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羽根が舞い落ちる

「どうして断ってくれなかたのよ」

 侍女たちにドレスを着付けられながらもヘルミオーネは、その贅沢に作られた華やかなドレスとは間反対の仏頂面を隠そうともしなかった。

「断る作法など知りませんでしたから」

 背中のボタンを留めながら、落ち着きはらった様子でサラリとエウリュナは答える。

 そんなはずはなかった。何しろ、ヘルミオーネとエウリュナは、二人一緒にマナーを学んだのだから。

「なんで、ダンスなんか踊ったのよ」

「習ったからには一度は踊ってみたいと思っただけです」

 ムカツク、とヘルミオーネは唇を噛み締めた。しかし、すべてが後の祭りだ。

 最初から自分で行って壁の花を貫き通せばよかったと後悔しても遅すぎる。そもそも、その役を人に押し付けたのが間違いだった。

「そんなお顔していては、アレウス様に失礼ですよ?」

「エウリュナが行けばいいんじゃない?見初められたのはエウリュナでしょ?」

「魔法は解けてしまいましたし、シンデレラのように身元の分かる証拠の品も置いてくるようなヘマもしていませんから、何とでもなるのでしょう?」

 ぐぅ、とヘルミオーネの喉の奥が鳴った。確かに誤魔化せる、と言ったのは、ヘルミオーネだ。

「いいわよ、どうせ、断わってくるのだから。あんな退屈そうな男、願い下げだわ」

 何を言っても表情すら壊さないエウリュナにヘルミオーネは思いつく限りの悪態と嫌味を言ったつもりだったのだが、実力の差は大きく、その仮面を揺らすことが出来ない。

 それでもエウリュナは、馬車に乗るヘルミオーネを見送りながら、少しだけ口端をほころばせた。

「何よ、地獄へ落ちていく私を笑うの?」

 睨むヘルミオーネにエウリュナはプッと吹きだした。

「ええ、素敵な地獄を見て来てください」

「もう、いいわよ」

 こうして、頬を膨らまし、ツンと横向いたままのヘルミオーネを乗せた馬車は、ゼノン侯爵家に向かって走り出したのだった。


 豪華だ。

 その他になんの言葉があるのだろうか。

 子爵家であるはずのエレア家の屋敷よりもひと回り…いやふた周りは広いエントランス。壁や床、天井に至るまでピカピカに磨かれ、床に敷かれた絨毯にはホコリどころか染みひとつない。

 そして、エントランスから伸びる階段の登り口には、床と同じ色の白い大理石の像が置かれ、階段の手すりにはさりげなく凝った金細工。

 侍女たちの顔は人形のように無表情で感情など微塵も感じられず、その動きには無駄がなく音もない。

 息苦しい、とヘルミオーネは思った。ここにあるものすべてに親しみのようなものがない。建物も置き物も使用人でさえも。

 すべて、美しく作られたものだ。

「ようこそおいでくださいませした」

 その平坦な声は、圧迫感さえ感じさせた。しかも、その奥に待っているのは、同じように退屈な顔の男だ。

 逃げたい。

 前に進むはずの足が自然とゆっくりになる。しかし、この良くできた侍女は、さりげなく歩幅をヘルミオーネに合わせ、二人の間の距離は変わる事すらない。

「おつきになりました」

 牢獄への入り口のような大きく重厚な扉が開けられ、侍女たちはそこで頭を下げた。

 つまりは、この先の地獄は一人で行けということだ。

 ドアをくぐる時、ヘルミオーネは自分の周りにある全てを呪った。生まれた子爵家、裏切った侍女、そして逃げることさえできない臆病な自分。

 しかし、逃げることが出来ないのなら、覚悟を決めるしかない。この先が地獄だろうと、地獄だろうが、地獄に違いなくても、せめて自分の足で立つのみだ。

 唇を噛んでドアの前で頭を下げる。

 そして、ゆっくりと顔を上げた、その先。

 その先に立っていたのは……。

 嘘。

「遅い」

 その、声。きちんと整えられた髪、高級そうな生地の、仕立てのいい服。

 しかし───。

 でも───。

「エウロス」

 何故、そこにいるのがエウロスなのか、ヘルミオーネはサッパリ理解が出来なかった。

 望み通り、自分の足で立っていてもそこから一歩も進めない。

「まったく、打ち明けようかと舞踏会に行っても出てこないし、やっと出て来たと思ったら、替え玉ときた」

 エウロスは、笑いながらそう言うと、ヘルミオーネに近付き、手を取った。

「どうして?だって、手紙…」

 すべてが信じられなかった。どうして退屈男が目の前にいるのだろう。どうしてエウロスの顔をしているのだろう。どうしてこんな広くて豪華な部屋の長椅子で並んで座っているのだろう。

「正式に段取りを踏んで申し込もう思ったのに、違う男とにこやかにダンスを踊ってりゃ、意地悪もしたくなるさ」

「違う、あれは……」

 エウロスに似た背中を見た、あの夜。あれは、ラコニアとの別れのダンスだったはずだ。

「聞いたよ、エウリュナから。ついでに怒られたけどな」

 怒られた、ヘルミオーネはそこで自分の気持ちに気が付いた。そう、怒っているのだ。エウリュナだけではない。自分も。

「何よっ!」

 ヘルミオーネは、長椅子に置いてあったクッションを勢いよく掴むと、エウロスに向かって、叩きつけた。

「いてっ、止めろって」

 何度も何度もクッションをエウロスにぶつけるうちに、クッションが破れ、中から真っ白な羽根が飛び出してきた。

 それは広い部屋に舞い上がり、雪のように二人の周りに降り注いでいく。

 それでも、ヘルミオーネは怯むことなく、白い雪が舞い上がる中で、ひと振りごとに怒りを込めながらエウロスにクッションを力いっぱい叩きつけた。

「悪かったよ、止めろって」

「いやよ、私がどんな気持ちだったか、足りないぐらいなんだから!」

「だからって、叩いてちゃ、話なんか出来ないだろう?」

「そんなもの要らない!気が済んだら、帰るんだから!」

 ヘルミオーネの声は潤んでいた。もう二度と会えないかも知れないと思っていた人の、声と感触。震えそうだ。

「取りあえず、落ち着けって、な?」

 ついにクッションを取り上げられ、ヘルミオーネは、手を膝の上に抑え込まれた。

「言わなかったのは悪かったよ。でも、忘れた方がいいとも思ってたんだ」

「何よ、それ。騙さないで」

「騙してなんかいない。聞いて、それでも許せなければ帰っていいから」

 真剣で真面目な声だった。とりあえずヘルミオーネは聞くだけ聞こうとうなづいた。

「私の本当の名前はアレウス・ゼノン。エウロスは偽名だ、わかるな」

「私を騙していたんでしょ?」

「まぁそうなるな。エウロス…は、私を庇って死んだ部下の名だ」

 ヘルミオーネは、涙に濡れた目でエウロス…いや、アレウスを見た。

 その冷静になった目をみたアレウスは、ゆっくりと、ヘルミオーネの手から自分の手を退いた。

「あなたのお兄様は、ノルド撤退戦で亡くなったと聞いたわ」

 それは、兄から聞いた話だった。アレウスにも兄がいて、殿軍の指揮をして倒れた、と。

「ああ、そうだ。兄上は、王と部下を守って、死んだ。それに引き替え、私は部下に守られて生き延びた」

「そんなこと…あなただって勇敢に…」

 最後にノルドとは和平を結んだのだ。無駄だったはずなどはない。

「この家の者が待ち望んでいたのは、兄の帰りだ。勇敢に戦い、死をも恐れなかった兄をね。しかし、帰って来たのは、私だ」

 その言葉を否定することは、この家の事情など何一つ理解しようもないヘルミオーネにも出来なかった。この家の持つ重圧感がその話を裏付けているように思えた。

「毎日、周りの作り笑いにうんざりしていてね。私の唯一の楽しみは、同じようにつまらなそうな顔している子を見ることだったんだ」

「え?」

「その女の子は、王宮に行く途中の、運河の向こうの建物の中にいて、いつも窓から不機嫌そうに外を見ていた」

「それは…」

「リンゴの木の下でうたたねをしているのを見た時は、驚いたよ。どうしてここにいるのか、と、ね。だから、私は自分の本当の名を言えることが出来なかった。もし、名乗ったら、この健やかな顔が作り笑いになってしまうんじゃないかと思ってね」

「それで、エウロス、と」

 ヘルミオーネの言葉にアレウスはうなづいた。

「でも、それは私の間違いだった。私はとんでもないことをしたんだ」

「……え?」

「エウリュナから聞いていない?」

 アレウスは、ヘルミオーネの髪についた羽根を優しい手つきで掃った。

「エウリュナは知っているの?」

 何も聞いていないどころか、素振りせえも見たことはない。

「エウロスは、エウリュナの恋人だったんだ」

「嘘」

「同じ村の出身で、時々逢っていたそうだよ。戦争が終わったら、結婚を申し込みたいとエウロスは言っていた。相手がエレア子爵家の侍女だとは言っていなかったけれど」

「そんなこと、知らないわ。私、何も」

 首を何度も振ると、ヘルミオーネの目から涙がポロポロと零れ落ちた。

 エウリュナにそんな人がいただなんて。

「あなたの大事な侍女の恋人を殺した相手だ、私は。だから、あなたが忘れられるのなら、それでいいと思っていたんだ」

「だから、連絡をくれなかったの?」

「そう。だが、エウリュナに怒られたよ。大事なお嬢様を傷つけるな、とね。ダンスの途中で何度も足を踏まれて…まだ、痛いよ」

「エウリュナがそんなこと…」

 幼いころから当たり前のように傍にいたのに、そんな大事な人がいたとは、露にも考えたことがなかった。いつも冷静なあの態度の奥には、どんなに深い悲しみがあったのだろう。

 何も気づけなかっただなんて。

 涙に濡れるヘルミオーネの頬をアレウスの手が包んだ。

 大きくて、温かな手。

「やめて、あなたなんか嫌いなの」

 自分の胸の中に入り込んでくる感情を振り払うかのようにヘルミオーネは声を荒げた。

「ああ」

「逢いたくなんかなかったんだから」

「ああ」

「私を騙していただけではなくて、何もかも勝手に決めて」

「ああ」

「何よ!なんか言いなさいよ」

 ヘルミオーネは、うつむきながら、両手を前に伸ばし、アレウスの胸を力いっぱい押した。

「ごめん」

「それだけで済まそうなんて。ずるいんだから!」

 アレウスの鍛えた身体は、女の力ではびくともしなかった。それでも、ヘルミオーネは何度も何度も手を突っぱねた。

「泣くなよ」

「そんなわけないじゃない。むしろ笑いたいくらいよ。あまりにも馬鹿な私を」

 アレウスの胸を押していた指が、服を掴んだ。

「ヘルミオーネ?」

「名前を呼ばないで。私は…知りたくなかった。知りたくないの!」

「………」

「こんなにひどい人を忘れられなかっただなんて。こんなにひどい人なのに忘れられないなんて」

「ヘルミオーネ」

「待ってなかったなんて言わないで。少なくとも私は待っていたわ。あなたに会えない時、忘れたことなんかなかった。だから……」

 ヘルミオーネは、掴んでいたアレウスの服を自分の方へ、一瞬、引き寄せ、そのまま羽のようにフワリと両手を広げてアレウスに抱きついた。長椅子の上やヘルミオーネの上に降り積もっていた羽根の雪が再び空を舞う。

「そうだな、私は、あなたに会うために、帰って来たのかも知れない」

 そういうアレウスの両手は微かに震えていた。その震える手で、アレウスは、ヘルミオーネの華奢な身体を抱きしめた。



ええと、中途半端で切ってしまったので、判りにくい場所があるかと思います。

拍手でいつくか質問があったのですが、一つだけここで補足しておきます。

実の所、アレウスはヘルミオーネを放っておいたわけではなく、ティマイアのこともあったので、貴族としての手順を踏んでヘルミオーネと会おうとしていた、ということになります。手紙の返事を書かなかったけれどもずっと拗ねてたわけではない、でも、迷いもあったので、積極的に連絡を取ろうとはしなかった、ということを彼に代わって言い訳いたします。

書き方が悪くてすみません。


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