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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第十八章


 一方、捕らわれの三人はそんな事は露知らず、あいも変らず幻覚および不安と戦っていた。おかしいとみんな思っているのだがどうにもならないのだ。それがいつからそうなのか、そもそも、ずっと夢を見ているんじゃないのかと思うのだった。しかし夢から醒める事は出来ず、追いかけてくる巨大な腕と格闘し続ける。この術にかかると体力の続く限り止ってしまう事が出来ないのだが、三人とも体力が並外れているため、幸か不幸か、もうずっと動き続けている。帰ってきた曹懐が一度様子を見に来たのだが、そんな事には気がつかなかった。そして、曹は三人を自分用の人形にしようと思っていたので、動けなくなるのを待っていた。ともかく曹はこの日が吉日だと思ったら、とんだ厄日であったことにすっかり腹を立てていた。全身に残る深いな疼痛感を除き、全力で雪辱戦に当たりたかったので、人形に出来る限りの指示を与えると、三人に占拠された部屋とは別の特別な部屋に篭った。彼は仕切りなおした気でいた。


 しかし、この日の彼の災難はまだまだこれで終わりではなかったのだ。


 彼の森に動く人影があった。クトウだった。クトウは虎魁に密かに呪物を与えていた。それは本人が気がつかないうちにこっそり仕組まれていた。呪術師は所定の相手にこっそりなにかを忍ばせるのは得意中の得意である。虎魁が必ず問題の中心に近づくと見越しての行動だった。しかし、常時一緒に居るわけには行かなかったのだ。ともかく、クトウはその呪物を介して、曹懐の本拠にまでたどり着いた。問題はそこからどうやって虎魁のいる場所にたどり着くか? であった。クトウが到着したのは、ちょうど、曹懐が地上に現れたところだった。クトウは難渋した。なぜなら、虎魁は地面の下にいるらしいのだが、いるのはわかったがどういう理屈かわからない。出入り口が全くわからなかった。だから、主人を待ち伏せをする事にしたのだった。手遅れにならないかが心配だといえば心配だった。いやに意気揚々とでかけた曹懐が不気味だったのだ。自分が奪った腕もなぜかついていた。

待つこと数刻、霧に消えていった男が、帰ってきた。全身しっちゃかめっちゃかにかき回されていて、どうも自分の抱いていた不安が杞憂だったとわかった。こいつは包突にやられたのだと、クトウはすぐにわかった。北方呪術に独特の松葉の香りが遠くから鼻をくすぐった。クトウは他人の術の余韻に紛らせて自らの術をこっそり忍ばせた。後は簡単だった。曹懐ともあろう者が知らず知らずにクトウを屋敷へと導いてしまった。

クトウは秘密の回廊の手順を知ると、虎魁たちの救出にむかった。例の螺旋の底に降りていくと、クトウはその熱気に驚いた。三人のつわものが、獅子奮迅、飛び回っていたためにすっかり蒸し風呂のようになっていた。クトウは地下に降りると暴れる三人に殴られないように気をつけながら、その間を縫っていった。

 そして、石棺の上に立つと、三人に注意しながら、手のひらからさらさらと粉末を出した。空気中に舞ったその粉にすばやく石火を切ると、瞬間、白く光りながら燃え上がった。一瞬、三人の動きは止まり、束の間、棒立ちになる。それが長く続くたちのものでないことはクトウには了承済みだったので、間を置かずに次の行動に移った。すかさず、脇にぶら下げた竹筒の栓を引くと、中身を三人めがけてぶちまけたのだった。真っ赤な液体が飛び散り辺りは凄惨な様になった。その赤い液体は一見して見えるのとは違って、血液ではなかった。特殊な泥とある木の実の果汁を併せて二晩ほど置くと出来るのだった。ほのかにすっぱいような鉄臭いような粘っこい臭いがあたりに満ちた。

すると三人に変化があった。急に目を白黒させ始めた。三人の目にはなんだか気味の悪い原色の帯が明滅しているのが映っていた。それはまるで墨流しのようにヨタヨタとのたくって視界をふさぐのだった。

やがて、いつの間にか身体は動くのをやめていたのだが、本人たちは気がついていなかった。目を擦るように手を動かそうとして、初めて自分の体の異変に気がついた。ゆっくりと天地が入れ替わっている。まるで酔っ払ったかのように。そして、それに呼応するように身体がゆらゆらと揺れ始めた。

クトウはそれを見定めると、おもむろに太鼓を一打ちした。するとバンと強く音が鳴り三人の身体はどさりと崩れ落ちた。まるで糸の切れた操り人形のように、三人はところどころ汗の溜まった床に転がって痙攣していたが、やがて静まった。

 それから、クトウが合図出すとともにむくりと起き上がり、クトウの方をぼんやりと見つめた。その様子を確認するとクトウは手を重ねて笛にするとボーっと低く長い音を出した。それから布切れをひらひらと頭上に旋回させる。それがまるで蝶々のように見えた。ふと気がつくと布は何かをはらみ、ふわりと地面に落ちる。そしてその布をつまみ上げて懐にしまうのだった。それを三回繰り返した。もう既に彼らの中から幻影は消えていた。だが、その代わりに彼らの意識はクトウの手中にあった。虚ろな瞳で中を眺めて、惚けたようにクトウの指示に従うのだ。これは結構な邪術だったが、同時に混乱した状態を強引に回収するときにも持ちいられる一種の緊急手段でもあった。

 クトウの導きにしたがって、彼らは部屋をでた。一歩外に出ると、広間の螺旋は嘘のように消え去っていて、地下に部屋などあったとは思えない。どういう道理か、一体全体彼には理解は出来なかった。曹懐が長年かけて生み出したものはそうそう他人に見破られる類のものではなった。クトウはそこではっとする。入ってきた時と何かが違った。

 残しておいた道しるべがないのだった。じっとりと汗が背中を伝う。ここは敵中なのだ。改めて思う。そして、その胸に若干の期待も走る。あの霧がもたらした感触を思い出して……



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