第二十六章
あちこちが忙しく動き回っている。それは街中がそうだった。その中で、街の主役たるティキたちは祭に専念することを許されて、各大路には灯が点され、男たちの手によって東西南北でそれぞれ青白赤黒に塗られていく。女たちは祭りの前に特別のご馳走を造るためにあちこちで集まって天幕を張っている。
虎魁は街が化粧をしていくのを眺めながら自分もその作業に加わっていた。彼は栄啓や包突などと違って、ティキ族の中心にいるわけではないので、この祭りへの参加と言っても祭儀に加わるような特殊な仕事があるわけではなかった。今も狄鏢の受け持っている仕事を幾つかこなしはしているが、精々それだけだった。あれだけ騒ぎがあったにもかかわらず、ティキたちはきちんと祭りの準備をこなしている事に自分もティキでありながら驚きを感じていた。忙しすぎたのは一部の人間だけなのだろう。
もう城外には遊牧する仲間たちが入場の儀式を行っていると言う話で、数刻が経てば城門が一斉に開かれるだろう。そうなったら、きっと自分も大路に出て中央の広場を目指すのだ。ティキ族は実際、今日の日のこの祭りを心待ちにしていた。ずっと言い伝えられた祭りだったからだ。この祭りは特別な祭りだ。この日のこの祭りを執り行うことこそ、ティキ族がこの大地に住んでいる事の確認と言ってもよかった。不思議な事に言い伝えどおりに空には雲が湧き始めて、徐々に辺りを暗くしていた。
○ ○
ところ変わってこちらは北郭地域だ。マードゥの術者たちが緊張の面持ちで潜んでいた。これから呪いを一時的に解いて敵をおびき出すのだ。
今、祭りの雰囲気が街にはびこる“今”こそが、敵に気取られない良い機会だった。開門までの時間を告げる角笛が一定時間ごとに鳴り響き、この巨大な都市そのものが緊張するようなそんな時間の中、マードゥたちは着実に網の目を縮めていた。適度に強くなる束縛で相手を追い詰めて、ついにここまで来たのだった。
そして、湘阮のほうでも、祭の開門に乗じてこの街から抜け出すつもりでいたのだった。大火の混乱を利用して逃げ出そうとしていたにもかかわらず、それがかわなくなり、憎らしい事に呪いを幾重にもを受けて力も制限されてしまった今となっては、目くらましの術を使う程度しか出来ない。今の湘阮には常人を超える力などほとんど残っていなかった。精々不老長生の術のおかげで、普通の人より死ににくい程度のものである。
だから、その時が来るまで湘阮はじっと待った。
――別の場所で栄啓も待っていた。
扉が開く合図を大勢の仲間達とともに栄啓は街の外で合図を待っていた。彼らは四つの門にそれぞれ分かれて、各々の首長に率いられて、開門の時を待っているのだった。四門が開くと戦車にのった首長たちが供物を携えながら、中央までの道のりを競い合い、その後を追ってほかの人々がなだれ込む。そして、その時に何かが起こるのだ。それがなんであるかは詳しくは伝わっていない。栄啓は聖地の長老の代わりにその一族を率いる役を受けて戦車の台座に立ち、手綱を握っていた。痛む体を押さえながら、もうずっとそうしている。
最後の笛の音は近い。それぞれの仕事が始まる。
その頃、街の中心奥深く、宮殿の最深部では包突を含めた呪術戦士たちと長老連中が祭壇の建立の最終段階に入っていた。呪術戦士たちは各人弟子というか、従者のようなものを一人連れているが、包突は兎朴を連れてきていた。マードゥの白から報せが届いたためだ。どうしても、彼を手元においておかなくてはならないとその報せを受けた。包突はそれになにかを感じたのだった。だから、兎朴を従者に仕立て上げてここまで連れてきたのだった。
やがて儀式は終盤に差し掛かり、造られた祭壇は長老の合図で綱を引くと、ぽっかりと空いた穴の上にアーチを描いて結合して、遠くからも見える一つの大きな尖塔が誕生した。
――それこそ開門の合図であり、祭儀の開始の合図であった。
大きな音を立てて軋みながら立ち上がった尖塔を確認した途端、開門を告げる角笛の音が高らかに響いた。それと共に歓声が上がり、東西南北の門が開いていく。門扉が完全に開かれると、鮮やかに彩られた大路が中心の陸まで一直線に伸びて、見る者を圧倒した。
そして、門の楼閣から烽火が上がり、四本の煙が確認されるともう一度角笛が鳴った。一斉に首長たちの戦車が疾駆して行く。
その中には栄啓もいた。古式にのっとった装束に手綱捌きだ。祭りの高揚感からか、走り出すと体の傷みは気にならなかった。四つの方角で同時に同じような光景が展開されていたが、そんな事は考えてはいなかった。如何に速くあの城にたどり着くか? そればかりが頭を埋めていた。ついぞない熱気が彼の五体に満ちていた。
そして、それは彼だけでなく、また、大路を行く遊牧ティキたちだけのものでもなかった。街中のあらゆるところから、祝賀の声と鳴り物が鳴り響いていた。男たちのどよめきも、女たちの嬌声も全てが一丸となってまるで爆発のように街をくすぐった。
それと同時刻、湘阮は時が来たのを知った。街が震えて、注意と結界が解けたのだ。彼は隠れ家から一気に飛び出し、同時に剣を引き抜いて地面に立てた。それには依り代の符が張ってあった。一時の時間稼ぎのつもりだった。
しかし、その符はつきたてるや否や燃え上がり、自分が罠にかかったと知れた。もう引き返す事などできようはずもなく、懐に忍ばせた匕首と呪符に手を伸ばしながら駆けていく。一人二人と道巫が現れて縄を投げ、刃を向けるが、ここが正念場と数百年の技の粋を凝らして、陰行し、あるいは絡めとり、切り倒して逃亡する。
驚愕したのはマードゥたちのほうだった。算段が甘かったのだ。あの状態でこれほどの技を使う体力と余裕があるとは全く予想できていなかったのだ。瞬く間に混乱が辺りを支配した。実際には最後の悪あがきに過ぎなかったが、狩人たちは獲物の思わぬ反抗にたじろぎ、浮き足立っているうちにすっかり相手を見失ってしまった。こうなっては祭りの時にあわせての罠が帰って裏目に出た。もはや散乱する気配の中に紛れた練達の相手を探す事は難しかった。
“なんとか撒いたな ”
湘阮は陰行したまま思った。
“このまま街を出よう、なに裏道を使って手近な門から出れば、もう見つかるものではない ”
そう思って、路地を進み大路の近くで人ごみに紛れようとした時だった。前に足が動かなかった。と言うより、あるはずの反動を失って身体が地面に沈み込むような感覚だった。足の腱が切れていたのだ。全く油断していたのだろうか? それとも何かほかに理由があったのだろうか?
「!!!」
慌てて振り返ったその瞬間、きらりと糸のようなものが光った。咽喉に一筋の線が引かれていく。声にならない声が咽喉を駆け上ったがそれは音にはならず、血泡が傷口からこぼれた。
「あんたは許さない 」
女の声だ。しかも、かつて聞きいた事のある声だった。
「あんたの正体はわかった。あんたのやり口も知った 」
李如が路地の薄暗闇に沿うように立っていた。彼女は以前のようにイラついていなかった。どこか毅然としていた。ある男との出会いが彼女に影響を与えていたのだ。湘阮の目が彼女を捕らえるよりも速く、ひゅんと風を切る音が聞こえて目がふさがる。何度か身体を刃がこそぎ、さらに手足の自由を奪われて、最後にトッ突かれて低く泳ぐように雑踏に転がり出た。
「あそこに未練は無いけれど、あんたはけじめ。さようなら 」
その李如の最後の声は彼に聞こえたのだろうか? あっという間に興奮した人の足元に身を横たえた彼はそこで意識を落とした。
後に白たちマードゥの術者が彼を再び見つけたときには彼はただ一人ぼろ雑巾のようにそこにうち捨てられていた。




