶のボトルを奪い取り、近くにあったグラスについで一気に飲み干した。あーうっま。染みわたる。酒ならもっと良かったけどな。ボトルとグラスを押し付けるように渡し、踵を返す。

「兄さん、あの……」

「開き直れば楽になるぜ?」

 口の端を釣り上げてにやりと皮肉げな笑みを浮かべ、すれ違いざま静弥の耳に囁いた。

「――お前だっていずれ俺になる」

 なって欲しいとは、けして思わないけどな。目を見開く静弥に奇妙な嗜虐心を覚えながら、俺は苦笑した。

 俺は俺と仲良くできる気がしない。





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