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7. 叶鬼

「そもそも、『妖』って何なんでしょう。私が考えてる妖怪と同じでいいんですか?」


 橙色の光が差し始めた道に、撫子の声が響く。前を歩く赤城が肩越しに振り向いた。夕陽を受けた彼の髪は、先程よりもずいぶんと赤く見える。

 二人は霧島がいるという場所に向かっているところだった。さくさくとテンポのいい足音は赤城のもの、引きずるような音は撫子のそれだ。赤城は歩くのが速く、撫子は着いて行くのに苦労する。

 赤城はすぐに前へと向き直り、ペースを緩める事なく歩きながら言った。


「撫子様がどんな『妖怪』を想像なさっているかは存じませんが、鳴神ヶ里では妖怪、物の怪、その他もろもろ、人の世の魑魅魍魎(ちみもうりょう)をひっくるめて『妖』と呼んでいます」


 そう言われても、なんだかピンとこない。

 そんな内心が沈黙に表れていたのか、赤城は更に続ける。


「自然の精気から生じた魑魅魍魎、人の意識が生んだ民間伝承、あるいは幽霊。乱暴に言うと、河童もベッドの下の斧男もポルターガイストも、全て妖の一種です」

「じゃあ、赤城さんは何のようか……妖なんですか?」


 どうもただの犬ではないようなので、先程から気になってはいた。

 赤城はちらりと撫子の方を見やり、答える。


「私は九十九衆(つくもしゅう)、という分類になります」

「つくもしゅう……?」


 耳慣れない単語に、撫子は首を傾げる。

 だんだん質問にも慣れてきたのか、赤城は噛み砕いた説明をしてくれる。


「九十九年──つまり長い時間を経れば、道具や動物にも魂が宿るという観念があります。付喪神(つくもがみ)と言えば分かりやすいでしょうか」

「傘お化けとか猫又とか、そんな感じですか」

「さすがによくご存知ですね」


 妙に買い被ったような赤城の台詞に、撫子はそっぽを向いた。照れ隠しではなく、困惑のためだ。彼は撫子が怪奇現象に詳しいとでも思っているのだろうか。

 再び気まずい沈黙が落ちてきて、何とも言えない微妙な空気が流れる。

 二人は緩い坂道に差し掛かろうとしていた。貸してもらった下駄はまだ馴染んでいないので、足がじくじくと痛む。

 撫子は痛みと気まずさを誤魔化すように話題を変えた。


「……ずいぶん、人通りが少ないんですね」

「まだ日が出ていますからね」


 やはり妖怪は夜に出やすいものなのか。

 一種の納得感を覚えながらも、やはり現況をあっさり受け入れている自分がおかしくて、撫子は赤城にばれないようこっそり(わら)った。


 傾斜のゆるい坂道の脇は、いかにも昔ながらといった家々に縁取られている。

 白土、瓦、木目の茶色。穏やかな色合いの町並みに、撫子は中学の修学旅行で訪れた京町家を思い出した。立ち並んだ町造りの民家といい石畳の道といい、鳴神ヶ里はどことなく古都を連想させる雰囲気がある。赤城を見失わないよう気を払ってだが、撫子はきょろきょろ辺りを見回した。妖怪と聞いて連想するおどろおどろしいイメージとは異なる、明るい場所だ。

 こんな町が人知れず存在していること自体はおかしくとも、暮らしているのが妖怪だとは到底信じがたい。どこかで夕飯の支度をしているのか、お味噌汁の匂いに鼻をくすぐられる。なんとなく、懐かしい情景だった。


「良い所ですね」


 撫子は知らず知らず、そんな言葉を呟いていた。


「お気に召して何よりです」


 社交辞令だと思ったのか、赤城の返事はそっけない。

 けれどそのハスキーボイスにわずかでも嬉しそうな響きを感じとったのは、撫子の気のせいだろうか。

 何となく落ち込み気味だった気分が、少しだけ楽になる。

 そうして歩いているうち、撫子の頭にふと疑問が蘇った。先程聞きそびれた、霧島についてのことだ。さっきは何となくうやむやにしてしまったのだが、やはり気になる。

 撫子は歩調を速め、赤城の隣に着いて訊いた。


「あの、例の霧島さんはどんな妖なんですか?」

「そう言えば、まだ説明していませんでしたね」


 足元の石畳が、灰色の階段へと変わった。少し上りづらくなった坂道を歩きつつ、赤城は解説を続ける。


「霧島様は鳴神一帯を守る、叶鬼(かなえおに)という妖の一族です」

「かなえおに……は、ちょっと聞いたことないです」

「願いを『叶』える『鬼』と書きます」


 確かにさっき、赤城は彼を『鬼』だと言っていた。けれどそれだけでは、角と金棒のイメージしか湧いてこない。困り顔の撫子を見やり、赤城は言った。


「妖も九十九衆も、闇の化生であるという点では変わりありません」


 ですが、と赤城は続けた。その様子は、どこか誇らしげでもあった。

 

「叶鬼は、まずその出自からして異なります。……天つ神はご存知ですか? つまり、高天原に座す神のことですが」


 それくらいなら聞いたことがある。撫子はおぼろげな知識を懸命に引っ張り出した。確か、古典の授業に出てきたのだったか。


「日本神話に出てくる神様のことですよね?」

「そうです。叶鬼の一族は、元は天つ神の一柱であったと言われています」


 血。願いを叶える。神。どことなく既視感がある。

 撫子はあまりの急な説明に混乱を覚えて、軽く額を押さえた。汗ばんだ肌で指がぬるつく。

 赤城の講釈は続いた。


「叶鬼、血啜りの鬼、鳴神夜叉。呼び名は様々ですが、血と精気を啜ることで鬼神の力を宿すところに叶鬼の本質があります。その力をもって、かの一族は古くから鳴神ノ森一帯を守護してきました」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 ついに撫子はストップをかけた。なまじ彼の言わんとする意味が分かるだけに、その驚きは大きい。赤城は言われた通り、きっちりと黙りこむ。


「ってことは、社に祀られている守り神って実は妖だったんですか?」

「そういう事になります」


 赤城の簡潔な答えに、撫子は脱力した。

 デジャヴの正体はこれだ。

 昨晩、撫子はしきたり通り、祠に血を流して願いをかけた。願いを『叶』える『鬼』と書いて叶鬼。要するに、撫子が昨晩願った相手は妖だったのだ。いや、撫子だけではない。ずっと昔から鳴神ノ森周辺の人々が願いをかけてきた守り神とは妖のことだった。


「何かもう……常識とか歴史とか通用しないんですね、ここ」

「知っているか知らないか、それだけの違いです」


 頭痛を覚えた撫子はぎゅうぎゅうとこめかみを押さえる。赤城はそんな撫子をねぎらうかのように言葉をかけた。そのお陰か、撫子は階段をのろのろと上りながら脳内の混乱を整理する。


「じゃあ、今の守り神……と言うか鳴神ヶ里を守っている人は、その霧島さんなんですか?」

「いえ、現在は霧島様のお父上が。ですが、いずれは……」


 何故か赤城が口ごもった。撫子は顔を上げ、彼の方を窺う。

 すると赤城はさらりとその視線を受け流し、「着きましたよ」と前を指して見せた。


「こちらに霧島様がおられます」


 撫子は釣られてそちらに目をやる。

 そこにあったのは古びてなお風格を失わない、武家屋敷にも似た木造りの門だった。



***



 母屋の中は、匂いと物音の少ない独特の雰囲気をしていた。外の全てが縁側の簾で遮られてしまっているかのようだ。年季から生じる埃っぽさの中に、どこか香気めいたものを感じる。赤城に続いて廊下を進む撫子は、失礼にならない程度に辺りを窺った。

 時が止まっているような、という表現も少し違う気がする。強いて言うなら、水の底か。誰もいない水族館のような、穏やかな時間の流れがそこにあった。


「そろそろ起きておられるはずなのですが……」


 赤城は時折見かける人影に挨拶しながら、屋敷の奥へと歩んでいく。撫子は女中らしい彼らに慌てて頭を下げた。赤城と同じく、正体が妖であるとはとても思えない人影は、愛想良く微笑んでくれる。

 急に背後からくすくすという笑い声が聞こえて、撫子は慌てて振り返いた。しかし目前には埃一つない廊下が伸びているばかりだ。違和感に背中がそわそわと泡立つ。

 今、間違いなく背後に『何か』がいた。目の前の空間には、人も化け物らしきものもいない。けれど確実に、押し殺すような笑い声が聞こえた。

 その不審さに撫子が首を傾げた時だった。赤城が「ああ」と安堵したような声を出した。


「霧島様、お目覚めでしたか」


 その瞬間、空気が凛と張りつめるような、そんな気がした。撫子はゆっくりと振り向いて、小さく息を呑む。

 こちらへ歩み寄ってくる『霧島』は、おそらく撫子が今まで見た中で一番整った顔立ちをしていた。その精悍な顔は、いっそ美しいと言った方がいいのかもしれない。少し癖のついた短い黒髪は、まさに烏の濡羽色だった。長身痩躯に纏った濃色の着物のせいか、白皙が余計に引き立てられている。

 そして何より撫子を惹きつけたのは、彼の双眸だ。

 赤城と二言三言交わした霧島がこちらを見る。撫子は言葉も出ない。

 薄暗い廊下に一層深く焼けつくその瞳は、血のように鮮やかな紅色だった。

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