桐津羽衣児のくだらない日々1
ピンクの照明に照らされた薄暗い部屋の中、露出過多な女が俺の首に腕を回しながら甘えるように言う。
「ねー、名前教えて」
「ん? 田中」
「そうじゃなくて、名前」
「太郎」
にっこり優しげな笑顔を浮かべ答えると、女は不満そうに口を尖らせた。
「え? マジで? ……ねーぇ、からかってんの? あたしに教えたくない?」
「うーん。俺、基本誰にも教えてないんだよね。それにミアちゃん可愛いから、俺に夢持ってて欲しいんだぁ」
「夢ぇ? ふふ、なにそれ。朝になったら消えちゃうの?」
からかうように言う女に、俺の危機関知センサーが反応する。が、何くわぬ顔で身を屈め、女にキスして囁いた。
「そ。今夜限りの夢だよ」
「そっかぁ、じゃあ楽しまなくちゃね」
「そうだねぇ。俺、ミアちゃんみたいに頭のいい子好きだよ」
「あはは、ミア馬鹿だよー。だからこんなことしてんじゃん」
うわぁ。ヤバいヤバい。
「……今から、もっと馬鹿になろっか」
する、と背中をなぞると、女はくすぐったそうに身をよじって笑った。
「ふふふ、さんせーい。タナカくん、マジでかっこいーねぇ」
そのままベッドになだれ込みそうな勢いでひっついてくるのを押しとどめ、甘い言葉を囁いてシャワーを浴びにいかせる。
なんとか丸めこめてよかった。水の流れるザーという音を確かめ、俺は女の鞄を漁った。
別に何かを盗むつもりはない。目当ては生徒手帳だ。
普通なら、そんなものを真面目に持ち歩いてる奴は俺と遊ぼうなんて気は起こさないけど……
「げ、聖天」
超お嬢様高校じゃん。やっぱりなー。なんっか感じ違うと思った。
俺は痕跡を残さないよう生徒手帳を鞄に戻し、静かに安っぽいラブホテルをあとにした。
結構いるんだよなぁ、ああいうちょっと羽目外したい系少女が。普段は抑圧されてる「優等生の私」だけど今はこんなイケナイことしちゃってるうふふみたいな。
俺はぶっちゃけ相手がビッチだろうがお嬢様だろうが病気持ってなきゃ構わないんだけど、聖天学園の生徒と繋がりができるのはまずい。どこで「表」の俺と遭遇するかわかんないからな。
ま、今回はご縁がなかったという事で。落ちぶれたらまた誘うかもね、ミアちゃん。
ネオンが放つ品のない光にまみれた雑多な通りを歩きながら、俺は欠伸をかみ殺した。
しょうがない、明日テストだし、もう帰るか。
あー、最近マジつまんねぇ。
第三章★桐津羽衣児のくだらない日々
元々俺は、普段いい子ぶってるウサ晴らしにちょっとした夜遊びを繰り広げていただけの優等生だ。繁華街に行けば逆ナンしてくる子は絶えなかったし、自分から声をかければ百パーセント成功した。まぁたまには遊んだ子の彼氏とかに絡まれてなし崩し的に喧嘩になることもあったけど、基本的には不良になるつもりはなかったのだ。ましてやチームとか(笑)って感じだった。
チームってなんだよ。弱い奴が徒党くんでイキがってんじゃねーよ。抗争とかマジでやってんの? そんなことしてる暇には英単語の一つでも覚えてろよバーカ。
要するに、思いっきり見下してたわけだ。
にこにこ誰にでも愛想よくしながら、俺はいつだって俺以外はみんな馬鹿と思って生きてきた。いい成績とって要領良く立ち回って、優しいふりして上面だけ飾ってれば拍子抜けするほど簡単に騙されてくれる。
人生なんて楽勝だ。エリート商社マンの父親、資産家の娘でお嬢様育ちの母親という両親のもと生まれてきた俺は、最初からなんの障害もなく勝ち組になれた。
勝ち組って言葉はなんかがっついててあんまり好きじゃないけど、世の中には確かに格差というものが存在する。それは例えゼロ歳の赤ん坊だって例外じゃないんだ。
顔も頭も運動神経も良い、でも嫌みじゃなくてちょっと面白い奴。なんつって。やらなきゃいけないことだけ押えとけば、糞真面目に全部『正しく』ある必要なんてない。弟はその辺まだわかってないみたいだけど。だからいつも余裕なさげにしかめっつらだ。
今も、すれ違いざまに俺を睨みつけてくる。俺を、っていうか俺の頭部を。
明るい茶髪が気に入らないらしいが、これ、ただのちょっと手の込んだカツラだぜ? それに今時、髪染めてワックスつけてなんて誰でもやってる。普段の俺は黒目黒髪の優等生ルックだから落差は激しいだろうが。
「何時に帰ってんだよ」
すれ違いざま、嫌悪感たっぷりの口調で弟は俺を責めた。責めてるつもりらしい、これでも。
俺は腕時計を見てちゃかしたように答える。
「二時五分~今日は早くね? 俺ちょーえらぁい。つかお前はなんで起きてんの」
「待ってたんだよ、あんたを」
恨みがましい眼で見上げてくる。何の用だろ。早く切り上げて欲しいな。俺ねみぃんだよ。
「お母さんが倒れて病院に運ばれた」
「……へぇ」
深刻そうにしてるから何かと思えば。
「っそれだけかよ!」
「いや、まぁ、うん、ついにっつうか、やっとかよっつうか」
「何言ってんだ! 母親だろ!?」
弟は俺につかみかからんばかりの勢いで怒鳴る。やめろよ、近所迷惑だろ。
「母親ねぇ……前も言っただろ、俺もういーの、そういうの。めんどいわ」
「めっ……。っんで、なんでそんなっ!」
「んー。あのさ、静弥。お前よくやってると思うよ。でもいい加減気づけよ。そんなに心配したって報われねぇぜ? あの人は別に俺らのこと息子だなんて思ってないんだから」
「そんなこと……」
しかし静弥はそれ以上続けずに俯いて押し黙った。
ほーらな。こいつも馬鹿じゃねぇんだからほんとは薄々感づいてる。
ただ、こっちがもどかしくなるぐらい真面目なんだ。問題があったら解決するまで悩んじゃうし、悪いことが起きたら自分のせいかもしれないって真っ先に思う。
俺は早いうちにそんな疲れるだけの生き方は投げ出して、割り切ればいいやって結論に至った。
どんなに俺が頑張ったってあのバカ親父が愛人と別れるはずはないし、傷つき続ける母親を慰めるのもめんどくさい。薄情な息子だと自分でも思うけど、まぁしょーがないんだよ。俺たちが小さい頃からあの人はやたら弱くて、ちょっとしたことですぐ泣いてた。母親っていうのは多分子供を守るものなんだろうけど、俺たちはずっとお母さんを守らなくちゃって思っていた。
でも俺の場合その決意は中学の時に簡単に崩れたわけだ。ある日突然、馬鹿らしくなってしまったのだ。なんで俺こんな疲れてんだろって。友達は明るく新発売のゲームのことを話してんのに、俺だけどうすれば両親は仲直りできるんだろうとかどうすれば母さんは笑ってくれるんだろうって不毛なことを考えてる。
俺は努力した。良い子になったり拗ねてみたり懇願したり挑発したり。でも俺が何したってあの人たちはなぁんも変わらない。
母親は、鳥籠みたいなところで大事に大事に扱われなくちゃ駄目な人だ。なんで親父なんかと結婚したのかは知らないが、あいつと結婚した時点ですでに不幸になることは決まっていたのだ。
それは可哀想だとは思うけど、俺はあの人のお守りにつきあうつもりはない。
「病気にでもなったの? それともいつもみたいに貧血? 心配してくれる人が増えてかえって嬉しいだろーよ、あの人も」
「そ、ういう言い方ないだろ!」
静弥は泣きそうに顔を歪めた。かわいそーに。
「とにかく俺は見舞いとか行かねぇから」
きっぱり言って、静弥を押し退け自分の部屋に入った。鍵かけてヘッドホンつけて、お気に入りの音楽をかける。
罪悪感がないわけじゃないのだ。俺はあいつの気持ちを知っている。目を閉じるとさっき見た静弥の苦しげな表情が目蓋の裏に浮かび、かつての自分とダブって揺れる。
――知らねぇよ。あいつも母さんも。俺は誰にも助けられなかった。だから誰も助けない。
ベッドに横たわり、眠気と音に身を委ねる。やがて陰鬱とした気分は、脳に直接響く軽快な音楽にかき消されていった。




