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入団式と勧誘(一年目)

 あっという間に入団式である。その朝は全員が忙しい。ただでさえ着付けに手間のかかる正装に、男女ともに少し化粧をする。未毘古人の多い巫子守での正式な行事は、未毘古の風習に則って行われるのだ。

 身支度を整えてから二階の自室を出て、居間に降りると、同じく身なりを整えた皆がいた。


「うん、貸した薄い色の口紅、よく似合ってる」


 クミルが寄ってきて、サキを褒めた。クミルは紅雲母の粉を花の油で練って棒にした口紅を貸してくれていた。サキの方も、「ありがとう。棒になった口紅使いやすかった」と言っておく。クミルがぱっと微笑んだ。


「今日は少ないが、昼でたくさん食べることになるからな」


 身体の線が細いせいで、化粧をするとまるで女のように見えるカイヌが、小ぶりのおにぎりを食卓に並べてそう言った。


「紅が取れないように気をつけろ」


 しゅるり、というような衣擦れの音を立てつつ、柔畳に正座する。指で輪を作り、食前の祈りを済ませて、手早く食べた。

 


 移送陣の描かれた絨毯を玄関先に広げて、起動するための繋力を流しているサンガの脇に立っていたモリテが、五人に向かって声をかけた。


「今日はわたくし達と固まって、巫具を持って動きなさい。そうすることで、他族の方々にも一族になったことを示せるから」

「なぜです?」


 シニエの問いに、モリテは少し顔を歪めた。


「わたくし達は、出身が同じ民族ではないわ。だから、ロタンヨマの祖・ホトフィサーラ様が作った同胞制度の適用を認められるためには、弟子がお披露目される入団式に家族で、巫子であると証明できる巫具を持って、出なきゃならないの」


 ん、とクミルが顔を逸らしたのがわかった。


「準備ができた。来なさい」


 陣に足を踏み入れる。膜が盛り上がって彼らを包んだ。と、それは七人を包んだまま浮き上がった。膜玉といって、ひと塊になって会場に行くことで、これもまた、一族になったことを示すためのものなのだそうだ。

 ふよりと浮いた膜玉から風が吹いて扉が開かれ、滑るように出た後、扉は閉まる。そこから膜は高度を上げて、ふわりと飛んだ。


「あ、ほかの門下の膜玉もありますね」


 ヨルザが物珍しそうに言い、指差す。見れば、百以上ある門下郷の家々から七人を覆った膜が浮き上がって、中央の球に向かってゆっくりと移動している。巫子守の外が暗いせいで、防護壁の内側に朝日が映ってもなお薄暗い街に、楕円の虹に光るシャボン玉がいくつも浮く。幻想的な光景だった。

 合格発表のあった、浮かぶ球体に近い広場で、サキ達が乗っているシャボン玉はゆっくりと下降し、膜越しの足が着くと同時にぱちんと弾けた。サンガ達について歩く。


「ヨルザ、サキ、シニエはこちらだ。私達は家族席に移動する」


 別れて言われた方を向くと、合格発表の時にはなかった、球体につながる階段があった。もしくは、緊張しすぎて見えていなかっただけかもしれないが。


 何重にも重ねているせいで重く、動きにくい正装を少し邪魔に思いつつ、そこそこ段数のある階段を上っていく。球の中に入ると、受付の黒いカルンサの人が、新入りの見習いがつけている仮登録の指輪を外していっている。背の刺繍を見るなら、スリンクル族なのだろう。その人に右手を差し出す。するりと指輪を抜かれるとその上の繋石はあっという間に色を失くした。


「授与式の時に新しくもらいます」


 最近、続けざまに何かもらってばかりだが、きっとこれが巫子守の豊かさなのだろう。指輪をもらうと正式に巫子守全体の団員となり、同時に、繋力と繋石で基盤のほとんどが成っているこの門下郷()を維持するための繋力を供給することを求められる。受付に軽く会釈し、座敷につながる二重扉の外側が開放されていたので、中に入った。


 とても座敷の前の空間だとは思えない広さが眼前にある。前には見習いの白いカルンサが埋め尽くしている。サキはこの年頃の少女にしては背が高い方だが、さらに奥には今年成人して、新しく加入するのだろう巫官の縹、巫士の緋色、巫守の淡麦色がみっしりだ。到底奥の扉は見えそうもない。白いカルンサ達は後に回されるようだ。


 がちゃりと、重そうな音を立てて、扉が開いた。人の隙間の一つひとつから、闇に包まれたこの〈狭間〉とは思えないほどの、午前の白い光が伝わってくる。白い光を放つ蝋燭がたくさんあるらしかった。色とりどりのカルンサが動き出す。これから先輩方(この人たち)の式があるんだ、と思った刹那、入り口に沿って彼らは二列に素早く整列し、向かい合った者と手を組んで、湾曲した橋のようにした。くぐれ、ということか。彼らには一様に笑みが張り付いている。それが一瞬、酔っ払って絡もうとしてくる、村人達の顔に見えた。


 嬉々として駆けていく周囲に、なんとなく馴染めない気分のまま、サキは足を出した。

 


 属性粒子の濃度の濃い繋力で染められたと思われる盾状の巨大な繋石が、光、土、火、水、風の色に輝いて、正面の大祭壇の階段に鎮座している。魔霊はその及ぼす力から民からは信仰に近い思いを持たれているが、本質としては生前への未練を以って繋力を巻き込んだ魂である。しかし巫子にとっては命綱なので、今もこうして崇めることとなっているのだろう。さらにその上には、四大族の象徴である、スリンクル族の『太陽と神鳥ラワト』、リナサンル族の『太平の海』、ショナラマ族の『砂漠の駱駝(らくだ)』、そして、ロタンヨマ族の『抱擁の母子図』が、それぞれ刺繍された厚幕が垂れ下がり、その下には、それぞれの族長が跪いて、祈りを捧げているようだった。上にぐるりと囲むようにある家族席の座敷には目をやらない。余計に緊張してしまうからだ。それを思ってふと、私は巫子という役割には向いていなかったんだな、と思った。


 そうこうしているうちに、隊形が変わり、前の方から少しずつ見習いが跪き始めた。体制を整え、正装の裾を押さえて、そっと座した。

 背後で扉が閉まる音がした。ヒィン、という笛の高い音がしたのを合図に、祭壇の上の族長達は祈るのをやめて立ち上がった。司会の声が、何か拡声器のようなものを使っているようで、朗々と響く。


「一同、座礼! ……お直りください」


 股関節に手を置き、深々と頭を下げる。


「はじめに、創立伝承の奉納。起立し、族長の詠唱に傾聴願います」


 司会を受けて、祭壇に立った四人が腰に手をやって、何やらそれほど長くない白い棒を取り出すと、胸の前に構える。一瞬でその棒の形が変わって、カクカクとした無機質な感じの杖が現れた。頭の方に縫い付けられたように密集していくつか鈴が揺れているのが遠くからでもわかる。南方の訛りが強い未毘古語で、独特の節回しをつけて四人が杖を構えたまま歌い出す。


「巫子守の祖は四人なり。スリンクルの祖ネシャダリエ、リナサンルの祖サンニム、ショナラマの祖オフルーゼヨ、ロタンヨマの祖ホトフィサーラ。先ずは我等の生きる場所をお与えになった彼女等に感謝を」


 シャン、と鈴の高い音が広間に響く。その後は時折杖の鈴を鳴らしながら、古語が混じった装飾的な詞が続く。前に聞いた話も考えにまとめつつ、理解するとこうだ。


 時は今からおよそ四百年前。南西の草原地帯から出てきた現在の未毘古の王家が、北東部羅句山の麓に都を築く十年ほど前の話だそうだ。当時はできた小さな国が近くの強国に擦り寄ったり離れたりを繰り返しながら、大体六つほどに分かれた国々が、各地で戦をやってせめぎ合っていた。その中で、のちに未毘古に潰される南の大国の王には、優秀で気に入られている臣下が二人いた。そしてその二人の出身の村の巫子が、スリンクルの祖であるネシャダリエと、ロタンヨマの祖のホトフィサーラである。王の寵を受けた臣下の出身村とあって、二人の巫子は幼い頃から親交があったそうだ。未毘古ができる十年前までは、その大国はどんどんと力をつけていて、軍兵の質も良く、快進撃の最中だったらしい。


 巫子が持つ巫具の魔霊によっては、未来や別のところの様子が〈視える〉ものもある。その国では、そういう巫子の予言能力や繋力を応用し、〈表〉にも大きな影響を及ぼす〈裏〉の状態を探る占いは、作戦を考える上で大いに重宝された。


 占いでも魔霊による予言でも、吉兆しか出てこない時期が続くさなか、ネシャダリエは続いた吉兆の裏返しとも取れる重大な凶兆を、彼女の魔霊に伝えられる。


___妙な術を用いる宗教が後ろ盾についた隣国が、急激に力を伸ばして各国を統一した後に、羅句山に都を建てる。___


 ネシャダリエが確認のためホトフィサーラに声をかけると、彼女もそのような予言を魔霊から伝えられたと言った。二人はすぐに寵を受けた臣下にその予言を伝え、臣下はのちに未毘古王国の源流となるその国に一度降伏し、機を見た方が良いと王に進言した。しかし王は信じない。それどころか、自国が滅びるという予言をしたのだから、その臣下二人こそが裏切り者だと言って、王は出身村ごと臣下を処分することにしてしまった。


 その知らせを持った王の使者が村に来る間、ネシャダリエとホトフィサーラは新たな予言を耳にする。それは、隣国が統一する間、多くの村が焼かれて滅び、村人達に逃がされた巫子の多くは自らの相棒である巫具を失い、持て余した繋力に苦しむというもの。巫子にとって巫具を失うことは、すぐさま死活問題に発展する。このまま使者が来るのを待っていれば、間違いなく自分たちは処刑され、予言の通りになればたくさんの同志が苦しむことになる。王の寵を失った二つの村は雰囲気も険悪になっており、自分たちが呼びかけたところで動いてくれないだろう。そう確信した二人は、使者がたどり着く日の未明、わずかな従者を連れて村を出奔した。


 しかし、各地の巫子達に危険を知らせたところで、逃げ場所がない。早急に有力者に見つからないような大きな隠れ家を用意せねばならない。半ば途方に暮れながら、北の大陸の海岸を追っ手から逃れて歩いていたら、二人はたまたまそこに舟をつけていたというリナサンルの祖・サンニムとショナラマの祖・オフルーゼヨに遭遇した。オフルーゼヨは南方の大陸の出身で、現在巫子守で使われている陣学の原型となった、繋力を応用する力に長けていたそうだ。彼女達はともに指定の場所に移送する陣と、建物を隠す陣を開発した。そして〈狭間〉に逃げてきた巫子の家をたくさん誂え、巫子守が完成したという。


「我等は祖等の願いを継ぎ、巫子(ふし)の自由の御ため、(うつつ)となる迄尽力するを誓う」


 シャンシャンと鳴っていた鈴の音が止んではじめて、はっとしたサキは祭壇を見た。語り終わった族長達はもう祭壇を降りていた。


「次に、団員証授与。当代憐心巫(れんしんふ)、マラーテ・リナサンル様、お願いします」


 マラーテと呼ばれたその老女は、隣に立つロタンヨマのキラナと比べても劣らず、穏やかそうで美しかった。祭壇の隣に置かれた演説台に立ち、口を開く。


「それでは、未毘古語簡体字順で呼びますから、立ち上がって来てください。受け取った者は皆に見せ、皆は拍手をお願いします。………アヒノ・スリンクル」


 何列か前に座っていた少年が、演説台へと向かう。そっと跪くと、左手を差し出したのが見えた。マラーテが台の下から指輪を取り出し、嵌めた。彼が立ち上がって、マラーテに向かって礼をすると、所作美しく振り返り、皆に指輪を見せる。拍手が沸き起こった。


 その後も、四大族の順は関係なく、時折どこの門下にも属さないで学徒院の教授に指南してもらう者も呼ばれた。あの試験に受からなかった者は成人団員のラクンラになるための教育を受けるか、学徒院だけで学ぶ。ちなみに同胞制度で得られる特権の、一族からの援助金や師親による身元保証、巫子守本部から出される褒賞が得られる場合は非常に少ない。だから、同胞制度が適用されるように、そういう人達はなるべく早く四大族出身の団員と婚約しようとするのだそうだ。落ちていたらと思うと恐ろしいが、ここだけでざっと見て二千はいようかというこの団員達、ひいてはサンガ門下のそば、〈郊外〉の孤巫院の子供達も養うのだ。納得はできる。


「サキ・ロタンヨマ」


 呼ばれた。立ち上がり、痺れる足をばれないよう伸ばしつつ歩く。昔ヒニキが教えてくれたことだが、ここで役に立つとは思わなかった。

 しとしとと歩き、マラーテの演説台に向かう。


「利き手はどちら?」


 演説台の前に立つと、マラーテが小声で聞いた。


「左ですが」

「では、右手を出しなさい」


 指まで被る優美で長い袖を捲り、右手を差し出す。マラーテは、サキの髪の先と同じ深い海の色の繋石がはまった指輪を取り出して、丁寧な仕草で彼女の中指につけた。指輪は指にゆるくもきつくもなく、吸い付くようにぴったりとはまる。これが外地から戻る時の鍵になる。巫子守団員の証だ。


「巫子守の新しき同胞よ。我らは貴女を歓迎します」


 マラーテは儀礼句を口にする。サキも、「恐れ入ります」と返して振り返り、皆に指輪を見せた。

 こうして還俗した巫子が集まる巫子守でも、儀式が盛んで、それ毎にきちんと儀礼句があるのは、巫子が昔から村の祭事に神に仕える者として参加し、村人達を言祝(ことほ)ぎ続けていたからだろう。巫子と祭事は切り離せない。


 最低限壇上に留まると、サキは拍手が湧き起こる中を足早に退場する。指輪をもらい次第、学徒は家族席に行く。人々の間を縫って、二階の大座敷の隅の、四本の柱の中にある昇降籠(しょうこうろう)(錘を乗せた対籠(ついかご)と人が乗った籠の比重を利用する昇降機)に入って中の重い錘をいくつか持った。対籠を近くの長鉤(ながかぎ)で手繰り寄せ、少し浮き上がる足場の中、手の錘を入れる。七個移すと、対籠に蓋をするように陣が現れた。サンガを真似てその中心に指を置くと、陣は少し繋力を吸って、周りの柱に沿ってゆっくりと籠が上がり出す。


 二階にたどり着くと、そのすぐ近くの門下の女性が、心なしかやつれたように立ち上がって「わたくしが対籠を上げておきますね」と言い、操作をし出した。引退した者を表す黒いカルンサの留め具に白い帯、席下だ。自分の門下生が出場するもの以外は、行事に出ることが基本的に許されない。出場しても、このような細々とした席上の雑用をさせられる。その格差を知った気分で、サキは自分の『家族』の下に足を進めた。

 


 その後は上からひたすら式を眺めていた。時々空腹を凌ぐために小皿に置かれた干し果実を食べたとか、一番未毘古語の音が遅かったヨルザが合流し、きょうだい順に並び直したとかの他は、特に何もない。成人団員の入団式を、来年の今頃自分はここにいるのか、と現実味なくぼんやり思っていた。


 式が終わると、歓迎の宴の準備に入る。祭壇と座敷の床に敷かれた柔畳の一部が片付けられ、代わりに床に渡りそうなほど長い、四つの食卓が設けられた。これらはすべて成人団員お付きのラクンラの仕事だ。質素な白いお仕着せがくるくる動き回る。


「お迎えに参りました」


 その一人の案内で、皆は家族席を降りた。

 


 一旦退場していた引退団員や新成人達は、各々のお仕着せから正装へと着替え、薄く化粧を施して再入場した。

 全員が食卓についたのを確認し、族長が合図すると、待ち構えたように大皿の料理がいくつも運ばれてくる。香りの良いお茶、米の飯と汁物も大机に乗せられ、さまざまな肉や魚料理が鼻をくすぐった。食前の祈りを済ませて食べ始める。サキは辺りを見回して思った。


(男の巫子が思ったより多い……)


 全世界から集まってきているのだから無理もないが、未毘古人だろうと思われる人々も結構いる。もしかしたら故郷の人々の目に触れなかったのだろうか。


(男装した意味なかったかも?)


「こら、あまり見回すな。失礼だぞ」


 ヨルザの右に座ったカイヌが、長い腕をサキの肩に伸ばし、抑える。


「はい」


 板挟みになって困惑しているヨルザに小声で謝りつつ、彼女は懐かしい小魚の煮物に手をつけた。

*


 お腹が膨れてくると、成人団員や引退した団員が席を立ち、そこここへ歩き回るようになる。


「あの人たちは何をしているんですか?」


 モリテに訊いてみた。


「あれは自分の団への勧誘よ。全団員が一処に集まるのは、今年だったら今日と秋の合同収穫祭、新年の祝いぐらいしかないもの。カイヌとクミルは慣れているでしょうが、サキ、ヨルザとシニエもよく聞いて」

「はい」


 二人がこちらを向くのを確認し、モリテは続ける。


「三人は巫士課程と巫官課程を履修するのよね?」

「そのつもりですが」

「詳しくは講義が始まってから説明するけれど、一口に巫官、巫士といってもさまざまな職種があるの。あなた達は今年の学期制を選んだ学徒の最優秀だから、注目されている。普通よりもっと勧誘は来るはずよ。まだ決めきれていないなら、今日の勧誘ははぐらかしなさい。機会が少ないから、向こうも必死なのよ。……正直いって、しつこい」


 あんなふうに子供を引くに引けないように持っていくのは一体どうなのか、と呟く。最後はまずいと思ったのか小声だったが、宴の喧騒の中でもはっきり聞こえた。いつも柔和そうなモリテの口からそんな言葉が出るなんて思いもしなかった。


(こういうふうに言うってことは、よっぽどなんだろうな)


「どうやればいいですか?」


 ヨルザには、サンガが答えた。


「『まだ悩んでいますから、すぐにはお答えできません』だ。大体はそれで諦めてくれるが、諦めてくれない時はもう一度言って、厠に逃げ込みなさい。くれぐれも切り出す頃合いには気をつけて」

「変なことを教えるない、サンガ」


 ごほっ、とむせつつ近くの男が制止する。ヨルザに似ているような、北方訛りが強い未毘古語はサンガの友人、ナホウのものだ。彼も〈郊外〉に門下を構えている。数日前に紹介された。


「でも本当のことだ」


 話している間にも緋色や淡麦、縹色のカルンサが二十ほど近づいてくる。


(来た……!)


 サキは警戒を高めた。彼女達だけでなく、近くで会話を聞いていた学徒達も、どことなくピリッとした空気を出し始める。それで、サキ達の近くに来る者は半数ぐらいになった。ひきつった笑みを浮かべてでも、やってくる者は相当な強者であろう。

 さて、どこから来るのか。後ろか、横か。


「新入りのお嬢さん」


 下からにゅっと生えてくるが如く、突然現れた知的な声の主は、サキの肩をがしりと掴んだ。

どうやら女性のようだったが、なぜいきなり肩を掴んでくるのかわからない。


「……何です?」


 失礼には失礼で返そうと、面倒くさそうな態度を隠そうとも振り返ろうともせずにサキは応えた。


「入団前から、君の噂は聞こえていましたよ。つまらなさそうな顔をして、平然と優秀な成績を叩き出す娘の噂は」


(はぁ⁉︎)


 わけがわからない。どこからどのように吹聴されたらそんな噂になるんだ。

 いよいよサキは振り返った。しかし、胡散くさいほどの笑顔で。これはもう巫子時代に使っていた攻法で、即座にお帰りいただくほかない。


「申し訳ありませんが……」

「そう! その顔が見たかったのです!」


 縹のカルンサをまとった女性は後じさるどころか、目を輝かせて遮るように言った。これまで通じなかったことがない笑顔だったのだが、ずれた方向に解釈されてしまっている。気づけ、と念じてさらに笑顔を深めた。


「あの……」

「そのような顔をして私の講義を受けて、はまらなかった人はいません。君、巫子の怒りに触れてみたくありませんか?」

「え?」


 言われたことが意外で、作った笑顔が抜けてしまった。


「私は〈巫子史学〉を研究しているカヤリエ・リナサンルです。君は学期制と聞いておりますから、私と会うのは夏以降ですね。内心に深い怒りを溜めておられると見る君にはぜひ聞いてもらいたいものです」


 呆気にとられてぽかんとしてしまう。


(変な人)


 嫌だ。こういう部類の人が一番面倒くさい。目をつけられたら、こちらが折れるまで追いかけてくる。向こうの情熱を折ろうとさまざまな手を尽くしても、ひびが入るどころかさらに燃え上がる。厄介だ。

 そんなことはおくびにも出さないように、サキは先ほどよりも綺麗な作り笑顔になった。


「私には今のところ興味は全くと言っていいほどありませんし、まだ悩んでいますから、すぐにはお答えできません」


 今度こそ掴まれている手を払おうとして言うと、意外にもカヤリエはするりと肩から手を離した。


「では、秋を楽しみにしていますね」


 全く諦めていない声音だった。


 その後も勧誘は来たが、その度にあの笑顔で断り続けた。結局、負けじと畳みかけてきたのはカヤリエだけだった。

 


 すぐにでも寝台に倒れ込みたいような気分で、家の自室に戻ると、勉強机に高価な紙を厚く束ねた冊子と筆巻き、書包(しょつつみ)(学問書を包むための布)が置いてあった。横の紙片を開いてみる。


「この冊子は日々を記録する手記だ。毎年、まだ見ぬ知識を集めようとする示教巫に提出が求められる。でも、あまり硬くならずに基本は楽しみつつ、時には自分と向き合いながら書いていけ」


(ふうん……)


 繋力がそのまま墨になる簡易筆を持ち、初めの頁に今日の日付を書く。


 ——巫子の怒りに触れてみたくありませんか?


 対面した時はあれほど嫌だったのに、今になってその言葉が妙に心に引っ掛かってている。不思議だ。それを書くことにした。


 ——今日は入団式だった。変でしつこいカヤリエさんといったかに巫子史学研究室へ勧誘されたが、どうも警戒しきれなかった。何か、私の深いところに触れるものがあったのかもしれない。


 それが、やがて彼女の運命を左右する出会いだとは、まだ当人は知る由もなかった。

 


初めての巫子守全体の行事でした。各一族の始祖は古代の人だけあって名前がめちゃ長いので、ホトさん、とかと覚えてください。そしてしつこいサヤリエにサキもびっくり。この人はしつこさで巫子守の研究者の間でも有名です。また後ほど出てくる予定。

次は、講義の準備です。

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