ラストダンス
「思ったとおり、良く似合ってるわ。この光沢とても見事でしょう?見つけた時、あなたのために織られた生地だと思ったぐらいよ」
侍女たちに囲まれながら、新しいドレスに袖を通すヘルミオーネに、母は目を細めた。
「ああ、綺麗。本当に綺麗、きっと、今夜の舞踏会であなたが一番綺麗」
「買い被りすぎよ、お母さま」
「そんなことないわ。でもね、お父さまは少し不機嫌になったのよ?白なんて、花嫁みたいだからって」
はしゃぎ声の母に、いたたまれなくなったヘルミオーネは、下に視線を向けた。そこに映るのは、光を含んだ白の生地に金の刺繍を施された豪華な生地。しかもそれを隠すかのように上からベールを重ねたデザイン。確かに美しい。
屋敷に帰ったヘルミオーネは、すぐにラコニアに話があると手紙を出した。だから今日の舞踏会にはラコニアも来るはずだ。
母は、それを知っているのかのように、いつもよりも大はしゃぎだ。
しかし、今夜のヘルミオーネは、舞踏会にダンスや楽しいおしゃべりのために行くわけではない。自分の本当の気持ちをラコニアに打ち明けるのだ。
だから、母の無邪気な笑顔が胸に刺さって、痛い。
美しく着飾るヘルミオーネの本当の気持ちなど気づかない母は、侍女が最後に首に宝石を飾ろうとして持っていた扇子でパチンと音を立て、侍女を止めた。
「首飾りは、違う方がいいわね」
そう言って、母が取り出したものは、幾重にも連なった真珠と金の飾りがとても美しい首飾りだった。
「これは私がお父さまと出会った時につけていたものよ」
その両親の思い出が籠った首飾りを、母は自らの手でヘルミオーネの白くて細い長めの首に飾った。
「ほら、こっちの方がいいでしょう?」
豪華で重い装飾と母の期待がヘルミオーネの肩にのしかかる。
お母さま、ごめんなさい。
いたたまれなくなったヘルミオーネは、目を伏せるしかなかったのだった。
今日の舞踏会の会場は、皮肉なことに初めてラコニアと踊った、その同じ場所だった。
到着したヘルミオーネは、早速、ぐるりとフロアを見渡したのだが、ラコニアの姿は見えなかった。まだ来ていないようだ。
そこで、ヘルミオーネは、いつものようにフロアを抜けて、月明かりのみが照らすテラスへと向かった。
そういえば、今夜は珍しいことにティマイアの姿も見えない。もしかして、お目当てのアレウスを追って違う舞踏会へ行ったのだろうか。
なんだか羨ましい。とヘルミオーネは思った。
自分もティマイアのような普通の貴族の娘だったら、今のこの立場は、幸せに幸せを重ねたような気持ちだったはずだ。
(でも、そうはならなかった、私は)
無駄に着飾ったドレスなどに魅力など感じない。花よりも香る香水も、作り笑いも、機転の利かせたおしゃべりも決して幸せにはしてくれない。
この豪華で退屈な世界は、自分にとっては余計なものにしか映らない。
「今夜は早かったのですね」
この月は、もしかしてエウロスも見ているかもしれないと眺めていると、背中からラコニアから声をかけられた。ラコニアは、そのままいつものようにスマートにヘルミオーネをエスコートした。その水が流れるようで無駄のない動きは、とても洗練されていて、普通の娘ならそれだけでも舞い上がってしまうだろう。
「月が綺麗でしたので」
ヘルミオーネはニコリと笑って優雅なラコニアの挨拶を受けた。
「あなたの魅力には、敵いませんよ」
そう言って、ラコニアは、にこやかな顔でヘルミオーネの前に手を差し出した。
ダンスに誘っているのだ。
「いえ、少し、お話が」
ヘルミオーネが、早速、話を切り出そうと口を開くと、ラコニアの人差し指がヘルミオーネの唇を押さえ、それを遮った。
「言わなくてもわかりますよ?私と食事に行きたくない?」
食事に行かない。それは、恋人としての付き合いをしないということだ。
月明かりに照らされたラコニアの笑顔は、少し寂しそうに写る。
「申し訳ありません」
しかし、気持ちを決めたヘルミオーネの返事は一つだ。
「いいのですよ。手紙をいただいた時から、少しわかっていたのです」
いい人だ、とヘルミオーネは思った。こんなに素敵な人なのに、どうしてダメなのだろう。
「……バラを沢山ありがとうございました」
「いつまでも贈っていたかったのですけどね…でも、お礼を言ってくださるのなら、最後にもう一度踊ってもらえませんか?」
そういって、ラコニアはダンスを誘うべく、改めてヘルミオーネの前に手を差し伸べた。
「……でも」
ヘルミオーネは、その手を取っていいものか逡巡した。そんなヘルミオーネにラコニアは優しく微笑む。
「ダンスが済んだら、お友達に…私はいい友人になると思いますよ?」
そう言われれば断る理由もない。
「では…最後に」
差し伸べられた手にヘルミオーネは自分の手を重ねると、ラコニアを見上げた。
そして、二人の視線が合ったところで、ラコニアもヘルミオーネに微笑み、ダンスフロアに向かったのだった。
温かみのある色の灯り。それを反射して煌めかせる鏡。
いくつもの楽器の音を重ね、音楽は美しく華やかにダンスフロアに響く。
おそらく、自分の人生で最後になるであろうダンスをヘルミオーネはラコニアと踊った。
「相変わらず、見事なステップだ」
自分を好きな人は、貴族ではない。だから、もうダンスを踊ることなどないだろう。
だからこれで終わり。こうして二度と褒められることもない。
ヘルミオーネはラコニアの目を見て微笑んだ。
本当の別れのダンスのつもりで。
「あれは、どなた?」
「ほら…エレア家の令嬢よ」
「なんて、軽いステップをお踏みになるのかしらね」
「ほんとうに、息もピッタリ。素敵なカップルね」
周りを取り巻く人からの賛美も、惜しいとは思わない。
だが、その取り巻く人々の中で、ヘルミオーネは、知っている顔を見たような気がした。
こんな場所で会うはずもない人。
(…どうして?)
「どうしました?」
思っていた言葉と同じ言葉を重ねられ、ヘルミオーネは、慌ててラコニアの顔をみた。
いけない、ここでステップを踏み間違えたら、リードをしてくれているラコニアの評判を傷つけてしまう。
「…いいえ、何でもありません」
ラコニアの目を見て、ヘルミオーネはすぐに微笑みを作った。
どうかしてる、こんな場所で貴族でもないエウロスの顔を見たような気がするなどと。いつも彼のことを想っているから、きっと見間違えたのだ。
「何だか、惜しいですね」
音楽も終わり、輪から離れると、ラコニアは、未練とも思える言葉を口にした。
「私たちは息も合うと思っていたのですけれど」
確かにラコニアのいう通りだった。ラコニアは、今までに踊った誰よりもヘルミオーネに楽にステップを踏ませてくれた。
……しかし、ヘルミオーネにとっては、それだけだ。
「申し訳ありません」
ヘルミオーネが頭を下げると、ラコニアはすぐに笑みを作って、ヘルミオーネの肩の荷を下ろしてくれた。
「これからどうなさいます?あなたも順番を待ちますか?」
「順番?」
言われて初めてヘルミオーネは、フロアの雰囲気が来た時とは違うことに気が付いた。部屋の中には何だか少し緊張感のようなもので満たされ、踊っている人が少ない。
「噂のアレウスがいらしているのですよ、王の側近であるクレオンと共にね」
少し皮肉っぽい笑みを見せるラコニアの視線の奥には、確かに背の高い男性の後ろ姿があった。
その周りを自然を装い、美しく着飾った令嬢たちが取り巻いている。ダンスの輪に人が少ないのはそのせいだ。
その肩を見たヘルミオーネは「ああ」と納得した。さっきエウロスだと思ったのは、この人だったのだ。しかし、改めてよく見れば全く違う。エウロスの洗いざらしの髪にヨレヨレのシャツ。大きな口を開けて全てを吹き飛ばすような笑い声。
どれも違う。まったく違う。全然違う。
エウロスとあんな着飾った男とどうして見間違えたりしたのだろう。ヘルミオーネは心の中で自分の頭を叩いた。
「いえ、帰ります」
ラコニアを断ったからと言って、アレウスとダンスが踊りたいわけではない。きっぱりと言い切ると、ラコニアは実に柔和な笑みをヘルミオーネに向けた。
「浮き心がない。そんなところも好きだったのですけれどね」
「…それは…」
「いいのですよ。でも、お帰りになるのなら、エントランスまでお送りしましょう。帰る時までは恋人として」
「ありがとうございます」
差し伸べられた手に自分の手を重ね、ラコニアの優しい人柄に感謝をしながら、ヘルミオーネは、ニコリと微笑んだのだった。




