恋の相手
美しくバラが咲き誇る園でラコニアは目を瞬かせる。
「知っていますか?バラは美の女神が誕生した時に大地が女神と同じくらい美しいものを、と作ったと言われているのを」
なにそれ、くっさー!
ヘルミオーネは、心の中の叫び声といえども相手に聞こえるのではないか、と一瞬危惧するほどの大声を発した。表情は、貴族の令嬢らしく微笑みを称えたままで。
エウリュナは「バラの効果」と言ったが、明るい日差しの下で見たラコニア・アンティスは、じんましんが出そうなほど気障な男だった。
「まぁ、それでバラは花の女王などと言われていますの?」
なんて笑みを浮かべて答えているヘルミオーネも自分の肌にじんましんが出そうだ。
とはいえ、手入れを尽くされたバラは確かに美しい。愛する王妃の為に王が用意した、と聞けば感動して涙を流す女も出て来ても不思議ではないほどに。
が、ヘルミオーネは、ちっとも心がときめかない。バラに対しても、隣を一緒に歩くラコニアに対しても。
一緒に誘われたなんて言いながら、公園についたそうそう、言い訳を作ってどこかにいってしまったティマイアが恨めしい。一対一で残されては逃げ場もないではないか。
が、ヘルミオーネは、自分の心がときめかない理由をバラが香る温室を半分ほど進んだところで気が付いた。
それは、ラコニアが絶えず笑みを浮かべているからだ、と。
余裕がある、とも言えるだろうが、ラコニアの表情は微笑みから動かない。だから、バラをみても心を動かされているように思えないし、話しに気持ちが籠っているようにも聞こえない。
上辺だけがペラペラと動いているような感じなのだ。これでは無表情と一緒だ。
しかし、そんなヘルミオーネも人のことは言えない。
少し恥ずかしそうに目を伏せがちにし、口元に笑みをたたえ、聞かれたことを小さな声で答える。
いつでも、少し恥ずかしそうに。
ラコニアと同じだ。心の感じるままに表情を動かさない。
デートとは上辺だけ取り繕ったつまらないものなのだろうか。
思い出すだけで、心がざわめき、声を聞くだけで瞳が揺れ、話す言葉さえ感動で詰まってしまう…。
恋とはそういうもの、デートは楽しいもの、と母はそうおっしゃっていたはずだ。それこそヘルミオーネが言葉も満足に話せない頃から繰り返し、暗記してしまうほど。
なのに、楽しくないとはどういうことなのだろう。
誰が悪いわけではない。ラコニアは実に物知りだ。優しい声で色々な話をしてくれる。おかげで会話が途切れることがない。
それだけではない、背筋が伸び、指の先まで神経が行き届いたゆったりとした仕草は余計な音も立つこともなく実に優雅だ。その振る舞いは、将来、伯爵の地位をを継ぐ者として、文句のつけようなどないだろう。何の不満も不安もないはずだ。
問題はそれに魅力を感じないヘルミオーネの方だ。
違う、違う、違う。こんなのではない。私が求めるものは……。
時が経つにつれ、その思いはヘルミオーネの心の中で大きくなっていった。
そんなヘルミオーネに対し、ラコニアは別れの時まで実に紳士的だった。公園の小さな段差も手を差し伸べ、常に風上に立ち、自らの身体で相手を守る。しかも、それらを実に嫌味のない自然な動作でこなした。
まるで、絵本に出てくる王子様のように。
しかも最後は、
「今日は無理に誘ったので、疲れたでしょう。ディナーは次の楽しみにしましょうか」
と、いったのだ。
ティーバでは、ディナーは次にする、ということは、次はディナーに誘う、ということだ。つまりはヘルミオーネを気に入った、ということになる。
「ええ、楽しみにしていますわ」
本心を隠して、微笑むヘルミオーネの手をとったラコニアは、別れ際にその白い手袋を嵌めた手の甲に恭しくキスをした。
「約束ですよ」
じんましんが出る、というより、泣きたい、とヘルミオーネは思った。
どうしてなんだろう。気障ったらしいところを覗けば、明るい陽の下で見てもラコニアは紳士だ。見本にできるほど非の打ちどころもない。なのに、どうして自分の心はときめかないのだろう。
屋敷までラコニアに送ってもらったヘルミオーネは、出迎えてくれた母に軽く挨拶しただけで、すぐに自分の部屋へ閉じこもった。
なんだろう、心の中がモヤモヤする。どうしてなのだろう。ラコニアには何の失点もなかったのに、どうして、こんなにイライラして、落ち着かないのだろう。
ヘルミオーネは、自分の心を落ち着かせるどころか、悲しくもないのに流れる涙さえ止めることもできそうにもなかった。
その次の日、まだ、夜が明ける前、起床時刻よりもずっと早く、人知れずヘルミオーネはベッドから起き上がった。
夕べは疲れたから、と早くにベッドに入ったのだが、まったく眠ることができなかったのだ。
できるだけ音を立てないように気を使いながら、夜着を着替え、マントを羽織り、フードを深く頭に被せた。
テラクロへ行きたいわけではない。
ただ、ここから逃げたかった。きっと、陽が中天に上がるころ、ラコニアから恋人の印として花束が届くだろう。その中にはディナーを誘うカードが入っているかもしれない。
それを受け取るのが怖いのだ。そうしたら話が進んでしまう。けれども、断る理由もない。
相手は完璧だ。
馬屋に向かったとろこで、ヘルミオーネは、馬屋の壁にもたれている人影を見つけた。
エウリュナだった。
「遅いですよ。もう少し早いと思っていたのですが」
待っていたと思われるエウリュナだったが、顔には笑みが浮かんでいた。
「どうして?」
他の者を起こさないように、音も立てずに支度をしたはずだった。
「昨夜のお嬢様のお顔を見てれば分かりますよ。長年仕えてきましたから」
クスクス笑うエウリュナとは対照的にヘルミオーネの顔が崩れた。
「……エウリュナ…私…!…」
顔を隠すかのように深く被ったフードの奥から、涙が一筋流れた。
「ああ、もう、馬が怯えますよ」
エウリュナは、白いハンカチを取り出し、それを拭う。
「どうして、放っておいてくれないの?」
ヘルミオーネの声は震えていた。
「そうですね。でも、放っておけないのですよ、皆さま、きっと」
「どうして?…私…」
それだけ言って、ヘルミオーネは声を詰まらせた。
それから先は言われなくてもエウリュナにはヘルミオーネが何を言いたいのか手に取るようにわかることだった。
ヘルミオーネは恋など望んでいない。このままで気ままに暮らしていたいのだ。
けれども周りの人や状況がそれを許さない。
無理に合わせようとしても心がついていかない。
「行きましょうか。馬で走ればスッキリしますよ?」
エウリュナにそっと頭を撫でられてヘルミオーネはうなづく。
気持ちは分かっても、エウリュナとてどうしようもないのだ。出来るくらいなのは、一緒に行くことだけだ。
「私の、ニワトリ、さん、が、待ってるから」
うつむいたままで、フードの奥から聞こえた声はくぐもっていた。けれども震えてはいなかった。
ヘルミオーネの足は立とうと必死だ。
だからエウリュナは、もう、何も言わない。
「ええ、母からの便りによれば、アヒルのひよこが生まれたらしいですよ?」
「そう、なの?それは楽しみだわ」
ヘルミオーネは硬い表情のままでなんとか微笑むと、エウリュナが連れて来た馬に、二人は揃って跨った。
暗闇の中に滑り出せば、あれこれ迷いは禁物だ。油断をした者を馬は容赦なく振り落す。
暗い中を日が出る方向へと向かっていくヘルミオーネにエウリュナは心の中で話しかける。
大丈夫、お嬢様。あなたと恋に落ちてくれる人が待っていますよ。
ちゃんと、きっと。
だって、お嬢様は、とても自分の心に素直でとても魅力的な方だから。
ほら、日の出ももうすぐです。
向かう先には、太陽が顔を覗かせ始めていた。
沢山の人に読んでいただきありがとうございます。
とりあえず…頑張ります。




