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プロローグ

 未毘古王国、その東南部最大の都市、霧聴(ムユル)


 その郊外の製本屋に見習いで勤めているヨルザは、本を縫う手を少し止めた。その前の縫い目に糸を通し、針を抜いて針山に刺す。集中しているうちに握力が強くなってしまったようで、指が痛かった。

 手を何回か振って、息を吐いて顔を上げると、耳に引っかけるだけで垂らした鎖骨の長さの髪がさらりと流れる。その先に、若葉の色が透けるのを見て、血の気が引いた。


「……シニエ」


 ヨルザは隣の机の少年に小声で話しかけた。呼ばれたシニエは黙々と字を写していた手を止め、ぱっと顔を上げる。彼はヨルザと同じ十五。色素の薄い端正な顔立ちに、男にしては長めの無造作にくくったその髪も相まって、長い付き合いの彼でさえ少女と見紛いそうになる。


「何?」


 その声もまた澄んでいて、歌わせなどしたら映えそうだ。「早く言えよ。ちょっと、どこまで書いたかわからないだろ」と、見にくそうに目を細めつつ、原本と書いている途中の写しを見比べている。写しには、木の枝で作った方眼の枠が嵌め込まれていた。ヨルザは「すまん」とぼやきつつ、髪先を手で押さえた。


「便所に、行ってくる」


 髪を染め直すという合図は、シニエにちゃんと届いたようだった。すぐに彼は引き出しを開けて、猪口(ちょこ)のような小さな器を差し出す。中には、小さな竹製の櫛と、黒い汁を出す南天(なんてん)大のカカヌという実が三粒入っている。

 ヨルザは中身を確認して、髪を丈を短く改造したキルナ(庶民がよく着ける羽織。頭巾が一体化している)に隠す。彼は早歩きで工房を出て、工房の横にある便所へ向かった。


 便所の中には手を洗うための小さな井戸がある。町の井戸から水路を通して、ここに水を引いてきているのだ。柄のない柄杓で少し、水を猪口に注いでカカヌの実を指で潰した。

 すぐに水が黒く染まってくる。指で混ぜて、櫛をつける。準備ができた猪口を井戸の端に置いてから、キルナを脱いで腰に一旦結ぷ。雫がこぼれないよう気をつけながら、手巾で包むように持った毛先の染めが薄いところを染め直した。


 シニエもヨルザも、元々は巫子であった。ヨルザは未毘古王国の東北方、牧羊盆地・荒寧(アラネイ)、シニエは未毘古のさらに北の土地の巫子であったが、二人とも村を追われた。さまよった挙句、北西部・介鳴(カイナル)の露店街で、露店児(家のない子供で、店の物を盗まないという約束で露店に食を保証してもらっている者の総称)として出会って、そろそろ九年になる。それで、互いが巫子であることを知った後、髪を染め合い、身分を隠して過ごしてきた。全ては、あのわけのわからない〈巫子狩り〉から逃れるためだ。


 髪を染め終わると、水を汲んだ柄なし柄杓を便所の外に持ち出し、猪口とカカヌの色で黒く染まった櫛を洗った。実の皮を水と一緒に土に捨て、草鞋の足で踏んで誤魔化す。森に自生するカカヌ草の実は、未毘古では定番の白髪染めだ。まだ白髪染めなど必要ない工房の若者たちの中で、誰かが髪を染めていると気づかれてしまう。柄杓を戻し、ヨルザは前を向いて、済んでのところで手の中の猪口を落としそうになった。


 奇妙な男が工房の戸を叩いている。その市街地に似合わない真っ白な肌の見えない装束、さらに腰に挿している重そうな刀の柄についた、繋力を持つ者を見分ける飾り玉は禍々しく光っている。


(〈巫子狩り〉だ……!)


 自分は外にいたから逃げられるにしても、男に入られたら、中のシニエは逃げられない。


「裏口から早く出ろ」


 ここももう長くはない。おそらくあの玉にはすぐに自分の繋力を気取られる。小声で祈るように呟きながら、草むらの陰に隠れる。猪口を懐にしまって、裏口へ駆け出した。


 裏口付近に着くと、もうシニエが外に出ようとしていた。


「おやっさんには悪いが、書き置きしてきた」


 どうやら事前に用意していた謝罪入りの辞表を取り出して置いてきてくれたらしい。細かいところまで手が回るシニエである。


 ここの工房の親方は二人が村から逃げてきた巫子だと気づいていたようだった。〈巫子狩り〉はほとんどが僧兵、未毘古王国が国教として保護し、援助しているナフバ教が雇っている。最近は、巫子を探すために匿っているとは思えないような粗末な民家まで調べ上げるようになった。その僧兵達はあまり身分が高くなく、巫子を得ることで出世の道が開けるらしい。功を焦るあまり、捜索のため市を訪れれば売り物を奪っていくような不埒(ふらち)な者達もいるので、民の不満は多く挙がる。中には同情から巫子を庇う者もいる。親方はそれだった。


「はい、これ。いるだろ?」


 シニエはさっと竹製の杖をヨルザに差し出した。形が竹刀のように見えるがただの杖だ。シニエの方には金属棒が入っていて、あまり目の効かない彼が杖を物に叩いて、中の棒の振動で状況を把握するのに使う。ヨルザのは完全に偽物だが、油紙にくくりつけた紐で背負っている。武芸をたしなんでいるのかと人々に思わせる分、この得物もどきは十二分に役に立つ。


「逃げよう、ヨルザ」


 竹刀もどきを受け取った彼は頷き、一緒に工房の裏手の草むらに飛び込んで、そっと駆け出した。一歩で一気に前へ、それでいて着地は音を立てない。竹刀は走る邪魔にならないように背中に密着させている。幼い頃から何度もして慣れてきた逃亡だが、しかし、〈巫子狩り〉を前にしての緊迫感は何度味わっても慣れない。捕まれば、未毘古北東部、都・羅句近郊のナフバ教本山へと送られ、改宗を強いられる。僧に仕えるマクンナ(最下級の奴隷)になってしまう。それだけは絶対に嫌だった。シニエがそうなるのはさらに嫌だった。ヨルザにとって、シニエは共に死線を乗り越えてきた相棒であり分身だ。自分はまだしも、シニエがそうなったら耐えられない。


 ゆえに彼らは、互いに常日頃から言い聞かせてきた。逃げる時は、まず自分の命と誇りとを考えろ。相手のことは考えるな。はぐれたら、またどこかで会うのを待とう。俺達の魔霊()はいつも見ている、互いを信じよう、と。

 その言葉を呪文のように心のうちで唱えながら、二人はひた走る。いつのまにか、郊外の小さな森の中にいた。


「俺、登るわ」

「ああ」


 ヨルザが、実に素早い動作で森の入り口の木に足をかけ、手に枝を捕まえて登り、様子を伺う。〈巫子狩り〉はいない。どうやら玉が感知する前に逃げおおせたらしい。玉に気づかれると厄介だったが、これなら心配はない。


「ここらに穴があるはずだ」


 僧兵達から逃げるために前の勤め先を辞めて、住む場所を移動してまた働きに出る時、彼らはいつも拠点の街の周辺の森に、大きな木のうろや岩穴を探す。そこを緊急事態の際、野宿場にするのだ。身分上、温かい食事と柔らかい布団のある宿屋(やどや)は、二人には無縁のものだった。


 設営した時に入った方向とは違ったところから入ったようで、、半日かけてその寝床を探した。もう日が暮れようとしていて、まずいと思った時、一点の光がヨルザの視界を掠めた。気のせいかと思って、立ち止まって頭を振る。やはり掠める。


霞蛍(かすみぼたる)じゃないか?)


 霞蛍は薄暮に不意に見える光のことで、吉兆と言われる。もしかしたら、霞蛍が二人を寝床に導いてくれるのかもしれない。


「なあ、シニエ……」


 あれは、と言いかけてその後が続かない。シニエが、さっきヨルザの視界を霞蛍が掠めた右方向を凝視していた。目が効かない分、光には敏感なのだろう。彼はそのまま走り出す。


「んだよ……」


 シニエの走りに合わせ、ヨルザも走る。


 寝床の岩穴はそこにあった。が、先客がいた。ヨルザが霞蛍だと思ったのは岩穴の入り口に置かれた灯籠の光。その横に座り込んで眠る、男装した少女の姿があった。

巫子の少年二人が出てきました。この二人はサキと長い付き合いになります。


次回は、孤独の旅路です。

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