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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第七章

クトウ・・・・主人公。コルキセ族出身。呪術師の弟子。


虎魁こかい・・・ティキ族。荻票の一員で、大柄の男。かつて、コルキセ族の集団で暮らしていた。娘がいる。今は皆壌に住む。


栄啓えいけい・・ティキ族。荻票の一員で一見すらっとした長身の優男。狼虐子のあだ名を持つ、凶暴な凄腕票師。


エイリク・・・・虎魁の娘。母はコルキセ族。年齢は14ぐらい。名前は漢字にすると瑛陸。


張士象ちょうしぞう・・嵩人、字をしんという。医者。虎魁親子とは関係が深い。


顔丁達がんていたつ・・嵩人、字を子寛しかん。豆腐屋の息子。


周閨しゅうけい・・・・嵩人、字を皆達かいたつ。二黒幣の一員で、外回りの武闘派。



馬漢ばかん・・・・・嵩人、字を二黒幣の一員。幹部の一人、医者。戦闘員の管理を担当。


湘阮しょうげん・・・・嵩人、字をかん二黒幣の一員。幹部の一人、

             大老の右腕の女装の男。外交に力を発揮する


朱寮しゅりょう・・・・嵩人、字を片陳へんちん二黒幣の一員。幹部の一人。賭場の管理。


蔡才さいさい・・・・・嵩人、字をぶん二黒幣の一員。幹部の一人。縄張りからの集金、外回りの面倒ごと等を担当。


彦靖げんせい・・・・・嵩人、字を繻甲しゅこう二黒幣の一員。幹部の一人。諜報、監査を担当。


李如りじょ・・・・・・嵩人、二黒幣の一員。幹部の一人、六幹部の紅一点。内務担当。



           7


その日は遙か遠く続く大地の果てまで見通せるような空気の澄んだ日だった。何かの気まぐれのように皆壌を取り巻いていた雨が止み、水煙も消えた。また、前日までの雨のおかげで大地を走る土煙も今やもとのありかに帰っていた。遠く地平の先まで続く街道は忙しなく一方向に人を流し続けている。夜が明けようかという刻限から開門を待つ人の群れが南大門を埋めていたのだ。彼らの半数ちかくはやがて嵩国の中心に向かい流れていく。北方最大の交易の街を印象付ける光景だ。その人の群れの中に一行の姿が紛れている。

クトウたち一行はとりあえず奥壁を目指す手筈となっていた。なぜなら、遺体は奥壁の南側の丘陵地にあり、その詳しい場所を知る者といったん落ち合い案内してもらうためだった。奥壁までは馬で昼夜を問わずに急げばおおよそ四日だが、急ぎの伝令でもない限りそんな強行軍は無い。今回は比較的急務とはいえ処々の準備のためによる場所もあり奥壁に着くのはおおよそ八日を考えていた。今回はもちろん馬を使うので、馬に乗るのがはじめてのクトウの様子も見つつ進む事になる。だから、それがどうやっても限界だろうと決まったのだ。途中、二日目の宿のある街道の宿場町まではクトウは虎魁の馬の後ろに乗って、その町で丸一日用を済ませつつ、その間に馬の練習をする予定である。遠大な道はおおよそ舗装され、石畳に覆われて、彼方に町がかすんで見える。主だった幹線は王国統治の下に整備されている。そして、最初の宿場町までは南街道門からはほぼ一直線の道筋であるため、最初の宿泊地に着くまでは石畳の道をこの人の群れと一緒に進む事となる。もちろん、進む速度に違いはある。時間がたてば別れていく。街道の周囲はしばらく、皆壌の農民が持つ農地が広がっておりそちこちに畦と並木が見える。街道沿いに植わった並木と木の種類は同じようだが、そこにこちらのような喧騒はなく竹で編んだ取り外しの出来る屋根のついた牛車がのんびり動いていたり、キの群れを鞭で追う人の姿が畑の向こうにうっすらかすんで見える。のどかなものだ。そして、その大地にいる人のどの種類もが皆壌で見られる事を考えると、都市が異質なものを結びつける接点としての機能を遺憾なく発揮している事が端的に表されている。

初日の道中においてクトウは股ずれに苦しむ事になり、それは旅の間、馬に乗るたびについて回る問題となった。そもそも馬に乗るどころか馬を見ること自体が街に出て始めてであったクトウにとって中々に大変なことであった。

さて、一行が二日目の宿に着いた時には日は暮れ方となっていた。この町の夜はほぼ宿と酒場で出来ている。宿も格が色々あるがクトウらが泊まったのは中の下といった宿で二部屋に分かれて泊まった。

虎魁はその晩、若い二人を連れて酒場に繰り出した。今回は仕事なじみに挨拶することはない仕事であったが、あまり不自然に引きこもっていてもそれはそれで人目を引くのだ。そして、なによりどこかナーバスになっている若者を元気付けたかった。ちなみにクトウは股ずれで苦しみそれどころではなく、包突は別に動いていた。


場所は虎魁達のいる酒場に移る。

「虎魁さん、いいのでしょうか?」

「なにがよ?」

庚楊が問いかけ、虎魁はかえした。庚楊と兎朴はこの仕事に変に力が入りすぎていて実際のところ虎魁は不安だったのだ。だから、早い内に肩の力を抜いてやろうと思っていた。この二人なら締めるのは意外と後からでも締められる、そうも考えていた。

「だって、仕事が……」

「お前は真面目だなぁ、せっかくのお誘いにさ 」

「でも、いつものような仕事じゃあ……」

言いかけた庚楊を虎魁は手で遮った。

「そういうことは言わねぇもんだ。まあ、適当にやれよ。後から大変になるのは目に見えてるんだからな 」

へへへといたずらっぽく笑いながらいう。兎朴は庚楊よりは楽しむ気でいるらしく酒を運んでいる女を目で追っている。庚楊は一瞬なんだか困ったような顔になり、やれやれといった風に椅子のせもたれによっかかった。

「例の人達は明日ここに入るって話ですが、結局何をするんですか?」

兎朴が訊ねる。

「連中の話を聞いて打ち合わせをするんだよ。そのはずさ。まあ、誰かに馬の練習をさせるってのもあるが上達は期待はしていないなぁ 」

そんな解りきったことをとぼけた調子で虎魁は言った。この町での本当の用事というのは先方からの連絡を受ける事だけだった。それが明日の昼ごろには来る手筈になっていた。何にせよ何らかの報告が入ることになっていて、明日まず第一回の報告があるのは確かだ。予想よりクトウが馬を乗り慣れたために若干早く街に着いたので少しのんびりしているような状況だった。包突はなにやら忙しそうだったが、虎魁と若い連中には、まあ、軽く飲んで緊張をほぐしておくくらいしかすることもなかったのだが……

「ハハハ、庚楊まあいいじゃないかよ、少しくらい楽しんでもさ 」

明日の事は明日だぜ? と吐き出すようにいう。“ああ、こいつも全然落ち着いていたわけじゃあないな ”と虎魁は思った。連れ出しておいて良かった。“ここで把握できる事は大体把握しておこう ”と心の中で思った。とりあえずは注文を済ませる。羊と葱の味噌炒めと豚の耳の冷菜、それに酒だ。

「飲め飲め、飲みすごさない程度にな。本当は他の奴らもいたほうがいいんだろうが、まあ、あの二人はちょっと特殊だからな 」

季節柄、燗をつけるわけでもない酒は意外と早く来た。豚の耳も同様だった。つまみをもしゃもしゃと口にほうり込みながら、がさがさした酒場を見渡す。

「しかし、皆壌や奥壁みたいな大きな街ではないが、ここいらはいつも景気が良くていいね 」

「ええ、人がいない時って言うのはほとんど無いでしょうしね 」

長期滞在する場所ではないが、往来の中の町だ。若干季節による増減はあるけれども北方の二大都市を結ぶ線上にあり、しかも、皆壌の入り口ともなれば必ずある程度は人がいる。ただ、逆に距離が近すぎるからか大きな町には発展しない。不思議な町だ。

「この道筋はなんだかんだみんなが野宿しないで済む。それはやっぱり楽だしな。人通りが多くなるのもうなずける。先人に感謝するばかりさ 」

ここからは細かい枝道がいくつも現れ舗装された道ばかりではなくなるのだが、それでも、比較的安全な大道が通っている。大きな街道と比べれば途中の起伏やら沢やらを縫っていくので若干迂遠な道なのではあるが女子供を連れても進める道だ。なるべくなら往路くらいその道を通っていければと皆思っていた。帰りはどうあがいても裏道からしか入れないのはわかっていたからだ。そんな話を適当にしつつしばらく飲んでいた。いつもなら同業のものの一人や二人と話す機会もあるのだが、その日はどうもなじみの顔にすら会うことはなかった。その分若い二人との話も出来た。割と落ち着いた夜だった。ただ、少し物騒な話を耳にした。

どうも、皆壌周辺で鏢局のそれも狄鏢を狙って襲撃する輩がいるらしい。鏢師が個人的な恨みで狙われる事自体は稀にあるが、特定の鏢局を狙う事は珍しい。というか、むしろ、その後の報復のことを考えて言い訳のしようも無い事なので普通はしない。つまり、元から鏢局全体を相手にするつもりのある奴くらいしかしないし、そんな奴はそうそういないのだ。だからそういう事があるにしても、それは普通は新興の集団だとかもっとそこいらの悪がきの延長のような者の事で狄鏢のような老舗の大組織を向こうに回すような愚か者はいないはずなのだ。

今回の仕事は旗を掲げてするような類の仕事でない事もあって、ただの噂だろうが、本当であろうが構わなかった。よしんば本当であったとしても早晩に自滅するだろうと思って気にかける必要はないことだった。ただ、その晩は何か引っかかりを覚えた。ただ、それも杯を重ねるうちに忘れてしまった。



翌日、うっすら辺りが白む頃に目を覚ました兎朴はクトウの姿が見えないことに気がつき外に出た。近くにいるなら良いが・・・・・・と見ると馬屋の方からなにやら物音が聞こえた。行ってみるとそこには馬を撫でるクトウの姿があった。

「早いですね 」

兎朴が声をかけるとクトウはうなずいた。馬がコフコフと息を吐いて身を揺さぶる。

兎朴はクトウの横に並び馬の首を撫でた。

「馬は好きですか?」

まだ、よくわからないとりあえず珍しく感じている。そうクトウは告げた。

「私は好きですね。多分あなたもすぐに好きになりますよ 」

そういいながら、馬のブラシを取って撫で始めた。今日は私が馬の乗り方を教えますからと兎朴は続ける。クトウは少し苦笑しながら頼むといった。

「そんなに構えなくても大丈夫ですよ 」

兎朴はクスクスと笑って答えた。しばらく天気の事や夕べの様子など雑談に耽った。そうこうしている内にあたりは明るくなり少しずつ人の動く気配が起こり始めた。

「さあ、みんな起きてくる頃だし、他の人も一緒に食事に行きませんか?」

兎朴は立ち上がると馬具を片付けだした。

他の連中は部屋に戻る頃にはみんな起きていて、二人が帰ってくるとそのまま朝食に出かけた。夜の飲み屋で昼食を取れるところが割りとあるのがこの町の特徴の一つで、五人は夕べ虎魁ら三人が行った飲み屋で朝食をとった。そこは昨日の夜の余韻をわずかに残していた。かすかに漂う酒の匂い、香辛料の香り、どこか湿った空気。この町では特に午前中はあわただしく人が動き、荷が行きかい、人が行き交い、車が行きかう。そんな中で歓楽街だけは静かなものだった。しょぼしょぼ射す朝日がそれを助長していた。しかし、その静けさを求めてわずかな滞在者が来る。朝のここは旅を急がないものが、急げないものが喧騒から離れる場所になるのだ。クトウたちは、今日はこの町の滞在者だ。のんびりと朝食をとり今日の予定について話し合った。

「俺と包突は連絡係との待ち合わせに行く。その間にお前らはクトウに馬の扱いでも教えてやってくれ。場所は知らせておくから何かあったらこっちにきてくれ 」

虎魁の話は単純だった。取り立てて問題も無い。のんびりした朝食の後にクトウたちは宿に帰った。その後のクトウたちは予定通りと言おうか、本当に馬の練習をしていた。


さて、一方の虎魁たちは二人で双六をしていた。やがて待ち合わせの場所で二人して賽を振りながら待っていると一人の男が近づいてきた。

「どうだい調子は?」

男が尋ねる。

「ああ、ぼちぼちさ、俺の三つ勝ち越しだね 」

包突がいう。

「へぇ、そうかい、向こうのお山はどんなだい?」

男が続けて尋ね、今度は虎魁が答えた。

「すっかり花の頃だね 」

「ああ、見ごろだ。ところで、俺にも賽を振らせてくれないかね?」

「今日はもうやめるところだよ 」

男はそうかと続けそのままで話し始めた。

「日取りは間違いない。ただ、いつでも出られるところにきていてくれ 」

明後日の方向を向きながらしゃべる。嗄れ声が二人にだけ妙に鮮明に聞こえた。

「やばいのか?」

包突がやはり同じようにしゃべる。空気の漏れるような音だ。

「詳しくはわからん。俺は連絡役であって向こうで実際に事にあたっているわけではないのだ。しかし、よくはないだろう。俺に話を伝えた男はずいぶんと疲れた様子だったよ。それから、関を通したくないそうだ 」

その言葉に二人は沈黙した。関を通さないと言う事は奥壁の山越えを意味するからだ。

「無理だ。あの山は昔から人を寄せ付けない 」

「そんなことは向こうの連中と相談してくれ、これで失礼する。俺はこれから皆壌に行かなければならないのだ 」

足早に去っていく。伝令の男は走ってもいないのに見る間に遠ざかって行った。二人は顔を見合わせた。

「打ち合わせなんかじゃなかったな 」

「ああ、ようはあれを使えって事だろう?」

「大丈夫なのかよ?」

心配そうに虎魁は包突に訊ねる。

「俺だって知らんさ 」

憮然とした顔で彼は答えたが、それ以上は言葉を続けなかった。



       ○        ○



虎魁はその日の夕方には出発することを決めた。それからの一行はできる限りの速さで道を急いだ。とはいっても、ようやく一人で馬に乗れるようになったばかりのクトウがいるので必然的に強行軍ではなくなってしまっていた。ずっと馬に乗り続けたおかげでクトウの股ずれは一向に改善しなかった。

ちょうどその日の前日から遠くに連なる山並みが雲をつく勢いで立ちはだかるのが見えるようになっていた。ここまでは平原が広がっているだけにその山並みはよく目につくのだった。もっとも、いくつかの峰は雲を越して伸び、その姿はまさに世界をさえぎる壁のようだ。近づくごとに圧倒される。



奥壁は巨大な壁に張り付いたように広がる街だ。他の都市とは全くといって良いほど毛色が違う。山の中腹の入り口から、峠を越した反対の山肌まで、さらに言えば、その反対にある街の最後の門までが奥壁であるから、実際こんなに長大な都市は他に無いともいえる。


――この街はおおよそ三層に分けられる。


一つは嵩の国に向いた側(つまり南側)は比較的なだらかに街が繋がり、穏やかだが活気がある。葛篭折に山肌を登る大きな道があり、その折り返しごとに棚のように整地された広い土地を持ち、さらにその棚ごとに管理役所が設置されている。当然そこはある程度の規模の街があり、街区分けされている。各役所は緊急時に連絡を取れるようになっている。比較的低地では烽火でやり取りをするようになっているが、街の高地では、雲や霧によって確認が出来ない事が多いので、もしもの時は角笛で連絡を取る。これは北側の町にも共通の仕組みである。

もう一つは山の北側だ。

北は急勾配の広い階段が真ん中に通り、七つの関所が設けられている。関所のあるところはすり鉢状の形に山を抉り街が作られている。そして、それは麓から登るに従って規模が小さく急勾配の街になっていて、頂上部は平らになっていて、そこには王府があり南側の街と繋がっている。そして、この王府こそが奥壁の第三の部分なのだが、ここには普通の人間は入れないので詳しくは語らない。

先述の烽火や角笛は各関所に各々設けられており、ここが元々どういう場所だったかを偲ばせている。ちなみに奥壁は場合によっては奥北路と呼ぶが、それはこの街がいくつもの小都市と山を越える道をまとめて一つの都市だからだ。

だから、考え方によっては、この街が嵩国最大の都市といえるかもしれない。元来、ここに街が立てられたのも、ここ以外は険しすぎて大軍の通貨は不可能であった為、防備の要としてここに築かれたのだ。だから峻険な山を無理やり抜ける愚を犯す者もおらず、この地方を通って北へ向かう人は必然的にこの道に流れる。自然と街は貿易拠点として発展する。さらに諸所の事情により都以外に王府を持つ。嵩では王府があるということは自然、王族ゆかりの地で伝説のある聖地という事になる。聖地に詣でる人は少なくない。

だから、かつては王国の北の果てだったといえども人は少なくはない。

その街にクトウたちは今、足を踏み入れたのだった。むろん、クトウ以外は何度も来たことのある街だ。皆壌からはここが一番近い大都市だし、南に抜けるのも一番早い。荷はここを通る事がほとんどで北の鏢師にとってはいつもの集合場所のようなものだ。

一行は大きな荷を持っているわけでもなく、すんなりと第一の関を通り、街へと入った。

「どうだ、クトウ。皆壌も大きいが、ここはまた違うだろう?」

虎魁が言った。

宿場町や農村を見て、皆壌がいかに大きいかを理解しかけていたクトウだが、山それ自体が街のような奥壁は圧倒的な世界だった。

「お前の師匠が南に向かったとしたら、きっとここを通ったはずだ。もし、この仕事が終わったら、俺の知っている辺りから調べてみよう。元々、そのつもりではあったんだからね 」

クトウ達はその日は三番目の街まで登り、そこで宿を取りながら依頼者と連絡をとることになっていた。そこそこ大きな巡礼者用の宿だった。石を組み合わせたその建物は見るからに堅牢で砦を思わせた。扉や鴨居、それから特設の楼閣は木造で嵩の華やかな木彫が施されていた。一行はそこの一階にある受付兼酒場のようなところで使者を待っていた。人が気軽に往来できるように広く開かれた場所だ。相手にそれとわかるように、かつ不自然でないような目印をつけて、旅に疲れた体を休めた。今度の使者は現場で一緒に仕事をする仲間でもある。

やがて、三人の男たちが現れた。男たちはみな背に剣を背負い、後ろ頭の右上に髪を結い上げた独特の髪形をしていた。クトウ達を見つけると、いかめしい顔をしてこちらにやってきた。それから一行の前に一列に並ぶと、拱手して深く礼をした。その様子は、けして形式だけの礼ではなかった。割と傲慢な人物像を想像していた虎魁たちには意外に思えた。そして、一番左に立っていた男が真一文字に結んだ口を開き、自己紹介を始めた。

黄と名乗ったその男は重苦しいというか、疲れたような表情の男だった。もとから刻苦のしわが刻まれていて、もともとそういう表情だったろうと思わせたが、それにしても疲れ果てた雰囲気だった。しかし、体に目を向ければ、その両肩はたくましい筋肉の隆起を服越しにも感じさせられた。鍛え上げられた人間の体だった。横に並んだ二人の男もまた鍛え上げられた逞しさを備えていた。二人は白と青と名乗った。三人は明日の朝また迎えに来るといい、これこれを用意しておいてくれと簡素な用件を伝え終えると立ち去って行った。まだ日暮れには些かの時間があり用立ては問題なくすんだ。

翌日、皆が朝食をとっていると、例の三人組が現れた。すでに笠を被り、行李を背負って旅支度を済ませていた。ほとんどの道は整備されているから傾斜以外はさほど問題ではないが、ここからは標高も高くなり、移動スピードはぐっと落ちる。馬も騎乗用と言うよりかは駄獣としての性格が強くなる。もちろん背に乗っても構わないが、さすがに走らせる様な訳にはいかない。ちなみにこの高山の街で生活するために飼育されている特別な馬は、ここの名産として世に名高い。一行もここで今までの馬と別れて現地の馬に乗り換えていく。

馬だのなんだのの手配は黄たちが済ませていた。前日に言われた品物はすでに入手していたのでここにいる必要も無かった。今日は残りの関のうち四つを抜けてその四つ目の街で宿を取る予定だ。すでにだいぶ緑も減ってきているが、ここからは目につく緑もずっと背を低くして麓から五つめの街辺りだともはや潅木もまばらで、草原が広がるばかりだ。まがりなりにも整備された道であるにもかかわらず、岩肌のむき出しになった山肌に、石で出来た道は山と一体化したような不思議な感じがする。

登っていく最中、クトウはずっとこの山について不思議な抵抗感を感じていた。何か揺らぎのようなものが、薄い壁のように幾重にも重なっている印象を受けた。それは山を登るごとに強くなる。もちろん、各層ごとに生活の仕方も変わっていく不思議なこの街の事だから、その目に見える変化に戸惑いを感じているのも本当だろう。しかし、もっと根本的に違うのだ。各所で試されているという感触が近いだろう。街では風除けの垣根や壁が幾重も施されていて気にならなかったが、時折、山を吹き降りる風が強く吹き、体を震わせて立ち止まった。幸いな事に雲も出ておらず、眺望は遥か皆壌をうっすらと望ませている。広大な大地をいくつものスジがのたくっており、それは人の通した路であったり、いくつかの川筋であったりしたが、クトウにはそれ以外に地を這うように進む力の流れがはっきりと見えた。

「おい、どうだ? この遠大な景色は? これがかつて俺たちが栄えた土地の大半なのだ 」

包突は静かに、しかし力強く尋ねる。

「かつてこの地にはマルドバシュという国があった。この地に強権を持って打ち立てた覇者の国だ。しかし、さらにそれより昔、我らティキはこの大地に満ちていた。この地の流れを知り、路を築き、家畜を追い暮していたのだ。そして、今もその力を知っている。安全を約して荷駄を運ぶの事を生業としているのはきっと我らの血がとどまる事を善しとしないからなのだろうな 」

歯をむき出して、いつに無く嬉しそうに言った。道の外には延々と岩と草が作り出す光景が続き、ただ、この道の上だけに、黒々と人の群れが続くのが見える。手を伸ばせば届きそうに錯覚する草原の上には時折、猿の様な影が跳梁していたが、それはクトウとおそらく包突にしか見えていないだろう。その手の類のものだ。それとは別にライチョウやこの山塊に固有のネズミの類がこっそり顔を覗かせている事もある。多様なはずなのに不思議に画一的な感覚がのっぺりと山肌を覆っている。遥か先に第五の関が見える。明らかに線を引いたようなつくりの違いを見せ付けて、古い岩の塊のような門に青い甍の二重の楼閣が太陽の照り返しを受けて輝いて見える。すぐ先に少し広く平らになった場所があり、休めるようになっていた。

一行はそこで一旦軽い休憩をとることにした。

「あそこはすでに雲の上だ。だから第五関は凌雲関という。あれが本来の奥壁の城門だという話もある。見ろ城門沿いに伸びている壁は研磨された一枚岩だ。古の技を持って作られた、いつ出来たとも知れない壁だ 」

虎魁が横でそういったのが聞こえた。黄たちは馬のくつわを取り、隅につなぐと荷を締める帯を緩めてやった。小柄で鬣の長い馬たちは軽く体を震わせて短く嘶きをあげ、前足で地を掻いて餌をねだるのだった。三人は黙々と作業を続け、無駄な口をほとんど利かない。それにつられたように皆自然と口数が減っていった。兎朴と庚楊の二人は時折沈黙に耐え切れなくなるのか、小声で二言三言交し合っていた。

虎魁は自分の荷の中から干し肉を出しては始終齧り、太陽の照り返しに焼かれぬよう、日焼け止めの脂を塗りなおしていた。それから、クトウにも脂を塗りなおすようにすすめて、自分はごろりと横になった。

クトウも高所ゆえの低い気温に体を冷やさぬ様に、防寒用のフェルトの外套をより体に巻きつけて荷に体をあずけ全身を伸ばした。あともう一息である。長く見えても気が焦れるだけでそれほど時間は掛からないだろう。黄たちはゆるゆると出発の準備を始めた。その様子を見て他の仲間たちも荷をまとめ始める。一歩一歩数えるように歩む人の群れに再び戻っていくのだ。はるかな光景とはるかな山、それにしがみつくように存在する人の世界。その中で、ただほとほとと歩み、営みを繰り返していくのだ。歩きながら後ろを振り返ったクトウは思った。それがどういうことなのかは思い至らなかったが、もしかしたら、師匠がこの風景のどこかにいるのではないかと思うと、自分のちっぽけな体がひどく恨めしかった。行列は進んでいく。みな、この旅のことを考えていた。クトウですらも、いったいこの先に、この仕事の目的に何が待ち受けるのかという不安を拭い去れないでいた。




第五関を抜けるとそこはまるで別天地だった。先ほどまでの人によって築かれた街とは違った。隆起する岩岩を掘削し、自然の形を利用して作り出した建物とそれを増改築した部分が渾然となって、自然なのか人工なのかの判別がひどくつき難い。そして、街はなだらかな傾斜を持っていて、一番上部には壁のように広がる貯水槽が幾つも作られ、街に水を供給していた。この街の岩はなぜかうっすらと暖かく街全体が外の温度から比べると若干過ごしやすかった。

他の連中の話によれば、雲が出ているときの凌雲関は足下に波の迫る海岸沿いの街のように見えるそうだ。街の両端を峻険な崖に囲われた様はさしずめ孤島の入り江といったところだろうか? こんなところにいったい誰が攻め入るのかはわからないが、崖や外壁には敵襲に備えた窓や棚がいくつか設けられ、有事には要塞として機能するように作られているらしい。もっとも、その機能が充分に生かされているところを見た者で、今、生きているものにはいない。最後に使われたであろう時ですらもう何百年も前のことだという。そして、二つの峰の谷間に奥壁は続いていく。もはや、完璧としか言いようのない石段が続き、その奥には第六の関、そして、折り返し地点の第七の関がある。第六の関は凌雲関と大差ないつくりだ。

第七関のほうは、その頂点を段々にして作られ、もちろん段上にも幾つかのたてものは建つけれど、周りの崖や団の下部に横穴を掘り作った街が広がり山頂に地下の街が存在するという不思議なつくりになっている。崖の壁面はすべて龍の浮き彫りが延々と施されていて美しい。

街としての奥壁の頂点は間違いなくここ第七関だが、第七関には二つの峰に続く小道がある。高いほうを王望園といい、低いほうを宮岳という。王望園では年四回“望 ”といわれる儀式が行われ、それに応じて奥壁の街でも盛大に祭りが行われる。信じられない事だが、二つの峰は木製の回廊でつながれており、第七関の遥か上空で人が行き来しているのだ。人々はその回廊の影で時を計っている。この第七関でクトウたちは崖を掘削して作った街区の宿に泊まった。翌朝、雲の海を抜けて太陽が出てくるのを視界の右端に認めながら、一行は出発する。足元に広がる雲海のさらに下、北とは違う世界が横たわっているのだ。太陽を半分に分かつように奥壁は明らかに境として存在している。文化は伸張し、その住処を広げても嵩のモノは北ではやはりよそ者であった。しかし、山から南は嵩である。北側と比べなだらかな傾斜が続き、壁のような断絶ではなく、緩やかな広がりとつながりが感じられた。そして、やはり、こちらにも凌雲関と呼ばれる関があったが、その様子は北の峻険さとは異なっている。南側は一目見て、同じ山でもこうも違うのかと思うほど穏やかであった。街の作りも高度による環境の差異は考えられているが、より統一感のある計画されたものだった。石造りの一階に木造の二階が連結され、半地下のようなつくりになっている。家畜を飼う家や、宿などは、石組み部分がより深くなっていて、しっかり隔絶された三段作りになっている。そして、最下層に家畜を繋いでおける様になっていた。整然と区画整理された街は伝令のための道を備えて、中央にある役所へと情報を運ぶ。これは嵩ではよく見られる街の形だった。たとえ、その街がそれほどの規模でなくとも、嵩人たちはこういった街のつくりを好んだ。それは、彼らの生活がどこへ行っても基本的に変わらないことと関係があるのだろう。

その日、翌日までの様子と違って包突の機嫌が悪かった。誰とも一言も口を利かずにいた。ただ、誰もその事について責めるような事はなかった。それに、包突は冷静であった。機嫌が悪い雰囲気ではあったがとても静かでもあった。別に邪魔にもならなかった。ただ、時折存在感がひどくかすんで見えるときがあった。その様子を見て、クトウはふと師匠を思い出した。別段師匠の行動と包突の今のそれがそんなに似ていたわけではない。しかし、印象が似ていた。感触といってもよいかもしれない。師匠は陽気な性質だったが空っぽの陽気さだった。虚しさと物悲しさが同居したような感じだった。。包突はどこか悲しい影があり、師匠は明るさの中に悲しさがするのを思い出させた。

その晩は雲の下に降りてから二つ目の関で宿を取った。山の中ほどに差し掛かり再び、木々の支配する世界になっていた。

夜更け頃にクトウは枕元に人の立っている気配を感じ目を覚ました。。うっすらと靄のかかったような気配が辺りを包んでいた。良く目を凝らしてみると、昼間よりも、もっと気配の薄れたような包突が枕元に立ちこちらを見下ろしていた。クトウはそれで了解した。

包突はまるで滑るように出口へと進む。クトウも無言のまま立ち上がり後を追った。そのまま、宿の外にでると、あたりはまるで水を打ったように静かだった。すべて寝静まったような路地に包突が一人立っていた。“ついて来い! ”と手招きして、飛び上がると猿が枝を渡るかのごとく、一跳びに建物の屋根まで飛び上がる。まるで重さが感じられない。クトウは別段驚く様子もなく同様に屋根へと飛び上がった。今、二人は通常の世界からわずかにずれ込んでいるのだった。それが呪術師の世界だった。特別な時間に特別な技をもって術を行えば呪術師は常識を超えた力を扱える。ただ、それはそもそもの人の世から乖離したもので、おいそれと見せるものではなかった。昔の呪術師たちはみな人前でも力を使えたし、今の呪術師よりももっと強かった。そういうふうにどこの部族にも伝えられているが定かではない。今の呪術師だって、いかにも術を使いますというような事は控えるというだけであって、人前でまったく技を使わないわけではない。そもそも、ティキやコルキセでは呪術師であることを隠さないのだ。そして、このように人の見ていないところでは空を飛ぶほどではなくても、人の常識を超えたことを行う事もある。もちろん人を呪う事もするし、動物に変身することなども出来るのだ。

屋根伝いにまるで飛ぶように移動する二人はあっというまに街の外壁を抜け、山中の森に消えていった。

包突はクトウがついてくることになんら疑いを持っていなかった。透かし見をした時のクトウは間違いなく物を知っている人だったからだ。呪術師は対象を透かし見ることで本来性を見つけ出すのだ。それが何で、どうなのか、といった事を感じて理解するのだ。もちろん、自分の分を超えたことはわからない。しかし、努めて例えわからないことでも丸ごと全体を受け入れるのが呪術師のやり方で、それの受け入れ方こそが優れた呪術師の証であり、彼らはそれを理解と呼ぶのだった。そして、受け入れることは知っている事だった。

包突の見ていたものとは違い、クトウはそんな気がしただけで後をついてきていた。自分がなぜそんな事が出来るのかについての心当たりがなかった。当然のように行動しながら自分が別人のように感じていた。

森の中で包突は地に降りると、身を翻してヨタカになった。包突はクトウにも変身するよう促したが、しかし、クトウはその言葉に困惑した。急に方法がわからなくなってしまったのだ。いや、今までだって、なんとなく当然に思えていたからできたのであって、それがイメージできなくなればできないのは当然だった。そして、気がつけば包突の姿を見つけることもできなくなっている。クトウは息が細く縋る様になるのを感じた。包突はといえば、クトウの突然の変化にあきれていた。今までしっかりと息を吸い込んでこちらの力に身を委ねていたのに、遠くにおいて然るべきあちらの姿に手を伸ばしている。まるで訓練を受けた事のない者のようだった。空を飛んでいた包突だったが、クトウの前に降り立つとピーと一声鳴いた。

「落ち着け、どうした? 」

混乱するクトウに首をかしげながら一羽の鳥が言う。

「わからない……」

力をつかみ損ねたクトウはかろうじてその場に踏みとどまっていた。包突は一言つぶやくと再び飛び上がり、一羽の大きなミミズクなった。そして、飛び上がるとクトウの頭をわしづかみにした。そのとたん、クトウの感覚は体から引き剥がされたように軽くなり、鋭い痛みとともに宙に浮き上がった。気がつけばクトウはリスだった。

「これから、仕事場を見に行く」

包突は音もなく飛びながらクトウに告げた。なぜ最初から見に行かなかったのかを問えば、山があるから無理だといった。奥壁は危険な山で自分にはリスクが大きいのだと言う。包突はどういうわけだかどこに行けばいいのかを知っているようだった。森の木々を抜け、遥か梢の上に飛び出した。空には半月がのぼっている。たまに雲の切れ間から差す光は森の木々の上に翼の影を投げた。静かに、だがすごい速さで飛んで行ける二人の先に不思議な明かりが見えてくる。包突は再び森の中に潜ると、その明かりのあるすぐそばの枝に止まってミミズクらしく首を回した。どうも、見ろと言う事らしかった。


その先には道服を身にまとった男が七人、いや、正確には三人だった。その内の四人はすでに生きてはいなかったのだ。その死体も含む男たちは簡素な棺を囲って五傍の星を描いて座っていた。生きている三人のうち一番目上と思われる男が手で印を組み、髪を振り乱しながら呻いていた。あとの二人は、時折、男の求めにしたがって右に左に走り、なにやら、位牌のようなものを持って位置を入れ替えている。たまに棺のふたが動くときがあり、そのたびにあたりに稲妻のようなものが走る。

死体を鎮めているのだ。

道服を着た死体たちは彼らの同僚だったのだろう。みな苦悶の表情を浮かべ、すさまじい形相で固まっている。胸には札が張られて、死してなお魂が抜け出していかぬように縫いとめられている。残酷な技である。しかし、それを使わずにはいられないのだろう。あれが棺から飛び出してしまえば大変な災いとなるだろうことは誰の目にも明らかだった。クトウと包突の二人がよく見てみると、死体の背に透けて見える魂たちの苦しむさまが悲しげに浮かぶのだった。


二人はそれ以上近づくことをしなかった。もうそれで充分だった。夜明けが近づいている。包突は再び飛び立った。クトウは気が遠くなり、気がつけば元の寝台に横たわっていた。



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