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悪夢のあと

 熱が出ていたせいなのか、あんな夢を見ていたからか、視界が潤んで歪んでいる。


 そのままで息を整えていると、目尻を涙が伝う感触がして、代わりにだんだんと視界から歪みが消えてゆく。その中に、少年の顔が入ってきた。柔らかい笑みをたたえている。元々穏やかそうな顔立ちなので、一瞬少女に見えた。


「目覚めた?」

「ん……」


 頷いて、ゆっくりと強張る体を起こす。ぺたりと濡れた手ぬぐいが腹に落ちた。相当風に当たったのか、中の繋力が頑張ったのだろう。変に体が熱い。


「ここは?」

「俺達の避難所だ。自然にあった岩穴を使ってるだけだから使い心地は悪いと思うけど、我慢してくれ」

「……うん。それより、槍……」

「槍? こいつか?」


 彼は立ち上がって、サキの背後に立てかけてあった槍を持ってきてくれる。槍は葦の帯を巻きつけたそのままの状態だった。彫った模様が手に馴染んで、サキは思わず槍を抱き寄せた。

 その動作に眉ひとつ上げず平然と見ている少年に、この人は何か違う、と思う。


「まあ、そうだよな。抱いたままでいいよ。俺はシニエだ。あんたはここの入り口の前で座り込んで寝てたんだ。別に責める気はないが、避難場所にいたわけだからた、最初はドキッとした。……あんたは?」

「……私はサキ」


 つい故郷の言葉で名乗ってしまった。


「サキ、か。聞き慣れないな。あんたの肌、よく日に灼けてるから、アウネシアの言葉か?」


(案外鋭いな)


 柔和な顔をしている割に、と思う。巫子である自分をかばったのだ。どうせわかるのではないか。もうばれる前に、この人には話した方がいいと思った。そこで、自分はもとアウネシアの巫子であること、村が突然魔霊に滅ぼされて亡命し、いまは未毘古名であるソルカを名乗っていること、などを話した。ちなみに、先ほどサキと名乗ったのは癖だということも。無論、復讐については言わない。ここは未毘古だ。サキにも加減はわかる。


「それは……大変だったな」


 それはいい。どうしても聞かなくてはならないことがあった。


「それで、なんで私が巫子ってわかったの?」


 訊かれたシニエは、うなじでくくっている髪を解いた。毛先に、うっすらと明るい炎の色が見える。途端、はっと彼女は息を呑んでいた。急いで髪に手をやる。カカヌの染料がところどころ抜けていて、毛先の群青が見えていた。額が冷たくなるのを感じた。


「それを見たから俺らは引っ張ってきたんだよ」

「それはどうも。え、貴方じゃないよね?」

「あんた、覚えてないのか? そこの入り口に座り込んでたあんたを揺さぶったの、俺じゃないぜ」


 言われて記憶を辿ると、その人物がぼんやりと浮かび上がってきた。


「貴方よりもうちょっと凛々しい人?」

「……あいつの前では言ってくれるな。妙に浮かれるから」


 シニエは目線を逸らした。そして、不意に彼が手を差し出したので、サキは戸惑いながら手ぬぐいを渡す。まだきついかと問われ、サキは首を振った。繋力の暴走による熱は上がっている時はものすごく苦しいが、割とすぐに下がることが多い。シニエは頷いて、穴の奥の方に顔を向ける。


「ヨルザ、彼女が起きた。粥を持ってきてくれ」

「ああ」


 奥からの返答がワンワンと反響して聞こえてきた。ヨルザ、というのが自分を揺さぶってくれた人か、と起き抜けのぼうっとした頭で考えていると、穴の奥、台所にしたのだろうかというところから少年が出てきた。その者もまた結った髪は先が若草に染まり、瞳は爽やかな若緑。一見したところ綺麗な顔をしているというのに、その眉間にはかすかに皺が寄っていて、どことなく不機嫌に見える。


「目覚めたか」


 呟くように言って、彼はサキの枕元に粥を盛った器を載せた盆を置いた。そのまま、彼女が座る空間の入り口にあぐらをかいて座る。


「食べられるか?」

「……ええ。ありがとう。いただきます」


 器とそばに添えられた匙を取る。粥は何かの乳でよく煮込まれていて、消化が良さそうだ。少し肉も入っているようだが、薄い茶色が見えるだけで、ほとんど原型を成していない。温かい食べ物特有の匂いに耐えきれず、一口すすってみた。

 途端、彼女は目を見張った。美味しい。そういえば、まともな食事はいつぶりだろうか。よくわからないが目が潤んだ。

 夢中で食べているサキをよそに、二人は少々近づいた。


「ヨルザ、緊張か?」


 言われたヨルザはそっと顔を逸らす。あの顔の曇りはどうやら、不機嫌ではなく緊張によるものだったらしい。


「お前だといろいろ誤解されるから、俺が初対面をやったほうが良かったろう?」


 ヨルザは、シニエから顔を逸らしたまま、不服そうにさらに眉間に皺を寄せた。そして反論のように、


「いろいろって何だよ。あのなあ、俺だってお前ぐらいにはできるさ。なんでいつのまにかお前になってたんだよ。俺が粥炊いてる間に」


 と言った。


「勘だ。そのほうがうまくいくと思った」


 ハァ、とヨルザは大仰なため息をついた。


 彼らはいつも、こんな会話を楽しんでいるのだろうか——〈巫子狩り〉達から逃れながら。だとすれば、自分と同じぐらいの年の、しかも元々巫子であろう者達がこれほどの深く気安い関係を作っているのだ。素直に羨ましいと思った。顔には出さず、ただ黙々と食べ続ける。


「ありがとう。美味しかった」


 そっと、椀と匙を盆に戻した。


「どこで洗うことになってるの?」


 ヨルザが出てきた方向に、盆を持って立ちあがろうとすると、同時に二人から押さえられた。


「病人は寝てろっ!」


 顔立ちも醸し出す雰囲気も、まるきり違うと言っても良いほどなのに、まるで双子のようだ、とサキは思った。息がぴったりすぎる。


「……俺が片付けてくるから、少なくとも完全に回復するまでは居ろよ」


 ぽつりとヨルザが言う。ややあってサキが盆を渡すと、彼は台所に戻っていった。

 ヨルザが椀を洗う水音の中、シニエはふと立ち上がった。居間の隅から木製の深い器のようなものを取り出す。よく見ると、それには弦が張られていた。盆器だ。


「お前、とてもうなされてた。こいつが目覚ましてくれたんだろうな……」


 そう言って愛おしそうに優しく撫で、ぽろりと掻き鳴らして音を立てた。よく使い込んで手に馴染んだような、柔らかい音が、居間に響く。その瞬間、ハッとした。あの夢の優しい音。あれは願望ではなかった。現実だったのだ。

「おっおい、どうしたよ……」

 気づけば、夜具が涙で濡れていた。

サキが起きました。

次回は、話が大きく動きます。

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