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閑話 サキの代理裁判

「モリテ、今日も苦労をかけるな」


 サンガが、門下郷の街中にある小さな東屋の長椅子の隣で、握り飯を食べている妻に声をかける。モリテは微笑んだ。


「わたくしは大丈夫ですよ。それよりも最近、家事をやることが増えたカイヌとクミルが心配です」


 体力の負担は大丈夫かしら、とモリテは茶を啜る。


「確かに心配は心配だが、下の三人も兄姉を見ていてわざとしないような子ではないからな。そして、引き取った頃よりは……だいぶ安定してきたことだし」


 二人は現役時代の仲間の囃し立てもあって、この社会では遅すぎる三十手前でやっと結婚した。その後順当に師親になる資格をとったが、門下の家を建てるためには一人以上巫子の子供を孤巫院から引き取る必要があった。 それで出会ったのがカイヌとクミルだった。


「二人で固まってばかりいましたからね。孤巫院に入ったばかりならばそんなに珍しくもないけれど、一年近くも経ってそれで……無門下で学徒になってもおかしくない子たちだと思って……貴方が選んだ時は流石に驚きました」


 結果的には正解でしたけれど、と言う。


「なぜって……家庭の温かみが必要な子のために門下があるんだろう? 私は本来の目的に従って選んだだけだよ。モリテも大変だっただろうが……」


 ほんとですよ、と呆れたように笑ってから、モリテはふと、サンガの唇の縁に指を触れた。


「ほら、少し付いてますよ。裁判所に向かうのでしょう? ここからもう行かねば、時間になります」

「ああ、すまんな」


 気恥ずかしさを隠すように咳払いをして、サンガは立ち上がった。手をモリテに差し伸べる。


「さあ、行こう。モリテ」


 彼女はそっとサンガの指を掴んだ。


「ええ、サンガ」



「本部施設にご用ですか?」


 総務部につながる戸に立っている門番巫士が、サンガに呼びかけた。サンガは懐から彼の繋力の色である真紅に染まった四角い繋石——原告証である——を取り出してみせる。


「ロタンヨマ族の師父と師母である、サンガとモリテだ。スリンクル族のハンノ様とヤイル様の門下の弟子、アヒノ様を相手に訴えている。裁判所に繋いでくれないだろうか?」

「ああ、第六回裁判ですね。サンガ様の門下生のサキ様の代理で間違いありませんか?」

「ええ、間違いありませんわ」


 モリテも深緑の原告証を取り出して門番に渡した。門番は手袋をはめた手で二つを受け取り、一つずつ戸の持ち手に嵌めるのと、光の線で描かれた陣が浮かび上がるのは同時だった。


「この戸が開けばすぐ原告側の入り口になります。行ってらっしゃいませ」


 丸い陣はさっき門番が二人の原告証を嵌め込んだ二つの穴の、ちょうど真ん中にある小さな丸い凹みから展開していた。そこに門番は自分の指輪の繋石を嵌めると、陣が収束する。代わりにリメルデのような白い金属線が戸を取り囲み、二人は戸に引き込まれて消えた。



(毎日のように通っていると、この景色も見慣れてくるものだな)


 特殊な移送陣で飛ばされたそこには、黒いすべすべした石が敷き詰められた床と、壁の空間が広がっていて、正面には石製の重い扉がある。

 未毘古風の建築は基本的に壁や床材に石を露出させて使うことはない。基部に石を使うことはあるが、庶民の場合、実際に住む者の目に触れるのは土か木の壁、そして草の畳か、畳を買う余裕がなければ筵を敷いた真っ新の土だ。とりわけ生まれも育ちも未毘古であるサンガは、突然南方大陸風の空間に変わったこの場所に、なんとなく馴染めない。


(確か、南方大陸の沿岸にあった大帝国の前身となった都市国家の政をまねているのだったか……)


 その時代はノーリア王国と言ったはずだ。そこから芋蔓式に、巫子史学でのそこあたりの講義がまだ終えられていなかったのを思い出す。


(明日には巫子史学の枠があったからやらなきゃな……)


 それに注意を取られているのに気付いたのか、モリテがひたりと彼の指先に指を絡ませてきた。思わず目をそちらに向けると、何でもないようにするりと外される。


(集中しろ、か)


 わかったよ、と目元で言うと、安心したようにモリテは微笑んだ。



「ロタンヨマ族より、サンガ師父(ルドゥ)とモリテ師母(ルハゥ)がいらっしゃいました」


 戸口に立った裁判所付きの巫官が宣言する。ここでのルドゥ、ルハゥというのは、偽の父、母という意味で、師親の正式な称号に当たる。法を正確に扱うことが必要とされる、巫議会や裁判所ではロタンヨマの創始者であるホトフィサーラの定めた法典通りに、その者は呼ばれて扱われるのだ。


 今度は眩しいほどに真っ白な石の空間。その床にある柔畳に、草履を脱いで上がり正座する。途端、二人の周りに結界が張られた。調停中に逆上して、危害を加えないため、また危害を加えられないためのものだ。


「スリンクル族より、ハンノ師父とヤイル師母がいらっしゃいました」


 被告側の巫官が言った。

 彼らも同じように席に着き、サンガ達と正対する。終始むすっとした顔をしているハンノに、あまり良い印象は感じない。けれども会釈はしてきたので、二人はそれを返した。

 そしてサンガにとっては右側にある、一段高くなったところに目を向けて、裁定巫キラナの登場を待った。


 戸口の巫官が頷きあって、横にある紐を引くと、裁定巫の席がすだれであまり見えなくなる。しばらくすると、その左右五つずつある中立検巫(けんふ)(書記官のようなもの。検巫とは、裁判所に勤める巫官に特別に与えられる称号)の席に、続々と座り始める。


「裁定巫、キラナ・ロタンヨマ」


 介助のラクンラが手を取って、天幕の奥からすだれの前まで出てきたキラナが、やおら正座する。手のひらに収まるほどの小さな鋏を手渡したラクンラは、そのまま奥に下がっていった。あれは創始者の一人が作ったという、裁定巫の証だ。キラナがそれを一度、シャキンと鳴らすと、すだれの前に置かれたとても小さい掛け軸に、金色に光る紙が現れる。裁定巫がその紙を切れば、結審の儀式になるのだ。

 キラナは、ゆるりと優美な動きで首を振って、何かを確認した。その後、少し眉を寄せる。


「さて、今日呼び出した証人がまだのようだが……」

「すまない。遅れただろうか?」


 サンガの向かいの扉から、サオルが入ってきた。どうやら遠征から帰ってきたばかりのようで、リメルデを変形した武器と彼女の巫具は置いてきているものの、髪は乱れているし、武装はしたままで、ジャッジャッという金属の擦れ合う音がかすかに聞こえる。


(魔霊との戦いじゃ戦後処理に〈舞い手〉でも何でも人を入れるから、証人どころではないだろうな。……普通の狩り、〈一般遠征〉か)


〈一般遠征〉は、巫守が互支村からもらってくる食料の供給が不足気味になる冬の終わりから夏にかけて行われるから、おそらくそうだろう。


「神聖な裁判の場だ。本来ならば武装は完全に解除してもらいたいところだが……こちらが急な遠征の直後に呼び出したのであるし、特別に許可する」

「恐れ入ります」


 サオルは原告と被告の席の間にある証人の席に座って、恭しく礼をする。ハンノが苦虫を噛み潰したような顔になった。

 サオルはそんな周囲に気づかないふりをして、キラナの厚意に礼をしている。他族の者で、教育期間も被ったことがないサオルについては、サンガもよくは知らなかった。しかし、サキが関わることになるのは確実なので、現役巫士時代の伝手で少し探った。


(まあ、他人の評価を気にしないところが、誤解を生むのであろうな)


 少々破天荒なところは巫子守の社会に合わない場合があるので気になったが、革新的と言われるリナサンル族の気質をよく表していて、サキとの相性は悪くないように思えた。

 キラナが手を叩く。


「では、始めるとしようか。まずはサオル・リナサンル。あなたの見たことを、見たままに答えよ。虚偽はこの鋏が許さぬ」


 存じております、と微笑んでから、サオルは口を開いた。


「わたくしの友人であるリヤフルが開いた舞の講義に、わたくしは講師として招かれました。その講義で、一番早く呪願を覚えて素晴らしい舞を舞ったサキに、ぜひともわたくしの〈補〉になってほしいと思いました。それで、わたくしはリヤフルに許可を取った上で、サキと次に成績の良かったヨルザをリヤフルの自室に呼びました」


 あとはだいたいヨルザから受けた報告と、サキの話とに合っていた。


(では、違った主張をしているのはハンノ門下側のみか。アヒノが虚偽の報告をして、それを頑なに信じているのか、それともスリンクルの妙な矜持か……)


「——サンガ、見て、あれ」


 突然、隣のモリテが早口でささやいた。


「ん?」


 原告席の方で、何やら先方が話し合っている。結界に阻まれているから声は聞こえない。だが、その控えめな口の動きをじっと見ていたモリテが、何か呟きたそうな表情を見せたので、サンガはさりげなく尻をずらし、モリテの口に耳を寄せる。


「ヤイル様の方がハンノ様に『もうやめましょう』というようなことを言っています。何をやめるのでしょうか?」

「さあな。少なくともハンノ様が何か隠しているのではないかと私は思っているが……」

「ヤイル殿、何だ? 知っていることがあるならば、知るままに言え。今ならば、咎めは少なく済むぞ」


(結界のせいで音が聞こえないのになぁ)


 キラナは妙に勘が鋭い。もともとなのか、若い頃の事故の影響で目が見えなくなったために、逆にその辺りが強くなったからなのか……どちらにせよ、ちょっと怖いとサンガは思ってしまう。


「わたくしも聞きたく存じます。サキは今後関わることになるでしょうし」


 その場の全員から目を向けられたヤイルは、半ば震えていた。手をぎゅっと握って立ち上がる。


「……あの、こんなことは……何の足しにもならないかもしれないのですが……」


 ヤイルは時々声を細ませながら語った。


 ——わたくし、アヒノに強く聴取することができなかったのです。まだ学徒である未成年者の代理裁判ですから、師親が本人の主張を守るためにしなければならないことはわかっています。

 でもアヒノは……ハンノと、二人で何があったのか聞いても、黙るばかりで、でしたらわたくし共は落ちぶれたスリンクルの端くれとして、わずかばかりの誇りを守ろうと、こうして居直っていたのです。


「居直るとは……其方」


 ハンノが思わずヤイルの肩を掴もうとすると、キラナは鋭く彼を見据えて言った。


「ハンノ殿には訊いておらぬ。ヤイル殿、続けなさい。何かあったのだろう?」


 ヤイルは小さく頷いた。


 ——昨夜のことです。アヒノが、わたくしの部屋に来ました。


 ハンノが大きく目を見開く。ハンノは知らなかったことらしい。


 ——気持ち悪くなった、と言っていました。このまま沈黙を守って、自族の方々におもねるように、伝統の誇りだけを守ろうとしているのが、気持ち悪くなった、と。

 アヒノは、……どなたに指示されたかはついに言いませんでしたが、他族の上位門下の学徒を失踪させるように言われたそうです。そちらの……サキ様に対する暴行は、完全に衝動的にやってしまったと告白してくれました。謝罪の意思はあるようです。


 サンガはゆっくりと頷いた。


(黒幕とかはどうでもいい。ちゃんと、反省はしてくれていたのだな)


 この裁判は元々、サキの尊厳を傷つけ、その後体調を崩すほど彼女がやつれたことの重大性をわかってもらうために、サンガとモリテが二人で訴えたものだった。こういう揉め事があって、被害者が怪我をした場合には、金銭やその他の門下に与えられている特権を一部剥奪することで済ませるのが常だった。その常識に則って、サンガもそうしようと思っていた。

 だから、ヤイルの次の発言に驚かされた。


 ——わたくし達は丁級中位の席下門下であります。裁定巫様の決定に異議を唱えられるとは初めから存じておりません。……しかし、不躾だと上位の方々から噂されることでも、敢えてお伝えしたいことがあります。

 どうか皆様方には、援助金と食料の便宜という条件に負けざるを得ず、学資のなさゆえに上位の者に逆らえる勇気を持つこともできない貧窮に追いやられている席下にも、目を向けてくださいませ。無論、先方への加害を仕方がなかったというつもりは一切ございませんし、わたくし達は再発防止に務めることを約束いたします。ですが、我が子が哀れでなりません。


 ヤイルの震えは、いつのまにか止まっていた。彼女は、心底悔しそうに唇を噛んで、以上です、と呟いた。


(噂というものは……この人達にとっては跳ね返せないものなのだろうな)


 サンガは師親となり、カイヌとクミルを引き取った時から、噂は気にしないようにした。子供の教育上邪魔になるからと、普通は忌避される医療塔や孤巫院のある〈郊外〉に門下を建てたのだ。本来ならば申請して、門下郷の石畳の部分を広げてもらってでも、甲級中位にふさわしい場を確保するものを、敢えてそうした。


 師親が従わなければならない規範には、初めて子を孤巫院から引き取る際は、子の希望をできる限り飲めとある。あの二人は門下の街並みを嫌がった。それに従った。何が悪い、と、あの頃も、そして今に至るまで、ずっと信じて疑っていなかった。


(それは私が努力し、甲級上位に届くぐらいの門下に入って、それなりの地位をこの街の中で築けただけだからで……)


 正直、ヤイルの思いはサンガの胸を突いた。自分がアヒノを引き取って育てていたなら、間違いなく激怒していただろうし、相手の門下に謝罪してもしきれない罪悪感を持ったことだろう。でも、それと同じくらい、我が子の助けてくれという無言の訴えに何故気づけなかったと、自分に対しても確実に、憤懣やる方ない思いを抱えていただろうとサンガは思う。


「モリテ……」

「何ですか?」


 モリテの反応はいつもと変わらなかった。


 サンガが見回すと、キラナの部下達は動揺しつつもヤイルの発言を書き留めている。向こうも夫婦で話し合っているし、あの様子ならまだ、こっそりと喋っても咎められることはないだろう。


「お前は、どう思う? ……もし俺が、向こうを許したら」


 モリテは、公式用に浮かべていた微笑を消して、目を見開いた。それから目を伏せ、顎を拳に乗せて考え込むのを、サンガはじっと待った。


「…………まず、貴方の気持ちはわたくしも少々わかります。が、その憐れみは今は発揮してはいけないと思います」


 彼は黙り込んだ。……心中を察してか、モリテはサンガの背にそっと手を当てた。


「キラナ様は、非情な方ではないことはわかっているでしょう?」


 彼は無言で頷いた。


「あの方は、原告だけでなく、被告をも公平に見られる方です。ですから、裁定巫になられたのでしょう? 学生時代、発表の時に一番喜んでいたのは貴方ではないですか」


 彼はまた頷いて、背中に感じるモリテの手を掴んで、代わりに自分の膝に置いて握った。


「そうだな。待とう」



 検巫たちがキラナの元に集まって、何やら話していたのが、いつのまにか定位置に戻っている。

 キラナが朗々と声を上げた。


「今この場にいる全員に聞こう。其方らは、この件に関して、自らの知る全てを語ったか? 語ったのならば沈黙で答えよ」


 キラナは見えない目を閉じた。原告と被告を覆う結界越しでも、彼女の耳は、実に鋭く彼らの身じろぎの音さえも捉える自信があった。


「ないようだな。では、沙汰を言う」


 キラナは一度深く息を吸う。

「被告には、今月分の半分、教育援助金を接収。その金は全門下に均等に再分配する。それから、謝罪以外で、原告門下とアヒノ、および被告門下の接触を禁ずる。解禁は夏季休業後半、初秋の社交界が開かれてからだ。ただし、原告の保護謹慎終了後すぐ彼が謝罪をしなければ、この限りではなく、罰則強化することになるかもしれぬ。復帰後一週間でサキ本人に確認を取る。再教育を施すこと。以上だ」


 向こうの二人が、感謝しながら安堵の息を吐いていた。キラナの反対側に座っていた伝令を生業とする巫官が、慌てて退出していく。記事に仕立て上げ、街に張り出されるのだろう。サンガはなるだけ正確に伝わることを祈る。


「静粛に!」


 キラナは手元の小さな鋏を鳴らして、その眼前の小さな掛け軸にかかった金紙を切った。

 裁判は終審。同時に、結界も弾ける。キラナ達は奥の天幕の裏に下がっていった。


「ありがとうございます。アヒノにはきちんと言っておきますゆえ」

「ええ、私どももあなた方が苦しくないようになって嬉しい限りです」


 挨拶を交わし終わると、ハンノたちが立ち上がった。原告に呼び出された立場であるので、ここでは被告側が一番に帰る。


(私たちも戻るか)


 背後の白い壁が、今は透明な大窓となって、回廊越しに夕空が見える。保護壁に映し出された紛い空だ。もうすぐ日が落ちる。子供達は夕食の準備を始めていることだろう。


「サンガ殿」


 声をかけられて振り返ると、そこにサオルがいた。


「これは、サオル・リナサンル様。サキの裁判に出席していただき、感謝します。ありがとうございました」

「いや、いいんだ。サキは成人後には私の〈補〉になるのだから、当然のこと。それより、貴方に頼みたいことがあるのだが……」

「ええ、何でしょう?」


 モイノ、とサオルは後ろのラクンラに呼びかけた。彼女はすぐさま一枚の、紙に包まれた木札を主に渡す。サオルはそれを見せる。


「明後日、中心球の私の部屋に来てくれないだろうか? 一緒に昼食でも摂ろう。サンガ殿とサキを招待したい。今回のことについて謝罪と、改めての意思の確認をさせていただきたい。保護謹慎の平日最終日だと思うが、その木札を包んでいる紙を見せれば……」

「あ、はい。存じています」


(うわっ。絶対に断れない……!)


 この社会では巫議会議員などの例外を除いて現役世代の方が引退した者よりも権力がある。


 モリテがそっとサンガの左手小指を握って離した。


 ——だから注意してと言いましたのに。


 その意が読み取れてしまって、二重に焦っているのは一切顔に出さない。

 サンガはニコリと笑った。


「ええ、サキもその日を心待ちにすると思います」



 その夜、サンガがサキに「いいか? 絶対に失言をするなよ。余計なことを言いそうになったら、膝をはたくからな」と言葉の割に力ない声で言ったのは、想像に難くないだろう。


サンガ視点の三人称でした。最近閑話の文体が定まらなくてすみません。

次は、サオルとの面会です。

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