滅びを告げる懐中時計を渡され、追放された宮廷時計技師は辺境で国を救います ~貴方たちが捨てた「終わりの刻」、私が巻き直しますわ~
「無能な時計技師など、この城に不要だ!」
王太子アルヴィスの一喝が、謁見の間に響き渡った。
私――リゼル・アシュフォードは、片眼鏡越しに、その傲慢な横顔を静かに見上げた。
(データも取らずに結論を出す。技術者失格ですわね)
喚くつもりはない。抗弁も無駄だと、もう三度目の警告書を握り潰された時点で理解している。
前世――現代日本で機械時計工房を営んでいた私にとって、根拠なき結論ほど耐え難いものはない。だが、それを説いて聞く耳を持つ相手ではなかった。
「王太子殿下。もう一度だけ申し上げます」
私は懐から、古びた懐中時計を取り出した。建国王が遺した国宝――『滅びを告げる懐中時計』。世界樹の脈動と同期し、針が止まった時に国が滅ぶと伝わる遺物。
「この針の乱れは、魔力枯渇による滅びのカウントダウンです。あと三ヶ月で、針は止まります。針が止まった時――」
「またその話か!」
遮ったのは、王太子の隣に寄り添う白金の髪の女。自称・聖女ミレイユ・ヴァントーズ。
「あれは骨董品ですわ。技師が己の失態を、時計のせいにしているだけ。……わたくし聖女ですのよ? 国の魔力なら、このわたくしが浄化して守っております」
作り物めいた清楚な微笑。純白の法衣が、燭台の光を受けて輝く。
(ええ、輝いておりますこと。……その光の出どころを、私は存じておりますけれど)
私は口を閉ざした。ここで真実を語っても、握り潰されるだけ。
「聞いたか、リゼル」アルヴィスが鼻で笑った。「ミレイユが守っている国を、お前は骨董品ごときで脅かそうとしている。そんなに大事な時計なら――」
彼は指を突きつけた。
「貴様が持って出て行け! その呪われたガラクタごとな! 辺境の魔物にでも食われて来い!」
謁見の間に、嘲笑がさざめいた。
私は静かに一礼した。胸に、滅びの懐中時計を抱いて。
「――かしこまりました」
誰も気づいていない。
この時計の針が、あと三ヶ月で止まる位置を指していることに。
そして――この時計こそが、この国の『心臓』であることに。
◇
追放の馬車は、辺境へ向かう街道をがたがたと揺れていた。
窓の外を、王都の尖塔が遠ざかっていく。振り返る者は、誰もいなかった。前世でも、今世でも。
(前世で誰にも必要とされず。今世でも、ただ道具として消費されて。……まあ、慣れたものですわ)
私は膝の上の懐中時計の蓋を、そっと開けた。
精緻な歯車の群れ。ゼンマイ。脱進機。そして――中央で微かに脈打つ、魔力の澱み。
前世で機械時計を扱ってきた私だからこそ、分解して理解できた。これは単なる予言装置ではない。
(調速機――ガバナー。国の魔力循環を『制御』する装置。時計を握る者が、国の心臓を握る)
王家は、その真の機能を代々忘れていた。ただ「滅びの予言」として恐れ、祀り上げるだけ。
そして偽聖女ミレイユは、この時計から魔力を横流しして、自分の力だと偽装していた。
(横流しの分だけ、循環が狂う。針が乱れる。滅びが早まる。……気づいてすらいないのでしょうね、あの方は)
そんな国の心臓を、王太子は自らの手で追放した。私に持たせて。
くっ、と喉の奥が震えた。
私は――笑っていた。前世でも今世でも、初めて、腹の底から。
「ええ、喜んで持って参ります」
窓の外へ、遠ざかる王都へ、私は静かに囁いた。
「……この国の『心臓』を、丸ごとね」
三ヶ月。
その間に、王都の魔力循環はゆっくりと枯れていく。作物が枯れ、井戸が濁り、魔物が押し寄せる。ミレイユの偽りの浄化魔法は、魔力源を失って一切効かなくなる。
自業自得というものは、実に美しく、正確に刻を刻む。時計のように。
「さて」
私は片眼鏡を光らせた。
「向かう先は、魔物の氾濫で滅びかけた辺境……冷酷と噂される竜人の辺境伯、でしたか」
捨てられた土地。捨てられた技師。
(存外、悪くない組み合わせかもしれませんわね)
馬車は、辺境の門を目指して進んでいった。
◇
「辺境伯セイル・ドラゴネス様は、こちらに――」
初老の家令に案内された執務室で、私は思わず片眼鏡を押し上げた。
床に、工具が散乱していた。
その真ん中で、漆黒の鱗を持つ長身の竜人が――三角座りで、壊れた魔導ランプに唸っていた。
油まみれの手。険しく寄せられた眉。金の瞳が、ランプの内部を睨みつけている。
(……これが、冷酷と噂される辺境伯? 威厳ゼロの三角座りですわね)
「セイル様。また油まみれで……お客人がお見えです」
家令コルネが、疲れた声で告げる。
竜人はびくりと肩を跳ねさせ、勢いよく振り返った。
「っ、客だと!? 俺は今、この調光機構の不具合を――」
言いかけて、彼は動きを止めた。
私の手にある懐中時計を、金の瞳が捉えたのだ。
「……それは」
がたっ、と工具を蹴散らして、彼は立ち上がった。厳めしい相貌が、みるみる少年のように輝いていく。
「見せてくれ! その機構――脱進機の様式が、俺の知る物と違う。ゼンマイの巻き上げ比は? 調速はどうやって……いや、まさか魔力連動式か!?」
(……食いつきが、まるで前世の同業者ですわね)
「どうぞ、ご覧くださいませ」
私は静かに蓋を開けて見せた。
セイルの瞳が、大きく見開かれる。
「……この機構」
彼はごくりと喉を鳴らした。
「……美しいな」
その一言に、私は――ほんの少し、目を細めた。
(王都では誰一人、この時計の美しさを見なかった。ただの呪われたガラクタとしか)
「辺境伯様。ひとつ、お尋ねしても?」
「セイルでいい。……なんだ」
「この時計、単なる予言装置ではありません。国の魔力循環を制御する調速機です。私の理論と、この地の魔力工学を融合させれば」
私は窓の外、枯れかけた辺境の大地を見やった。
「この土地に、刻を巻き直せますわ」
セイルは、ぽかんと私を見て――それから、にっと牙を覗かせて笑った。
「……お前、面白いな。名は?」
「リゼル・アシュフォード。宮廷を追放された、時計技師です」
「追放だと? こんな技術を持つ奴を? ……王都の連中は、目が腐ってるな」
コルネが、隅で小さく頷いた。
(対等な技術者として、疑わず尊重される。……それが、こんなにも、温かいなんて)
私は知らなかった。この日から、全てが巻き直り始めることを。
◇
「リゼル様、それってどういう仕組みなんですか!?」
孤児院出身の助手ティナが、大きな瞳を輝かせて設計図を覗き込む。
すすで汚れたエプロン。魔物の氾濫で家族を失いながらも、彼女はいつも快活だった。
「単純なことですわ」
私は塔の設計図に線を引きながら答えた。
「時計の調速機は、乱れた魔力の流れを一定に整える装置です。これを巨大化し、大地に据える。名付けて――『魔力調速塔』」
「魔力を、時計みたいに正確に回すってこと……ですか?」
「ええ。枯れかけた土地は、魔力が偏って滞っている。それを均等に巡らせれば」
私は窓の外を指した。
かつて赤茶けていた大地に、若草が芽吹き始めている。
「魔物は退き、土は甦る。……もう、始まっていますでしょう?」
ティナが、息を呑んで駆け出した。
「本当だ……! 畑が、緑になってる……! リゼル様、すごい、すごいです!」
涙ぐんで振り返る少女に、私は胸の奥が疼くのを感じた。
(必要とされ、慕われる。……前世でも今世でも、得られなかったもの)
塔の建設現場では、竜人の膂力で巨大な歯車を据えるセイルが、汗だくで叫んでいた。
「リゼル! この主軸の噛み合わせ、あと三度ずれてる気がする!」
「さすがですわ。正確には二・八度です」
「くっ……お前、なんで見ずに分かるんだ」
「職人ですもの」
コルネが、修復された義手をそっと動かしながら、目を細めていた。
私が魔導機構で直した、彼の右腕。過去の魔物討伐で失ったものだ。
「リゼル様」
家令は深く頭を下げた。
「貴女が来てから――この地に、刻が戻りました」
辺境は、豊穣の地へと変わっていく。
一方その頃、遠い王都では。
枯れた井戸。腐った作物。城壁に押し寄せる魔物の群れ。
純白の法衣のミレイユが、震える手をかざしていた。
「な……なぜ、浄化魔法が効かないの……!? わたくしは聖女よ!? 聖女ですのよ!?」
光は、一片も宿らなかった。
当然だ。横流しする魔力源――時計は、もうこの国にないのだから。
刻は、正確に進んでいた。
◇
滅びの刻限、三ヶ月。
その日、辺境の新しい塔の前に、みすぼらしい馬車が転がり込んできた。
中から降りてきたのは――かつて私を追放した、王太子アルヴィス・レガリアだった。
華美な装飾は色褪せ、頬はやつれ、瞳には焦燥が浮かんでいる。
「リゼル! リゼル・アシュフォード! どこだ!」
私は塔の入口で、静かに彼を迎えた。
「これはこれは。王太子殿下。……このような辺境の、呪われたガラクタの許へ、何用でしょう」
「そ、それだ!」
アルヴィスは私の胸元――懐中時計を指さした。
「時計を返せ! 王都が滅ぶ! 作物は枯れ、魔物が城まで押し寄せている! その時計を返せば――お前を宮廷時計長に戻してやる! 時計技師の頂点だ、破格の待遇だぞ!」
命令口調の懇願。
(失ってから、初めて価値に気づく。……実に典型的ですわね)
セイルが低く唸り、一歩踏み出そうとした。私はそれを手で制した。
「セイル、お待ちを。――殿下。ひとつ、訂正させていただきます」
私は懐中時計の蓋を、ゆっくりと開けた。
針は、止まる寸前の位置で、微かに揺れていた。
「これは、滅びを『告げる』時計ではありません」
アルヴィスの喉が、ごくりと鳴る。
「滅びを『選ぶ』時計です。国の心臓。魔力循環を制御する調速機。……それを、貴方がたは自らの手で捨てた」
「な……」
「そして私は、もう」
私は静かに、微笑んだ。氷のように。
「貴方がたの刻を、巻きません」
アルヴィスの顔から、血の気が引いていった。
「ま……待て、そんな……国が、滅ぶ……」
「ええ。三度、私は警告いたしました。書面で。……その三通が、どこへ消えたか、殿下はご記憶ですか?」
彼の瞳が泳いだ。
「そ、それは……」
「大丈夫ですわ。忘れても」
私は懐中時計を、そっと掲げた。
「――この子が、全部、憶えておりますから」
◇
貴族議会の大広間。
近隣諸国の使者たちが居並ぶ中、私は懐中時計を演壇に据えた。
王太子アルヴィス。偽聖女ミレイユ。二人は、青ざめた顔で立ち尽くしている。
「わ……わたくしは聖女ですのよ!?」ミレイユが金切り声を上げた。「こんな追放された技師の言葉など、誰が――」
「では、記録に語らせましょう」
私は時計の裏蓋を開け、内部の魔導記録を、光の像として空中に投影した。
ざわり、と広間が揺れた。
「この時計は、建国王が遺した調速機。国の魔力の流れを、常に記録し続けていました。……つまり」
私は像を指した。
「目撃者、ですわ」
映し出されたのは――純白の法衣の女が、時計に手をかざし、魔力を横流しする光景。何度も、何度も。
「これは、ミレイユ・ヴァントーズ嬢が、時計の魔力を盗み、己の『浄化魔法』を偽装した記録です。彼女の力は、最初から偽物。国の心臓を蝕んでいたのは、彼女自身」
「ち、違う……! これは、捏造よ! わたくしは聖女――」
「では、こちらも」
私は次の像を呼び出した。
三通の警告書。それを握り潰し、暖炉に投げ入れる、王太子の手。
「私が三度提出した警告書。滅びのカウントダウンを記した、公式文書。……それを握り潰し、暖炉へ投げ入れる記録も、すべて刻まれておりました」
アルヴィスが、崩れ落ちるように膝をついた。
「そんな……時計が……見ていた……」
近隣諸国の使者たちが、次々と立ち上がる。糾弾の声が、広間に満ちていく。
「王家の失政は明白だ」
「偽聖女による国家的詐術……」
(データは、嘘をつきません。……ただ、正確に刻むだけですわ)
ミレイユは魔力詐称の罪で捕縛され、純白の法衣を引き剥がされながら、なおも喚いていた。
「わたくしは聖女よ……聖女ですのよ……!」
もう、誰も聞いていなかった。
アルヴィスは廃嫡。王家は失墜。
私は、片眼鏡越しに、静かにその崩壊を見届けた。
時計は、変わらず、こつ、こつ、と時を刻んでいた。
◇
滅びかけた王国から、民が続々と流れてきた。
豊穣の辺境へ。刻の戻った土地へ。
貴族議会と近隣諸国は、リゼルとセイルの治める辺境を、独立した新公国として承認した。
「リゼル様ぁ!」ティナが泣きながら抱きついてきた。「新しい移民の子たち、みんな畑が緑で驚いてます! リゼル様のおかげです!」
「私だけの功績ではありませんわ。皆で巻き直した刻です」
コルネが、修復された義手で、深々と一礼した。
「新公国の礎を築かれたこと、この老骨、生涯の誉れにございます」
その夜。
新公国の塔の上で、セイルが私を呼び止めた。
漆黒の鱗が、月明かりに濡れている。金の瞳が、なぜかそわそわと泳いでいた。
「リゼル。あー……その、だな」
「はい?」
「この塔の……調速機構だが。実に、美しい」
(また話を逸らしましたわね。首筋の鱗が、色を変えている。緊張している証拠ですわ)
「セイル。用件は」
「っ……」
彼は、大きく息を吸った。竜人の将軍が、一騎当千の武威を持つ男が、少年のように顔を赤くして。
「お前が来て、この土地の刻が戻った。……いや、違う。俺の刻も、戻った気がするんだ」
不器用な言葉が、ぽつり、ぽつりと落ちる。
「お前を、珍しい時計を持つ技師として、興味を持った。……でも今は。お前自身が、いなくなったら困る。ずっと、隣にいてほしい」
私は、息を止めていた。
「時計の針を……」
セイルは、ぎこちなく、私の手を取った。油の染みた、彼の手が。
「俺と一緒に、これから先も――巻いてくれないか」
前世でも、今世でも。
誰にも必要とされず。ただ道具として消費されてきた私に。
初めて、誰かが「お前自身がいてほしい」と言った。
頬に、温かいものが伝った。
「……あら」
私は、片眼鏡を外した。滲む視界を、指で拭いながら。
「時計技師が、涙で部品を濡らすなんて。……失格ですわね」
「リゼル……」
「ええ」
私は、彼の手を握り返した。しっかりと。
「巻き直しましょう。貴方と、これから先の刻を。……ずっと」
セイルの牙が、くしゃりと笑った。
塔の上で、懐中時計が、こつ、こつ、と幸福な時を刻んでいた。
◇
エピローグ。
新公国の塔。
静かに時を刻む懐中時計を、私は毎晩、手入れするのが日課になっていた。
枯れた土地は緑に満ち、魔物は退き、民の笑い声が絶えない。前世でも今世でも、想像しなかった暮らし。
「リゼル。まだ起きてるのか」
セイルが、湯気の立つカップを二つ持って現れた。相変わらず、指先には歯車油の染み。
(……お揃いですわね)
「ええ。この子の、最後の点検を」
その時。
私の指先が、時計の裏蓋の、微かな段差に触れた。
「……あら?」
「どうした」
私は片眼鏡を押し上げ、裏蓋を慎重に開いた。
二重底。
その奥に――もうひとつ、刻印があった。建国王が遺した、未解読の文字。
「セイル。これを。……二重底ですわ。その奥に、もうひとつ刻印が」
彼が覗き込む。金の瞳が、鋭く細められた。
「読めるのか?」
「古い王国語です。前世の知識と、私の解読なら」
私は、一文字ずつ、意味を辿った。
指先が、微かに止まる。
刻まれていたのは、たった一文。
『次の滅びは、北より来る』
塔の外で、風が鳴った。北の方角から、冷たく。
セイルの首筋の鱗が、戦いを予感して、微かに逆立った。将軍の顔だ。
「……まだ、終わっていないということか」
私は、そっと時計の蓋を閉じた。
「ええ。まだ、終わっていないようですわね。……ですが、もう心配はいりません」
私は片眼鏡を光らせ、静かに微笑んだ。氷のように冷静に。そして――もう、孤独ではない者として。
「喜んで受けて立ちますわ。この国の刻を守るためなら。――さあ、刻を巻き直しましょう」
懐中時計の針が、こつ、と鳴った。
まるで、新たな刻の始まりを告げるように。
――次に針が乱れる時。
リゼルとセイルの、新たな戦いが始まる。




