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卵とベリー

 ヘルミオーネに馬なんか教えるんじゃなかった。

 それは、酔った時のエレア子爵の口癖である。

 実際、ヘルミオーネは、その辺の男などには負けないくらいに馬を乗りこなす。教えた子爵が愚痴るほど上手く。

「さて、行きましょうか」

 まとめ上げた長いつやのある黒髪をマントのフードの中に隠したヘルミオーネが、後ろに控えるエウリュナを振り返った。

 馬屋の外はまだ暗い。夜明け前だ。

 ヘルミオーネが暗いうちに出かけるには理由がある。一つは目的地であるエウリュナの母の実家、へルミオーネにとっては乳母の実家があるテラクロ村まで馬を走らせても2時間ほどかかること。もう一つは、両親であるエレア子爵たちが起き出す前にここを出発したい。

「はい」

 ウキウキとした顔のヘルミオーネに対してエウリュナは、浮かない顔でうなづく。

 貴族の娘が一人で気ままに馬に乗って走り回るということを本当に許していいのか、それはエウリュナにとっては繰り返される問題であるが、止めても無駄だということも判り切ったことではある。

 ならば、止めて振り切られるよりも、ついて行った方が安全というものだ。

 二人は…エウリュナにとっては望まないことではるが、軽い身のこなしで馬に跨った。

 馬番に合図をしたのを皮切りに、ヘルミオーネが思い切りよく手綱を引っ張る。

 出発だ。

 ヘルミオーネは、馬の上で背筋をまっすぐにしたまま腰を折り、そのままの姿勢で前を見据え、揺れても上半身がぶれることがない。その、美さえ感じる姿にエウリュナはいつも見惚れてしまう。

 とにかく無駄がない。それは、馬に余計な負担を掛けないということだ。

 ヘルミオーネを乗せた馬は、王都を抜けたところで一気に加速する。

 実は、エウリュナがヘルミオーネの侍女をしていて一番苦労するのが、このヘルミオーネの馬について行くことだ。今でも少しでも気を抜くと単身で先を走っていってしまう。

 本当に馬に乗ると別人のようになってしまうのだ。

(ああ、もう、邪魔!)

 エウリュナは、マントのフードを取ると、手綱を強く握った。

 目指すは、テラクロ村。エウリュナの母が生まれた自然あふれる長閑な村だ。


 ヘルミオーネがここを最初にこの村を訪れたのは、まだあどけなさが残る年頃だった。

 エウリュナの母は、ヘルミオーネの乳母をしていたのだが、実母の体調を理由に子爵家を離れることになった。だが、乳母が居なくなったと泣き止まない娘に手を焼いたエレア子爵がここへ連れて来てことが始まりだ。

 それからというものヘルミオーネが何だかんだと理由をつけてここへやってくるようになった。自分で馬を操れるようになってからは、頻繁に足を運ぶ。

 乳母の見舞いと称して。

「まぁ!お嬢さま!こんなに朝早くから」

 乳母、つまりはエウリュナの母であるラケイナは、驚いたように目を見開いた。

 ここで「お嬢様」と呼ばれることを嫌うヘルミオーネは、シッと人差し指を唇に当てるとニッコリと笑った。

「ごきげんよう、ラケイナ。元気そうでなによりだわ。ところで、私のニワトリさんも元気?」

「ええ、今日は…まだ」

「そう、では、早速」

 もちろん、ここにいるのはヘルミオーネのニワトリでなはい。しかしラケイナの返事を待つこともなくヘルミオーネは台所からサッと取っ手付きの籠を取り出すと、鶏小屋へと向かった。

「あ、お待ちください。おじょ…いえ…ヘルミオーネ」

 馬屋に馬を繋いできたエウリュナが、慌てて主人のあとを追う。しかし、ヘルミオーネが立ち止まるどころか振り返ることもない。

「元気だった?私のニワトリさんたち」

 鶏小屋の前でニワトリに笑みを見せたヘルミオーネは、躊躇することなく小屋の中に入っていった。

 屋敷を抜け出しては、こうして貴族令嬢とは思えぬ行動をするヘルミオーネをエウリュナは、認めているわけではない。しかし、強く止めることも出来ないのは、ここに居る時のヘルミオーネの笑顔が屋敷にいる時とは比べ物にならないほどの輝きを放つからだ。

 ヘルミオーネは、本当に楽しそうに慣れた手つきでニワトリの卵を持っている籠の中へと入れていく。

 それを手伝うエウリュナは、不思議なものだ、といつも思う。やってることは、農家の娘と変わりなく、着ている服も粗末なものだ。なのに、背筋を伸ばしたその姿は、その辺の農家の娘とは明らかに違う。

 本人には全く自覚がないというのに。

「たくさんありますね」

「ほんと、この籠じゃ小さかったかしら?」

 たとえ農家の真似事をしていてもヘルミオーネはヘルミオーネ、貴族の娘だ。

 

 卵を取り終えた二人が家に戻ると、ラケイナが暖かいお茶を淹れて待っていてくれた。

「先に知らせをくだされば、気の利いたものを用意いたしましたのに」

「いいの。馬を走らせたかっただけだから」

 生まれた時から傍にいるラケイナには、この言葉の裏にあるヘルミオーネの気持ちが分かるのだろう。それ以上は何も言わず、眉端を下げながら笑みを作った。

「美味しい。ホント、ここのお茶は美味しいわ」

 そんな乳母の笑みに守られるように大ぶりのカップを両手で抱えるように持ったヘルミオーネは、湯気立ち昇るお茶の香りを吸い込んだ。

「お屋敷のお茶の方が美味しいでしょうに」

 クスクスと笑いながらラケイナは言うが、ヘルミオーネは首を立てには振らない。

「そんなことないわ。確かにお母さまはいい茶葉を取り寄せているけれど、これほど美味しくはないわ」

「まぁ…お世辞が上手ですこと」

 ラケイナの夫、つまりエウリュナの父親が戦いの中で命を落としたのは、5年ほど前のことだ。それ以来ラケイナは、ここで一人で暮らしている。ヘルミオーネがここに来るのは、彼女なりに未亡人のラケイナを気にかけているのだ。

 それを知っているラケイナは、決してヘルミオーネを邪険に扱うことはない。エウリュナが何だかんだと押し切られられる理由の一つでもある。

「それはそうと、ヘルミオーネ様は、裏庭を見ました?ベリーが今年も沢山実りましたよ?折角だから、今日はベリーのパイでも作りましょうか。卵も沢山取れましたし」

「ホント?嬉しい」

 ヘルミオーネの顔がパっと輝く。ここに居る時のヘルミオーネはとにかくじっとしていることがない。手伝いを見つけて次から次へと動き回る。

 まるで、嫌なことを振り切るように。

「じゃあ、お茶を飲んだら、裏庭へ行ってくるわ。ねぇ、お母さまへのお土産に一切れもらってもいい?」

「もちろんですよ。沢山作りましょう」

 ラケイナの言葉を受けてヘルミオーネの表情がもう一度パッと輝いた。


 フワワワワワワ……。

 ヘルミオーネが裏庭に出て行ったとたん、エウリュナは、身体を伸ばしながら大きな欠伸をした。

「ご苦労さんね」

 ラケイナは、そんな娘のためにもう一杯お茶を淹れた。

「別にいいのだけれどね、お嬢様は無理はいわないし」

 エウリュナは、ひと口お茶を口に含むと「無茶はするけど」と付け加えた。

「一見、楽しそうに見えるけれどね」

 今までヘルミオーネが座っていた子爵家とは比べ物にもならない粗末で小さなダイニングテーブルの椅子を引いて、ラケイナは、エウリュナの向かい側に座った。

「分かる?」

 お茶の飲みながら、エウリュナは澄ました顔でそう答えた。

「そりゃあ、顔を見ればなんとなく…ね。縁談でも決まりそうなの?」

「具体的には何もないけれど、奥様の無邪気なプレッシャーが堪えるんじゃないかしらね?」

 実はヘルミオーネには兄がいて、その兄が結婚をしたのは一昨年のことだ。

 つまり、兄が子爵を継げば、ヘルミオーネは、今の屋敷に居場所を持つことさえも難しくなるかもしれない。ヘルミオーネの母が恋と称して娘に盛んに舞踏会を進めるのは、こういった事情が背景にあり、ヘルミオーネが嫌だと声高に叫べないのもそういう事情からだ。

 そして、これがヘルミオーネのストレスの種でもある。

「いい方が見つかるといいんだけどねぇ」

「一緒にニワトリを追っかけてくれる人?」

 エウリュナの言葉に、ラケイナはお茶を吹きだした。

「そういう男は村には沢山いるけれど、貴族の趣味じゃないからねぇ」

「ま、お嬢様はわかっていらっしゃるんだけれどね」

 だからこそ辛いのだ。誰よりも束縛を嫌うお嬢さまだから。

 エウリュナは、残ったお茶を一気に喉の奥へと押し込んだ。

 まるで、ヘルミオーネの悩みを飲み干すように。

 

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