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門下での初講義と親睦会


 カランカラン、カラカラン……。


 朝食を食べていると、そんな音が聞こえてくる。今日は門下の講義が始まる日だ。


「この音を聞くと、学期が始まるな、と思うな」


 サンガがそう呟く。続けて教えてくれるには、〈郊外〉の孤巫院には鐘番という人がいて、毎朝そこから中心球まで螺旋を描くように歩き回り、寝起きの悪い団員達を起こしている。門下の屋上には鐘があって、鐘番の持つ鐘と連動しているので、近くを通るとものすごい音が鳴るのだそうだ。

 鐘の音が近づいてきた。


「連動装置、切ってくる」


 耐えられないというように、カイヌが立ち上がり、屋上に向かって駆け出していった。


「うおーい、鳴らんが、起きているか?」


 引き戸をガラッと開けて、黒いカルンサをまとった、なんとなくくたびれた感じの高年の男が呼びかける。


「大丈夫ですよ、ミルヤ(じい)様」


 モリテが寄って答える。


「じゃっ、じゃっ、これ、買ってかんか?」


 何の脈絡もなく突然、ミルヤ爺がするりと出してきたのは、何かの実がごろりと五つほど入った酒瓶だった。


「まあ、とても良さそうですが、あいにく料理酒や飲み酒は足りているのです。ごめんなさいね」

「ほ、そうか……」


 心なしか残念そうに戸を閉めて、ミルヤ爺は鐘を鳴らして去っていった。


「あの果実酒は中毒性がある。何かの重病の末期患者が飲むようなやつだ」


 戻ってきたカイヌがぼそっと言った。


「じゃあなんで売るんだ⁉︎」


 そんな危険なものを、と言ったのはヨルザだ。


けているんじゃないかとか、そういう噂はあるが、それは誰も知らない」


 くっ、と小さく笑って彼は自室に引っ込み、書包と筆記具を入れたミグロンを背負って、クミルと連れ立って中心球の講義室に出かけていった。


「よし、片付けたら、居間の奥の講義室で始めるから、筆記具と書包、持ってきなさい」


 今日から一週間は座学・実技の講義案内だ。


 この前の巫官見習い用の研究室のように、床板が立ち上がったような机と、その下に足を入れる方式の席につき、書包から参考書と帳面、筆記具を出して、机を調える。師親(両親)は、普段着にきっちりした上衣を着込んで、カルンサを着ける軽い正装姿で講義室に入ってきた。初講義なので、三人も同じような格好をしている。違うのはカルンサの色だけだ。


「さて、そろそろ〈示教管理者〉が来るはずだが……何ともなく嫌な予感がするな」


 苦い顔をしてサンガが言った。モリテも、躊躇いがちに頷いている。〈示教管理者〉というのは、巫子守で知識と教育を司る示教巫の直々の命を受けて、各門下に定期的に派遣される官のことだ。示教巫が発行した教育要項の通りに教育がなされているかを確認し、その講義を監視する。大体は現役三役(巫官・巫士・巫守の総称)を引退した者達や、優秀な成績を収めた巫官がこの職(というより示教巫に雇われた一時的なものであるそうだが)につく。現役時代を巫士として過ごしたサンガにとっても、巫官だったモリテにとっても、本当にあまり相性の良くない人が来るようで、サキは少し身を固くした。


「失礼します」


 講義室の横にある客人用移送陣が光ったのが、擦った玻璃が嵌められた扉からもわかった。影は二つ。


「久しいな、サンガ。モリテ様も息災で」

「スロウユ・スリンクル……」


 引きつった笑みを浮かべ、サンガはその中年の男を出迎えた。


「久しいと言っても一年しか経っていないではないか」

「もう三年ほどはこの時期に交流があるのだから、来年こそは其方でない門下に行きたいものだな」

「それを私も願っている」


 サンガが胡散臭い笑顔で返すと、スロウユの黒曜石のように透き通った瞳もまた胡散臭くきらりと光る。

 サンガの様子がおかしいし、モリテは一見にこやかな笑みを浮かべているが、その底には何か苛立ちが見えるような気がした。


(……何があったんだろう?)


「あら、わたくしはお忘れですか?」


 出てきたのはイナーグアだった。馴染みある顔を見たことで、少し尖った空気が緩んだ。〈示教管理者〉は二人一組で訪れる。一方は違う一族の比較的交流の少ない者、もう一人は同じ一族の親しい者と決められている。二人は互いが出過ぎないように監視しあう。つまり、〈示教管理者〉は門下の師と自分の相方、二方向に目を光らせねばならない。


 サンガが来訪者と二言三言話し合うと、ゆっくりと跪いた。突然のことに目を瞬く。


「私ども、サンガ・ロタンヨマ門下は、全世界の巫子の自由に貢献する者を育成することを目的としてこの講義室を開き、示教巫様の要項に違わず、此れを遂行することを誓約申し上げます」


 サンガは頭の環の繋石に込めた繋力を、指で伸ばすようにして二人に放った。


「講義を開くことを許します」


 誓約を受けたスロウユとイナーグアが、教壇の後ろ、壁にしか見えないところに向かって手を置いて何かやると、壁が揺らめいた。溶けた壁の向こうから現れたのは、黒い半透明の大きな書字板。スロウユがその隅に取り付けられた箱を開ける。石筆と字を消すための海綿状のものが入っていた。どうやら許可を得ねば、書字板が出ず、講義は始められないらしい。


「間違いありませんかな?」

「ええ、大丈夫です」


 胡散臭い笑顔を貼り付けつつ、彼とサンガが確認する。その時、ちょうど中心球の方から鐘の音がした。一時間目の始まりである。


「始めよう」


 股関節に手を指を揃えて当て、さっと一礼した。書字板の前には床に座ってちょうど良いくらいの低い教卓があって、サンガはそこに正座を少し崩した感じで座っている。足が痺れないようにする横座りは、村では巫子だけに許された座り方だ。サキも村でやっていたから、馴染み深い。


「今回は、初回ということで、巫子守で巫子や繋力について学ぶ意義を考えようと思う」


 隅に控えていたモリテが教壇に上がって膝立ちになり、石筆を取って、書字板に何事か書きつけていく。未毘古文字・簡体の「あ」だ。大きさを変えた「あ」を三つ書く。


「どれが一番見やすいですか?」


 三人は少し顔を見合わせた後、「真ん中のがいいです」と答えた。


 その後、先ほど示された題目について意見を聞かれ、ヨルザは「繋力の扱いをうまくするため」、サキは「自分のことを理解するため」と答えた。


「……なぜ?」

「それが当面の私の望みだからです。自分のことさえよくわからないのが、得体の知れない身体に自分が入っているみたいで気持ち悪いので」

「そういえば、勧誘書にも書いていたな。良いと思う。巫子に生まれた者は大抵一度は思うことだ」


 そういう感覚が自分だけではないと知ってホッとするサキをよそに、サンガはシニエに聞いていく。


「そうですね……理由というか、元々の思いとしてはサキと似てるところもあるんですが、繋力は自分のものでもあるのか、そうじゃなくて、民のためだけのものであるかを自分で明確にするためだと思います」


「それはなぜか?」


 シニエは鼻眼鏡を顔と一緒に少し傾けるようにして、少し自分の拳を見つめた。


「この力や自分の魔霊が、民だけのものであったとしたら、俺は自分のすがるところがない気がして……。でも、そうであってもそうでなくても、それを含めて、俺は俺を受け入れたいんです」

「そうか。それも良き考えだと思う。……では、それぞれ帳面に今述べた自分の考えを書いて。全ての講義が終わる頃に、貴方達自身での意義が達成できたか聞くから、それを意識して講義に臨んでくれ」

「はい」



 その後は門下試験の実技系の復習だった。満足そうに見ている〈示教管理官〉達の様子を見るに、サンガの講義は問題ないのだろう。

 三人は講義の間にちょこちょこ挟まる質問に答え、全て正解だと褒められ、そうこうしているうちに終了の鐘が鳴った。

 少しの休憩の後はモリテの講義で、サンガは書記に回った。座学系の復習でもサキ達は正解を重ね、その後、帰っていくイナーグアとスロウユに褒められた。


「本部の講義でも、初期から合格を重ねそうだな」


 中心球学徒院の講義は初めに試験があって、それに合格すればその講義に出ることなく、次の段階の講義に進むことができる。


「自分の実力に慢心することなく、日々精進してまいります」


 これは儀礼句の一つだが、それを臆しも照れもせず、感じの良い笑顔と共に言えるヨルザの胆力である。


 三時間目も同じように復習で、後半になって、そろそろお腹が空いてきた頃に、カイヌとクミルが帰ってきた音がした。そのまま水音が聞こえてくるので、多分昼ご飯の支度をしてくれているのだろう。門下の料理番をやる者は午前の講義を早めに切り上げて、支度のために帰ることが許されているらしい。


「私達も集中して早くやり終えよう」


 その言葉通り、監視の目がなくなって少し気楽なサンガ達は、少し早くし始める。それについていけるように、指南してくれたイナーグアに心の中でそっと感謝した。


 終了の鐘が鳴り、昼休憩に入る。午後からは正装で、進級式を兼ねた四大族親睦会があるため、急がねばならない。もそもそと椀に少なめに盛られた、ご飯と氷室に入れていた昨日の残りを手早く食べ、自室に引っ込んで着替える。ミグロンの中身を整え、斜めがけのための紐を引っ張り出してかけた。


「行くぞ」


 カイヌとクミルはもう玄関で待っていた。両親の見送る声を背に、草原に出る。


「今日は俺が送ろう」


 カイヌが腰を探り、水入れではない方の瓢箪の栓を開け、底を叩いた。ずるんと出てきたのは、彼の繋力の色である深い黄土に透ける、乾燥した地域の動物。二股に分かれ大きく外側に湾曲した角を持つ、彼によればガムルーというらしい。〈裏〉で拾う霊獣の「種」と自分の繋力で騎獣は作る。まさか瓢箪から出てくるとは思っていなかったので驚いたが、こともなげにカイヌはその正面に立つと、ぷらりと(たてがみ)と繋がるようにして垂れる、複雑に絡まった形の手綱をほどいて、それを一本ずつ引いて()()のようなものを象っていく。形の端どうしを結って、何事か空に描くと、線だけだったそりの座席に乗る面ができた。


 即席のそりに皆が乗れば、カイヌはガムルーの角を掴んで身軽に飛び乗った。解いた手綱として成っている部分を、ぎゅっと束ねて持つと、そりがぐにっと曲がって、ガムルーが駆け出した。

 ガムルーぞりは素早く中心球に着いた。

 


 五人は球体の中の学徒院へつながる扉の中、大座敷に通された。背に金の紋章が刺繍された白のカルンサがひしめき合って、それぞれの体温で少し暖かい。ラクンラに指定された柔畳に座る。百ぐらいの門下の集団の中、前の一段高くなっているところに、恐らく先生だろうという人が立って、何かを握った拳を口の前に当てた。そのせいか声が大きく響く。


「皆様、門下への入門と進級、おめでとうございます。留年生の方々も、今年も頑張っていきましょう」


 この一言から始まった説明を要約すると、学徒院は門下の講義と合わせてより実践的な講義をする。門下の中では知り合えない他族の者達との交流の場でもある。先日の試験での成績により(こう)(おつ)(へい)(てい)の四階級が定められていて、その中にも位が上・中・下と分かれるのだが、学徒の努力次第で一年の中でも属する階級が変動する。学期制の学徒は夏休業前に履修程度試験がある。その時の門下の階級によって合格点は変わってくる。これに受からなければ進級は認められないのでよろしく、というものだ。留年生は何度も聞かされているようで、後ろに追いやられている席下の者達はつまらなさそうにしていた。


「……例年、階級が下の者ほど不満を溜め、色々と揉め事を起こすことがあります。基本的に研究巫官のわたくし達は講義をするだけですから、解決はできないものと思ってください。自分達の手に負えないと感じたら、まずは示教巫の直轄機関である孤巫院へ連絡を入れること。貴方がたの師親に来てもらい、裁定巫による裁判での処罰もあり得ます。よくよく気をつけること」


 新入生は何も知らないのだから、二年生や留年生の言うことをよく聞いて、行動するように。二年生や留年生は一年生の手本となれるよう言動に気をつけなさい、と言って、その先生は下がっていった。進級式は割とあっさりと終わってしまった。


「行くぞ。お前達の試験の点で、今回ウチは甲級中位に上がった。親睦会は小座敷だ。全ての甲級が集まる」


 それと、と歩きつつカイヌは繋石をまとわせた紐を巻いた指を組んで唇に当てる。この組み方は盗聴防止の術だ。


「スリンクルの門下、特に今回ウチと入れ替わったと思われる甲級低位には気をつけろ。何においても中途半端なくせにスリンクルらしく気位が高い。甲級は……まあ頑張れば行けるところだからな。慢心とか、嫉妬する奴も中にはいるんだよ。ウチは何というか……師父(とう)さんが俺達のためにああいうところに門下を建てて、それでいて今躍進しているから、絡まれやすいんだ。去年も何度か揉めた」


 去年までは未作組の危機だったからな、と小さく付け加えたカイヌの忠告に、三人は頷くほかなかった。


 小座敷の自分達の席に座ると、クミルが正装の帯に挟み込んだ紙片を三枚、そっと後ろのサキ達に撒いた。開けば、今年の甲級の学徒達の名簿が書かれている。多分一度会っただけでは顔と名が一致しないことを見越して、クミルが作ってくれたのだろう。ありがたい。


(えっと……)


 門下はそれぞれが着ける額環、額の石の周りの飾りで見分けられる。あの紋があるのはこの一族のこの門下で……と甲級の全員が揃わない今のうちに見比べていると、いかにも失笑が普通のこととして張り付いたような門下の一団が入ってきた。それだけでも、サキの顰蹙(ひんしゅく)を買ったものだが、


「また、かき集めたような家族ですこと」

「孤巫院から引き取られた者が、講義を受ける年になっても家族を集められなかったんだから、当然でしょう」

「中位に上がったようだが、新たな学徒がどうなのかと思えば」


 面と向かってではなく、聞こえるくらいの音量で通りすがりに言ってくるのは卑怯者のやることだ。サキは聞き流した。こんな悪口なんぞ、まともに聞いたところで精神的に疲弊するだけだ。村人達で慣れている。前の二人も何食わぬ顔で甲級が入り終わるのを待っているので、この対応で正解だと確信した。


(……あ)


 その中に、テシャがいた。そっと笑って小さく手を振ってくる。サキも振り返して、小さな祭壇に向かってまたも礼をする。


 その後は下位が上位と中位に柔畳の上を膝立ちで移動して挨拶をし、中位は上位に同じように挨拶をする。親睦会とは名ばかり、皆最低限の言葉しか話さない。自分達の門下が中位に上がった嫉妬なのか、下位の者達はそれとなく嫌味を言ってきた。


「よかったですね、弟妹が頂けて。……優秀な人材を与えてもらったのでしょうか?」

「あら、優秀でなければ、中位に上がることなどないでしょう? 今年もぜひ切磋琢磨いたしましょう」


 笑って応対するクミルは強かった。


(でも、逆に自慢に聞こえない?)


 そんな心中の呟きはさておき、親睦会は進んでいく。日没の鐘が鳴って、解散となった。

 


嘘でした。門下では講義が始まってました。すみません。

次は中心球での講義を中心に一日を書いていきます。

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