第二十三章
虎魁が都に帰った時、城門はしっかりと閉ざされていた。ただ黒煙が幾筋も立ち昇り、騒然とした雰囲気が城壁伝いの宿営にも広がっていた。城門には押し問答の連中が詰め掛けては罵声を浴びせかけたが皆壌側からは沈黙しか帰ってこなかった。
二日後、漸くにしてそんな状態が終わりを告げてみれば、今度は家に見たこともない人物と今や正体のわからなくなった男が当たり前のように茶を啜っていた。いや、実際にクトウは寝床に横たわって呻吟しているだけなので、茶を啜っていたのは見知らぬ老人ただ一人だった。
「クトウが世話になったようで 」
老人の口から出たのはコルキセ語だった。装束も振舞いも言葉も正確にコルキセのものであった。頭巾から覗く髪は、だいぶ色が抜けていたがコルキセ族の持つ赤い髪で、色が抜けた分だけまるで宝石のように透き通った輝きを含んでいた。
「そんなことを言うために、勝手に人の家にあがっていたのか?」
些か疲れていた虎魁は批難がましい調子を含めていった。
「この家のお嬢さんに許してもらった。勝手ではないよ 」
惚けた様に老コルキセは言ったが、虎魁には頭が痛かった。老コルキセは名前をコルクトと言った。簡単な自己紹介でやはりクトウの師と知れた。
「こちらへはいつ着たのか?」
虎魁は尋ねた。二日前と短く答えた。クトウの事、彼の生い立ち、最近の事などをやはり簡単に述べた。そもそもどうやってこの街に入れたのかですら、虎魁には不思議でならなかったが、ここのところの経験で聞くのも馬鹿らしい気分だった。
クトウはいつまでたってもうなされているようで、時々くぐもった声が漏れたが、それでも目を醒まさなかった。それに関して、コルクトは一瞥もくれずに大変だ大変だと言いながらのんびりとしているのだった。
「大変と言えば、あんたがたはこれから大変だろう?」
さきに切り出したのはやはりコルクトだった。虎魁は最初なんの事かと思ったが、ようやくにして彼が祭りのことを言っている事に気がついた。
「あんたがたの仲間につい先日まで世話になっていた。一緒にこっちに着くはずだったが、あれが不甲斐ないので、先に来ざるを得なかった。あの祭りを見るのにこうしてやってきたのだから、うまくやってくれん事にはワシも困る 」
やれやれと言ったようにコルクトはため息をついた。その時だけはわざとらしく苦い顔を覗かせていた。“どういうことかわかっているのか? ”と問責するような調子だった。
虎魁はそんな馬鹿なと思ったが、皆壌の西方にはすでに遊牧ティキの一団が大挙して集まりつつあり、間もなくこの街に押し寄せてくるだろうという報せがつい先ほど街に届いていた。その距離は僅か一日で十分にここに到達する辺りであり、向こうからの知らせでは街に上がる黒い煙を見て大変困惑しているという事である。遊牧ティキがやって来るとなると、狄鏢ではもはや復興に関わるどころの騒ぎではない。彼らは遅れていた祭りの準備に奔走していた。知府の方でも大火の処理と大挙してくる異民族の報せにてんやわんやだった。火はいまだに街のところどころを舐めており、依然として混乱していた。もはや手が回らなくなった役所側はある勢力に協力を仰いで、今回の騒ぎの首謀者の追跡をおこなっていた。
マードゥ達だ。マードゥ人街が焼けたことに非常な憤りを感じていたためもあって、彼らは二つ返事でこちらの申し出を受け入れたのだった。往時の荒々しさを取り戻した胡たちが街の影に跋扈し始めたのだった。クトウはそうした状況の中、ぬくぬくと眠りをむさぼっていたわけではない。先ほども述べたようにうなされている。彼の戦いは今は夢中にその場所を移していた。
○ ○
夢の中で、彼を苦しめているのはまさしく自分と同じ顔かたちをした人物であった。違うのは高慢で高邁で力に長け、戦う術を心得た力強き戦士の態であった事だ。そこは暗い河原であった。あの奥壁の地下のそっくりの場所で彼は自分と対峙していた。幾度も幾度もクトウはその矢にかかり、その刃にかかって意識を失ったが、それでもまた同じ河原に帰ってきた。なぜ帰り得るのか? それは理解しがたかった。ただ、それが機会であると言う事は解っていた。自分にとっての機会である。ここに帰って来れなくなる。それはお終いか、それとも現状からの脱出か、そのいずれかであると薄々わかっていた。そして、そういうようなことを深く考える間もなく、音もなく刃が煌いた。クトウはふわりと身をかわす。二撃三撃と繰り出される刃が、無音の闇にきらきらとした軌跡を描いて美しい。殺戮者はどうしようもないくらいに自分より優位に見えた。
やがて追い詰められたクトウの腰から刃が挽き抜かれて二輪のきらめきがじゃれあうようだった。時折刃と刃が、美しい弧と弧が重なり合うと幻想のような(実際夢幻の中なのだが)火花が散ってその瞬間だけ蒼く冷たく光る相手の眼差しがこちらを捕らえているのが見えた。一度ならずクトウは倒れる時に、なぜ自分が術を使わなかったのか、そのことに気がついてから暗闇に沈んだが、帰ってくる度に、その事は忘れて今のように格闘に興じるのだった。振り出した刃が相手に触れたと思った時に、チッと掠めるような音がして首筋に熱が走った。やがて熱が失われて、くらりと力が抜ける。自分の方の軌跡は僅かにそれていたようだ。また同じことの繰り返しかと、内心うんざりしたが、ふと自分の刃にも血液が付着しているのに気がついた。一瞬、間があって眉間からトッ音がし、矢羽が見えた。そこで意識は途絶える。膝が抜けてもっと暗い場所へ落ちていく。
再び河原であった。今度は闇から矢が飛んでくる。流星のように音を後ろに引いて幾つも放たれる。クトウは見えないはずの矢をかわしていった。辺りの地形は処々起伏を含み複雑だ。時に身を伏せては頭上にやり過ごし、影を背負っては楯とした。やがて、矢が尽きると足音を忍ばせて敵はやってくる。すでに何度も行ったやり取りだった。だからクトウは刃を抜き、それに備える。ふとその怜悧な刃先に粘着質を感じた。薄っすらと生臭い。なにかが脳裏に引っ掛かってきた。
そう思うと、やはり考える間もなくきらりと弧が描かれてクトウは身体を動かした。攻撃は鋭さを増している。始終クトウを追いかけて必ず主導権を奪うのだった。“狩と同じだ ”クトウは感じた。狩の最後の詰めと同じ、うまく追い立てて落としどころにはめ込むのだ。今は自分自身が獲物だった。刃が掠る度にフツフツと音がして衣装の端が切れ切れになっていく。ぴゅっとクトウが縦に鋭く刀を振るうと刃先にかすかな手ごたえがあった。するとそれに答えるように、今までに倍加する勢いで、幾つもの円弧がクトウを襲った。受け止めきれずに数撃斬られてよろめくように倒れると、自分を見下ろす男の姿が見えた。こんな事は初めてだった。最後の瞬間はいつも敵の姿を見ることは無かったからだ。
男はクトウと全く同じ姿をしていたが、唯一毛の色だけは深い茶色のような赤毛だった。片腕をだらりと下げて憎々しげにこちらを見ている。クトウの傷は致命傷ではなかったが、手足の腱を傷つけられて上手く起き上がれなかった。刀が振り下ろされて、クトウの胸に深々と突き立った。クトウの意識はまた消える。その最後の瞬間にポツリと声が聞こえた。
――なぜ消えるのだ?
再び河原だ。クトウは刀を引き抜いてみる。血がついている。間違いなかった。相手も切れば血の出る存在だ。辺りは未だ暗い。今度、クトウは自ら刀を抜いた。理由はどうあれ、自らの意思で刀を抜いたのだった。




