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欲しいもの

 エウロスと別れた二日後、いつまでも帰ってこないと業を煮やした両親が寄越した馬車でヘルミオーネは王都にある屋敷へと戻った。

 馴れない馬車に揺られて、屋敷に帰ったヘルミオーネを出迎えたのは、たくさんの花だった。

「…すごい」

 高価な花々が自室の部屋に所狭しと置いてある。

「素晴らしいでしょう?ラコニアがあなたのお見舞いに、って毎日贈ってくださっているのよ?」

 まるで自分が贈られているかのように、嬉しそうな母の前にいて、贈られた本人であるはずのヘルミオーネの心はときめくどころか、少しも動かない。

 こんなに鮮やかで美しい花だというのに。

「素晴らしいわね」

 自分で言っても分かるくらいに、ヘルミオーネのその言葉には感情というものがなかった。

 自分でも不思議だと思う。昨日までの景色はあんなに輝いていたのに、今日のこの高価な花は色あせて見える。

 部屋を埋め尽くす花々を前に無表情の娘を、母は疲れているのかと思ったのだろう。

「今日はもう休んだ方がいいわ」

 静かな口調でそう言って優しく抱きしめると、部屋から出て行った。

 母が出て行った部屋で、ヘルミオーネは肩で一つ息を吐いた。

 疲れる。本当に疲れる。しかしこれが現実なのだ。

 前はこんなに虚しいとは思わなかった。自分を繕うこともさほど苦にはならなかった。時々ここを抜け出すことが出来れば、それでよかった。

 でも、今は違う。

 ここにはすべてがある。贅を凝らした食事、広い部屋、一人では広すぎるほどのベッド、窮屈だけれども美しいドレス。

 それに高価な花を贈ってくれる人。

(けれども、私の欲しいものは何もない)

 欲しいもの、それは、力強い腕の中にある安心感。温かで、柔らかくて、甘いキス。それはエウロスだけがくれるもの。

 ここには何一つない。何もヘルミオーネを楽しませてくれない。

 その日を境にヘルミオーネは、台所に手伝いにもいかず、部屋の中に閉じこもるようになった。

 心配した料理長のキュニスがヘルミオーネの為にクッキーを焼いても好物のスープを作っても、お礼はしても前のように無邪気な笑顔を見せなくなった。

 あんなに元気だったのに、一体どうしたのか、それは屋敷の中の誰もが不思議に思うことだった。そう、ヘルミオーネただ一人を覗いて。 

 そんなある日、屋敷の中でひたすら大人しくしているヘルミオーネの元にティマイアが訪ねてきた。

「おばさま、心配してたわよ。元気がない、って」

「そうかしら?別に変わらないと思うけれど」

 開け放したテラスの窓からは、夏の風が吹いてくる。いつのまにか初夏とはいえない季節に変わっている。

 今頃はあのリンゴの下でも夏の暑い風が吹いているだろう。

 実のところ、足の具合はほとんど治っている。だから、テラクロ村へ行きたいと願っているのだが、馬に乗るのはだめだと両親に止められ、それが叶わない。母はそのことでヘルミオーネの機嫌が悪いのだと気にしていたらしい。

「ヘンよ、変。どうしたの?ラコニア様と上手くいっていないの?」

 ここに帰ってから、ヘルミオーネはラコニアに今まで贈ってくれていた花の礼の手紙を書いた。上手くいっていないも何も、ディナーにも行かず、止まったままだ。

「別に…あの方とは…」

 ヘルミオーネは静かに首を振った。

「あの方も?どうしてかしらね、皆、こう、押しが無いのよね…」

 あんなに恋をすることに意欲を燃やしていたティマイアだというのに、フゥ、と息を吐いた。ヘルミオーネがおかしいというならティマイアも同じだ。

「どうしたの?上手くいってないの?」

 ティマイアは、ラコニアとデートした時、別にお目当ての人がいたはずだ。自分を巻いてまで二人で会いたがったというのに。

「ううん…上手くいかなかった…っていうか、ダメなのよ。とにかく物足りないの」

 それを聞いたヘルミオーネはカップを口に運びながら、フフと小さく笑った。

「分かるわ、それ」

 確かにラコニアは完璧だ。でも、何か物足りない。しかし、エウロスはヘルミオーネにとって刺激がありすぎるのであるが。

 だから、忘れられない。今も、こうして、片時も。

「でしょう?」

 ヘルミオーネが同意してことで勢いついたティマイアは、カタンと音を立てて席を立った。

「でも、舞踏会では素敵な方には巡り合えないわ。アレウス様だって…」

 窓辺に立って風に吹かれながら、再びティマイアはため息を吐いた。

 その後ろ姿は何だか寂しい。

「何かあったの?アレウス様?」

「アレウス様も以前ほど舞踏会に姿を見せなくなったわ。たまに見かけても踊らなくなって…つまらないのよね」

 暫く王都を離れていたヘルミオーネには移り変わりの早い社交界のことはよくわからない。ただ、帰って来てからアレウスの退屈顔を見かけなくなったのは確かだ。

「…つまらない。そうね」

 ヘルミオーネもティマイアと同じように席を立ち、そのまま窓辺で肩を並べた。

「つまらない…あなたも?」

「ええ」

 隣に立つティマイアにうなづきながら、ヘルミオーネは何故か、ティマイアの横顔が前よりも少し大人びたような気がしたのだった。 


 その大きな部屋は、華やかな装飾などは一切なく、その白い壁を埋め尽くすのは、作り付けの本棚。足音が響かないように敷き詰められた地味な色目の絨毯の上には大きめの執務机がいくつも並べられ、その机はどれも例外なく、本や書類が積み上がっている。

 書類を前に働くのは、例外なく男ばかりだが、その真ん中に座る一人が、ペンを机の上に投げると腕を天井に伸ばしながら「んんんー」と大きく伸びをした。

「お疲れですね」

「そりゃ、ここんとこ働き詰めだからな」

「休暇から帰ってきたばかりなのに何をいうのやら。遊び過ぎですよ」

「遊ぶ相手には事欠かないからな」

「うわ、ムカツク」

 書類の山に囲まれた同僚が頭を抱えてところで、エウロスはクスリと笑って、立ち上がった。

「どこいくんですか」

「ちょっと、外の空気を吸ってくる」

「あ、じゃ、これ、ついでにいつものところに届けといてくださいよ」

「ああ、代わりに例の件は頼むよ」

 渡された書類を面倒くさそうな顔で受け取ったエウロスは、大きな扉で部屋の外に出た。

(遊び過ぎですよ、か)

 そこで大きく息を吐く。

 近頃、仕事から離れると浮かぶ顔がある。

 今度会った時はどんな顔を見せてくれるだろうか。

 あの長い髪が風に揺れて、それから…自分をみて、何を言うだろうか。

 その時の顔を想像するだけで、一人笑ってしまうのだ。

(何をやっているんだ、私は……)

 我に返り、年甲斐もない気持ちの高揚にドアの前で一人照れたように頭をポリポリと掻きながら、とりあえず頼まれた書類を届けておこうとエウロスは長い廊下を歩いて行った。

 

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