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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第二十二章


空を焦がす炎の幾つかの内、特に陋巷の火は被害が甚大だった。先ごろまでの長雨のお陰でもあり区画整理が成された地区は炎の進みが区画で止まったし、緑の多い地域では樹木が十二分に防火の役を果たしたが、雑多な貧民街は燃えるだけ燃えて、今も燃え続けている。そして、不思議なのは最初に出火したあたりで、これがまただいぶ焼けた。だが、この地域はマードゥの貴族たちの居住区とそれに隣接した地域でそれほど延焼するとは思われない区画の整った地域だった。これがどうしたわけか火勢が強くてなかなか消えなかった。騒ぎに乗じて火事場泥棒が頻発したのもこの地域だったが、盗人どものその多くが強すぎる炎に飲まれて焼けた。やがて強引な消火活動で火こそ収まったが、こここそが大惨事と言うもので、白い石造りの塀は無残に焦げて、特徴的な造りのマードゥの邸宅はことごとく燃え崩れた。あちこちで焼死した人の腕や足などの燃え残りがその姿を晒していた。おかげで、マードゥ街とも呼べるこの一角はすっかり往時の風情をなくしてしまった。死者も圧倒的にマードゥ族が多かった。だから、後には特にティキ族マードゥ族の間で、マードゥの帝国時代の業が祟ったのだという噂が流れた程だった。

そして、墓所のあった邸宅も半分近く焼け落ちていた。あの場にいたものは何とか逃げ延びたものの、彼らにとって、この騒動で失われたものは多かったが、なかでも件の王の遺体が人知れずどこかへ消えてしまっていた事に関係者たちは恐れおののいた。

一方、賊徒の首領は捕まらなかった。捕虜は大方が虚脱状態、譫妄状態になっており、ほとんど話も出来なかった。ただ、砕かれた防塁の脇にそれと思しい装束の遺体が転がっていたものの、損壊が激しくて断定は出来なかった。ひたひたと人の足音がする。それも静けさをともなう女の足音だ。よどみなく力強くそれでいてしなやかだった。

女は夕べの戦場に立っていた。瓦礫が散らばり、粘つく血の臭いがこびりついたその場所。その中を多くの人があわただしく行きかっていた。そこで彼女は、一人瀟洒に髪を掻き揚げては愁眉を歪めてみせた。まわりには屈強な男が数人。いずれも正装した狄鏢の鏢師たちだった。彼女は栄啓を通じて身柄を保証されていたが、彼がいなくなった後にとっとと街に舞い戻っていた。彼女の行動はすぐに局の知るところとなり、ほどなく彼女は本部へと連行された。


その彼女が、なぜこんなところにいるのか?


捕まったものの中に、組織の幹部と思しき者がいた。ここに寄ったのはその人物がこの奥に囚われているからだった。自分がかつていた群れのその残骸に二、三の悪態をつくと李如はそちらこちらを見て回った。それから、門の中を覗いた。門は打ち破られて秘所をさらけ出したような間抜けなざまを晒していた。それが何か酷く彼女の癇に障った。しかし、そもそも、彼女には機嫌のいい時か悪い時しかないようなものだった。もっとも、その癇気が押し殺しても押し殺してもまわりを圧倒するので、大の男も彼女に逆らえないような彼女独特の美しさと迫力を醸すのに一役買ってはいたのだが……

門内に入ると石造りの坂が暫く続いたが、全く混乱した跡を残していた。本来ここは二つ門が連なった一つ目の内になっていたが、嵩の版図に入って後に、奥の扉は取り払われた。しかしもっと以前にはやはり門は一つきりだったそうである。現在の城はマルドバシュ帝国時代の建築であるが、この石畳の基礎はそれ以前のものだった。こうした城の一部の基礎と、深奥にあるいくつかの建物はマードゥ族の以前、ティキ族たちの手になるもので、よく見てみれば全く趣を異にしていた。そんな石畳もいつのまにか終わり、堂の中に入り、しばらく行くと案内の者が現れた。その進むにしたがって足を進めるといつしか薄暗い牢獄に着いたのだった。

繋がれているのは数人、おおかたは憔悴しきった様子で、たまにこちらを見上げるだけだった。彼女が見たことのある顔もあればそうでない顔もあった。程度の差はあれ、例外なく、みな負傷しており、顔の崩れた者や手足のない者もいたので、本当は知っていたのかもしれないが判断がつかなかった。

それにしたって、彼女が知っていた組織の規模を超える数の人間が動員されたという事はわかった。半ば狂人の群れを見るような僅かな侮蔑と哀れみをこめた視線を投げかけると、促されるままに歩いた。たった一日でこうも臭うのかというほど生臭いような糞尿臭いような、なんともいえない人の臭いが鼻を捕らえた。

「李如さま!! 李如さま!!」

不意に横合いから声がかかった。頭を包帯で巻いた男がすがるように格子にしがみついて手を伸ばした。どうも片目を失ったようで、巻かれた包帯の右眼窩はぺったりと平らになっている。

「ほう、私がわかるの?」

李所は僅かに近づいて答えた。

「李の姐御でがしょう?」

わからないわけがないという風に男は答えた。

「わしはずっと外にいたんだ! 姐御もそうだったんでがしょう? 帰ってきたら他所からいろんな奴が俺たちの仲間に入って、誰が誰だかわからねぇ。大老様もいなくなっちまってて、気がついたらあそこで戦っていた。それでも、わっしはわっしは……」

何か訴えようとしたが、それは声にならなかった。この男は李如が出奔したことも知らないようだった。

「つまらん苦労をしたようだねぇ、下らん話になったもんだよ 」

李如は諭すように声をかけた。警護の男たちがわざとらしく咳払いする。李如はそれ以上振り返らなかった。ガンと音がして、後ろで先程の男が崩れ落ちたのがわかった。李如にはいくらか思うところがあった。

最奥の房にその人物は座っていた、格子に背を向けて。服装はボロボロだったが、身体の方は全く平安といった様子だった。その姿を認めた李如は横の者に耳打ちした。すると、鍵を持ったものだけを残して周囲の者はみな下がった。牢の錠はゴトリとなって外れた。そして、李如が牢に入ると再び物々しい音とともに締められたのだった。

「馬漢、あんた生きてたのかい 」

李如から声をかけた。

「裏切り者か? よくもおめおめと出てこられたもんだな 」

「何が裏切り者なもんか、私は大老についてきたんだ。湘阮ごときについてきたわけじゃないよ 」

よくよく見てみれば、すっかり拘束されてこちらを向けないようになっていた。

「ふん、結果論だな。お前が去ったのは大老が亡くなる前じゃないか。それに湘阮さまは大老から全権を譲り受けた。それに逆らうのは裏切り者だ。ほかに言い様があるものか 」

石のように冷えた声で馬は答える。些かかすれた声ではあったが硬く響いた。李如の声とは対照的だといってよかった。李如は馬の口から出た湘阮さまという言葉を嫌悪した。すえた果物のを裸足で踏んだかのような嫌らしさがその言葉にはあった。そもそも李如は湘阮が大嫌いだった。

「その湘阮さま(・・)は、くたばったわよ、石弾に当たったのかしら? 五体バラバラよ。罰が当たったのね 」

春の日の少女の様に歌い上げるように言う。そう能天気にほがらかに、そして無邪気にだ。

「あのお方がそう簡単に亡くなるわけがあるまい。俺ですらこうしているのだからな 」

冷たく言い放って、身の内にふつふつと力を集めていた。

――そうとも、お師さまがそう簡単に死ぬわけがないのだ

馬漢は密かに身体の骨をずらし始めた。チャンスをうかがっていたのだ。

「ふん! あんたが無事だとなんであいつが無事って話になるのさ?」

「俺が途中まで手引きしたのだ。当然だろう?」

「なんだって? 」

李如は聞き返した。それも、さも驚いたように。

馬漢はあのときの真相を得々と語りだした。


巨石が陣地に飛来してからは全くの混乱だった。さしもの湘阮といえど、あの巨石に当たってしまえばそれまでである。まさしく、味方は総崩れとなろうという時に、彼の術にすがっているような今の状況で、湘阮が姿を消してしまえば、どうしようもなくなる。馬は供を一人つけると、慌てて前線を離れて陣地奥の湘阮のところへと向かった。

岩石が全てを砕いて飛来する中で湘阮は馬漢に話した。

「おお、馬よ。昨日よりの術、今完成した。これよりこの者らをしたがえるがよろしかろう 」

そこには見たこともない男が八人、いずれも血走った眼をして立っていた。

「お師匠、陣がもう持ちませんが、いかがいたしましょうか?」

「うむ、扉を破る算段はついた。考えるまでもない。陣はもう不要だ 」

外では怒号とも悲鳴とも着かぬ音で満ちている。重く腹に響く音が一定の間を置いて次々に鳴っている。最初は距離を測りかねてか、それとも城に当たるのを遠慮してか、前線だけに降り注いでいた石の弾は徐々に陣の奥にも降るようになっていった。

「敵の門扉が開きました!!」

報告の者が入ったそのとき、すぐ隣で爆音がなり湘阮の帷幕が引き裂かれた。報告はもう一方の前線からだった。湘阮が指を鳴らすと、その使者は紙切れになった。

「ちょうどいい、行こうではないかえ?」

一見、普段の調子で湘阮はするすると歩いていった。馬は流石に気が気でなかった。先ほどの怒号はどうやら敵がなだれ込んだ声のようであった。だとすれば、敵は今すぐにでもここへやって来るだろう。いくばくかの土煙が煙幕のようになって、周りを塞いで些か突撃が弱まっているのかもしれない。我が軍の戦いぶりは若干の種を知っている馬漢にとっても空恐ろしく感じるほどだったため、それが将兵の頭に残っているのかもしれない。

しかし、そんなことなどどうでもいいぐらいに、こっちは少数で包囲されていて、おまけに投石などという、想定外の攻撃を受けていたのだ。本来、衆寡敵しないところへ、幸いにも湘阮の術をおおいに施されて感覚が麻痺して、恐れも知らぬ、痛みも知らぬという様であったから、特別の合図を送る頭領がそれ言えば手足がもげようとも、歯で喰らいつくのだ。彼らはそんな異常な状態で戦っているのだった。これを阿鼻叫喚といわずになんと言うおうか?

だが、当然といえば当然だが、だれもそんなことは気に掛けるはずもなかった。気がつけるほどの分別など、そんなものはここには残っていなかったからだ。ついついと進むと、城門は横木をへし折られ、あちこちに凹みと皹が入っていた。彼らがやってきた時、門は不気味なまでに静かであった。薄暗く、隅のほうは確認できぬような、そんな静けさだった。

今までの攻勢で破れなかったのが嘘のように、射手も門衛も消えて、門は開け放されていた。よくよく目を凝らしてみれば、門衛の兵のの半数ちかくは既に討ち死にしてむくろを晒しており、逃げ去った後だったのがわかったが、それすら解らぬように静かであった。

その静寂は湘阮の一指で簡単に打ち破られた。湘阮が指を鳴らすと闇の奥からいく人かの男が立ち上がってきた。男たちは先程から引き連れた八人同様恐ろしい目をしていた。

この静寂こそが湘阮の用意していたもう一つの術の成功した証だった。一種の呪いの類で、時間をかけて効果を発揮するくらましのようなものだった。敵兵はまんまと術中に陥ったが為に城門を開いたのだ。

本来ならかかる筈のないような技が効果を発揮したのは、彼の技がまだ古代において生き生きと戦場を駆け巡った頃の力を僅かでも持っていたからに違いなかった。往古の呪術は戦の(すべ)でもあったのである。馬漢はこの人物に出会ってから、そういった古代の秘術に魅せられて付き従い、そのうちのいくつかについて、僅かだが湘阮より習う事が叶った。それは恐ろしく稀有な事だった。

「湘阮さま。どうも、ここまでのようにございますな 」

馬漢は言うと逃走用の着替えと護衛の為、自分の共を湘阮に差し出した。

「ふむ、如何にする? 貴様にここをまかす 」

「しからば、その衣装、拝領仕りたく存じます 」

湘阮は“そうか”というと、衣装を脱ぎ捨て、ひたひたと城中に消えていった。数瞬の後に辺りは怒涛に包まれる。馬は男たちを解き放った。男たちは見る見る姿を獣へと変じて駆けていった。あとは打ち寄せ砕ける波に全て飲み込まれ、馬漢は気がつけば囚われの身になっていた。

そこまで聞いて李如はいった。

「何が手引きだよ! 忠義者ぶりやがって、結局置いていかれただけじゃないか 」

そう鼻で笑ってみせる。その李如の所作を笑うように馬漢も嘲るように言った。

「私は信頼されているのだ。その意味が解るか? 今なら許してやらん事もないぞ 」

馬漢の身体は不気味に脈動した。骨がせりあがり一瞬背虫のように身体が歪んだ。

「つまり、これしきの牢など抜け出す術は……」

首がぐるりと回転して李如を覗いた。

そう、この牢さえ抜け出せば、まだ湘阮の術の影響が残っているここの者を煽動するくらいなら容易いのだ。


しかし、そんなことはもはや叶わなくなった。


するりと心地よい感触が首元を掠めたかと思うと、胸にトンと軽い感触があった。すぐ近くに女の匂いがした。身体が上手く動かない。異変に気がついた時には手遅れだった。


警護の者が戻ると、奇妙にねじくれた男の死体があった。女は一瞬冷たい目をしたが、いささか怯えた風に男たちに近寄った。そして、檄して自分に襲い掛かろうとして死んだのだと語った。彼女の髪が解かれていたので、皆なんとなく奇妙な気分になった。

李如は床に落ちた簪を拾った。

「ずいぶん、使い込んであるように見えるな 」

誰ともなく誰かが言った。

「ええ、お気に入りでね、よくと手入れしてあるのよ 」

にっこりと笑って李如は言った。

「それより、伝える事があるわ。早速戻りましょう 」

李如は湘阮を許す気はなかった。彼女の足取りは強く、決意を感じさせた。


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