第十一章
その頃、クトウたち一行はようやく皆壌付近に到着しようとしていた。当然のことながら街には昼間に入りたかった。街に入るのに抜け道もないから手配済みの門から入ることになる。先に棺を偽装して、ただの荷馬車のようにして、それから手配の者に知らせの人をやっておく必要があった。そのため、前日の夜から、みなに先駆けて白が使いとなって皆壌に向かっていた。それによって迎えが来るはずだった。
一行の行き先は正式な墓とは別の王族専用の遺体安置所だ。それはいまだにマードゥ族の居住地域にあったのだが、その中のとある屋敷の地下にあって、彼らが覇権を失ってもなお、巧妙に隠されてきた秘密の場所だった。帝国の時代より、王者が死ぬとそこに行って決められた処置を施した後に郊外にある墓所にもって行く。実際使用されるのは本当に久しぶりの事だ。
さて、使いになった白は街道に出た後に妙な話を聞いた。街の縁辺に出没するという不審な男の話だ。薄ぼんやりとした霧の中にポツンと立っていたり、気がつくとすぐ横を歩いていたりするという。
誰かを探して回っているようで、知らないと答えればいなくなると言う話だが、嘘はばれるそうだ。また、手荒くあしらっても碌な結果にはならない。出会った者の多くは血の気の多い連中だったことも手伝って、相当に手ひどい目にあったようだ。ある人の言うには、男は狄鏢を狙っているという。物騒なことだと白は思った。そして、妙な話だとも。こんな街道沿いの道で他の者に目撃されることなく被害者だけ(・・)がその男と接触したというのだから当然だろう。所詮、噂の類だと思っても差し支えなさそうなものだが、街に近づくに連れてそうも言っていられないことに気がつく。実際に狄鏢の連中と二黒幇が争っているという話が伝わってきたからだ。そうすると、もしかすると例の噂の男も、その二黒幇とやらに所縁のものかもしれない。どういう訳かは知らないが、何者かがいるのは確かだろう。後ろに残してきた仲間は狄鏢の看板を掲げているわけではないが遺体のこともあり、少し心配だった。
同じ頃、他の皆は棺を隠すための覆いを用意していた。なにせ頑丈に閉じてはあるものの、見てくれはあまりにもボロボロだったし、乱暴に打ちつけられた針が所々飛び出ていて異様な雰囲気だ。いささか体裁を整える必要があった。宿場町から少し離れた人の来ない森の中での夜、この旅の最後の夜、彼らは棺を覆い隠す作業に没頭した。僅かな間にまるで数年経たように擦り切れた様子ではあったが顔は明るかった。
作業は進み、翌日早朝、暗いうちには森を出発し、辺りが明るくなる頃には街道に出た。日が傾く頃には皆壌にゆうと間に合う。ボロボロの格好も長旅の旅人と紛れれば思ったよりも目立ちはしていなかった。行きかう人はぼちぼちと増え始めて、街はまだ先なので、始終つめあっているほどでもないが旅の往来も俄かに活況を呈していた。石畳の道をたまに馬車が疾駆して行く。ここまで来たら、ああ(・・)いう(・・)迎えで回収してもくれれば快適だろうな! と虎魁が言う。どっと一同笑いあって違いないと言い合った。まあ、市中にはもちろん車の用意もあるはずだ、と玄が言った。それから、しかし、目と鼻の先なのになぁと冗談っぽく嘆いて見せた。
日が射し込んでいた。明るく、伸びやかに。
朝の光りの心地よさだ。
そうだったはずなのだ。
朝霧にはもう少し、いや、かなり遅い。
ぼんやりと視界が、景色が飲み込まれつつあった。
何が!?
みんなが霧に……
「おかしいな…… たったさっきまでは、あんなに明るかったのに 」
兎朴がいぶかしんで言った。正確に言えば今も明るい。ただ、視界が白い。隣の人影もぼやけようかという濃霧だ。気がつけば、行きかう人々がいない。完全に孤立している。この街道で……
皆動けなくなった。あんまりにも霧が濃かったからだ。暫くして霧が薄らいできた。薄らいできたというより霧の壁に閉じ込められたようにみんなのいる周りだけ若干視界が明晰になったのだ。ぽっかりと中心部に穴が開いたような状態の中で、みな異常な事態の到来にキリキリと身が引き絞られるのがわかった。棺を中心に円陣を組み警戒を怠らない。
「虎魁はいるか?」
その構えの中、まさに只中から突如声が上がった。
「なに!?」
振り向いたそこには一人の男がいる。
「虎魁はいるか?」
繰り返すその言葉は空疎だったが、瞳だけが貪婪さを持って周囲をねめつけていた。ぐるりとぎこちなく首が動く。やがて、その視界が虎魁を捕えた。
「お前だ! 虎魁だ! ははははは!」
跳躍一閃、他の者には眼もくれずに虎魁に踊りかかった。虎魁は驚きはしたが、相手を冷静に振り払った。弾き飛ばされると、転げながらその姿が霧の中に消えた。
「なんだ、今のは?」
あまりにも単純な動きだ。感情的で未熟だった。ただ、まっすぐに虎魁にむかって突っ込んできただけだった。そして、それはこの怪しげな状況の中で、あまりにも間が抜けていた。寸刻、辺りを静寂が包んだ。霧が音さえも吸収したように静かだった。その静かな白い闇がしっとりと纏わりついていた。
「あ!」
誰かが叫ぶ声を虎魁は聞いた。そして、虎魁はその直後、足元に現れた先ほどの男に押し飛ばされ霧の中に消えた。
その様子を黄は見ていた。それは霧の中から湧き出るようにして彼の前に姿を現した。濃霧の中で前方から人がゆっくり現れるものとは全く違う。霧の覆う地面から染み出してきたのだった。あまりに唐突で思わず声が上がった。それが一瞬の内に虎魁をはねとばして、あっという間に霧の中に消えていった。そして、かわりに別の人物が霧から姿を現した。
それは背の折れ曲がった老人だった。がに股のよちよち歩き、ギョロついた目、汚らしく伸びたありとあらゆる毛、そして、骨がちで筋張った腕。霧の中でも鮮明に見て取れるその形は全身で老いの汚らしい側面を表しているようだった。それが向かってくるのだ。気味の悪い引き攣り笑いを浮かべてこちらへ、いや後ろにある棺に向かって!!
――おいおいおい!! 絶対まずいぞ!!
黄の内心には焦りが生じた。
明らかに奇態!! 明らかな異様!!
それが向かってくる。まだ誰も気がついていないのか? それとも、動けないだけなのか? 俺も動きたくはない。黄は思った。だが運が悪い。彼は動ける。そして老人が進めば、そのまま彼にぶつからざるを得ない場所に立っていたのだ。だからここで自分がやらなければならなかった。老人は目の前だ。黄は気味の悪いのを我慢して石を拾い投げつけた。ガツリと鈍い音がして老爺は倒れた。額を押さえ痙攣している。
その様子に黄はほっとした。 “なんだ、効いてるじゃないか!”石が当れば倒れる。それが彼を少し安心させた。 “もう立ち上がってくるなよ!! “と内心思った。
しかし、彼の願いは届かず、当然ながら老人は立ち上がってきた。その様子は間抜けで滑稽ではあった。頭から血を流し嘆いて、何が起こったのかわかっていないような様子だった。本来なら骨と皮だけの爺なぞ、それでくたばってもよさそうなものなのに立ち上がった。驚嘆すべき事実だ。この状況で出てきたのではなかったら。だが、その緊張感のない寧ろ哀れなほどの老人はただの老人ではない。そう! 怪しさだけだ! そう黄が思いたかったが、そんなはずはないのだ。
おどけたような怯えたような仕草で老人がこちらを向く。血の滲んだ眸は怒りが満ちていた。“なぜ、邪魔をするのか!? ”そう問うていた。そして、黄の目の前から姿が消えた。
「貴様! 年寄りは大事にせんか!!」
それが突然、眼前いっぱいに出現し、唾を飛ばしながら大喝一声した。空気がびりびりと震えた。その醜いこと醜いこと、近くで見るとますます汚い爺だった。黄は腰を抜かして息も止まる思いだった。老人はひとしきり悪態をつくと、まるでおもちゃをもらった子供のように弾む足取りで棺を目指した。近くにいた兎朴が慌てて黄を助け起こした。
そして、みながあっけに取られているのをよそに棺の入った箱の周りを見回すと、ほうほうとしきりに感心していた。
「やっと、来た。いやいや、お前らじゃ、お前ら! お前ら遅いのぅ。遅くて遅くて迎えに来てしまったわい 」
いまだに流れる血もそのままにして嬉しそうに言う。
「いや、許す許す。これさえ手に入れば、この程度の無礼は構わぬわ。ようやった!!」
カカカ! と笑ってそう言うと遺体を暴こうと手を伸ばした。
○ ○
一方の虎魁も不思議な霧に閉じ込められていた。同じく霧の中だったが、明らかにさっきまでいた場所が違う場所にやられたのが分かった。今はむこうからの物音すら聞こえてこない。かわりに先程、自分を突き飛ばした男が彼と対峙していた。
「虎魁……みつけた!」
暗い恨みの炎が瞳に浮かんでいた。だが、その所作は落ち着いていた。先ほどの未熟な粗暴さはなりを潜め、きわめて丁寧といった感じだ。虎魁はその様子に緊張した。その身ごなしが相応の心得を感じさせたからだ。それは大きな殺気を押さえつけ、コントロールするのに十分だった。場所を吟味している暇は無さそうだ。そう思った矢先、静かな構えが一変して、鋭い突きが虎魁を襲った。静から動へと切り替わった相手が続けざまに繰り出す攻撃は虎魁をして触れる事をためらうほどだった。
――これはまずいな
そう思い、連撃に布を被せるかの様に回り込むと、横合いから体当たりを当てた。彼の体格から繰り出されるその一撃は激しく敵を揺さぶり吹き飛ばした。しかし、動揺を感じたのは虎魁の側だった。とても人の感触ではないのだ。さきほど突き飛ばされた時もチラッと感じたのだが今度は明らかだった。ぐしゃりと叩き潰されたような状態から跳ね起きると、素早く間を詰めると、後ろ足を前に強く踏み出し虎魁の僅か右斜めから飛び込むように強烈な右の突きを放った。そのまま腕の影に身を沈めると、内側に入り込こんだ。それに対して虎魁はその突きに向かい僅かに歩を進め右手を差し込むようにして逸らす。相手の威力の大きさに僅かに後ずさった。なにか既視感があった。相手は後ろ足をすぐさま引き付け間を詰めながら、踵をねじ込むような横蹴りを虎魁のわき腹めがけて打ち込む。
それを虎魁は右肘を擦り付ける様にして潰そうとした。鋭い同じ場所への二連撃だった。強烈な伸びと張りに、完璧には受けきれず、蹴りは脇腹をかすめた。間一髪で横跳びに退いた虎魁はそこまできてクトウを襲っていた相手を思い出した――あの時の相手、中々の手練だったあの男を――速さと威力こそ異なれ、仕掛ける時の癖はあの時の男を思い出させるのだった。そして、良く見てみれば背格好もそっくりだ。
しかし――
しかし、一体全体どうしてこの短期間に、このような腕前になれるというのか? とそういう意味ではとても同じ人物とは思われない。はっきりしていることは目の前の男が敵であり、気の抜けない相手であるということだけだ。
闘いは続いている。今度は虎魁が仕掛け、攻防は数手に及んだ。決着は中々着かない。時折、手足が体をかすめて、その度にうっすらと血が滲み、衣服が削げ落ちていく。そして、手足が交錯した瞬間、虎魁の体が一瞬わずかに沈み込んだ。鈍い音をたて相手の肘が逆に折れた。すかさずに追撃をしようとしたが、相手はそのまま折れた腕を振り回し、虎魁を巻き込んで投げ飛ばした。さらに投げ出された虎魁をそのまま踏み潰そうとしてくる。虎魁は転がりながら避けると同時に踏み降ろされる足を引っ掛けた。
が、その足は鋼のようでピクリとも動かなかった。そして、立ち上がる間もあらばこそ、地を巻き上げるような蹴りを連発して迫ってくるのだった。半ばしゃがんだ状態でそれをかわしていったが、避けきれずに両の腕で受け止めた。強烈な一撃は痛みとともに十字の受け手を弾き飛ばして、胸を痛打した。後ろによろめき少しでも威力を抑えつつ、相手から逃れようとした背中に壁が触れる。
これはまずい!
両腕は痺れて動かない、相手はまさに迫っている。その時だった。
敵が突然動きを止めたのだ。
「……親父殿だ 」
ぽつりと言って口角を歪めた。
「今度こそ止めを刺す。待っているがいい」
そして吐き捨てるように言い残すと、また溶けるように霧の中に消えていった。虎魁は手近に触れた物を霧めがけて投げつけた。ガラガラとすごい音がして何かが崩れたが敵の手ごたえはなかった。そして、あれほど周りを覆っていた霧が徐々に消えていった。
「ここは……?」
あたりがすっかり見渡せるようになると、虎魁は見たこともない屋敷の中にいた。虎魁が屋敷から出てみると見知った雰囲気の街の中にいた。そこは間違いなく皆壌で、そして、この屋敷は作りから見てマードゥ族の貴族の邸宅の一つだろう。
○ ○
「おおおお!!」
喚起の声とともに老爺はついに棺を開けた。暴風が吹き荒れて、黒い瘴気が棺から吹き上がった。風が霧と瘴気を巻き込み、その摩擦で稲妻が爆ぜた。まず化粧の箱が砕け、棺が炎上した。もう治める術はない。焼け焦げた棺の跡から死体が立ち上がる。見るからに背丈のある偉丈夫だが、まるでミイラのようにこけて頬骨に張り付いた顔に目玉だけが異様に生々しくギョロついている。青白い顔で口から煙を噴出し、踏みしめるように歩き出した。まさに死者と言えども王者の風格を備えた幽鬼の王とでも言うべき姿は、なるほど、一代の英雄であった。それが、身に積もった怨念で空気を軋ませながら迫ってくるのだった。
「カカカ! これだこれだ!!」
その迫力を前にして老爺の喜色満面の叫びが響く。ひどく癇に障るその声に、遺体はそちらを向いた。それから不愉快げに一瞥するとその木乃伊のような老人を叩き伏せるべく踊りかかった。だが、その跳躍が老人に届くことはなかった。
「緊!」
一声唱えて、老人が印を結んだ。今まさに叩きつけられようとしていたその腕が空中に吊り上げられて、みしみしと軋んだ。一声吼えると、空気を裂いてもう片方の手が振り出された。
「なんと!!」
驚愕の表情ともに、次の手を繰り出すまもなく老人が吹き飛んだ。空中で体勢を立て直しつつ、呪文を唱えると空気の中程をふわりと踏み一つ離れた所に降り立った。そこに戒めを解かれた遺体の雷光が走る。つぎつぎに襲う稲光に、老爺は休みなく跳ね回った。その余波にみなが小さくなっているのを尻目に、老人は縦横に跳びまわった。
やがて老人の呼吸が乱れた一瞬に稲妻が彼を捉えた。老人は直撃しようとした稲妻を呪文で防ごうとしたが、思いのほか稲妻の威力は大きく、その余波に跳ね飛ばされて地にしゃがみこんでしまった。ここにきて老人は大きく呼吸を乱し、苦悶の表情を浮かべた。そして、苦々しく歪めた口元から唾を飛ばしながら、何事か早口で唱えた。
すると、霧がまるで大きな手のように変じて、遺体に掴みかかった。
「遊び過ぎたわい。緊!!」
鋭く叱責するように言った言葉は先程までの余裕がうかがえない。眼前に腕を突き出すと、空中で握りこむ。すると霧の手が遺体を締め上げた。そして、握りこんだ腕を高く掲げてから地に叩きつけると、遺体も空中で跳ねて地に横倒しに叩きつけられる。ぶるぶると疲労と怒りで震え、顔を青くしながらも何度も遺体を叩きつけるのだった。
突如として繰り広げられたあまりに唐突な展開に、彼ら以外の残りのものは唖然として眺めているしかなかった。包突も玄も目を奪われていた。しかし、その中でクトウだけが冷静だった。遺体が老人に飛び掛った時点で、クトウは霧に紛れ、そして騒ぎに紛れて静かに成り行きを見守った。そして、老人が飛び回るのをやめると、その後ろに忍び寄っていった。クトウが敵に襲い掛かった時、その姿は著しく変じて、人のものではなかった。一頭の黒豹が突然その影を見せ、老人の片腕を噛み千切ったのだ。
「あ!」
叫んだのは包突だった。それが彼の脳裏に刻まれたあの獣にそっくりだったからだ。声にならない声を上げて老人は押し倒され、その魔の腕から抜け出した遺体が起き上がる。遺体は稲妻を放ちクトウを襲ったが、クトウはもぎ取った腕を稲妻に投げつけながら飛び退いた。瞬間爆発が起きて、腕は木っ端微塵に砕け散り、クトウはまた霧に溶けるように退いた。
「息子よ!!」
老人は叫び、顔を真っ赤にして、血の流れる腕を押さえて蹲っていた。そこへ先ほどの男がどこからともなく現れて、老人を担ぎ上げて再び消えるのだった。老人は“ワシの体ワシの体”と繰言のように言いながら、最後まで血走った目で遺体をにらみつけていた。
老人が消えるのとほぼ時を同じくしてクトウは遺体を押さえつけた。しばらく猛烈に抵抗していたが、やがて霧が晴れ、日の光に当たるとピクリとも動かなくなった。気がつけばクトウの姿は元に戻っていた。クトウは一瞬、凶悪な笑みを浮かべると瘧のように震え、白目をむいて倒れた。焼け焦げた棺から虚しく煙が立ち上っている。場所はどういう仕組みなのか、往来からかなり外れた人気のない場所だった。時間はほとんど経った様には見えなかった。太陽だけがいやに眩しく照りかえっていた。ともかく遺体が無事である事だけが救いであった。




