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安息日の外出

 ゴーン、ゴーン。


 屋上の鐘が低くうるさく鳴り響いて、サキはようやく目が覚めた。まとわりつくような気だるさと身体の重さが消えて、変に煮立つような胸の感覚もしない。久しぶりに自覚的に激しく泣いたからだろうか、気分は妙に爽やかな感じになっていた。


「私、泣き疲れてそのまま寝ちゃったんだ」


(……何かなあ……)


 今日はどうにも、カイヌに会わないことを祈りたい気分になった。家族として過ごしているのだから、そんな考えは叶わないのはわかっているのだが。


「おはよう。体は大丈夫?」


 部屋着のままで階段に足をかけると、その下からモリテが呼びかけてくる。


「はい。おかげさまで」

「そんな改まったりしなくていいのよ」


 いつも巫子然とした態度を崩さなかった師母が、柔らかい声で語りかけてくる。


(……?)


 サキは食卓についた。


「皆は?」


 ゆったりした部屋着をまとった正面のサンガに訊く。


「今日は安息日だからね、早く起きて互支村に買い出しに出かけているよ。私達も朝食が終われば、皆のところに行こうと思っているが、サキはどう思う?」


 なぜか意思の確認をされた。


「え? ……もちろん、行きたい、です」


 答えると、サンガはただ頷いた。自分の額に手を当てて「熱は下がっているが、病み上がりだから無理はしないように」とだけ言って。


(なんで?)


 無論嫌な気分はしないが、どうにも意思を言うことに違和感があって、そう感じる自分にも何か違和感がする。


「はいはい、お粥ができましたよ」


 にこっとして匙と器を置かれる。モリテは自分の横に座った。不思議な感覚だった。それは例えるならば、不意にあの浜のあばら屋に帰ってきて、そこではもうすでに死んだはずの母と父が怯えと支配を完全に捨て去って、ずっと笑顔で自分に接してくれるような、幻を見た感じだ。


(——これが家庭というものなの?)

「どうした?」


 声をかけられて、はっとする。食前の祈りをしようとしなかったので気になったのだろう。慌てて済ませると、粥に手をつけた。

 黙々と食べていると、一度サンガが顔を伏せて、上げた。


「さて、サキ。言っておかなければならぬことがあるが、何かわかるか?」


 第一声が突然怒気を孕んでドスを効かせた声で、返事が跳ねる。


「はいっ」

「なぜ一言の断りもなくサオル様の誘いを受けた?」


 サキは首を傾げる。


「連絡しなければならないことでしたか?」

「当たり前だろう! 自分の将来に関わることなのだ。師親は弟子の将来に責任を負うと決められている! 

 我らの祖であるホトフィサーラ様は、民を守るばかりで守られることのなかった巫女のために、このような家族として過ごせる制度を作られた。私はお前の親になったんだ。その務めぐらい務ませろ」

「あ。……それは、申し訳ないことをしました。すみません」


 謝ると、反応が軽い……と呟かれた。親の務め、と言われても、そのようなことを本当の親に碌にしてもらえなかったサキは、それがどういうことなのかよくわからない。それで、どうにも気の抜けた返事になってしまうのだ。


(でも、理不尽な怒りじゃない)


 それだけはわかった。


「……お前が送り込まれてきた後、私に来たのはサオル様とリヤフル様連名の事後報告と承諾申請だった。本人が了承してしまえば、師親は意見ができなくなる。学徒の将来を邪魔するからだ」

「……では、お断りした方が良かったのでしょうか。リヤフル先生の部屋にいたので、どうしたものか、と思っていたのですけど」

「……いや、私達からは反対はしているわけではないし、〈舞い手〉の候補に選ばれることはたいへんな名誉だ。けれど私が言いたいのはそこではなく、相談をして欲しかったということだ」


 『わたくしの師と話すために持ち帰らせてください』とか、多分言えたはずだ、とサンガは言う。穏やかにしっかりと心に残る口調が、怒鳴り声に構えて硬くなったサキの肩と一緒に緊張もほぐした。


「わかりました。ただ、困ったことが外出先で起こった時にどう連絡すれば良いですか?」

「ぐっ」


 サキが訊くと、サンガは言葉を詰まらせた。どうやらそこまで考えないで説教していたらしい。横にいたモリテが苦笑した。


「過去のことをぐだぐだ言ってももうどうにもならないわよ、サンガ。未成年の頃に〈舞い手〉の候補に等しい〈補〉に選ばれるなんて、相当名誉なことではないの。……そして、サキ。サンガの言っていることは間違ってはいないわ。

 これから、ね。連絡しようとすることは大事ですけれど、手段を知らなかったのですもの。今回は仕方がないわ。あとの講義で連絡手段については教えるから、その後、同じような状況に陥った時は、そうするのよ」

「はい」


 サンガが立ち上がった。さっきの怒りは完全におさまって、笑顔なことにほっとする。


「では、食べ終わったことだし、着替えておいで」

「はい。……私の師親が、私が少々失敗しても殴ったりするような方でなくてよかったです。感謝しています」


 自室に行きつつ思い出したように言うと、二人が笑顔のまま固まった。


「……帯結い前は、そんな生活だったのか?」

「ええ。志願書に少し書いていたつもりでしたけれど。何かおかしいことでも?」

「いや、そんな親もいるものなんだなと、心底驚いただけだ」


 はあ、と気の抜けた返事しかできないままで、無性に逃げたくなって二階に戻ろうとしたら、モリテに抱かれた。突然のことに目を瞬く。


「へ?」

「こんな話を普通にするような子を放って置けないでしょう?」

「……そういえば、わたくしの先代が同じようなことを言っていました」


 モリテは頷いた。


「そう。その方と会えたことが、あなたにとっての僥倖だったと思いますよ」


 カイヌとはまた違う、血の温かさがそっとこちらにも伝播してくるような、強くないけれど優しい抱擁。サキはくすりと笑う。


「——同感です」



 今日は儀式ではないので、正装は着ないが、それでも互支村といういわば公のところに行く。動きやすいように簡略化した、ある程度ちゃんとしたものを着なければならないらしい。


「どの互支村に行くんですか?」


 許可を得れば、正直移送陣でどこへでも行ける。サキが訊くと、「ちょっと待てな」と言ったサンガが、懐から丸い繋石を取り出した。彼が握って繋力を込めると、その内側から繋石を取り囲むように、白い金属のようなものが複雑に伸びてくる。最終的に、その白い金属が繋石に、まるでつる植物のように絡み合ったものができた。


「どこまで買えた?」


 サンガが繋石に向かって話すと、カイヌの声が聞こえてきた。


(何?)


「そうですね……。里子宇(リシウ)村で一ヶ月分の干し麦は買えました。しばらくは麦の飯ですね。これから移送陣で送って、野菜を買いに家風名(ヤフナ)村に行くところです」

「わかった。サキが起きたので、我々も向かう。では、家風名村で合流しよう」


 それで繋力を注ぐのをやめる。サンガは、「……というわけだ。行こう」と言って、ずっしりと重い巾着をサキの手に乗せた。


「は、はい。え?」

「小遣いだ。これで自分の欲しいものを買いなさい」


中を見てみる。琥珀色の半透明に光る丸い硬貨がたくさん入っていた。


「それは巫子守と互支村しか通じない通貨、セロ・カ硬貨だ。互支村からもらう食糧の重量を基準に、全体の半分は分配されて全員一定量は貰える。毎月配達されている食糧も込みになっている。だが、残りの半分の分配の如何(いかん)は成績や実力で決まる。これは先月分のお前の分配分だ」

「……こんなにいいんですか?」

「いいに決まっている。……少しは欲を満たさなきゃダメだと思わないか? ああ、そろそろだな」


 見ると、モリテが玄関に移送陣の絨毯を敷いていた。


「充填し終えたわ。乗って」


 さっと乗り込むと、ふんわりと泡の膜が三人を取り囲む。次の瞬間には、玄関には誰もいなかった。



 カルンサを羽織った肩を、暗闇の虚空をすり抜けるように動かす。長らく見なかった本物の太陽の光が目を刺した。


「うっ……」


 目が眩んで、思わず跪いて呼吸を整えていると、サンガが目の前にしゃがんできた。太陽が隠されて、少しずつ明るさに目が慣れてくる。


「眩暈が……します」

「そうだろう。巫子が長く繋力に頼って生活をするとこうなるのだ。たまにはこうやって〈表〉に出なければ体調を崩す。それで、一月に一度はこうして買い出しを兼ねて日光浴をするのが義務になっているのだ」


 初めて知った。外出は面倒だ、とか思っていたが、ちゃんと目的があるとは。


「そうなんですか。……会話してたら少し……気分の悪さが良くなってきたような気がします」

「……お前は回復が早いな。気をつけろ、三十を超えるとだいぶきつくなる」


 よく見ると、サンガの顔色も悪いように思える。


「大丈夫ですか?」

「私のことはいいのだ。立てるのか?」

「はい」


 手を差し出される。


「ありがとうございます、師父様」

「見なさい、私たちと協力関係にある、善い村だ」


 ハア、と思わず感嘆のため息が漏れた。

 朝どれの葉ぶりも素晴らしい野菜や、収穫どきでもないのにでっぷりと丸々して太く、おいしそうな芋類が、村の民家の軒前に所狭しと並んでいる。


天芋(あまいも)(芋のような食感の実が吊るされたように生るのでこの名がついた。蒸して潰し、米と混ぜて餅にすると美味しい)なんて、暑さが落ち着いた時期しかあまり取れないのに。師母様、これも繋力の働きなんですか?」

「そうですね。〈裏〉には〈領域〉ごとに主となる繋力の属性粒子があるのですけれど、全く他に混じっていないというわけでもないですし、季節によっても割合は変動します。担当の巫守が調整に介入すれば、無理ということはないと思いますよ」

「へぇ……。初めて見るんです、こんな、民が生きていると感じる姿と、仕事をして、それが実っているところを」


 そして、思う。村人の皆の、それぞれの煌めきを(ろく)に見ることがないまま、私は巫女造に閉じ込められ、あのような最後で別れることになったと。皆を本当はよく知らないまま、また自分のことも知らせないまま、だからこそいざという時に蚊帳の外だったのではないか。もう魔霊に呑み込まれていない頃のマネストを知るのは、サキと、波の命しかいない。


「では、その見られなかった村人たちのために、自分が幸せになればいいではないか」

「え?」


 ふっと振り向くと、サンガはどこか寂しそうな笑みを浮かべた。


「その後悔は、村を出た巫子にはつきものだ。そういう時にこそ言い訳を使え。むしろ、皆より自分の方が幸せになってやる、ぐらいの心意義でいたほうがずっと楽だ。後悔で巫守の仕事を選ぶやつもいるが、お前はそうではないだろう?」


 確かに、もうこれ以上民たちに振り回されるよりは、自分で好きなことを見つけてやっていたいという思いはあるし、後悔があったにせよ、その思いには負ける気がする。


「そうですね……」

「あ、いた! おーい、来たなら染料買いに行くよ、サキ!」


 クミルがぴょんぴょん飛び跳ねながらこちらに手を振ってくるのが遠目に見える。皆も周りにいるようだ。


「染料?」

「衣服は巫子守が買い取って支給されるから問題ないが、あってもなくてもいいような、例えば髪を留める紐の材料は、自分で買うことになっている。クミルは、サキが自分の贈った石付きの紐しか持っていないことを気にしていると思うよ」


 サキは笑顔で頷いた。


「今行く!」



「んふ」


 着くなりクミルが抱きついてきた。


「……私、なんかここ最近抱きしめられっぱなしなんだけど」


 ぼやくように言ったら、クミルの後ろにいたヨルザとシニエ、カイヌがほっとしたように微笑んだ。


「クミルは心配してたぞ」

「よかった。熱が長引いたかなと思うと……」


 珍しくシニエがおろおろしていて、慰めるようにヨルザに、ぽすぽすと肩を叩かれている。そして軽くシニエを押しやった後、呆れたように彼が口を開いた。


「お前な、いい加減に自覚しろよな。お前がどんなに自分を気にしなかろうが、それなりに心配されてんだよ。じゃなきゃ、誰が俺たちを拾うと思うか? お前は師父さんと師母さんの子で——」


 ヨルザが進み出てきて、サキの頭に手を置いた。


「忘れるけど……いちおう俺の〈師上の妹()〉でもあるからな」

「——ごめんね」


 そう自然に口にできて、サキは村を離れて初めて、心から笑えた気がした。



「じゃあ、採るよ。そこの嬢さんに見せてとねだられてねぇ」


 家風名村の農民のおばちゃんが、美しい緑色の染料が採れるセギーという植物の球根を潰すのを見せてくれるそうだ。セギーが並ぶ売り場の一角には刻んで潰すための小刀があって、斜めになっているまな板の下にはそれを集めるための器が据えられている。球根はいくつか、別の板に布を敷かれた上に置いてあった。染料は器に量り売りだと決められているそうで、人数分に後で分けるとカイヌが言っていた。

 おばちゃんはふくよかな腕を振るって、素早く球根を刻んでいく。


「どのくらい搾りますね? 搾っていけばいくほどセギーは色が薄くなってくるんだ。どの濃さがお好みだい?」


 訛りの強い未毘古語でおばちゃんは言う。緑に濡れた指を板の上の布で拭いて、五枚ほど別の小布を目の前に置いた。それらは深い森をそのまま写したような深緑から、とても淡いとうもろこしの薄皮のような緑までのさまざまな色合いに染まっている。


「では、この二番目の深みのある鮮やかな緑がいいわ。わたし達のどの髪にも似合うもの」


 クミルが巫子らしい清楚な言葉遣いで、二番目の濃さの小布を皆の髪にかざしつつ言った。


「今日はクミルに従っておけ。クミルから勧められたものは、自分でもびっくりするくらい似合うんだ」


 色々と付き合わされたらしいカイヌが半ば諦めのため息をついた。

 勘定を割って、染料がこぼれないように布を張った器を手に入れた。


「ところで、」


 口にしたのはシニエだ。


「そんな椀一杯ぐらいの量で、糸束を染められるものなんですか?」


「そこは心配しないでいい。薄めの繋力を混ぜた上で火にかけて染めるんだ」


(繋力を使うとすごい楽に済むんだな)


 何だか、帯結いを迎える子供達に祝いとして誂える、植物製の腰巻きを編んでいた村の女性達を思い出した。ワリクーという植物の茎から繊維を取り出して柔らかいうちに編み、天日干しして茶色くなったのを、手間をかけて染めた糸で丹念に刺繍をしていた。芋蔓式に、自分の時は父が母を邪魔したせいで、碌なものが誂えられなかったことまで思い出して眉間にしわが寄るが、今はどうでもいい。民が何をしようとも、巫子の力で一瞬に近い時間で終わるのなら、その女性達の努力と手間がずいぶんと虚しく思えた。


(——あなた達にとって、私とは一体何だったんだ)


「サキ、どうしたー?」

 顔を上げれば、皆が少し離れたところで覗き込むようにサキを見ている。

「何でもない。今行くよ」


 この場に似つかわしくない考えをサキは頭を振って振り払う。ちょっと遅れた足を速めて、きょうだいに追いついた。



 その後も色々あった。サンガ達がくれた小遣いは、無論これからの講義で必須になる陣紙の材料や、使い古してどうにもならなくなったものを買い替える費用も込みだったわけだが、ヨルザが自分の分を皆の軽食分に使おうとして、シニエに叱られた。


「こうなるとどっちがお兄ちゃんかわからないね」


 ヨルザとシニエが奢った、ニールクという炙り肉を薄い焼いた餅に挟んだものをぱくつきつつ、言ったクミルに、サキは深く頷いた。


「帰るよ!」

「え〜? もう師母()さん裁定終わっちゃったの?」


 クミルが膨れた。母が呆れたようにため息を吐く。


「まあ、その準備だけれど。手水(ちょうず)に行きたいなら行ってきなさい」


 クミルが自分より高い背を縮めて耳打ちする。


「こうやって甘えるんだよ。師父さんと師母さんは絶対に見捨てたりしないから、安心して」

「へ?」


 何を言われたか一瞬わからなくて目を瞬く。


「ほら、結構水は飲んだでしょ。行ってきな」

「う、うん」


 手水に行く気はなかった。師親達の視界から逃れると、奥の森の陰に行く。ふと魔霊と話したくなった。巫具に繋力を込めて、見えない糸を緩めるように封印を緩める。


 ——不意に呼び出したと思えば何だ。


 半身をずるりと出した波の命が言う。相変わらずくどくて不機嫌そうな声に思うが、その様子ほど怒っていないことをサキは知っている。聞きたいことがあった。


 ——おまえは、私をここに……巫子守に、居させたいと思ったの? ……村を襲ったのは未毘古の魔霊だとおまえは言ったけど、魔霊は地域じゃなくて、〈領域〉に生まれるものでしょう?


 一瞬命は沈黙した。


 ——別にどう取ってもらっても構わない。其方がそう思うならば、思っていてもらって良い。

 あまりにも()()()返しにくすりと笑うと、龍の眉間にしわが寄って、嫌そうな顔になった。


 ——何はともあれ行くと決めたのは其方だぞ。今更村に帰りたいと言うのではあるまいな。

 ——ありがとう。

 ——は?


 命が目を丸くする。サキは微笑んだ。


 ——おまえが膜で私を守ってくれなければ、私はここにいなかった。そして、あの人たちに出会うこともなかった。ねぇ、お前は知っているのでしょう? 私の生を最初に願ってくれたのは、お前だということを。


 巫子は魔霊なしには生まれない。自分の属性粒子を注いで、先天的に繋力を持って死の淵に立たされる赤子を生かすらしい。それを巫子史学で聞いた時、救われたような気分になった。


(……間違ってなかったなぁ。あの人たちに出会えただけで、私はこの上なく嬉しいんだもの)


 ——本当に突然何だ? それだけか?

 ——照れてるのはわかってるよ。


 言うと、たまらないというように魔霊が槍に隠れた。呪帯が薄青に揺らいで震えている。自分の相棒の魔霊が急に愛おしくなって、自分の肩の高さの槍を抱き寄せた。


 魔霊が、主に恥ずかしい姿を見られないように気を配って、サキは封印を締め直した。

 


この話でサキの内面がやっと少し片付きました。

次はリメルデの採取です。

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