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サオルとの面会

「昼終業の鐘の五ファ前って……なんか変だよね」


 サオルとの面会の日がやってきた。サキは姿見に映る自分の姿を見つつ、横のあたりに屈んで、帯を結ってくれているクミルに向かって話しかけた。


「まあ、呼び出された時間通り行けば問題ないよ。さっ、できた」


 クミルはサキの衣装の帯から手を離した。サキはほわりと微笑う。


「いつもありがとうね、クミル」

「ううん、ちゃんとした衣装は簡略されてても着付けが難しいからね。今度わたしのも手伝って?」


 ふふっと笑いかけられるとこちらも断れない。


「もちろん」



「いいか。絶対に私と離れるなよ」


 そう忠告しつつ、玄関のサンガは靴入れの上からサキの額環になる前の青い繋石を取り上げた。先日もめた拍子で〈目〉を覆う繋石の部分が削れ、そこから固定するためのリメルデ化(繋石を放置するとやがて白く固まった金属のようなものになっていくこと)した環の部分が出てこなくなったが、モリテの手により修復された。直るまで最近は代用の陣が描かれた布を額に巻いていたが、外部の人に会う公式の場なので、久しぶりにつけることになる。


「サキ、布を」


 サキは頷き、後頭部の結び目を緩めて首に落とすと、すぐさまサンガは繋石を額に押し当てる。〈狭間〉という本来生者がいないところに住む以上、繋力、そして魔霊との交信の根本である〈目〉はなるだけ露出させないほうがいい。

〈目〉は血液に混じり流れる繋力が体外に溢れ出す場所なので、サンガの指が激しく抵抗に遭う。サキも、他者の繋力が入ってくるのを嫌がるかのように勝手に〈目〉が疼くので、生理的に不快だった。


(入門式はこんなに苦しくなかった……!)


「ちょっとだから耐えろ。眉間のしわを伸ばせ」


 サンガがぐっと力を込めて、楕円の繋石が〈目〉を覆うと、今までが嘘のように抵抗が消えた。楕円の上には白い金属がサンガ門下を表す紋様に絡み合って、続いて環の部分が呪帯のように互い違いに絡んでサキの頭を囲む。


「さすがはモリテだな。胎水のない空中でやるときの普段よりずっと抵抗が少ない」


(あの時変な水に浸からないといけなかったわけがわかったよ……こっちの方が苦しいもん)


「クミルも、褒めてやってくださいね」


 陣学が少し苦手で、その勉強を最近していたクミルが、その一環でサキの額環の修復を手伝ってくれたらしい。


「ああ、そうなのか。すまないな」


 サンガがちょっと萎れたので、家の雰囲気が和んだ。


「ありがとう二人とも。行ってきます!」



「サキ・ロタンヨマ、それとサンガ・ロタンヨマ。今週の安息日までは保護謹慎のはずですが?」


 指輪を照合した門番の巫士が怪訝そうに聞いてきたので、サキは招待状を包んでいた紙を見せる。


「別件で今日は来たのです」


 それを検分した門番が微笑む。


「ああ、そうでしたか。サオル・リナサンルがお待ちの部屋は球に入って左側の扉の中にございます。式神の案内に従いなさいませ」

「ええ。ありがとうございます」


 球の入り口へ階段を登りながら、サキはサンガの肩を叩いた。


「何だ?」


 今日の彼はどう見ても不機嫌ではないかと思ってしまうほどに表情が険しい。そうと思ってモリテに聞けば、「あれは緊張しているだけよ」と言っていたので、一応信じてみている。


 ただ緊張しているだけにしても、表情が堅い大人の男に声をかけるのは、何となく父を思い出してしまって苦手だ。……どうでもいい話をすれば、不機嫌でなければ緊張がほぐれるのを経験上サキは知っている。昔はカユンカがその役目を担っていた。真面目な顔をしてふざけたことを、ちょっと無理して言う彼には、よく笑わせられたものだ。


「門番の人って、なんで人を苗字まで全て呼ぶんですか? ここでは呼び合う時はだいたい下の名前に『様』か『殿』をつけるでしょう? 額環の形やカルンサの刺繍で所属している一族はわかるのに」


 上を見るとサンガが片眉を上げていた。


「ふむ、おそらく苗字まで呼ぶことで本人を確認しているのだと思うぞ。全く同名の者もいないわけではないからな。それに、名前全てではないぞ。その下に民族名がつくはずだ。巫子は巫具に選ばれて巫女造に入るときに、家名を失うからな」

「あ、そうか」


 そういえばそういう儀式をしたのを思い出した。別に家の名など当時のサキにとってもどうでもよかったし、巫子の立場で言うのは何だが、それほど故郷の人々に愛着も持っていなかったから、あまり印象に残っていなかったのだろう。


「民族名を呼ばないのは、多分この街の民に出身を思い出させないためだ。この閉鎖された空間で民族分断でも起こったら、収拾がつかないからな」


 指輪の繋石を押し当てると、大きな白い扉が音も立てずに開いていく。


「感謝するぞ、サキ。おかげでちょっとほぐれた」


 そうやって笑うサンガは、いつもの穏やかな父だった。



 入ったところには三つ扉があって、学徒院は右の扉だが、上層部が執務を行う総務部や、一族から数十人ずつ出て今後の巫子守の方策を話し合う、議会部があるのは左の扉だ。ちなみに儀式場は正面の扉にある。


(学徒院って未成年が通う場所だから分けられてるのかな)


 そんなことを思いつつ、左の扉にいた門番にも事情を説明し、中に入る。そこにあるのは招待状を押し付けるための小さな台。説明を受けた通りに陣が書かれてある方を押しつければ、それは木だったのに紙製の海亀の形をとる。海亀になった招待状はすうっと台を離れ、空中を泳ぎ出した。それを追って歩き出す。


 なぜ招待状が式神となって訪問者を案内するのか。それは単純に迷うからだ。それと訪問者の案内にいちいち人員を割くほど、人々は暇ではないというのもある。巫子守の中枢である中心球は、万一の防犯のため迷宮のように入り組んでいる構造をしている。学徒院は移動には頻繁に移送陣を使うし、少し単純なだけまだマシだが、部屋から部屋に向かう道が、曲がりくねって通っている上に、狭くて同じような外観なので、慣れていない者は簡単に迷う。しかも、偽の道を通って行き止まりに当たってしまうと、人一人がやっとぐらいの小部屋に陣で送られ、正規の目的で来たことが証明されるまでなかなか出されない。成人団員の限られた役職に就く者には、身辺の補助をするラクンラがつけられるが、それが原則一人なのも、通路を塞ぐという事情があるからだと教えられた。


(結構速いな)


 ひゅー、と楽しそうに空を泳ぐ海亀を見失えば、本気で迷いそうだ。それで、昼休憩目前の時間に呼び出したのは、仕事が一段落して混んでくると、辿り着けない可能性があるとサオルが考えたせいだと納得した。


 部屋に着くと、海亀は形をまた変える。引き戸の取っ手の前で、来訪を示す小さな鳴子になった。それを取ってからりからりと鳴らすと、戸が開かれた。


「ようこそいらっしゃいました。主は奥です」

「モイノ殿、出迎えご苦労。サキ、サオル様のラクンラであるモイノ殿だ」

「あっ」


 ぺこりと頭を下げると、モイノは言った。


「わたくしはラクンラですから、気を遣わなくてよろしいのですよ」


 人が良さそうな笑顔を浮かべている。

 この部屋は小さめの執務室のようで、奥の机で何かをしていたサオルが、二人の来訪を受けてそれを片付け、パッと立ち上がる。


 机を回ってくると、突然サオルは平伏した。


「急な呼び出しをしてしまってすまない。本来ならば私の方からそちらに出向くことが道理だが、何せ外野がうるさいものでな。先方がアヒノを裁判中も学徒院に通わせていたおかげで、学徒たちの噂はサキのことでもちきりだ。大人達にももうずいぶん広がっているので、こちらに呼びつけることになった。本当にすまない」


(これは私の問題なのに、どうして謝るんだろう)


 どうしたらいいかわからなくて固まるサキをよそに、サオルの奇行にあわてふためいたサンガが下に手を伸ばす。


「い、いえ、謝られるとこちらが持ちません。その節はありがとうございました」

「あ、ああ……」


 サオルはサンガの手を取って立ち上がる。

 サキも応える。


「ええ。お招きいただき、恐れ入ります」


 その時、昼休業の鐘が鳴った。

 しばらくすると廊下がにわかに騒がしくなる。入り口の扉からの途中に食堂らしきところがあったので、成人達はそこで食べるのだろう。

 サオルはすっと振り向いた。


「……ごはんにしよう。モイノ、頼む」

「ええ」


 モイノはサキ達に席を勧め、あらかじめ用意したあったのか、すでに温かい茶器を出して、お茶を淹れた。それから壁に向かいある一点を押す。すると、壁がぽっかりと四角く開いた。


「師父さん、あれは?」


 失礼にならないように小声で聞くと、同じく小声で返答が返ってくる。


「執務室に大体ついている、食事や用具を外部から取り入れる場所だ。ああいうのはラクンラが使うから、私はよくわからん」


 モイノはその穴に見合わない長さの、三人分の食事が乗った板を引き出して、まず主、それから二人に配膳する。そしてその大きな板を穴に戻して何かすると、四角い穴は壁になって全く見えなくなった。

 主の後ろに控えた彼女を尻目に、三人は食べはじめる。


「ラクンラを見るのは初めて?」

「あ、間近で見たのは初めてです。式典の時に、皆さん動き回っていましたが」

「まあ故郷の〈若〉みたいなもんだけど、私の人使いの荒さには普通に文句を言ってくるよ」


 はっはっは、と快活に笑う。「やめてくださいよ、サオル様。お客の前で」と言いつつ、モイノも笑っている。


(……なるほど)


 この中に自分が〈補〉として入っても、割と楽しいかもしれない。


「——サオル様、そろそろ……」


 半分くらい皆が食べ終えたところで、サンガが声をかけた。サオルは箸を置いて笑みをおさめ、真剣な面持ちでサキに語りかける。


「ああ、そうだね。本題に入ろう。〈補〉のことだが、前回は直後にあんなことがあったせいで、あやふやになってしまったと思う。改めて聞きたい。サキは、私の〈補〉になりたい?」


 サキはサオルを見つめた。


「この保護謹慎中、リヤフル先生とサオル様に〈補〉になることを勧められたあの日のことを考えていました。——私は、これまで巫子舞ができない巫子の存在というものを考えたことがありませんでしたし、巫子は舞ができてこそのものと思っていました。…………言い訳のようでお恥ずかしいのですが、巫女造に入った当時のわたくしは、命の危険を感じるほど実家に追い込まれていて、それから逃げてきたようなものだったので」


 一度言葉を切って、サキは改めてサオルの目をまっすぐ見据えた。サオルの瞳の橙は、サキのくすんだ青のそれとは違って、生の輝きに満ちているように見えた。それを信じて、口を開く。


「できる者がわたくししかいないというのならば、やります。わたくしも巫子守に拾われた身。わたくしがそれをやることで、死んだ村の者も含めて——皆が報われるのならば、やりたいと思います」


 横のサンガと、前のサオルとがゆっくりと頷いた。


「それはよかった。そして、もう一つ聞きたいんだけど、君は、巫士だけでなく巫官も目指しているようだね。それは否定しないけれど、どうしてかだけ教えてほしい」


 サキは微笑んだ。手をゆるく握る。


「拾ってもらった恩を返すためです。あの二人がいなければ、そしてここにいるサンガ師父をはじめ門下の人がいなければ、わたくしはここにいませんでした。村を失って……相当荒んでいたので、もしかしたら生きてすらいなかったかもしれません。そんなわたくしを迎え入れてくださったこの地に、少しでも役に立ちたいのです。それがわたくしには巫士では足りない。それだけです」


「なるほど。身体の負担は大きいと思うけど、そこまで想いがあるのなら、私は止めはしないし、止められるものでもないと思う。でも、きつくなったらすぐに言ってね。考える用意は出来ているから」

「はい」


 ふふ、とサオルが笑った。自然にこちらも笑顔になる。


(みんな、笑顔が眩しいよね)


 この一年足らず、そういう人ばかりに出会ってきた。だから、自分も無理なく笑えるようになったのだろうか。確かに心に感じる重さは、だんだんと持って管理できる程度になってきている。


「じゃあ、承諾も得たことだし。モイノ、あれを」

「かしこまりました」


 モイノはさっきまでサオルが執務をしていた机の下——詳しい場所はサキには死角で見えなかったが——から丁重に何か腕輪を取り出した。懐から手巾を出して、軽く拭ったあとに食事の盆の間にそれを置く。盆に隠れて、正直それが何なのか見えない。


「食べちゃおうか」


 というわけで三人は急いだ。


「モイノ、待っていてくれてありがとう。お腹も減ったろう? 下がって食べていていいよ」

「ふふっ、そうさせていただきます。食器は下げますね」

「お願い」


 モイノが例の壁の穴に食器を送って食堂に下がるのを見届けて、サオルは机の真ん中の腕輪を取り上げる。


「これは〈(いましめ)〉といって……何て言うかな、式神より簡単で速い連絡手段になり得る」

「式神より?」

「式神はあらかじめ獣の姿に隠れる裏に伝令の内容を書いておかなければならないだろう?」


 横のサンガの補足にサキは頷いた。


「ええ。やりとりに時間がかかる分、保管しておけば確かな記録にもなり得るし、それで有事の時には証拠して役立てることもできる、と」

「そう。でも私達は、手作業は疲れやすい。そして、非効率。——作業を完遂することに集中して、その内容が二の次になることもままある」

「確かに。冬の勉強中、思ったことはあります」

「そこでこれは、このように……」


 サオルは腕をまくり、その右手首についている同じ腕輪の、石の飾りを押し込む。と、そのへこんだ石から繋力の光の玉が立ち上がる。


「〈戒〉」


 その光に声を吹き込んだ。


「持ってて」


 言われるままに対になった一方を持っていると、サキの側の腕輪の石飾りが勝手に押し込まれた。


「〈戒〉」


 同じ声音が返ってくる。


「ね? 速いんだ。これから、サキは私の〈補〉見習いとして隔週ではあるが、安息日に訓練がある。ただ、また変な噂の被害に遭わないように、それを袖の中に隠した上でカルンサの頭巾を使って巫士塔においで。連絡はそれでするから」

「わかりました」


 返事をしたその時、サオルの〈戒〉の繋石がぺこっと凹んだ。


「招集、招集。〈風〉の〈領域〉に魔霊出現。〈表〉の該当地域に繋力干渉の危機。至急、巫士は出陣控(しゅつじんひかえ)に集合せよ。繰り返す。〈風〉の〈領域〉に魔霊出現。〈表〉の該当地域に繋力干渉の危機。至急、巫士は出陣控に集合せよ」

「……サキ、帰るぞ」


 見ると、サンガは席を立ってカルンサを直していた。


「招集となれば急がなければいけないでしょう。私達は失礼します」

「ああ。助かる」


 サキもカルンサを直そうとした。その手がふと止まる。


「あの! 巫士の招集とはこのように、いつでも来るものなのですか? ……怖気付いたわけではないのです」


 誤解されてはいけないと後付けのように言うと、サオルはサキの前に回った。


「うん。でも今回は〈風〉だから、そんなにはかからないはずだ。確かに巫士はそういう仕事だけれど、あのかなしいものを癒せるのは我々しかいない。とてもやりがいはあるよ」


 サキは不安を隠して微笑んだ。


「そうですか。……ご武運を」



 魔霊を弔った巫士団は夕刻に巫子守に帰還する。門下郷の中心球からまっすぐ北に突き抜ける凱旋道。通りの端の東屋にサキはいた。

 彼女の目の前をサオルが通った時、サオルはどこか寂しそうな微笑みを浮かべながら、手を振った。

新年度から忙しくなるので、コンスタントに更新ができるのは今回までになるかと思います。これから一年は数回更新できるかどうかぐらい。


次は、学徒院に復帰する、です。

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