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買い物

 来た時の頃のことを考えると、嘘のようだ……。


 凶暴だったのは初日だけで、今の咲菜は、全くもって普通の女の人になってしまった。

 

 彼女は毎日、まめに食事を作り、部屋を片付け、すっかり主婦として機能している。

ただその変貌がなぜ起こったのか……。まだろくに話をしていない俺にとっては、ミステリーの霧の向こうの話である。


 うちの親たちのことだが、大分前にしばらく帰らないと咲菜から言付けを聞いただけで、その後、まともに連絡すらよこさない。一体何なのだ、あの親は。


 親のこともだが、他に色々心を波立たせることには事欠かない毎日を送っている。でも朝夕の彼女の作る食事は、そんな俺を何とも言えないのんきな気持ちに浸らせてくれる。

 そう、どんなにカリカリ来ていても、一食、食べ終わる頃には、すっかり落ち着いている俺。鎮静剤か何か、入っているのか?

 

 全くもって「押し付けられ女房」であるが、結構、良い奥さんではないかと、時々思っている自分に、思わず苦笑する。もちろん、そんなことは顔に出したこともないけれど。


 ただ、真剣に夫婦として付き合おうという事は考えられない。


 女の子と付き合ったことすら知らない俺に対し、何度も結婚している経験豊富な咲菜。このギャップは正直、俺を決定的に萎えさせる。何がどう良かったとしても、そこだけはどうしても我慢できそうもない。

 処女厨だとか言われるに違いないが、かと言ってこんな風に全く受け入れられないことを、無理して我慢することなど出来はしない。

 もし我慢して先に進んでみたとしても、何になる? きっとそのうちボロが出て、話がゴチャゴチャするだけで、良いことなんかあるわけない。

 というか、これ以上、親しくなるつもりもない相手が、俺の紛れもない本物の嫁なわけで、つーか、……もうこの時点で、既に相当ゴチャゴチャっている……。俺は思わず頭を抱えた。


「おい、またやってんのか?」


 頭の上より親友の安三やすぞうの声。


「おまえ、この頃、そんなんばっかだな。」

「まあな……」


安三は頭も上げずに返事をする俺を、前の席に座ってため息をつきながら見ている。


 もう咲菜にたいして恐怖でガクブルということはなくなった。そういう意味では、一時期より相当良くなったということは間違いない。だが、彼女のことを巡ってのジレンマは、俺にとってはガクブルすること以上にキツいことだった。





 昨日のことである。

 学校帰り、最寄りでいつものように電車を降り、改札を通った時だった。いきなり大きな声で呼び止められた。


「草葉さん!」


 数ヶ月前引っ越してきた俺には、家の辺りには知り合いは一人もいない。学校も相当遠いのでうちの生徒はここら辺りから通っているのは俺だけ。

 親関係の知り合いといっても、あの人達、ほとんど寝るだけに家に帰ってきているだけだから、そっち関係の知り合いもいないはず。

 一瞬のうちだった。パパっとそれだけのことを考えた。しかし結局、誰に呼ばれたのか全く想像できなかった。


「草葉さん!!」


 一際大きな声で呼ばれて、首を傾げる俺ははっと声の方を振り返る。すると黒いジャージに、それと不似合いの上品な大きなつばのハットをかぶっている、女の子が立っていた。

 

 「く、草葉さん、わたし……です」


恥ずかしそうに、大きなつばの影から覗くのは、他ではない、うちにいるはずの咲菜だった。


「ど、どうしたの?」

「あ、あのう」


おもいっきり恐縮しているのが分かる。どうも、頼み事があるらしい。


「わ、わたしと一緒に、お買い物に行っていただけませんか?」

「買い物??」

「はい」

「なんで?」

「もう、冷蔵庫に……」


 結局、先週から親は帰って来ていない。その間、買い物に行っていないから、当然、蓄えは無くなっているだろう。あんまり冷蔵庫の中なんか覗かない俺なので、全然気づいていなかったのだが、話を聞いて納得する。

 で、なんで俺がこの娘と買い物に行かないといけないわけ? 

眉間に皺を寄せる俺を見て、咲菜はアワアワと焦る。


「じ、実は……」

「ん?」

「……お金」

「お金?」

「ないんです」

「ない?」

「はい」


 聞くと咲菜は全く手持ちの所持金がないらしい。所持金なしって、紛いなりに嫁いできていて、ちょっとのお金も持ち合わせがないというのは、かなり不自然に思えた。

 でも俺たちで食う食材買うのだかし、いつも美味いものを食わせてもらっているわけで、こっちが金を出すのは当然である。

 俺は疑問について特に問いただすことはせず、じゃあということで、資金の方はこっち持ちということを了解した。

 

「野菜と肉、買うんだよな」

「はい」


 俺は歩きながら、後から着いてくる咲菜に確認した。

 咲菜は何かと物珍しみたいで、キョロキョロしながら駅前の商店街を歩いていた。

しかし、黒のふるーいデザインのジャージに、大きなつばの帽子をかぶった妙な出で立ちの少女というのは、やたらに目立つ。キョロキョロしているちょっと不審な挙動も手伝って、通り中の視線を引き寄せていた。

 で、俺はその娘のエスコート役。当然、この人達何??みたいな視線は、俺にもジャンジャン注がれるのだった。


  

「おい、ここでいいだろ?」

「あ、はい」


 入ったのは商店街に昔からあったであろう、小型のスーパー。エスコートはしているが、俺自身がこの街に詳しいくない。特に商店街なんて、まともに歩いたの今日が初めてだった。当然この店も初めて。

 でも咲菜は俺以上にビビっているようで、おどおどしながら野菜や果物を手にとって物色していく。



 

「結構、かかるもんだなあ」

「そ、そうです、……ね?」


 レジで清算し店を出て、結構な出費であったことに、思わずそんな言葉がこぼれた。咲菜はちょっときょとんとした顔をしていた。食べる方は完全に母さん任せで関わってなかったので、相場も何も分からない。ただ、これだけの食材に俺の小遣い全部吹っ飛ぶというのは痛かった。


 店を出てしばらく商店街を歩き、そう長くない商店街は、いつしか普通の住宅街へと変わる。歩きながら考え込んだ咲菜は、済まなそうに聞いてきた。


「あのう、一月、どれぐらいの食費でしておられるんですか?」

「ん? どれぐらいだろ。一人、3万、とか?」


んなこと、知らないよ。


「3万円、……ですか」


なんか、絶句している。そしてスッと立ち止まった。


「あのう、大変申し訳無いんですが」

「はあ」

「もう一度、お店に行っても宜しいでしょうか?」

「なんで」

「……いえ、ちょっと、お店の方にお願いしてみようかと」


 何をしようとしているのか良くわからない俺だったが、なんか物凄く切実な目をして頼んでくるので、仕様がないとUターンした。


 返品は無理だったので、咲菜は買ったものを可能な限り、数段階下のグレードの食材と交換したのだった。

 必然的に交換された商品は、初めの時の数倍に膨れ、相当な量になった。彼女は商品をレジ袋二袋につめていく。出来上がった大きな荷物は、見るからに重そうだなあとため息の出るものだった。

 

「じゃあ、帰りましょう」


 彼女は当然のように、2つの荷物を持とうとした。しかし、それは絶対に無理。案の定、キャっといって、片方の荷物を台の上から落としそうになる。俺は咄嗟に手を差し伸べ、落ちかけた荷物を支えた。


「あのさ、無理だよ」


 俺はその荷物2つを両手に持ち、咲菜には俺が持てなくなった通学バック ----これも結構な重さあるが---- 彼女に託した。まだこっちのほうが、肩にかけられるから良いだろうと思ったからだ。

 すると咲菜はなぜかちょっと頬を赤らめ、ハイと頷いた。


 帰りは前を咲菜が歩き、俺がついていく。

 駅から結構距離があるので、かなりの労働であるが、咲菜はゆっくりではあるが嫌な顔一つせず歩いて行く。彼女は、時折歩みを止め振り返る。そして俺がつつがなく歩いているのを確かめると、また歩き始める。

   

 俺にとっては、この娘が俺の家にやってきたその日の出来事が決定的で、あの理不尽で恐ろしく、変な臭がしたり、不潔な格好をしていたりというのが、脳裏にこびりついてはなれない。

 だが今日なんか、服装は色々難ありだが、怖くもないし、人並みには清潔にしているし、あの匂いもあの時だけど、それから一度もしたことがない。


 猫をかぶっている?


にしては、初日よりこっちのほうがずっと自然に見えるぐらいなので、それも考えづらい。


 とすると、やっぱ今の方が本来なのだろう。




「草葉さん」


 色々と考え事をしていると、いきなり声をかけられた。彼女のことをずっと考えていたので、俺はなんか無茶苦茶焦って、逆に不機嫌な声が出てしまった。


「なに?」


「荷物もつの代わりましょうか?」


 目の前には、夏なのに黒く長い袖のジャージの袖口に白く細い手がある。さあ渡してくださいと、俺が荷物を渡すのを待っている。

 え?とびっくりして、思わず俺は彼女の顔を見上げた。

 目に飛び込んできたのは、俺が生まれてからこの方、一度も遭遇したことのないような、清楚にして美しい女性が、愛らしいキラキラとした笑顔を湛えている姿だった。 

 

 「重たいですよね、代わります」


笑顔は更に輝きを増し、その光は夏の夕日より、何倍も何倍も眩しかった。



 


 それからなのだ、ずっとその光景が頭に焼き付いてはなれない。それを思い浮かべる度に、心臓がバクバク言ってしまう。


 マズイ、これは本当にまずい。困った、困ったよぉ。


 彼女はバツ2で、俺の嫁であったりするのだ。一体、なんという無茶な間柄なんだ。

 絶対に許せない存在であり、同時になんでも許される関係。

で、俺は普通の高校生で、家は二部屋しかないのに親と同居で、そこに彼女と現実的に住んでいる……。

 どこをどう解きほぐせば、人並みの生活になるのか、考えれば考えるほど頭の中がこんがらがっていく。

 

「ガーッァ、ワー、クソー」

 

 思わず叫び声が漏れ頭をかきむしる。それを見た安三はドン引きした顔で言った。 


「昇太、おまえ、保健室、行った方が良い。悪いことは言わない、今、直ぐ行け、一刻も早く行けったら行け!!」

「……うう」


それで済むのだったら、世話ない。


困った、本当に困った……。

     

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