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式神を作る

「いいんですか? 研究室に入って」


 今日は式神を作ることになっている。でも、本格的な調合ができる研究室は、浮かんだ中心球のすぐ近くにある。


「あそこは各門下の管轄だ。所属が違うから、問題はない。だが建前上密かに行かねば、また妙な噂を立てられれば困るからな。……上は許可するだろうが、外野がうるさい。裁きにも良くないだろう」

「秘密裏に行くって……どうやって?」

「皆さん、カルンサにつける頭巾を知っていますか?」


 モリテは羽織った自分のカルンサの裏地と表地の間に手を入れ、蛇腹状に折り畳まれた正方形の布を取り出した。四隅には銀色に光る留め具がついている。


(そこにあったんだ……)


「これを留めて……」


 モリテはカルンサの背にある留め具の、後ろの方のふた隅を留め、蛇腹を広げるようにかぶる。と、勝手にもう二つが留まって、モリテの姿が消えた。


「⁉︎」


 元からモリテがいなかったかのように忽然と消えたが、サンガや居間で勉強していたカイヌとクミルは見慣れているようで、普通の顔をしている。


「……あ」


 ヨルザが声を上げる。彼が何もないところを掴んだことで、そこにおそらくモリテの腕があるのだとわかった。モリテが頭巾をつまむと、再びサキにも姿が見える。頭巾を払えば、前の留め具が融解した金属のように伸びて、ぶらんと背中に垂れ下がった。


「……イナーグアのように互支村以外の外地に任務で行く勧誘委員や、討伐対象の魔霊から姿を隠して攻撃する巫士など、姿を隠さねばならない時に使うものです。姿を隠しても、わたくし達の繋力を管理する四大巫や、名簿を預かる門番巫士などは照合すればわかります。さっきわたくしがしたように、触れなければそこにいるのかどうかすらわかりませんから、門下郷で誰か成人の許諾なく頭巾を被ることが禁じられています。事情が事情なので、今回はわたくしとサンガが許可しますが、絶対に悪用しないように」


 神妙な顔で三人は頷いたが、サキはある可能性に思い至った。


(アヒノが仕掛けたあの移送陣って、この姿で⁉︎)


 血の気の引いた顔でぱっと振り返ると、両親は何も言わずに頷いた。


(二人は対処を教えてくれるんだ……)


「では、出発しよう。カイヌは鍵をかけて、いつも通り講義中の色にしておけ」

「わかっています」


 この家の鍵には三つほど外の色窓に出る色があって、繋力を登録した鍵を差し込むか、もしくは指輪の石を凹みにはめて繋力を流すことで、その色を決めることができる。講義中の時の色は、来客は基本的に受け付けないということを表す。だから、初講義の時イナーグア達は玄関ではなく裏口から入ってきたのだ。

 サンガが戸をそっと開け放つ。「手は離さないようにね」とその後ろのモリテが言って、片手を繋いだまま彼らは頭巾を被った。


「飛板は出さないのか?」


 ヨルザが前の両親には聞こえない程度の小声で、サキとシニエに向かって言った。


「馬鹿。繋力の塊だぞ。門番にバレるだろうが」

「じゃあ歩かなきゃなのか。足が痛ぇな」

「半年前まで俺より速く長く走ってた奴が何言ってんだよ、もう」

「……お前たち、なるべく足音を消していけ。姿は見えなくても音はわかるのでな」

「大丈夫です。慣れてるので」


 前後の二人の声がぴったりすぎて、サキが苦笑してしまって、モリテにちょっと睨まれた。解せぬものを思いながら、今度は黙って歩くサキである。

 浮かんでいる中心球の真下には浮かばせるための陣がある。その東西南北の端に、本部常勤の巫士が立っていて、中心球への来客や職員に指輪の提示を求める。手に持った繋石にその繋力を移して、人物を照合していた。


「見つかられたら面倒ですから、死角を行きますよ」


 サキ達は透明になったまま小さくしゃがみつつ、素早く歩いていって、ついに研究室にたどり着いた。


「そういえば、門下郷の門下よりも、各門下に与えられている研究室は少ないんですね」


 ふと気づいたように、頭巾を払ったシニエが言った。


「まあな。席下は巫子守の和を乱す者達が多いからな。席下の研究室の使用が禁じられて繋力で作った空間が閉じられたのは……おおよそ五十年前か、そうだろう、モリテ?」

「ええ、そのくらいだったと思います」


 モリテの方を向いていたサンガは、くるりとシニエの方に向き直った。


「だいたい巫子守から支給される門下の敷地の広さや教育資金は、級順だ。新しくできて門下生がいない門下は等しいと決まっているが、門下生を得てからはその門下生の成績に左右される。一旦成績の悪い門下生を入れると、その噂が定着してしまう。席下門下が席上に上がるのは難しいだろう」


(じゃあ、あれは……)


 席下を示す白い帯をカルンサの留め具につけたアヒノの、憤怒の表情が脳裏に蘇ってくる。あれは、困窮した暮らしから飛び出た嫉妬に近いものだったのだろうか。


(……でも、何で私だったんだろう)


 別に自分でなくてもよかっただろうに。怒る気はない。不思議というか、困惑した。

 モリテが不意に振り返った。


「……三人とも、あと一週間で学徒院に戻ることになりますが、次々に試験を受けなければ二月後の前期履修程度試験を受ける資格が得られないのです。普通は式神を作るのは、だいたい午前中の三時間を、二回ほどかけてゆっくりと成功させるものですが、厳しそうなので、この三時間で済ませます。できなければ家で二人に教えてもらいなさい」


 ごめんなさいね、と言う。


「謝るのは私のほうだ……」


 まだ頭巾を払っていなかったサキは、ヨルザのカルンサから手を離して唇だけ動かした。

 


 三人は席に腰掛けた。


「式神とはこういうものです」


 モリテが懐から紙でできた小さな虎を取り出した。繋力が込められて淡く緑に光った虎を手の甲に載せて、すうっと送り出す。そうして羽もないのに虎は空を滑って、真ん中にいたシニエの机にちょんと乗った。


「リメルデで触ってみてごらんなさい」


 シニエは巫具の針からリメルデの原石をちぎり杖状にして、先をそっと虎の頭に乗せた。すると、くしゃり、とかすかな音を立てて虎が崩れ、皺のない一枚の紙になる。


「え?」


 崩れた紙をしばらく見ていたシニエが不意に呟いた。目をしきりに瞬いている。


「どうしたの?」

「内容が頭に焼き付く感じが慣れないのですよね」


 式神を初めて作る学徒達は皆経験することだな、とサンガも仕方なさそうに笑う。気になったのだろう、いつのまにか覗いていたヨルザも、「目がチカチカする」と言いながら一緒になって瞬きしていた。思わずくすりと笑う。


「では、シニエ。頭に焼き付いた言葉を口に出してください」

「おはようございます。式神を作りましょう、と」


 式神の原料は陣紙で、その片面に専用の陣を描き、裏面に伝えたい内容を書く。


「陣の中心にはいつものような属性や効果を示す記号ではなく、飾り記号というものを使います」


 モリテがサンガに目配せすると、サンガはすぐさま三枚の紙を三人に配った。見ると、そこにはいつも陣学の時間に陣紙に描いているような複雑な記号も、これと比べれば単純だったと思うような記号だらけだった。


「魔霊のとる形は皆それぞれですから、自分の魔霊が嫉妬しない限りは式神の形を一致させた方が、お相手の方にはわかりやすいと思います」


 実際にわたくしの友人にはそういう人がいて、全然違う式神を使っていますよ、とモリテは微笑んだ。


(魔霊って嫉妬するんだ……)


 ——え、大丈夫?

 ——何故聞く。……其方は私が嫉妬するような小物だと思っているのか?


 そういう返答は望んでいなかった。


 ——いや、大丈夫ならいい。


 そして猛然と自分の陣紙に陣の飾り記号以外の部分を丁寧に描き写していく。今回中心に来る複雑な飾り記号は、確実に内部の区切って意味のある記号を描いた部分——(ぼう)という——に繋げなければ成功しない。そして、陣の外縁の二重螺旋を閉じた瞬間に術が発動してしまう。飾り記号を描いていないうちから始点と終点を間違っても繋げないように、ともすればあらぬ方向に動いてしまう指を制御して、美しく描き上げるのは骨が折れる。


(複製できる鏡が開発されるはずだよね……)


 硯に筆を置く。集中していたせいで無意識に力をこめていたようで、手が痛かった。多少雑でも読めればいいだろうと思っている字より、形の整い方がそのまま結果として現れる陣のほうがよほど面倒だ。だからそれを楽しむテシャのようにはなれないのだろう。


「はぁ……」


 手をふらふらと振って、指の筋肉が痛みを訴えるのが治るまで待つ。


 ——繋力を入れるか?


 巫子と魔霊に流れる同じ繋力は、使いようによっては巫子の疲労回復にも効果があるらしい。と、繋力学の先生が言っていたことを思い出した。


 ——お願い。


 巫具から半身を出した波の命がその水でできた体を揺らして首を伸ばし、サキのまだジンジンと痛む左手に接吻する。心地よい冷たさが柔らかく沁みてきて、筋肉の痛みがゆるゆると解けていくのがわかる。


(いいかな)


 指で魔霊を撫でて引っ込んでもらい、サキはまた筆を執った。


 

「そろそろ時間だね」


 サンガがそう言った時には、それぞれの机に各五個ずつの式神が仲良く鎮座していた。


「これで連絡が取れるな」


 ほっとしてヨルザが言う。


「……入学後そんなになくて師親と連絡が取れなくなるなど、そうそうないですよ」


 モリテが呆れたように言った。

「まあ君のせいではないし、君たちが復帰する頃に一年の皆は式神の作り方を習うから、ちょうど良かった。不幸中の幸いと思おうか。お前達、式神は懐に入れておけ」


 その時、中心球の方向から鐘が鳴った。昼休憩だ。始業と昼休憩、午後始業と終業の合図は、学徒院にある鐘で知らされ、そこだけでなく門下郷全域に向けて響き渡る。


「今日も裁判がある。君たちはカルンサの頭巾をかぶって帰りなさい。復習をしておくこと」

「二人は?」

「私たちは何食わぬ顔で裁判所に行くから大丈夫だ。さ、心配しないで行け」


 両親に背中を押され、三人は互いのカルンサを摘みながら家に戻った。


元々後半部分になるはずのくだりが長くなったので、今回はちょっと短めだと思います。

次は閑話 サキの代理裁判です。

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