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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第八.五章


街には依然として季節の雨が居座り、中々晴れ間がのぞく事もなかった。この季節の皆壌はしばしばこうした陰気さの底に沈むのだったが、それはちょうど街を覆いつくすようにして起こった。街から出ると意外と晴れることもあるのだった。とはいえ、街の外に出て暮らすようなことは別荘を持った金持ちを除けばほとんどできないことだから、みなこの時期は魚の気分を味わいながら街の底にへばりついて生きるのだった。

栄啓はもはや街中のほとんどの場所を探しつくしていた。残されたのはごく一部、古い城壁を利用して作られた北郭といわれる地域だった。

しかし、そこは隠れ場所としては不適切なのではと思える場所であった。なぜなら分断されながら続く古城壁に囲まれて官庁の管轄になっており、都尉と言われる治安維持の部隊が常駐しているのがこの区画だからだ。前帝国時代の遺構がいくつも残っていて、住民はそれを増改築して使っていたのだったが、その混乱を嫌ってずいぶん取締りがあり、その後は官の管理の下に住居として使われているので一見整然と整っているように見える。

栄啓がここの調査を進めることが遅れているのも、やはり、都尉の存在が大きかった。本来、民間の鏢局は彼らから見れば武力を持って辺りを威圧する盗賊予備軍のような扱いで、権力にとって好ましいものではないと思われていた。実際問題それではどうしても片付かないことも多いのだ。それを容認するに当たり、お互いの接触をなるべく小さくしようと言う取り決めがあり、縄張りを作りすみわけ、問題が起こった時は極力お上の指示に従うようにという建前があった。実際はもっと複雑な事情があり、特にこの皆壌では狄鏢の強い認知度から、都尉といえど、何かあったときは狄鏢に挨拶に来るのが習いではあったが、だからと言ってその本部でこそこそと動き回れば問題にならないはずがなかった。

「悩みどころだな。街の中なら、もはやここ以外には考えられないが……」

滝のようにその表に雨を流している壁を眺めながら栄啓はつぶやいた。今年は特別な年だった。ティキ族の大事な祭りが行われるのだ。それまでに何とかしなければならない。長老たちは焦っていた、栄啓もそうだった。栄啓は確信と歯がゆさを胸に抱きながらその場所を後にした。



         ○         ○



「さて、狄鏢の奴らはまだこちらをつかんではいないだろうな?」

同刻、二黒幇の幹部会議である。大老が言った。

どうしたって話題は狄鏢のことだ。

「は、もうこちらが何者かはばれたようですが、所在までは捕まれておらぬかと 」

彦靖がいった。

「ならばよい。今しばらくは時間が欲しい 」

彼らが隠れているのは昔の城壁の地下に作られた隠しトンネルだった。それはかつて皆壌へ進攻した敵が掘ったものの一つだったが、城壁に達する直前で入り口が崩落してふさがり、実際には使用されなかったものだった。どうやってかはわからないが、湘阮が見つけ出して、昔の入り口の上に立った建物を買い取り、穴を掘りなおして隠れ家としたのだった。戦争のドサクサに埋められ、誰もこの穴の存在など誰も知らなかった。もちろん狄鏢の連中とて例外ではない。ただ、囲いは自然狭まっていくので、街のどの辺りが怪しいか、発見されるのは時間の問題だった。そこで調べられやすい、入り口の建物を放棄して、古城壁の居住区の一角に穴を延長し、つなげてしまおうと考えたのである。すぐに見つかることはまずありえず、場所柄見つかったとして行動を起こすまでに時間がかかってしまうはずだ。結果は大成功と言えた。

「して、次はどうするのじゃ?」

ひらひらと扇で胸元を扇ぎながら湘阮が尋ねる。どうやって彼がここを知ったのかと同様に、誰も彼の思惑に気がついているものはいない。湘阮は長い間一人だった。それも尋常の長さではない。そして、今も一人といって差支えがない。なぜ二黒幇が南方で壊走し、この辺境の町にやって来なくてはならなかったのか? それは彼が望んだからだった。彼の素性を誰も知らない。ただ、ずっとそこにいるという感覚だけがあって誰も疑問をさしはさめない。今や大老は傀儡に過ぎない。しかしそれとて誰も気がついていない。湘阮は古い時代の技と血を引き継ぐ者だった。嵩王朝のその権威ができたころ、その力の前に屈服した一族の末裔だった。今は滅び去り、すでに嵩人となって暮らしている同胞を尻目に彼は師から受け継いだ業によって、その身の時を止め、ある目的のために動いていた。失われた世界、いまだ嵩の王権が形作られる以前の世界、それを復活させ、広がる嵩の力に対抗するのが彼の目的だった。それが彼の受け継いだもので、彼には長い時間の中でそれがすべてになっていた。受け継いだものが彼で、彼が受け継がれたものだった。

彼は、彼こそは皆壌の陥落すらその目で見た、あるいはその経験を受け継いでいた。その以前マルドバシュ帝国の伸張を目撃したのだった。なぜ、このトンネルを知っていたか? 簡単な話だ。つまりこれが掘られた時の記憶があった。そして、近々とある現象がここで起こる。それこそが彼の狙いであり、彼がここに二黒幣を誘導してきたのはそのための準備であった。哀れな者達はその事にまるで気がついていない。ここで流される血にこそ意味があり、自分達がその生贄である事に。

そして湘阮は目前で繰り広げられるこの会議の馬鹿馬鹿しさに笑い出しそうなのを隠すために扇を口元に当てるのだった。

しかし、そんな湘阮にも一つわからない事があった。自分たち以外にも狄鏢に対して敵対しようとしているものがどうもいるらしい。しかも、湘阮の力を使ってもどうにも捕らえきれない。瑣末事と捨て置いてもいいように思っていたのだが、狄鏢を襲撃に向かった連中が霧に包まれて気がつけば敵味方なくやられたというような報告がいくつか届くにつけて怪しさと不安を抱いていた。穴倉の中はじめじめと蒸し暑く、その心の隙に染みこむようにして焦りが少しずつ進入していくのだった。



――古い力の残る土地で誰の頭上にも雲が垂れ込めてきていた。




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