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北狄伝奇  作者: 夏実歓
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第十六章

 再び気がつくと二人がいたのは森の中だった。生えているものを見れば、それがどのあたりかは見当がつく皆壌周辺からそう離れてはいない。大体の見当はつく、しかし具体的な場所はわからない。感覚が麻痺したようになっている。ひりひりと耳の奥を焼くような感触がして、鼻の奥が焦げ臭かった。栄啓が気がついたとき、既に虎魁はあたりを探っていた。辺りには新旧含めたいくつかの人の痕跡があったが虎魁は追跡の当たりをつけていた。栄啓は手に握っていた布切れを見つめて今のが夢でなかったとはっきり感じていた。そこには小さな赤い玉が不気味な光沢を放っていた。


 周閨は森を走る。頭が割れるほどに痛む。胸に喪失感があった。全てが失われたとは思わなかった。相変わらず超人的な力が溢れ山野を獣のように走ることが出来たからだ。しかし、とても大事なものがなくなったとわかった。体に走る衝撃に耐えかねて走り出した彼は、木々の間を跳梁するように動き回り、それから強烈な頭痛と吐き気によって藪の中に倒れこんだ。あれだけ走り回ったにもかかわらず疲労感は無かった。ただ、ひどい吐き気と全身の痛みが絶え間なく彼を苛んだ。そして嘘のように冷たい汗が噴出してきた。異様なほど冴え渡る感覚が鋭く彼の脳を刺していた。両腕で身体をかき抱くようにしながら大木の根元に転がっている。めまぐるしく天地が入れ替わるような錯覚が襲い、目も開けていられなかった。やがて脳の底に何か硬くて冷たい感覚が生まれ、いったい自分がどうなってしまったのかわかってきた。もう、とうに人間ではなかったのだ。覚醒が段階を経て、彼に人の心が完全に蘇っていた。どれだけ時間がたっていただろうか。未だ痛む頭を抱えながらゆっくりと目を開ける。

目の前には虎魁と栄啓が立っていた。

「……目が覚めたか?」

虎魁が尋ねる。苦痛に顔を歪めながら周閨は一言“殺せ”といった。

「全て目が覚めた。俺はもう死んでいたも同然だ 」

木々の枝などで傷ついた手足から血が流れている。もはや刀槍不入の身体ではない。虎魁は頷いて短剣をかざした。しかし、それは栄啓にさえぎられた。

「まだ駄目だ、こいつを殺しては駄目だ 」

上から下目でじろりと見回してから続ける。

「ここからが本番だ。こいつにはまだ役に立ってもらうことがある。第一ここはどこだ? お前は何だ? そしてこれもだな 」

栄啓は布に包まれた玉を出した。

身をかがめて諭すように言う。

「おい!」

虎魁が叱責するように栄啓の肩を引く。虎魁もそういうことを思わないわけではなかったが、彼には武人の倫理のようなものがあって、それがこういう姿勢を好まなかった。

「おいじゃない。ここでこいつを殺してやってどうなるんだ? 俺たちはこの先が知りたいんじゃなかったか? それともあんたはここで当てもなく、なんだかやばそうな森をふらふらして、それで自分だけで何とかなるつもりか? 」

「そうは言わない。しかし苦しんでいるものにこれから何をさせるというんだ。敗者への礼儀もあるだろう 」

ふむ、と頷く。

「くだらんな。昔からそんな道徳家だったのか?どこのウマの骨ともつかない相手に礼儀か? まあいいさ、それならこういうのはどうだ?」

「俺は一度こいつを助けた。俺は覚えている。 恩知らずは忘れたかもしれないがな。そして、たったさっきの事だ。俺はお前をこいつから助けただろう? 流石に忘れたとは言わせない。一度俺の顔を立ててくれたって構わないだろう? こいつの身の上は俺のものだ。礼儀にもかなっている 」

虎魁は黙った。

「こいつはどうやら自分が死にぞこないとでも思っているようだが、あの様を見たろう? あんな動きができる奴がそうそうくたばりはしない。それにしたってだいぶ弱ってはいるし、あちこち擦り切れてるところを見れば、今なら刃物で挽けば切れもするだろうが、問題はなぜ刃が立たなかったかだ。俺はこいつの身体にいくつか違和感を感じた。その一つが腹にあったこれだ。殴ったときに明らかに響き方が普通の人間にはない感触を感じたんだ 」

それがこれだといって今一度先ほどの玉を見せた。

「そして、まだまだあんたの身体にはこんな違和感が幾つもあるんだ。あんたもう死んだようなものだって言ったが、ありゃあどういう意味だ? いつからそんな体になった? さあ、話してくれ、知っている事を 」

促されて周閨は拒むでもなく訥々と話し出した。それは不思議な話だった。謎は解けたとは言いがたかったが、それでもいくつかの話が繋がっていった。中でも彼の主人についての話は核心だった。

「さて、ここからが問題だ。俺たちはそいつをどうにかしたい 」

「ああ、このまま仕事の邪魔をした奴をのうのうとのさばらせておくわけにも行くまい 」

軽口を叩き首筋をだるそうにかきながら、虎魁も頷く。森の中は閑として鳥も鳴かない。ただ不気味に静まり返っているだけだ。不気味な森だ。皆壌周辺にこんな森があるとは記憶にない。ただ、植生からはそんなに離れたところではないはずだった。

「おい、お前はどうする? 何か知っているか?」

周閨に虎魁が尋ねた。

 周閨は痛む身体を起こして、ゆっくりと立ち上がった。そして、ついてこいといって先に歩き出した。その姿勢には迷いがなかった。不思議なもので、周閨の身体からはいつの間にか傷が消えていた。その様子は自分が人間でない事を如実に示していて、どことなく嫌悪感を憶えた。だが、胸の支えがとれたように思え、一足ごとに自分の身体と心を取り戻している喜びはその嫌悪感を上回った。虎魁は伸びやかに身体を動かす周閨の様子が、跳躍する牡鹿のように思えた。程なく地衣の堆積した丘が見えてきた。そこだけ岩とコケの類の塊に覆われなだらかに盛り上がっており、それを樹木が避けるようにしていた。しかしそれだけで他に何もない。周閨がつかつかと進むと地衣の群れは柔らかくその足を包みこみ離れると押し返し、欠片もその跡を残さない。

 後に続こうとする二人を手振りで押しとどめると、四つんばいになり堆積物の中へ手を突っ込んで何かを掴んだ。そしてそのまま、うんと引っ張ると苔山全体が一瞬ぶるぶると震え空気の抜けるような音がした。それからこんもりと盛り上がった土地から水気が染み出して泥沼のようになる。周閨は腰半ばまでそこに沈みながら二人を手招きした。二人は一瞬躊躇したが注意深く周閨の後に続いて、その緑の泥の中には入っていった。粘度のあるそれがどぷんと音を立て、酒の澱のようにずぶずぶと身体を飲み込んでいく。まるで底がないように足の力に応じて沈み込む。どうやって歩いているのか妙な感触だ。ともかく二人は時折、緑の飛沫を上げながら進んでいった。

 やがて、二人が胸元まで沈んだころ周閨はもはや頭がかろうじてそこにあるのがわかる程度に沈んでいた。周閨が一度、首を伸ばしてからするりとその緑の沼に潜っていった。トプンと音がしてそれきり気配が消えた。残された二人も覚悟を決めたように潜水する。潜りきるとゴボッと鈍い音がして視界が開けた。あのどろどろとした粘っこい重みがなくなり地面に足がつく。不思議な事に身体のどこにも濡れた痕跡はなかった。まるで最初から何もなかったのごとく全くきれいなものだ。なんとなくジトッとした様なごわごわした様な不気味な感触だったが、たどり着いた場所は実に清潔だった。そこは立派な屋敷の中のようだった。調度品や床や壁は白い大理石のような石で出来ており、つるつると心地よかった。天井からはぼんやりと明かりが灯っていた。よく見れば丸く平らな石がいくつかそこに埋め込まれており、その石が発光しているのだ。三人はその硬質で足の裏を跳ね返すような床を音もなく進んでいく。途中わら人形のようなものが忙しげに向こうからやってきてすれ違った。ぎょっとした栄啓が周閨に尋ねると

「あれはここの主の下僕だ。身の回りの世話は人形どもにやらせているのだ。どういう理屈で動いているのか解らないが、命令するものがなければ決められた仕事をするだけだから気にする事はない 」

虎魁は既に皆壌で泥人形たちを見ていたのでそれほどは驚かなかった。その後に現れた人形どもはわら人形の他にも、もっと人間様の態を取ったものもありいくつか種類があるようだった。それがまめまめしく物を運んだり掃除をしたりしている。先ほどの一団はきっと三人が入ってきた後を片付けるためにやって来たのだと周閨は言う。 

 怪しげなというよりは、どことなくふざけた光景だった。中には周閨に礼をして通り過ぎるものもあった。それでも人形どもは所詮人形でしかないのだろう。三人は大胆に邸内を闊歩して目的の相手をめざした。邸内はいくつかの廊下で通じ合う部屋によってなっていて、中心に向かう十字の通路と緩く弧を描き最も外側にある部屋を貫く外壁のような回廊が中心的な役割を担っていた。そして、中心に向かえば向かうほど地下に降りていく仕組みになっている。井戸のある部屋が二つあるのだが、そこはあまり目的と関係がないので省く。実は皆壌にあった邸宅も同じようなつくりになっていた。というよりは同じものなのだ。実際は影と光であり、裏と表を成していたのだった。どちらかと言えば、あちらが表玄関であり、見えないとはいえ街中に構えられていたのに対して、こちらは秘匿されるべき秘密の要塞である。

あの館が消えて以降、街の各扉と禁呪で閉じた森を繋げ本拠に直接出入りでいるように改変されたのだったが、もとより訪ねる者などいるはずもなかく、虎魁と栄啓は初の来訪者であった。持ち主が基本的に自分の興味以外に反応しないのを反映してか、外からは霧によって見ることができず、入り方がわからない。また、例の緑の丘によって外界から隔離されている以外に防備らしい防備もなく無造作とも言えるほどの開けっぴろげさがかえって不気味であった。

 粛々と仕事をこなす人形以外に動くものはなく、屋敷自体がなにかの機能として存在している感じがした。発光体の埋め込まれた壁は時折呼吸でもするように瞬いている。そしてその体の奥深くに一足ごとにもぐりこんでいくのだ。あちらこちらに折れ曲がった後に、三人は屋敷の中央部に入った。もともといたところから、見えた場所であるのになぜこうも引き回されたのだろうか? そういう疑問が頭を過ぎった。

そこは広間のようになっていたが、おおよそ客を迎えるような場所ではなかった。虎魁はそこで既視感に襲われた。そこに並んだ物の数々が忍び込んだ屋敷で見たものとよく似ていた。それが無秩序にぶら下げられたり投げ出してあったりした。その中を周閨がガラクタを蹴飛ばしながら進んだ。広間の真中あたりの床をこつこつと叩く。するとぼわんと煙が立ち昇り、ガタガタと音を立てて床が変形した。

「正しい道順でなければ、ここは開かないのだ 」

周閨はそう言った。らせん状の階段がまるですり鉢のように続いていて、その底にぽっかりと開いた口があった。また地下へ降りるのかと思いながら足を進めると、底の穴の下はおわんを伏せたような部屋があった。穴の口から梯子がかかっており、それを伝って出入りするようになっていた。部屋に下りてみれば、そこは全く玄室とでも言った雰囲気で、うすく靄がたなびいている中に棺のようなものがドンと置かれてあるだけだった。

「なんだ、ここは?」

栄啓が呟いたが答える声はなかった。狼狽した周閨がきょときょとと辺りを見回した。

「そんなはずはないのだ! ここにはもっといろいろなものが、そして何より主がいるはずなのに 」

血の気が引いていく音が聞こえるようだった。天井の穴に靄が吸い上げられるように昇っていき、縄梯子がざらざらと音を立てて落ちてきた。

「あ! 」

「カカカ! 少し遅かったのう。上手くいかぬものじゃ、ワシはほれこの通りよ 」

ぬっと天井から切り落とされたはずの左腕が突き出された。ひらひらと揺れる手のひらが憎らしい。

「この野郎! 」

栄啓が短剣を投げつけるも腕はそれをはっしと捕らえ投げ返す。投げ返された短剣は栄啓によけられて、カラカラと音を立てて床を転がった。ゆれていた腕に不意にぐっと力がこもった。と、見る見るうちに腕が膨れだした。またたくまに大の大人をわしづかみに出来そうな大きさになって、ぶんぶんと暴れだした。

「何なんだこいつは!!」

栄啓は叫んだ。虎魁はまたこの手の奴かとうんざりしたような顔をしていた。部屋には遮蔽物は棺くらいしかなく、その棺をひっくり返して縦横に暴れまわる腕は手がつけられなかった。打とうが突こうが通り抜けてしまうのに、こちらは一方的に叩かれ引きずり回されるのだ。三人は跳躍奮迅しながら次の手を考える。話し合う間もないので当然一人一人が勝手に考えるのだ。もしやあの穴が閉まってしまったら出られないのじゃないか? という思いが、今更の様に浮かんできて、みんな唐突に安心できなくなった。なんだって馬鹿らしい、今までいろいろな苦難を乗り越えた大の男が三人もいるって言うのに! そう思って冷静になろうとすればするほど、不安が加速していくのだった。何故不安が拭えないのか? それも解りきったような事が気になっている。

 

 そうやって転げまわる三人を曹懐はじっと眺めていた。実際は天井から腕など生えておらず、ただただ、棺の上に一人の老人が座っているだけだが、三人は気がつくことが出来ないだろう。すなわち、これも一つの術、幻術だったのだ。三人はまさしく老人の手のひらで踊らされているのだった。

三人は混乱と疲労が大きくなって、やがて天地もわからなくなる。“袖に相手を包む ”という名の術であるが、曹懐の使う術はいつの間にか忍び寄り、気がつく間もなくその天地を奪ってしまう。よほど慣れたものでもやすやすと摑まってしまう強烈なものだった。それというのも彼の得意とする霧の道術の応用がたっぷりと組み込まれた代物で、普通の“袖の中に相手を包む”術とは比べ物にならない出来になっていた。

「さてと……」

 十分に術がかかったとみた曹懐はゆっくり立ち上がった。彼の懸念は周閨に施した仙丹から自らの道術の瓦解する事だったが、肝心の丹薬はどうも彼の体内にはないらしい。

 最初はその丹薬の効能を周閨の意思に上回られて企みが瓦解したのではないか? と思っていたがどうやら違うらしい。もしそうであれば、彼は丹薬の力を使いこなして、こんな幻術は瞬く間に破ってしまうのだ。あれは破幻破邪の効力著しく、術の類を破り去ってしまう。彼がそう作ったのだ。

しかし肝心要の丹薬がなければ、周閨は恐ろしくはない。後の二人など、この彼の城の中では(実際は皆壌周辺ですら彼の庭になっているから、この街ではと言い換えても言い)多少腕が立つ程度の人間は相手ではない。修行を積んだ道士や呪術師のような技を持つものでなければ、たとえ目の前にいても彼本体にはたどり着く事すら出来ないからだ。曹懐は新しい左腕をさすってみた。

若々しい肌のはり、磁器のような滑らかさを持ち、こぶしを握れば、しなやかに躍動する。無様な老境の体に妖しく、まるで白百合のように輝きを放っている。枯れ木に接木された若枝の美しさが、そのアンバランスから一人の人間の形を却って歪めて怪しさが滲み出している。老人は身震いするともうもうと煙を噴出し、渦を巻いて天井へと吸い込まれていった。久方ぶりの外界へと赴いたのだ。



 屋敷を抜けると、一足飛びに外へ出た曹懐は森の中からじっと街の方に向けてカッ目を見開いた。目に森の空気がひんやりとしみて、分泌物と眼球の間に薄い膜が出来たように感じる。その薄い液体の層に蜃気楼のように揺らめく像が浮かぶ。彼の所望の品がそこでまつられている様子が見える。幾重にも垣を施されたそれはしかし、彼にとって児戯に等しいものと映った。穴だらけの垣根などに霧を妨げる術は無いのだ。そう思うといても立ってもいられなくなった。しわがれたのどから不気味な笑い声を森に響かせて瓦解していった。


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