表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

イナーグアの来訪と入団準備のあれこれ

 ちり、と鈴が鳴った気がした。


 このところ、三人はシニエから配られた耳にかける補聴器のようなもので、イナーグアの来訪を待っていた。違う世界で鳴る音を聴ける補聴器らしい。


「聞こえた?」

「俺、行ってくる」


 シニエが出て行った。

 



 シニエは耳を澄ました。彼は生まれつき目があまり利かないので、こういうのは得意だ。他の感覚が尖っている。もっとも、普段はきちんと見える者らしく過ごし、なんでも覚えるのも早いので、なかなか他人から気づかれることはないが。もしかしたら、ぼやけてしか見えない目の代わりに『覚えの良さ』というのをカミサマとやらがくれたのかもしれない、とシニエは思っている。


 ……ちり……。


 また鳴った。どこから鳴ったかはすぐに見当がついた。

 右だ。


 向くと、目の前の景色がさらに歪んだ。何もないところから、見えない幕を通るように出てきたのは、背の高い厳格そうな目つきをした女性だった。髪を簪で半分くらい上げ、吊り目気味の赤みがかった葡萄色の瞳が、きらりと光る。


「お越しくださりありがとうございます、イナーグアさん」


 声をかけると、彼女は破顔した。くしゃっとなったその瞳に、さっきとは打って変わって親しみやすさを感じる。


「こちらこそ。シニエ、助かりました。……それにしても、本当にこんなところに野宿しているのですね。寒くはないですか?」

「いいえ。穴の入り口に編んだ筵を張ってます。こうすると隙間風が抑えられて、だいぶ快適になります」

「そうなのですね。立ち話はここまでにしましょう。二人が待っているのでしょう? 行きましょう」

「ええ」


 どうぞ、とシニエは案内する。


「お邪魔します。ヨルザ、三ヶ月ぶりですね。……サキ、初めまして。霧聴周辺担当の勧誘委員、イナーグアといいます」


 懇切丁寧に名乗ってくれるとは思わなかったので、どきまぎしてサキは、黙って礼をすることしかできなかった。


「もう大丈夫ですよ。あなたはわたくし達巫子守が保護します」

「ありがたく存じます」


 数日間で二人に叩き込まれた挨拶をする。何かありがたいことを、目上の人にしてもらったり言ってもらったりした時は、巫子守ではこのように言うのだそうだ。まあ、巫子時代と同じである。


「二人はきちんと教えてあげたのですね。お礼の言葉はよろしいですよ。無礼講で参りましょう」


 そうイナーグアが言うと、二人は格好を崩し、床に座った。サキも追って座る。


「今日はサキと話に来ました」


 座りながらイナーグアは言う。サキ達が着ているものよりもずっと高価そうな衣裳が汚れると心配したが、当人は気にしていないようだ。わざわざ話さないことにした。


「格好を崩していいよ」

「えっ……」


 急にイナーグアの貴族然とした、おっとりした言葉遣いが崩れた。見ると、勝気そうな目がこちらを向いている。ひょっとすると、さっきの言葉は定形文のように使われる挨拶なのではないか。

 ハァ、とイナーグアは深々としたため息をついた。帯を緩め、きっちりと着込んだ外套を緩める。


「ああ、こうしないと苦しくて喋れやしないな」


 壊れたのか? このひとは。


 そう思ってしまって、慌てて自分の口を押さえた。いくら無礼講で良いと言われても、言ったら悪いことがある。


「さて、サキ」


 イナーグアは正座した。一見気安そうな、それでいて厳しい目がこちらを、一点の瑕疵も許さないように見つめる。こういう目には慣れている。機嫌が悪くなりはじめた父のようだ。余裕を見せるように微笑んで、サキも正座した。


「覚悟は、あるの?」

「あります」


 ここは即答しておく。一瞬で、この場がピリピリとした緊張感に包まれた。

 イナーグアが茶を啜った。いつの間にか、湯呑みがふたつ、置かれている。入っているのは笹葉を煮出したのと、山羊の乳酪を溶かしたものが混ざっている茶だ。数日前にシニエがちょっと奮発して買ったものだ。


「この茶は美味しいね」

「ありがたく存じます」


 シニエがやんわりと返す。


「試験に受かって入るのは門下だ。そこでは、師を親とし、先に入った者を兄もしくは姉として暮らすんだ。合わない者もいるだろう。でも、自分が選んだ以上、勝手に変えることは基本できない。規律はそこそこ厳しいから、破ってしまったら除団が待ってる。ここにいる二人を家族として、一生暮らす覚悟はあるかいと、私は聞いてる」

「それが叶うのなら、本望だと思っています。私は、ずっと、巫子ではなく人間として暮らしたかったので」

「なら、いい」


 ふっとイナーグアが視線を緩めた。


「事前試験は合格。後で二人に感謝しときなさい」


(えっ……これ、試験なの!?)


 頭が真っ白になって固まっていると、ヨルザが口を出してきた。


「それはもっと前に言ってくださいよ、イナーグアさん。サキが動揺してる」

「ハハッ。こういうのは本音を見るからね。予告するとどうしても構えるから、意味がないんだよ」

「俺は自分の時落とされかけたの、まだ根に持ってる男なんで」


 ヨルザがおどけたように返し、イナーグアが爆笑する。そのさまは格好良かった。


(ああ、これが巫子守の人か)


 それにしても、彼女がずっと笑っているので、自分も可笑おかしくなってきた。ふざけ気味にイナーグアを睨む。

 爆笑している中でも、彼女はそのしぐさに気付いたようだ。笑いの中に交えて、子が愛しくてたまらないような、そんな柔らかな笑顔を見せた。

 勝手に頰が火照っていくのがわかる。さらに、そこに行きたくなった。


「よし、事前試験にも合格したところで、移送陣を設置しようか」


 唐突にそれっぽい言葉が、立ち上がったイナーグアから出て、サキはそっとシニエに寄った。


「移送陣って、何」

「簡単に言うと、繋力で一瞬で人やものを移動させるものだそうだ。俺も良くは知らない」

「ふうん」


 入団してから習うのだろう。それにしても、繋力にそんな利用方法があるなんて知らなかった。それといえば、せいぜい封印されて自分で繋力が取れない魔霊の、体の形の維持に使うぐらいかと思っていた。魔霊がいなかったら巫子も死ぬから、どちらにとっても都合がいいぐらいだろうとも。でも、巫子守なんていう組織ができるぐらいだから、と言われれば、納得できる。


「あ、そういえば配ってなかったね」


 ごめんごめん、と言いながら、イナーグアは何か薄い布地を三人それぞれに投げた。使い古された感じで、色がところどころ褪せている。広げると、上辺りに何かの牙の留め具があったので、袖のない上着だろう。裾に細かな房飾りがあって、着て回れば華やかに波をつくりそうだった。


「これはカルンサっていう、世界移動の補助具。正確にはここ〈表〉からたとえば〈裏〉に身を移すための繋力を節約してくれるものだよ。正式に入団が決まれば自分用のが支給されるけど、ここでは使い回しで相当古いから、破らないよう気をつけて。試験当日もこれを着てきてね。ちなみに、毎年数人は着ないで挑戦しにくる人がいるんだけど、身体にまわすための繋力が不足して倒れて、事故になるから特にヨルザ、無駄な真似はしないで」


 うっ、と息を詰める音が聞こえた。どうやらヨルザはそのつもりだったらしい。そんな暴走しそうな彼を、「おい」と言って睨むシニエは、完全に保護者だ。ここはシニエに任せたほうが良い。自分はまだヨルザの扱い方を知らない。


「じゃあ、カルンサをまとって。〈狭間〉に行くと強く思って、足を踏み出してごらん」


 言われるように、羽織って留め具をし、祈りの舞を舞う時のように無心で、ただ〈狭間〉に行きたいと願った。

 足を踏み出すと、周りに青いもやができたのを見た。そのもやの周りから、世界が一変していく。ごつごつとした岩肌はさらさらの砂地になり、夜の帳が下りる。さらに冬特有の冷たくわずかに粘りのあるような空気が、そこに満ちる。気づけば、サキは夜の中にいた。〈裏〉の世界を見たことはあったが、ここを見ることは今までなかったので、非常に新鮮な気分である。


 突然ぽっ、という優しい音が響いた。見ると、イナーグアが明るい小さな灯籠を持っていた。灯籠の中から、つんつんという、虫がぶつかるような羽音がする。


「これは発虫はっちゅうと言って、時々小さく爆発して光を放つ、〈狭間〉にしかいないモノです。生きてはいないのですが、死んだ魂を〈記憶の谷〉と呼ばれるところに導き、記憶を捨て去るのを助けてくれます。巫子守では灯籠に込めて、灯りとして用いることがよくあります」


 また口調が戻っている。まあ、それは門下に入ってから習う話ですけどね、と呟き、イナーグアはその灯籠を砂地に置いた。


「どうして、砂漠みたいになっているんですか?」


 ざり、と砂の上の草履を動かし、隣のシニエが訊いた。サキはずっと浜が近くにある暮らしだったからあまり違和感はなかったのだが、なるほど、馴染みがない者は疑問が湧くものだ。


「〈記憶の谷〉には〈真の闇〉という記憶を喰らう魔霊に近いものがいます。記憶は魂に鱗のように張り付いていて、剥がされて落ちたそれを〈真の闇〉は喰らうのですが、その滓が溜まります。それが数十年に一度谷から噴き出すことがあるんです。下にあるのは、昔誰かが体験したことの名残です。その者が生きた証、それがこの砂なんです」


 ぽん、と灯籠の中で発虫が弾けるのが聞こえた。


「さて、取り付けましょう」


 イナーグアは懐から樹液を四角く固めたような、琥珀色の石板を取り出した。表面には複雑な円形の紋様が描かれている。その模様の一番外側は二重螺旋の環になっていて、サキの槍にもあるので、多分繋力を使うのに深く関係しているのだろう。


「繋石と言って、繋力を煮詰めて固めたものです。よく繋力が入り抜けるものと、入りにくく抜けにくいものがあります。これは後者で、貴方達が馬を送り返す時に馬に押し付けたのとも同じものになります」


 この方が特殊な地面には定着しやすいんです、と付け加えて石板を地面に置いたイナーグアは、腰から手頃な大きさの白く輝く棒を取り出す。そしてその棒で、紋様のある面を上にして繋石の板を砂の地面に押し付けた。棒の先を板に密着させ、その周りが淡い水色に光っているので、多分彼女の繋力を流しているのだろう。


 しばらくは何の変化もなかったが、突然、琥珀色だった繋石がイナーグアの棒の先と同じ淡い水色に変わって、どろりと溶け出した時は驚いた。不思議なことに、繋石が溶けても、描かれている紋様は形が崩れなかった。

 その紋様が濃い赤に光って、紙が火に焦げるような音を立てながら、砂の地面に焼き付けられている。それに呼応するように、溶け出した繋石も円状に固まってきている。


「ちょっ……大丈夫ですか?」


 たまらなくなって、イナーグアの肩に手をのせ、サキは声をかけた。かなり長いこと繋力を流しつづけて、イナーグアの額に脂汗が浮いている。


「もうすぐだから、待ってて………仕上げだよ」


 一度カッと眩い光が辺りの闇を切り裂き、落ち着くと四角い石板は円形になって、浮き彫りのように砂地に嵌め込まれていた。がくり、とイナーグアの体勢が崩れた。二人が駆け寄って支える。


「大丈夫……」


 息を整え、イナーグアは立ち上がった。腰にさっきの棒を当てれば、するりと何か太い紐に巻き取られるようにして帯にひっつく。その横についた袋の薬入れから、長細い容器を取り出して、淡い金に色づいた飴のようなものを口にする。回復薬か何かなのだろう。ふいに彼女の足取りに力が戻った。


「もう、大丈夫。ありがとう。長いこと繋力を使ってなかったから、なまってたな。……確認をしましょうか」


 一歩前に出て、浮き出た繋石に跪く。陣に触れた。

 陣の線が赤みを増し、二重螺旋の環がくるくると回り出した。その中の記号やらそれを隔てたりつなげたりする線やらが光り出し、そこの周りに膜が張る。石鹸をよく泡立てた時のそれに似ていた。

 その膜が彼女を覆い始めた時、やっとイナーグアは手を離した。すうっと陣の光が消える。同時に、できていた膜も消えた。


「これで、当日困ることもなさそうですね。……出ましょうか」


 イナーグアは陣から離れ、灯籠から発虫を逃すと、空の灯籠を持って煙に巻かれるように消えた。あわてて、三人も続く。

 入った時と同じようにすれば、簡単に視界は元の岩穴の風景に戻った。


「私は試験日の直前まで、この陣を使って訪問しようと思っています。それで、これを皆さんに配りたいと思います」


 そう言って、イナーグアは懐からそこそこの厚さのある冊子と、筆巻きをそれぞれ三つ取り出した。何も入ってなさそうな、ぺたんとした薄い懐なのに、これだけものが出てくるので不思議だ。


「問題集と、筆と墨汁です。これを使って勉強していくことになります。何か質問はないですか?」

「あ!」


 思わず声を出してしまって、サキは赤くなった。おずおずと、続ける。


「あ、あの……私達が入る門下って、どこですか?」


 ああ、と二人が頭を抱えるのが目の端に映った。


「別に自由ですよ? 二人と一緒のところを志すならそれでよし、別のところを……」

「同じところがいいです。二人と離れたらどうやって生きたらいいかわからないから。それに、二人とも巫士と巫官を珍しく兼ねるんでしょ? 私もそうします」


 かぶせ気味にまくしたてるように言った。


「では……ロタンヨマ族の義兄(あに)がやっている巫士や巫官になれるサンガ門下、ということになりますが」


 聞いたことがない単語が出てきた。


「ロタ……え?」


 聞き返すと、「説明していなかったんですね」とイナーグアが呟いた。


 彼女の話によれば、巫子守には組織の方針などを決める議会があって、(それを議会部と言うらしい)それぞれ四つの大きな派閥が利権を争っているそうだ。それは元々は約四百年前の創立時に集まった四人の創始者からここまで大きくなっている。スリンクル、リナサンル、ショナラマ、ロタンヨマと名付けられた四つの血のつながらない氏族は、所属する巫子の民族の偏りや性格など、それぞれ特色がある。

 スリンクルは未毘古人が多い。保守的で巫子自身の血筋を重視する傾向にある。リナサンルは巫子の中でもアウネシア人など比較的少数民族が多く、革新的だが、考えの違う者を極端に敵視することがあるらしい。ショナラマは一族同士の結束が強くて、余所者を嫌う。


 それに対して、ロタンヨマの者は寛容で、血筋が少々不明瞭な者も多くいるらしい。巫子守に助けを求める巫子は故郷の村から逃げてきた人が多く、ロタンヨマに入りたいという志願者が後を断たない。それで、ロタンヨマ族の門下は最近ぐんぐん〈試し〉で入門するのに求められる点数が高くなっている。それだけロタンヨマの者は優秀になってきているのだ。


「お前、それでいいのか? ……倍率、結構あるぞ」

「いい。これを逃したら、いつ自分の意見を言えるようになるかわからない」

「ああ、そう、か」


 気圧されるようにヨルザは頷いた。サキの目には、並々ならぬ光がある。


「まあ、出た門下によって待遇も決まるらしいからな。頑張る価値はあるんだ」


 シニエが言った。


「いいですね? ……それじゃ、私は申し込んで、また戻ってきますから。春まで一緒に頑張りましょう」


本当は分割しようかなと思っていましたが、短かったので繋げました。

次は、イナーグア視点の閑話です。門下の人々が出てきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ