孤独の旅路
あれから数日が経った。復讐心を燃やしていなければ、サキはとうに動けなくなっていたはずだ。色も美しかった未毘古の着物はもう薄汚れて、ずっと世話をしてくれていた〈若〉達の手の匂いが薄れてきて、サキはより寂しかった。あの魔霊への怒りと、帰る場所を失くした悲しみが交互に訪れて、どうしようもない数日だった。それでも、泣いていれば本気で死ぬ。何か解決することなどないとサキは知っていた。
(さすがに……そろそろ森を出なければ)
このままでは食料も尽きてしまうし、復讐も果たせない。
(とりあえず街に入ろう。けど__)
未毘古王国の国内に入るためには、関所で検問を受け、役所の印のある旅券を手に入れなければならない。髪は染めたとはいえ、巫具があるのだ。すぐにばれてしまう。槍を隠す油紙も袋もない。少し考えてしかし、サキには妙案があった。
巫子は代々受け継ぐ巫具の魔霊の力を借りて土地を豊かにし、それによって人々が農耕をしたり、漁や放牧をしたりする支えとなる。その責務が必要でない市街には生まれることはない。検問官は、おそらく未毘古王国の都から送られてくる役人だ。役人は貴族であり、親が領主とかではない限りたいていは農村、漁村の出身ではない。つまり、巫具を見たことがないのだと思う。あとは周りから見えないようどうにかすればいい。それに賭けることにした。
巫子だけが持つようなお守りの護符などは秘密裏に燃やして、灰を海に流した。そして森の中にあった、良質な繊維の取れるロヨン葦をどうにか裂いて紐にし、巻きつけて槍の模様を隠す。裂いた顔布で、ちゃんと若い男に見えるよう、髪を頭の上で一つに結ぶ。サキの体はそれほど女らしい丸みを持っていないので、触られなければわからないはずだ。幸い地声も低い。槍を杖のようにしながら、ここからほど近い港の関所に向かった。
津波を防ぐ松林の切れ目、ほとんど人の通らないところで、にゅっと出てきて少し機会を待つ。旅人の相手をしていたアウネシア人に案内を頼み、旅人達と一緒に関所に行くことになった。
「はいよ、兄ちゃん」
「ありがとう」
朝方の、薄闇の中でも旅人の列は長く、関所の建物からはとても遠く離れている。しかし、あそこにしか合法的に通れる門はないのだ。頭の中で何度も検問官との会話を予行演習する。
やがて海の向こうに朝日がのぼり、ドン、ドン、と太く低い太鼓の音がし出した。開門だ。列が徐々に動き出した。門は朝日の昇るのと同時に開き、正午に一旦閉じ、半キ(一時間)後にまた開けられる。そして、日没と同時に閉まる。この人数じゃ、明日になるかもしれないよと、さっきの案内してくれた男は言っていた。
正午に一旦閉まっても、サキはまだ建物にも入れていなかった。
結局検問官の前に立てたのは、日没直前だった。少し咳払いをして、普段より低い声を出してみる。
「自分は槍の演舞芸をする者で、それでこの槍を持っています」
検問官はサキを一瞥し、体に触れずに他に持っている武器らしきものがないかと確認する。
「ふうん。一人旅?」
「……そうですね。昔は芸団の皆と旅をしていたのですが、あいにく辞めざるを得なくなりまして。やれる生業がこれしかなくて、未毘古で通じる個人旅券がないのです」
「必要性はわかった。今旅券を発行する」
検問官は控室の奥に行き、厚い木札を持ってきた。サキの名を筆で記す。同じ意味とはいえ違う国なので、名の読み方が違う。『サキ』は未毘古読みでは『ソルカ』というらしい。つまり、未毘古王国では『ソルカ』と名乗らなければならない。そんなことを考える間にも検問官は、ここの検問所と思わしき印を押す。赤い紐を札に通し、ぎゅっと結って小さな木の玉をつけ、サキに渡してくれる。
「これが旅券ね。紛失したら、よほどのことがない限り再発行はできないから、懐にでも入れといて」
「わかっています」
サキは紐を首に掛けた。検問官の一日の疲労もあったのだろう、思っていたよりあっさりと門は開いた。それに少し笑みをこぼしつつ槍を背負うように持って、国内に入った。
旅券をもらった翌日、野宿をしたサキは港町の駅家で馬を借り、三日かけて山を越えて街に出た。以前、未毘古王国に最後に降った村の代表として行った時に、名ばかりではあるが友好の証として、乗ったことがあるのだ。その時はわりとすぐ乗れたので、大丈夫だと思って借りたのだが、長い時間股を締めて乗るのは疲れる。少しでも緩めたら、振り落とされそうになった。最後の一日は、自分の多くもない荷を持たせ、共に歩いた。
山を越えたところの街は卯織というらしい。海洋国に生まれたせいで村人達がさまざまな国の者と魚と品々とを交換していたのを見聞きしたり、その代表として謁見を許したこともあった。それで、未毘古語も一通り話せるし字も読めるサキだったが、普通あまり用いない神聖体で記された地名が読めなかった。
卯織の街の入り口にある駅家に馬を返し、まず必要なものを買うことにした。未毘古銭は船から少し持ち出している。
(さて、これからどうするか……)
人通りの多い、にぎやかな露店街で、槍を包む油紙と、カユンカが持たせてくれた保存食の追加を求めながら、サキは考えていた。
(まずは首都の羅句かな。それで役人でも何でもいいから誰か国の高官の寝首を……)
殺人、というものに完全に抵抗がなくなってしまっている自分に我がことながら笑ってしまう。「そんな簡単にいくものではないよな」と思いつつ、キルナと呼ばれる長い上着を買って、身につける。サキはアウネシア人ということもあって、日に焼けた浅黒い肌をしていた。それを隠すためだ。
(それで私が殺されても、もういいや)
元々帰る故郷はないのだ。
それでも、旅券に「身分・旅芸人」と書かれているからには、何もしない気にもなれず、気づけば街の広場に立っていた。国が憎いから、全てが憎く感じてくるが、隠した。巫子は村の象徴だ。何を言われようと笑顔で隠すのは、もう日常になってしまっている。
——すまない。いつもと違う動きをするけど、我慢して。
もう、言葉遣いもどうでも良くなって、波の魔霊にそう話しかけると、すぐ返事が返ってきた。
——わかった。
それで、持ち出していた金もなくなるだろうから、水を汲む椀を銭入れがわりに置き、いつもの舞の優美な〈型〉とは違う動きで舞い始めた。舞は〈型〉しか覚えていないので、もう即興である。よく旅芸人が持っているという盆器(木製の盆に糸で弦を張った簡素な楽器)の伴奏もない。ただ、気分に合わせて槍を回しているだけだ。それでも、人々はまばらに集まってきた。
と、ぐいっと引っ張られる感覚がした。魔霊が、〈型〉ではない動きに疲れてきたのだ。巫子の溜め込んだ繋力を発散するのに、舞の〈型〉は一番効率よく作られている。それは魔霊にとっても無理のない都合の良い動きだ。だから、それではない動きを無理やりすると、巫子も体調を崩す危険がある。
それから、時折サキは、〈型〉を交えつつ、ひとしきり踊った。椀には、節約すれば一週間は暮らせるだろうかという、それなりの金が入った。こんな異国の者の舞に金が入るのなら、またしようと思った。腹黒い蝮のような心に棲む寄生虫が、うごめいた気がした。
碌に乗りもしない馬を借りては、また何里か先の街に行き、必需品を買い足して、また稼ぐ。巫子には決して許されない自由だ。それを楽しんでいる自分がいる。それがたまらなく嫌で、時々吐きそうになる。
そんな日々が、数ヶ月ほど続いただろうか。彼女が霧聴の森のあの岩穴に惹かれたのも無理はない。人の手入れのある穴の近くで誰か拾ってくれという思いで、そこに座り込み、いつのまにか眠ってしまったのだった。
読むカロリーが序盤で高すぎると思ったので省きましたが、サキは一人旅をした数ヶ月の間にかなり辛い思いをしています。
次回は、三人が出会います。




