第十二章
白が街に着き、長老たちに報告に向かうその途上のことだった。白は不思議なものを目にした。何故かはわからぬが、虎魁が目の前にふらりと出てきたのだった。本来なら棺をみんなで運んでいるはずの男がなぜ一人でそんなところにいるのか? それも、服があちこち破れ、擦り傷だらけのような状態で。最初は夢かと思ったが、虎魁は明らかに本物だった。わけはわからぬがともかく声をかけた。かけるしかなかった。かけられた方も、どうしてこんな所――ここは、マードゥの貴族たちの居住地の近く、しかし若干はずれでほとんど人も来ないような場所だった――にいるかはよくわからないようで、ただ、のっぴきならない事態になっていることだけは両者とも理解できた。
ともかく、このままでは埒が明かないので、ともかく白のお役目どおりマードゥの屋敷に報告に行く事にした。しかし、白には一つ虎魁には解らない不可解な気分があった。理由は虎魁の出てきた屋敷であった。白は長年この街に住み、道巫としての修行をしてきたが、この屋敷にほとんど覚えがなかったのだ。それが、しこりの様に頭の片隅にあって、なにか妙に不安になるような気分にさせるのだった。
報告に屋敷を訪れると、そこは上を下への大騒ぎだった。使用人たちは忙しく立ち回り、家族は涙に暮れていた。
「おい、何があった?」
今まさに出て行かんとした使用人を捕まえて訊ねると
「はい、先ほど突然ご主人様が亡くなりまして……あんなにお元気でいましたのに 」
「それは本当か!?」
白は相手の肩を掴むとガクガクと揺すぶった。
「た、確かです 」
相手はそう言うのがやっとだった。家人の制止も聞かずに“ごめん ”と一言言ってどしどしと中に押し入ると果たして、皆壌マードゥの長は確かに息絶えていた。白は手足の力が抜けるのを感じた。屋敷の装飾がやけに頼りなげにぐらぐらと揺れている。まわりの騒ぎが遠くに聞こえた。しかし、白はうなだれたままではいなかった。もっと酷い事が起きていると感じていた。それに新しい族長も必要だった。そして、それにも増してあの屋敷がやはり気にかかる。そう思った白は途方にくれる前にもう一つだけ調べたいことがあると、虎魁に告げて例の屋敷に向かった。虎魁も着いていくといったが、虎魁には局へこの事態を知らせて欲しいと頼み、白は単身屋敷に赴いた。
白が無人の屋敷に入っていくと、どうも何者かが争った形跡があった――当然の事だろう。なにせ、ついさっきまで虎魁と何者かがこの場で戦っていたのだから――それが入り口から入ってすぐの応接間のようなところであって、さらにその奥には怪しげな呪具やら祭壇があった。
その道具の中には彼のよく知る道具もちらほら見えて、ここが道術を使う者の居住であったのがよくわかる。祭壇は何かをぶつけでもしたように崩れていて、そこには椅子が一脚半壊して転がっていた。
何とはなしにした予感だったが、どうも的中しそうだ。壊れた祭壇の一角に数体の人形が散らばっているのが見えた。呪術に用いる土の人形だ。それが、壊れて散らばっていた。破片を集めてみると長老連中の人数と同じだけ散らばっており、その全てに呪文が書き込まれていた。傀儡の術だ。それが昨日今日に行われたのではない事は墨の具合から見て取れた。もうずっと前に術を施されていたのだろう。そもそも、今回の話も些か強引ではあったのだ。なぜ今頃かつての王者の再埋葬などしなければいけなかったのか、もっと疑問を持つべきだったと白は思った。何者かが呪いを使って長老たちに影響を与えていたのだ。おそらく、族長だけでなくほかの主要な長老たちも生きてはいまい。彼らの災難はのは本当に偶然のことで、たまたま、この呪いの人形に災厄が降りかかったのだ。祭壇が壊された折に土でできたこの人形たちはすっかり壊れてしまっていた。呪いを受けていた本人たちはこの人形と運命をともにしてしまったのだろう。そして、やはりこんな建物に見覚えがなかった。いったい何が起ころうとしているのか?そんな時、不意に人の気配を感じて白は物陰に身を隠した。
○ ○
湘阮は放っていた使鬼が帰ってきたのを感じた。つまり、あの場所に変化があったのだ。この事実を知るとすぐに現場に赴いた。あれはいったいなんだったのかを知るために。そして、もし邪魔になるようなら排除するために。行ってみるとそこには大きな屋敷があった。中に入ると、なるほど、持ち主の趣味がよくわかる。ありきたりの呪具に加えて、おおよそ人形の材料になるようなもの、もしくはそれそのものがそちこちに見える。それもだいたい人形といって考え付くものはほぼ全てだ。本物の人皮もあれば、土塊、葦、布、そんなものが人形に加工される途上であちこちにぶら下がっている。もっとも、それに詳しいものが見なければその正体――つまり人形の元であるということ――はわからないものも多いだろう。現に湘阮だとて、専門でないのでわかりきらないものも多い。そこにあるものの傾向で推察しているに過ぎない。ただ、その推察は当たりだった。ここにいたのは稀代の人形師、人の形に取り憑かれた男だった。しかし、その執着も今では一つの目的の為に寄り合わされて消えてしまった。そのためここは彼にとって用済みになっていたのだ。抜け殻、そう、抜け殻だ。この基地は仮の宿に過ぎなかったのだ。それが証拠にほら、あの隠蔽の霧が晴れている。そして、ここにあった痕跡を消すために、引導を渡すが為に、最後のからくりが動き始めていた。いったんは引いた霧がどこからともなく再び噴出してきた。そして、霧が屋敷を覆う頃、屋敷の中庭の地面がボコボコと隆起しだした。処分者達だ、もちろんこれも人形だった。ぐずぐずと崩れる地の底から、目鼻も口もない人間大の土人形が館の痕跡を飲み込んでいく。壁を壊して、家具を取り払い、更地に戻していく。その後には草や木を植え、まるで元からそうであったような形になっていく。まるで、田に苗を植えるようだと、南から来た湘阮は思った。あっという間に半分が更地になった。すると物陰から明らかに人形でないものが飛び出してきた。白である。
「おや、人間がいたのかね? 」
湘阮は白に向かって問いかける。
「これは貴様の仕業か?」
白は警戒しながら訊ねた。
「ほほほ、拙が犯人とな! 愉快じゃわいな。そなたはそのような形をしながら修行が足らんようじゃのう 」
高く笑って言った。
「どれ、ちょっと見てしんぜようや 」
涼やかな目が怪しい光を宿した。湘阮にはちょっとした遊びのつもりだったが、白は全身に虚脱を感じた。
どうした術かは知らないが、湘阮の一挙動一挙動が抗いがたい誘引力を持って迫ってきた。脳に何かを埋め込まれるような強烈な眠気が彼を襲った。
「ぐぅう……」
白は倒れると見せかけて、懐で印を組み、指で地面にさっと防御の陣を書き付けた。そして、なるべくそこから動かぬように倒れると、懐の針に指を伸ばした。そしてチャンスが来るのをじっと待った。正面から行っても絶対に抗い得ないと経験が告げていたからだ。
「あれ? ほんに他愛ない 」
くすくすと笑う湘阮の様子にこれはいけると思った。しかし、急に腹の底から力が抜けて大地に縫いとめられてしまった。思った以上に相手の術がかかっていたのだった。伏すという行動を取った事が即ち、相手の術の誘引にかかった形となって、それが自らの意思とは別個に身体に作用したのだった。そして相手の余裕はそれを見越してのことだったのだ。ほれほれと馬鹿にしたような声をかける湘阮に伏せた顔を真っ赤にして抗う。ようは指の一本で良い、動けばそこから術を解くすべがあった。この指先を僅かに針で破ればよい。
「ここでくたばれば人形どもが処分してくれようのぅ?」
ひたひたと歩を進めて相手は近付いてくる。
「おい!」
その時、湘阮の後ろから何者かが声をかけた。白には良く聞きなれた声だった。何せこの半月ばかり一緒に旅した男なのだから!
「このオカマ野郎! 何しやがった!!」
虎魁は吠えて、湘阮が振り向く間に飛礫を投げる。その狙いは正確だ。過たずに湘阮の眉間に小石が突き立ち叫び声が上がった。
「悪いと思ったがな白、気になったんで着いて来たんだよ 」
虎魁はそれだけ言って湘阮と対峙した。
「うぬ! 蛮族めが!」
よろめく湘阮。集中が切れたのか、術の効力が弱まった隙に白は渾身の力を振り絞り指を動かした。針が鋭い痛みとともに指を突きそれをきっかけに体が自由を取り戻す。飛び起きるとその血の付いた針を湘阮めがけて投げつけた。
「甘いわ!!」
湘阮は飛んできた針を掴みとった。ハッと顔色を変える湘阮。
「爆」
白の一声で針が爆ぜる。湘阮は咄嗟に手を放したが爆発を避けきれるはずも無かった。右袖が大いにこげて切り裂いたような傷がその青白い肌に一条はっきりと付いている。屈辱に顔をゆがめる湘阮に対して虎魁が杖で打ちかかった。湘阮には生身で虎魁の攻撃を受け止めることなど叶わなかった。激しく吹き飛ばされながら満身創痍で立ち上がった。そしてすばやく懐から呪符を取り出し投げつける。虎魁はそれを杖で払った。
「それを捨てて早く!!」
白の声が響く。何やら分からずとりあえず杖を投げ捨てる虎魁。すると杖はいやらしい臭いを立てて一瞬で腐ってしまった。湘阮がチッと舌打ちし不思議な足踏みをすると湘阮の顔つきがその足踏みに応じて変わっていった。
「来い!!」
不適に構えたその姿はどう見ても今までの彼ではなかった。虎魁がとまった。隙が無くなり、うかつに踏み込めないのだ
「気をつけろ! 奴は何かを降ろしたぞ!!」
白が言う。降ろしたとはつまり、神掛りになったということだ。なにがしかの武神、闘将の類を体に宿したのに違いない。突如として達人の気配をまとっていた。仕掛けがわからない虎魁はうかつに攻め込めない。
「来ぬのか? ならばこちらから行くぞ!」
そう言って残った片袖を引きちぎるとそれを呪文で刀に変えて襲い掛かった。速い! なるほど先ほどまでとは本当に別人だ。虎魁はそう思いながら、足元から短剣を引き抜くと迎え撃つ。相手の初太刀を受けては後手に回ると、間髪先に虎魁が踏み込み続ける。攻守が逆転するも束の間、流れに巻き込まれぬように刀を大きく旋回させて、そのふり幅にものを言わせ湘阮が取り返した。しかし、虎魁は短剣でその根元を受け止めつつ流れるように側面に踏み込む。
そのまるで踊るような闘いに白は疑問を感じていた。いくら何かを降ろしたからといって、あの男の体で使いこなすのは難しい。故に、虎魁に有利なはずなのだ。もちろん、虎魁が飛びっきりの達人であるということの上でなのだが。実はこれには理由があった。ガンガンとぶつかる太刀が火花を散らす中、虎魁は相手の得たいが知れない以上攻め手に見せて受けにまわり、相手の油断を誘って有利な闘いに持って行こうとしたのだった。さらに虎魁は一計を案じた。受け流しの角度を僅かに変えたのだ。やがて、“ガキン ”と言う音とともに湘阮の刀が根元から折れた。そして、折れると同時に虎魁の短剣が首筋に迫った。身をのけぞらせて除けるも、それで詰みだ。貰った!! そう確信した虎魁だったが、湘阮はプッと口から何かを吐きかけた。それは血だった。その血の付いたところが、みるまに炎上する。虎魁は退きながら服を破きそれで叩いて消火する。幸いにして火勢は見た目ほどではなかった。白はその間に敵の影を縛ろうとするも、一足速く手届かぬところに逃げられていた。
「小僧どもめ! よくもやっておくれだのう!! もう目くらましも終りじゃよって今回は退くが、よう覚悟しておれ!!次回はこのような遊びではないぞよ?」
良く透る声が振ってくる。後を追おうとするがまるでグラグラと地面が揺れてうまく追いつけない。
「おい、まずいぞ 」
屋敷中からガラガラと音がする。辺りを見れば土人形達はあらかた周りを更地に帰して、残るは柱のみ。これはもしやと思いきや、案の定柱を倒しにかかった。倒壊しつつある建物から二人は一目散に逃げ出した。背後に建物の断末魔のような音を聞きながら霧から脱出すれば後ろに見えるのは薄暗い藪だけだった。それもごく小さいものだ。
「そんな馬鹿な……」
ポツリと虎魁が漏らした。
気が付けば、皆壌は再び雨雲に包まれていた。




