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泣きたい人たち

 こんなことになるなんて。

 ティマイアの駆け落ちが引き起こしたことは、ヘルミオーネにとっても他人事ではなかった。

 母のいうとおり、噂は社交界全体に撒き散らされ「金銭的に余裕がなくて、成金の元へ娘をやったのではないか」などという憶測を呼び込みながら社交界を幾重にも巡る。お蔭でティマイアの両親は「貧乏貴族」だの「常識のない娘を育てた」だの「売り飛ばした」など影日向に散々に言われ、社交界どころか陽の下さえ顔を出すことができない。

 怖い、世間とはなんて恐ろしい。

 「ああ、なんてこと。ティマイアはいいお嬢さんだったのに」

 少女のように無邪気で可憐な母は、ティマイアの起こしたことが相当ショックだったらしく、毎日をため息交じりで過ごすようになったしまっている。

 これで、もし、ヘルミオーネがエウロスが好きだなんて言おうものなら、恐らく…いや、間違いなく倒れてしまうだろう。そうなることが分かっていて、打ち明けることなど出来る訳がない。

 一方で、勇気を持って飛び立って行ったティマイアが羨ましくもあるのだ。

 恋をした人の元に一人でわき目も振らず飛び込めるとは、なんて、強いのだろう。それに引き替えヘルミオーネは、母を悲しませることを考えるだけで手の震えが止まらない。

「どうしらいいの」

 どうすればいいのか、どうしていいのか、まったくわからない。

 出口など見つからない。ヘルミオーネの心の中は、ティマイアのこととエウロスへの感情が複雑に混ざり合って、とても平静などは保てない。

 解決策などあるはずがなかった。

 

 そんな日が幾日も過ぎたある日、ヘルミオーネの元に一通の手紙が届いた。

 か細いともいえる文字で書かれた差出人の名前に心当てがなく、それを届けに来た母は不振がったが、ヘルミオーネはとりあえず封を開けてみることにした。

 差出人は、ティマイアだった。

『お元気、驚いたでしょうね』

 そうやって書き始められた手紙は、ティマイアが元気なことを現していた。

「元気?じゃないわよ、まったく」

 手紙に向かって文句を言ってみるが、文章の中のティマイアには憂いなど何もなく、ただ、慈善バザーで知り合った実業家へいみんと恋に落ちたこと。その人は貴族にはない堅苦しくない魅力を持っていること。今は、北の国ノルドに住んでいること、が書かれていた。

 戦争が終わり、特に今まで争っていたノルドとは貿易が盛んになって、成功を収めている人がいるという噂はヘルミオーネも聞いている。貴族の間では、そんな人を成金と嘲笑う雰囲気があるが、ティマイアが恋をした人は、そうした一人なのかもしれない。 

 手紙の中には、もう一通、封をした手紙が入っていた。ティマイアが自分の母親に宛てたものだ。多分、正面から出しても受け取ってもらえないだろうから内緒で届けて欲しいという。

 そうしてあげたい、とは思う。しかし、あれからティマイアの両親は屋敷に閉じこもったままで、顔を見ることさえも出来ない。最近では、王都の屋敷を引き払うのではないかという噂も出始めている。

 窓の外に目を向ければ、雲がどんよりと翼を広げていた。その窓に映るのは、自分の顔。

 ヘルミオーネは、自分の顔をティマイアの顔に重ねた。そして、その両親を自分の両親に重ねる。

 もし、エウロスがここに現れて、自分に手を差し伸べたら……。

 その手を取って、ティマイアのように相手の目だけを見てここから出られるだろうか。両親も何もかも振り払って、自分の幸せだけを掴みとれるだろうか。

 その答えのようにガラスに映った自分の顔に一筋、涙が落ちていく。

(私は、ティマイアのように強くはない)

 エウロスはそんな自分の弱さなど見透かしていたのだろうか。だから、素性も明かさず、しかも黙って姿を消してしまったのだろうか。

 ポツリ、とガラスに写ったヘルミオーネの顔に水が流れた。続いて、ポツン、ポツン、とガラスを濡らす。空が泣いている、泣いてもどうにもならない人たちに変わって、と空を見上げながらヘルミオーネは思った。

 その中にエウロスも入っているだろうか、いや、彼は笑っているかも知れない。ティマイアのように勇気のない自分に。

 ヘルミオーネは、コツン、とガラス窓に自分の額を当てた。


 雨が上がった頃、ヘルミオーネは、母に呼び出された。

「おつかい?お母さまの代理に?」

「ええ、そうよ。古いドレスを解いて子供用の服を作ってみたの。教会へ持って行ってくれないかしら」

 母の顔はこころなしかやつれていた。恐らく友人の子とはいえ、ティマイアのことが響いているのだろう。心優しい母らしい。

「懐かしい柄ね。これ、覚えているわ」

 ヘルミオーネは、そんな母に向かって務めてにこやかな口調で、可愛らしく仕立て直されてドレスハンガーに掛けられ綺麗に並べられた服を手に取った。

「良く覚えているわね。随分小さな頃だと思うのに」

「よくお膝に乗せていただいて本を読んでもらったから」

 その時のことを母は、思い出したのか、「ああ」と笑みを浮かべてヘルミオーネに並んで同じように服を手に取った。

「そうね、あなたはいつも本をせがんで……」

「いいの?大事にしていたのでしょう?」

 指先が器用な母は、今までもこうして自分の衣装やヘルミオーネの着れなくなった衣装を自分の手で直しているのは知っていた。しかし、気に入っていたものは、どんなに古くなっても手を付けたりはしなかったはずだ。

「いいのよ。もう、随分古くなってしまって着ることはないだろうし…それに、とてもじっとしていられなくてね」

 母は、そういって少し寂しそうに笑った。じっとしてはいられない。なんだかわかる気がする。

「でも、素敵ね、これ」

「そうでしょう?会心の出来なのよ」

 教会には、戦争で身寄りがなくなった子供たちが預けられている。きっと、皆、喜ぶに違いない。

「早く持って行ってあげないとね」

 ヘルミオーネは早速、掛けられた洋服をまとめて馬車に積むように侍女たちに指示をすると、部屋から下がろうと礼した。

「あ、待って」

 ドアから出ようとしたところで、母がヘルミオーネを呼び止めた。

「なあに、まだ、届けるものが?」

「ええ」

 机の引き出しから母が取り出したものは、一通の封筒だった。

「これを、祭祀様に届けて欲しいの」

「……手紙?」

「ええ、あの教会は、フィレタ子爵夫妻もよく通っていらしたから、落ち着いたら一番最初に顔をお出しになるのではないかと思うの」

 フィレタ子爵夫妻とは、ティマイアの両親のことだ。なるほど、とヘルミオーネは納得した。この方法なら自分もティマイアに頼まれた手紙も渡せられるかも知れない。

「わかったわ、お母さま」

 きっと、母は、エレア家夫人としての自分の立場から手紙を渡せば、ことが公になりやすいと思ったのだろう。すると益々噂は収まらない。母は母なりに友人一家を心配していたのだ。

「それからね、ヘルミオーネ」

 手紙を渡しながら、母はヘルミオーネの手を強く握ってきた。

「どうしたの?」

 見つめる母の目は涙なのか少し光っているように見えた。

「あなたも気にすることはないのよ?」

「なんのこと?」

「ティマイアのことを気にして自分の結婚を急ぐことはないの。あなたは自分の相手を見つけなさい。たとえ────」

 母は、そこで、唇をつくんだ。その先は言わなくてもわかる。「相手が貴族以外でも」だ。

「お母さま……」

「少し考えたのよ。戦争が終わって時代が変わっていくんじゃないかって。きっと、だから、ティマイアのことはその発端じゃないかって」

 100年続いた戦争が終わってこれからどうなるのか、それはヘルミオーネにはわからない。しかし、母のいうことが本当なら、未来はきっと大きく変わるに違いない。新しい王妃様が嫁いできて、ドレスが身軽なデザインに変わったように。

 母の言葉を噛み締めながら、馬車に乗り込んだヘルミオーネはそっと、下唇を噛んだ。

 それでも、自分はティマイアのような勇気を持つことは出来ないだろう。優しくてか細い母を義姉が妊娠したばかりの兄を心無い噂の中心に立たせ、不幸の底に落とすことなど。

 なのに、そう思うのに、心の中ではエウロスが恋しいのだ。捨てられたかも知れなくて、もう会えないと思っても、それでも求めてしまうのだ。

 こうして────────────。

「お嬢様?」

 教会の前で馬車を降りたとたんに走り出したヘルミオーネをエウリュナは急いで追いかけた。

 洗いざらしの髪にヨレヨレの白いシャツ。

 ヘルミオーネは、その姿を見つけるたびに走り出してしまうのだ。

 振りきられるとわかっていても。人違いだと分かっていても。

 どうしても。


 

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