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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第十七章

門衛の劉はまるで幻を見ているような思いだった。さっきまでそこには何もなかったのだ。ふと地面に顔を落として、再び顔を上げてみると、そこには気持ちの悪い老人がこっちを向いて立っていた。驚いて数歩後ずさると背に何かがぶつかった。はっと振り向けばそこにはニタニタと笑う醜い壁のような顔があった。これは如何に? とて刀を抜こうとすれば、その手を俄かに掴むものがある。手だ、何かの腕が、腕だけが彼のその手を掴んでいた。

あっと驚く間もなく、どこからか無数の手が生えてきて、彼をがんじがらめにした。もがく彼の足元に巨大な口が現れて彼を飲み込んでしまった。そこは一面の顔かお顔、顔の壁に包まれて奈落へと落ちていく。叫ぶ事もかなわないままに彼の意識は顔に埋め尽くされて何も解らなくなった。


霧が出ていた。それも重い濃霧がどこからか湧いてきていた。劉はしかしこの霧すら目にすることなく消えた。


門前では四人の人間が口から泡を吹いて痙攣している。うち一人は、先ほどの劉だ。その真ん中をゆったりとした道服の男がまるで無人の野を行くように歩いていく。時折堪えかねたように不気味な笑みを浮かべながらひたひたと進んだ。


「くしゃくしゃした顔が近づいてくる 」

結界の守り手が言った。その場には七人の道巫がいたが、みな険しい顔になった。精神を集中させて、余計なものを拒んでいた彼らはそれが只者でないことに気がついていた。それを三重にしてそれぞれにそれぞれの守役がついている。残りの四人は予備と護衛士だった。一番初めの結界の男が言う

「門衛はみなやられた。化け物め!! ん? ぐうぅぅぅ! 」

徐々に冷や汗をかいて蒼い顔になっていく同志をみて戦慄が走る。その眼前で彼はまるで何かにすがるように手を翳して立ち上がった。

「いかん、なにも見えん……なにもわからん!! おお!!!」

それだけ搾り出すように叫んで口からごぼごぼと血を吐いた。そしてうなだれたまま彼はピクリとも動かなくなった。

「馬鹿な、こんなにあっさりと……」

手助けすら間に合わずに逝った仲間の姿からそっと目をそむけ、それから新たに覚悟を決める。結界の守役は顔を見合わせるとお互い対面して、第二の結界を二人がかりで張りなおした。そのほかの四人の男は呪具と武器を手にした。



           ○          ○


まずいな、包突は思った。外の結界が一枚破れたのが解ったからだ。それがあまりにもあっさりと境界線を踏み破ったので、時間がないことが察せられる。きっと護衛の道巫どもが迎え撃ちに行っているはずだが、この結界をやすやすと破るようなものにどれほど太刀打ちできるというのだろうか? 包突は儀式の身代わり人形を兎朴に渡すとそっと席を立った。誰も文句は言わない。そして、この場を仕切っている者にも何が起きたかが解った。だから、包突が何のために出て行くのかも了承していた。

さて、包突は考えていた。俺じゃああれに正面からは立ち向かえない。かといって横合いから防ごうにも相手の術も解らなければ、進行を止めることもできないだろう。なにせ、マードゥの連中の張った結界がこうも容易く破られるなら、自分の力だけで防ぐなんていうことは考えない方が良いだろう。

――困ったなぁ、ヤレヤレだ――

心の中で呟きながら、墓所の入り口に立った。そして辺りを見回す。やはり、あたりは霧が覆っていた。結界の作用の内側にあるからか、それほど酷い様ではないものの、墓所の中ならわかった気配が、逆にここではわずかにしか感じられない。白一色に塗りつぶされるかのようだった。包突はぐるりと墓所の周りを回り拝礼してから僅かな気配をたどった。着いた先はなかなかに凄惨な光景だった。見えるのは五人、その中ほどに怪しげな道服の男が傲然と立っており、その周りに四人の道巫が散らばっている。結界の際にいる一人を除いて、みな溺れた様にもがき苦しんでいた。果たして武器を使う暇もあったのだろうか? 地面に散らばっているそれらはまるで使われたようには見えなかった。その気で向かってくるとこれほどとは……包突の予想をさらに上回っていた。

「さてはて、今度は思ったよりは骨があるのかのぅ?」

曹懐が言ったのは当然ながら自分の前で震えている道巫でも今しがた駆けつけた包突でもなくて二人張りの結界の方だった。どうも四人にかけた術はこの結界の中の一人を害する事が出来なかったらしい。ぽんと放っただけの術では通り抜けられないとなれば、先ほどのものよりもずっと強力だという事だ。そして近づいてみれば確かにばちばちとうるさく刺激が走る。へたり込む狄の道士をまるで無視しながら、ぐいぐいと手を差し入れていく。やがて、いっそう強くて硬い感触が障って曹懐は身体ごと毬のように弾かれてしまった。

「うむ、これはちと強引だったかのう?」

さしたる事もなさそうに立ち上がる曹懐だったが、横から現れた人物が包突と知ってにんまりと笑みを浮かべた。それは怖気のするような笑みだった。

「あー! あの時の一人だな?狄なんぞはみんな同じに見えて気がつかんな 」

蛮族らめと嘲笑した。

「世話になった、世話になったよ、本当に世話になった。君らがいなければ、ワシには手出しができなんだから。そして世話になったよ、あの狄のガキには本当に・・・・・ワシの大事な腕をようももぎ取ってくれたのぅ、じゃが!!」

ヌッとたくし上げた腕は枯れた老爺のそれではなかった。その腕がただ若者のそれだというだけでなく、何か仕掛けがあるのはすぐに見て取れた。手のひらの中心にルビーのような宝玉がはまっている。それはきれいな柘榴色に輝いていた。

「こうなったわい 」

そう言ってから、その手をぐっと握りこんで見せて胸を三度叩いた。曹懐の胸の奥からごぼごぼと球体がせり上がってくるのが見て取れた。包突は慌てて、ウンといきむと呪詛を飛ばした。飛ばしてからしまったと思った。こんな程度ではあっという間に返されてしまうのではなかろうか? 防がれた呪いは返るものなのだ。

「ぬむ!?」

一瞬、曹は目の前が眩んだ。何か異質な感じの呪詛だったからだ。それからのどがなにかに締め付けられたようになった。ぐしゃりと喉の奥で何かが呪詛が潰れて、その鼻からは煙を噴出した。いったい何をされたのか? 防がれるはずなどないと思った呪いは逆に敵の手によって彼の体内で爆ぜたのだった。間一髪だった。包突はすかさずへたり込んだマードゥの男を引っ張って奥へと逃げた。逃げる道々に刻んだジブ松の葉をぱらぱらと落としながら、玄室の前まで急ぐ。そして、先ほどの入り口の前に着くと、木から削りだした人形を地面に四体立てた。

むせこんだ曹懐が涙と涎でしわくちゃの顔を上げると、そこにはもう包突の姿はなかった。

「おのれ、狄どもめ、妙な技を使いやがって! 舐めるでないぞ!!」

うっすらとまだ顔の孔という孔から煙をたなびかせながら、赤くなった目を剥いて地団駄踏んだ。それから気を取り直すと、両の腕をまるで熊の様に引き上げると、大きく息を吸い込み四つんばいになると、うーんといきむと口から大きな球を吐き出した。球はころころと転がると結界に触れた。球はするりと結界を抜けた。一枚の目に見えない皮膜を通り過ぎるときに僅かに発光して静かに停止した。(しっ)と短く擦れるような老人の発した声に反応し、その後、球はぱっくりと割れて解けるように消えてしまった。同刻、二つの死体が、くぐもった叫びとともに地に伏した事は言うまでもない。

「ああ、結界が消えた!」

包突は誰に言うでもなく呟いた。もはや、結界を張っていた奴らは生きてはいまい。急がないといけない。奴はすぐ来てしまうよ! そう思いながらもまだいくつかの準備が終わっていなかった。役に立たないお荷物を部屋の中に放り込むと、さきほど地面に立てた人形の前で印を組んで呪文を唱えた。そうこうするうちに、辺りはもうもうたる霧に包まれた。それでも包突は一心不乱に祈り続ける。その白い粒子がゆるく濃度を変えて棚引く中に薄っすらと人の形が立ち上がってくる。曹懐がやってきたのだ。

「小賢しく、まだ何かやっておるのか? 無駄よ無駄よ、格が違うわ!」

それでもその場を離れずに印を組んで置物のように動かない包突。小さく呪文を唱えつつ呼吸をひたすらに整えていく。

「うむ?」

曹は目をしばたたかせた。なにやら、包突の姿が霞んでよく見えないのだ。(たば)られていると感じた曹はイライラしながら足を踏み出した。そのとたんジブ松の短い葉が足に刺さった。これがまた毒でも塗ってあるのかというくらいに痛痒い。たまらずに霧に溶けて仕切りなおそうとするも、姿を隠しても隠しても、どこからか音もなく松葉が飛んできて、いっこう状況が改善しない。

「なんじゃあ、こりゃあ!」

松葉だらけになった曹懐は呻いた。そして、“怨”と短く唱えると左手で空を切った。あたり一面、火の手が上がり、松葉を燃やす。その炎は彼の身体の表面を舐め回し、あっという間に松葉は燃えて落ちた。しかし、その時の煙のために曹懐の目は真っ赤に腫れあがり、辺りはよりいっそう霞んで見えなくなった。さらに松葉は消えたもののちくちくとする不快感は増しはしなくともが消えることなく、その身を苛んだ。流石に舐めてかかる事をやめた方が良いと曹懐も気がついた。今度こそ本気で術を使う。ところが異変が起こった。気がつけば霧も引いてしまっている。術も使おうとしたがうまくいかなかった。

「何故だ?」

煙によって目が霞んでしまった曹には見るよしもなかったのだが、あちこちから地祇の眷属どもがあふれ出て、不思議な葉っぱを扇代わりにすっかり霧を払いのけてしまったのだった。そして、密かに包突が印を組み替えると眷属の毛玉どもはわらわらと曹懐に群がっていく。まるでネズミの群れのように、短い二本足で歩く毛玉どもはふわふわと身体を揺らして、二本の腕であちこちを引っ張りまわすのだった。曹はなんだか馬鹿に感触のいいものが全身を這いずっているのに気がついた。そのふわふわから、枝のようなものが出てあちこち引っ張るのだが、これが存外力があってあっちへ引っ張りこっちへ引っ張りする上に、時には肌をつねくっていくので往生するのだった。そして、術で炎を起こそうとしたり、雷を起こそうとすると、そのときに出てくる力を飲み込まれてしまって手の打ち様がなかった。曹懐はここに来てはじめて恐怖した。あいつにこんな力があるとは思えなかった。なのになぜ、わしがこんな目にあっているのか!? 曹懐は常に己が力を頼んで他を省みず、さらに典型的な嵩の知識人であったために北の蛮族の技などとるに足らぬと思い込んでいた。マードゥの多分に嵩化した道術なら、彼にとって見れば嵩の改悪の結果生まれた唾棄すべき体系であり、打破できてしかるべきだったのだが、まるで筋道の違う技にして、今散々に迷う事となった。

この技術の元はといえば、嵩の道術にも類型のものはあったのだが、五行の気の循環変化を重んじ、内錬して、自らの気を練る事によって万物をコントロールしようとする発想が強い嵩の術ではこの手の技は軽んじられていたのだ。包突はこの地の地祇に祈りをささげ、深く大地に身を沈めることによって、自分以上のモノの力を借りていたのだった。  

本来はティキ族の者も祭り以外でこの手の呪法を使う事を良しとはしない。自分の領分を越えた力を使う為に、相手に頼る行為は時に思わぬ結果を招くからだ。

しかし、事は差し迫っている。潔く、自らを放擲して捧げ、地祇に訴えたのだった。そのお陰で、包突は後に苦労する事になるのだけれども、今はさしもの曹懐もこの土地で狼藉に及ぶ事はかなわなくなった。ここにきて、目論見が失敗した事に曹懐は悲鳴にも似た声をあげた。いそぎ引き上げて、再び、襲撃すればいいはずだ。だが、こんな事で! まさかこんなところで思わぬ邪魔立てを喰うとは! 泣く泣く目の前の獲物をあきらめざるをえなかった。それも、退こうにも術が使えないので、仕方なくよれよれと重い体を引き摺りながらだ。身体を震わすとわさわさ群がっていた連中がふるふると零れ落ちた。少しずつ悪態をつきながらもと来た道をとって返す。いったいどれほどの規模でこの仕掛けが起きているのかが解らないのが少し心配だった。せっかく新調した新しい腕も、今回は役に立たなかった。重い体をかばいながら屋敷を後にする。

最後の門を潜り抜けると身体に群がった毛玉どもは、はらはらと落ちていった。なるほど、ここからは術が使えるのか! と霧の術を使って戻ろうとした。

しかし、その前にこの怒りをどうすればよいというのか? このままおめおめと引きさがれというのか? 彼はその煮えたぎる思い近場にあった建物に当り散らしていった。



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