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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第二十一章


 クトウは人の形に戻って街に入った。辺りは騒然としている。先ほどまですぐそばにいた女は外で見たのとは違う姿になり、クトウの肩に一羽のカラスとなって止まっていた。雑踏を行く人の声も、足音もそわそわとして落ち着きがない。クトウはイライラして上手く曹懐の気配を追えなかった。途切れ途切れに感じる気配がより苛立ちを募らせ、やがてそれも途絶え始めた。

 それでも、クトウはかすかに残ったそれを探した。まるで子供が華やかな出し物の浮かれた陽気に誘い込まれるように、かすれたような痕跡を追いかけていくうちに見慣れぬ路地裏に迷い込んだ。その路地に入った時、クトウの目にはちらりと翻る紅い髪が見えた。警告するようにカラスが翼を打ったがクトウは止まらなかった。

 クトウは後を追っていった。酷く懐かしい思いが胸を打つ。いつのまにか駆け出して追いかけている。呼吸が弾む。髪を揺らせて逃げていく背中が徐々に迫っていく。それが粘性の液体の中を進むごとくに遅々として感じられる。上下に揺れる相手の身体の動きも非常に緩慢に見えた。それでも一歩ごとに二人の距離は縮まっていき、やがて手を伸べて届くところまで近づく。空気を割るように耳に鳥の羽打ちの音が飛び込んだ。彼女は振り返る。

 すんでのところで捕まえようと伸ばした手が止まり急激に元の世界に引き戻されていった。二人の間には見えない溝が出来たようだった。彼女はクトウのよく知る人物だったが、彼女自身ではありえなかった。

「このあばずれめ、ワシがいなくなれば好き放題の様だな 」

少女特有の高い声がまるでしわがれたように響く。口から紡がれた言葉はコルキセ語だった。

「いい加減くたばればいいのに! この爺は!! いつもいつも邪魔をしやがって 」

カラスは羽を膨らませておおいに憤った。イラついた調子が全身に満ちて、その赤い舌先が火を噴いたようにちらちらと相手を侮蔑するのだった。

「精々、吼えろ馬鹿な女め! ここでは、その姿では、それしか出来なかろうからな! クトウはもう貴様のものではない、俺の弟子だ。貴様には渡さん。戦士にはならない 」

「生意気を言いおって! 人間の癖に癪に障る奴よ!! クトウ、クトウ、私のクトウよ、やっておしまいな 」

カラスはすがるような甘え声を出した。いっそう強く爪先が彼の身体に食い込んで、クトウの身体はぴりりと甘い刺激を感じた。そして再び少女に向かって手を伸ばした。だが、少女はその手をひらりとかわした。

「毒婦め、貴様の誘いで沢山の人が死んでいった。貴様の接吻(くちづけ)で死んでいった。大切なものが失われた。祭り奉っても、それ以上のものを欲しがる欲張り者めが! クトウはそちらには行かぬ。なんともはや、この子がいてよかったわ 」

それは落ち葉が風に転がるような足運びだった。クトウはそれを追いかけたが、その軽やかな足運びに翻弄される。クトウが捕え損ねてよろめくたびに肩の上のカラスは悲鳴を上げた。そして、徐々に少女の歩みは速くなっていく。ついにはたまりかねてその肩から飛び上がった。

「忌々しい! 小娘め!」

自らその目玉をえぐってやろうと、近づいたカラスだったが、そのくちばしが届くことはなかった。真黒なその身体に一点、茶色の羽が突き刺さった。大きな鷲の風切り羽根だった。どさりと地面に落ちて暫く地面でもがき苦しむと、だらりと舌を出して動かなくなった。

「この場所は貴女の場所でなく、ワシは貴女が思うより近くにいた。貴女もまたこの地の者に呼ばれているのだろう。神々とは言え呼び合うこともあるのだな……」

娘は今度ははっきりと老人の声で言った。

「ふざけた事を申す。だが確かにここはあいつの庭よ。よろしい、今は退きましょうぞ! 生意気なガキめ。しかし、この子は私のものよ。そう、私に捧げられた子。私の貢物(クトウ)……あなたがいつまでお守をやるつもりかしら? 人間にそんなことは出来なくてよ?」

そういうとカラスは見る間に骨と化して、さらさらと風に吹かれて消えていった。

エイリクは最初何のことやらわからなかった。目の前にはクトウが倒れていた。エイリクは見慣れた路地を張士像の元へと急いだ。


皆壌の西方、東を目指すティキの天幕の中に一人の老人が、大汗をかいて苦い顔で座っていた。

「そうならばそれまでよ。じゃが、ワシの弟子はそれほどやわではないわい。ふー、しかし本当に世話のかかる事だ。たまたま、あの子が見つかったからよいものを。そうでなければ、まずいことになっていた 」

そう言って呼吸を整えていると、天幕の持ち主が入ってきて尋ねる。

「どうしました? なにやら苦しそうですがなにかありましたか?」

そう言って、水を椀に汲んで渡した。老人はそれを一息に飲み干してから言った。

「ありがとうございます。 なに、ちょっと年甲斐もなく身体を動かしてみたのですよ。ははは、息が切れてしまいました 」

笑って見せると相手は驚いたような少し馬鹿にしたような顔になった。

「ご老人が? この狭い場所でですか?」

「そうですとも、こんな具合にのう 」

そういうと、座ったところからトンボを切って見せた。あっ!っと驚く間もあろうか、老人は大鷲に姿を変えて天幕の扉を押しのけると

「この数日の間、本当に世話になり申した。用が出来たので一足先に参る。しばし後にまたあいまみえるでしょう!」

そう言葉を残して、あっという間に紺碧の空に小さな点となって、やがてそれも消えていった。男と外にいたその家族はあまりの事に唖然として立ち尽くすしかなかった。



――鷲は遠く東の街を捉えていた。



         ○          ○       



 依然城内は膠着していた。門前の賊徒どもは思った以上に結束して、即席の防塁を築き上げていたからだ。知府膝元の正規軍は市街で戦う事に慣れていなかったし、鏢師は城攻めのような状況に戸惑っていた。開門して打って出れば話は早かったのだが、知府はどうしてもその判断がつかなかった。賊徒二千の意気は相当以上に上がっていた上に、湘阮の魔術の効果でまるで悪鬼のようだった。実際にここまで合流した部隊はみな一騎当千の兵へと変貌して、身を傷めるのをものともしなかった。

 湘はこの機に乗じより大きな術を用いるための準備を開始した。彼の一族に伝わる憑鬼の術である。それから、密偵を放ち、城下に火をつけるよう指示した。不審火の延焼が失策の元であったが、彼はそれをみて町を燃やす事を考え付いた。もちろん近くに火を放つのは現実的でもなかったが、離れたところならば、直接被害をこうむる事もなく、人手を少しでも裂けるだろうと言うのがその狙いだった。もはやこの地に彼らの味方などいないとわかってからはいくら街を壊そうとも気にならなかった。

 その指令は密かに場外にも伝えられて、大挙して侵入するはずだった部隊もようやく動き出した。今まで指令がなかったこれらの人々が、三々五々、個別に徒党を組み進入し、南西地区と北門周辺に火を放った。新たな武装集団の活躍と、広がった火は広場周辺に集まった中でも特に鏢師たちを現場から引き剥がし、徐々にだが確実に効果を発揮した。そうした状況が挙兵から半日の間に展開していた。

外からの侵入者に気がついた将軍の指令で皆壌の門扉は閉ざされる事となった。しかし、消火活動に奔走する人々、街から出ようとする商人たち、また、親族の安否を気遣って入ってこようとする人の群れに城門付近は混乱し、皆壌側は休む暇もなく立ち回ることになった。この街は北方最大の街というだけあって、やたらと広い事も大変な理由だった。しかしそのお陰で燃えているのは一部区画で、街の中に避難できる場所がいくつもあった。混乱を鎮めるため鏢師たちや役人たちは積極的に人をそこへ案内した。


その晩、街は暗い夜空のそちこちに橙の明かりを点して燃えた。


そして一夜明けて、広場は不気味な静けさに包まれていた。


 長く戦いのなかった街に起きた混乱の火種は、火事によってその爪痕を街に刻み込んでいた。包囲する側の調停の兵士たちの顔はこの降って沸いた騒乱に対する苦々しさに満ちている。いまだ、遠くに幾筋もの煙が棚引いて、今も大事なものが失われていくのが解る。兵の半数は極北州の人間であり、この街の出身者は少なくない。よそから来た者でも、この様な僻地に来たものは現地で妻子を持つものも多かった。さまざまな不安と怒りが彼らに去来していた。


 この日、このままでは埒が明かないと見た軍はとある兵器を導入する事になった。中型の投石器である。一晩のうちに、街に溢れた残骸は敵を打つ弾丸として利用された。錘のついた投石器が十基ほど広場の裏手に急遽配備された。積み上げられた防塁をなぎ倒すための作戦であった。

作戦は日が高くなる頃に行われ、結末はあっさりとかたがついた。人の背丈の三倍ほどもある投石器からの攻撃は簡易防塁など瞬く間に吹き飛ばして、相手からの応戦も虚しく終わった。これがまた、飛距離があったため包囲の向こう側から飛んできたのも効果を大きくするのに一役買った。まさに石弾が降って沸いたのである。悲鳴が湧き上がった。敵の防備が前面に集まったところへ飛来する一抱えもある石が瓦礫の防壁ごと怒れる戦士たちを粉々に粉砕した。

 ところが、事態に変化が起きたのはその後だった。防塁を壊され、逃げ場がなくなった敵の征圧に白兵戦が始まった時の事だ。あろう事か閉ざされた城門が開いてしまった。後に生き残った者の話では、急に辺りが静まって後、勝利の時の声が聞こえたという話だが、もちろんそんなことがあろうはずもなかった。

 さらに不可思議な現象が起きた。今までどこに隠れていたのか、数体の野獣が出現して、あたりをかき乱したのだった。急ぎ殺到した兵士も、殿中護衛の者も、この予想外の出来事に、本来容易に片がつくはずの闘いで徒に被害を増やしたのだった。

 ただそれも、序盤は皆壌側を混乱に陥れるも、数の違いには抗えず、次々に討ち取られていった。やはり、投石器によって兵士たちの大多数が死傷したのが大きかった。それに比べて、皆壌側はその数を減らすことなく、相手がばらばらになったところを各伍()(嵩の軍隊の最小単位で五人一組を伍という)で追い回してとどめを刺した。途中、逃げ遅れた文官が血刀下げた侠客に卒倒するという場面もあったが、大きな被害は出なかった。実際今度の事で問題なのはいまだ消えざる炎と、辺境にあるのにもかかわらず実戦の少なさからくる能力不足を露呈した武官たちの力だった。




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