ロタンヨマ族の歓迎会(一年目)
二十日ぐらいある春休みの、半分が過ぎた。来期の全ての門下生の人数が決まったとあって、スリンクル、リナサンル、ショナラマ、ロタンヨマの四大族は、この時期になると、新入族員の入族式と歓迎晩餐会を行う。
それが今日なのだ。
休み中はいつも夜明け前に出かけて、夕方にしか帰ってこない師親は、今日は昼過ぎに仕事を切り上げて戻ってきた。それまで部屋着で軽い勉強をしていた五人は、それぞれ自室に戻り、正装に着替えて、カルンサをまとった。
「それぞれ食器、祝い返しの品は持ったか?」
五人をまとめる長兄のカイヌが確認をしている。
「持った、持った」
クミルは軽く返しながら、皆に袋に詰めた皿や湯呑、食器を配っていく。
もちろん、会場には会場の食器がある。しかし、政敵など対立する者との会食に出席する場合、毒殺とまではいかなくても、何やら盛られる可能性がある。そういう場合、出された食器に毒が塗られていることが多いから、神経質な未毘古人の多い巫子守では、会食に自分の食器を持っていかないということはとても不用心だと思われるに等しいのだ。今回は師弟関係で結ばれた一族の会食なので、本来ならそれは必要ないし、逆に失礼だと思われるのだが、未成年者が参加するので、練習も兼ねているらしい。
ぱたぱたと五人が玄関に向かい、上がりかまちに座って靴を履き替える時にはもう、サンガとモリテは、移送陣を描いた絨毯をその目前の土間に敷き終わっていた。二重螺旋の円の前方、戸の近いところに二人はいる。
「二重螺旋の円の中に入りなさい」
五人が入るのを見届け、サンガはそっと跪いた。繋力で陣が光る。
虹に光る透明な膜が彼らを包んでまるで陽炎のように、玄関からふっと消えた。
「やあ、サンガ。よかったな、カイヌとクミルが未作組にならず」
年配そうな男の声がして、酔わぬように目を閉じていたサキは、ゆっくりとその瞼を開いた。
サンガが陣を出て、その年配の男に跪く。
「祝いの言葉ありがとうございます、師父上」
(師父上?)
ということは、この人はサンガの師か。
「顔を上げてくれ。いまさら貴方に跪かれたくないよ。……それより、新しい孫弟子の姿を見せてくれないか」
「はい。ヨルザ、サキ、シニエです。よしなに頼みます」
「ああ、よくぞ入った。私は君らを歓迎するよ」
「ありがとうございます。入学後も日々精進を重ねていきます」
〈師上の兄姉〉から叩き込まれた挨拶である。
「ああ、ロタンヨマの一員として、励めよ」
「はい」
「話は変わりますが、スルツン祖師。なぜ貴方がここに?」
カイヌが尋ねた。
「ああ、今日は我らロタンヨマが大座敷を貸し切っていて、まだ準備を終えられていないので族長に頼まれた。皆を控室に送るためだよ」
スルツンに案内され、大座敷の横の控室に、一行はたどり着いた。しかし、五人と両親は分けられる。
「じき、族長・キラナ様が新顔を観に来られる。……それに、子供達だけでいたほうが、ゆっくりできるだろう?」
いたずらっぽく笑って、スルツンは去っていった。
控室は、板張りの床にまるで島のように、点々と柔畳が置かれている。五人は上履きになって、そこに並ぶように座った。周りには学徒達が大勢いて、立ったり座ったり各々の姿勢で談笑しあっている。サキは、初対面のしかも大勢いる場で、人に話しかけるのは得意ではない。それで、ヨルザとシニエの間に座ってうつむいていた。
「まあ、クミル。あちらは新入り?」
と、誰かともう婚約しているのか、髪を簪で結い上げた少女が、クミルに話しかけてきた。
「そうよ、シラルク。婚約されたのね、おめでとう。お相手を聞いていいかしら?」
「リナサンル族のアルミラ様よ」
「ああ、アルミラ様ね。わたし、ずっとシラルクを応援していたから、嬉しいよ」
どうやらシラルクは、クミルの学友らしい。首に縹色の布がゆるく巻かれているから、巫官見習いなのだろうか。礼を言ったその彼女が、こちらに歩いてきて、突然尋ねてきた。
「貴女、クミルと同郷?」
すぐに、浅黒い自分の肌のことを問われているのだと悟ったが、サキはどぎまぎとして、しかもクミルの故郷を知らないので、首を傾げるしかない。
「いえ……私の故郷はアウネシアです……」
初対面で気になったのはわかるが、いきなり聞いてくるのは、ちょっと失礼ではないだろうか。どうも釈然としない。
「寡黙ね。ふふっ、貴女の幼い頃にそっくりよ、クミル」
「そこがかわいらしいのよ」
シラルクとクミルは話し始めたが、サキはそのことよりも、クミルに驚いていた。クミルはこの十日間いつも明るかったが、自分のように恐々人と話していた時期があったのだろうか。とても想像がつかないが……。
「失礼いたします、学徒の皆さん」
扉越しでも、はっきりそれとわかるような、芯のある特徴的な声が聞こえてきた。その途端、楽しそうにしていた学徒達が一斉に話をやめて、跪き出す。少し慌てて遅れている者達とで、新入りかどうかがくっきりとわかれる。
サキも跪いて体勢を整えたところで、扉が開いた。
「顔をお上げなさい」
結っていない髪が前に流れるのを感じながら、ゆっくりと族長に顔を向けた。
(綺麗……)
扉の前に、真っ直ぐに老女が立っている。中年の侍女に手を取られ、その赤みの混じる黒い目は焦点があっていない。が、その姿には凛としたものがあり、サキには、なんとなく先代のヒニキを想起させた。
キラナは微笑んだ。
「驚かれる方もいるでしょうね。わたくしはあなた方の顔は見られないけれど、しっかりと心に焼き付けますから、どうかわたくしに顔を見せてくださる?」
「はい、キラナ様」
キラナはラクンラとそれぞれの門下の兄姉達の声に従い、新入り全員と握手をした。その手のかわいた温かさが、手を通じて胸をすっと通り抜けていく気がした。
準備の仕上げのために下がっていったキラナを見送り、まだぼうっとしてしまっているサキを見かねてか、カイヌが膝で歩いてきた。
「裁定巫をされているが、キラナ様の求心力はものすごいんだ」
裁定巫とは、巫子守内でことが起こった時、引退した者で構成される巫議会で決議された法をもとに判断する、最高責任者の称号である。
裁定巫の他に見習いの教育方針を決めたりさまざまな記録を管理したりする示教巫、巫議会の法や人事の全てを司る統括巫、孤巫院の子供達の管理や互支村の人々に気を配る憐心巫があり、それぞれ族長がその職につく。ちなみに、当代は示教巫をショナラマ族、統括巫をスリンクル族、憐心巫をリナサンル族が担っているらしい。
「俺も時々、あの人の目が見えていないことを忘れそうになる」
「そうなんだ……、すごいね」
その時、準備が整ったとの知らせが入った。
今日の主役は新入り達なので、大座敷の重い扉の前にサキ達三人を置いて、カイヌとクミルは中に入っていった。現役を引退したことを表す、黒のカルンサをまとった族員の説明を聞く。まずは正規の弟子入りで合格した者から入場し、成績順に並ぶらしい。なんとサンガ門下は学期制で合格した門下の中では一番の成績だそうだ。なるほど、イナーグアがあんなに躍起になっていたはずである。
「これから、巫士に今年任命された者達の舞がありますから、私が合図したら、入場してください」
廊下に並ばされる。重い扉が開く音がした。
「これより、ロタンヨマの新たな子を呼ばう。清扇の舞を見せよ」
キラナの嗄れて、それでも凛とした声が響いた。
族長が言う清扇とは、普通は未毘古の女貴人が、口元を覆って権威を見せるための柄のある扇をさすが、巫子守では巫具を使った〈弔い舞〉の補助として用いるらしい。巫士のなかでは、〈弔い舞〉の〈舞い手〉はおろか、その補佐に任命されるのも、よほど才がある者でないと無理なのだそうだ。
盆器の柔らかい音に、何か木管の笛のような芯のある音が交じる。それに合わせて、〈舞い手〉達はゆっくりと房飾りのついた重そうな扇を振るい、舞い始めた。三人は、とても座敷の入り口が見えないくらい廊下の奥にいるから、〈舞い手〉達が舞う姿を見るというよりも、座敷から漏れる光と影が舞っているのを見るという方が正しい。それでも、その影は一糸乱れることなく、実物を見ていたら、とても美しいだろうと思われた。
十人近くいる〈舞い手〉がちょっと左右に分かれた隙に、説明をしてくれた族員は合図を出した。
新入りの行列が歩み出す。教えられたことといえば、決して下を向かず、一点を見つめるようにして歩くこと。本当は皆に手を振れるぐらい余裕ある表情をしていると良いらしいが、今春入ってきたばかりの学徒達にそれを求めるのは酷だ、と族員は言っていた。正直ありがたい。サキは焼けつくぐらいヨルザの、上で結って露わになったうなじを見つめて、キラナのいる壇の前へと歩いていった。
壇の前は柔畳が敷かれていない。そこに理路整然と並び、跪いて頭を垂れる。
「わたくし達と、出会うことのできたこの縁に感謝を……」
何かに見惚れているような声で、茫洋と祈るさまは、まさに巫子の姿である。キラナは壇から降りて、ラクンラに渡される飾り布を一人ずつ、額環の後ろについた金具に引っ掛けていった。ロタンヨマを表す、独特な衣装だ。
今年のロタンヨマ志望の者の中では主席であったという少年が、立ち上がって式辞を述べる。
少年が式辞を読み終えると、キラナは儀礼的に頷いた。その瞬間、拍手が巻き起こる。入族式は終わり。あとは食事会だ。
まだ慣れない柔畳に正座し、こじんまりした個人用の卓に並べられる食事は、やはり村の収穫祭——サキであれば豊漁祭だろうか、それ以上に豪華だった。しかも、春休みが
終わった初日には、入団式に合わせて巫子守全体の宴がある。
最近、食事は市井で暮らしていた頃よりよほど良い。内臓が疲れないか少し心配だった。だいたい食べ過ぎた後何日かして体調を崩すことがあるから、少し遠慮しよう……と思って食べ始めたけれど、二口目を口に運ぶころには、それは吹っ飛んでしまっていた。味付けは少々控えめで、素材の味が活きている。肉の塩だれで炒めたのはふっくらと炊きあがった飯によく合った。漬物も、野菜の歯応えが残っていて、素朴だがおいしい。
「すごいな、やっぱり巫子守は最高だぁ!」
ヨルザが不意に、サキの肩を掴んで言ってきた。
(今、巫子守に入ったばかりでそれを言う?)
「もしかして、酔ってる?」
卓に度の弱い酒はあったし。
「いや、素面だぞ? まだ酒は一滴たりとも飲んでない」
おどけたように彼は言う。素面でそれを言えるのだから、ヨルザはお調子者である。
「うん? 皆楽しんでる?」
「あ、イナーグアさん」
いつのまにかイナーグアがそばにいた。ヨルザがサキの首に絡むようにしていた腕を解いて、その場に正座した。
「おかげさまで充実した日々を送ることができています。仲介に改めて感謝します」
深々と頭を下げる。そばのシニエが口元を押さえていた。
「はっはっは。まあいいよ。できればさっき貴方がサキにしたみたいにしてくれたら、嬉しかったんだけどね」
茶目っ気全開という感じでイナーグアが片目を瞑る。「次の機会にはそうしようと思います」とヨルザが返すと、イナーグアは笑いながら去って行った。
人に紛れていったイナーグアを追うようにして、辺りを見回すと、皆は自分の食事だけではなく、他の門下の人と何やら喋っていたり、黒いカルンサの女性は、飲みきれない酒をお酌して回ったりしている。意外なことに、イナーグアもその中にいた。
「誰とも話さなくても、周りを見習って、うろうろした方がいいかな?」
「そうかもな」
三人は、とりあえず切りのいいところまで食べて、酒の隣に置かれていた、まだ中身の残る水瓶と湯呑を持って、未成年の白いカルンサがたまる場所に向かった。
集まりの隣に座って、他愛もない会話を聞くともなく聞き、少し行儀が悪いが水を手酌で湯呑に注いで飲むと、何だか急に大人になった気がした。照れくさいような、むず痒いような感じをそのままに、しばらくそれを続ける。と、その集まりの中から、不意に立ち上がる人があった。
便所にでもいくのか、と思ったら、その女らしき人は自分に向かって歩いてくる。その人にいきなり手首を掴まれた。その細い浅黒い腕、サキをひたと見つめてくる、淡くて青みの強い緑の眼差し。見覚えがあった。
「サキ姉?」
「え……テシャ?」
「ちょっと待って。……うわーっ! 会えた! やっと会えた! 姉だ!」
続けざまにテシャが叫んだので、ばっと皆が一斉に振り返った。バツが悪くなったサキは、「ちょっ、静……い、行こう」と言って、テシャの手首を掴み返し、人混みを避けながら駆け出した。
テシャはサキの一つ下の巫子だ。互いの村は遠く、アウネシア王都・レウネソで占領の見張りとしてやってきていた未毘古の者も交えて年に一度行われる〈集い〉でしか会わないとはいえ、仲が良かった。それは一週間ほどの会議で、村を代表して王都に来るが、未成年は夕方に下がらせられる。サキが村にいた頃、未成年の巫子は彼女の他にテシャしかいなかった。大人のいない貴重な夜の時間、村の愚痴を言いあったり、宮にあった玩具を拝借して遊んだり、そうして二人は子供でいられたのだった。
座敷を出て、明かりが遠く薄暗い廊下に着くなり、サキはテシャの肩を掴んで壁に押し付けた。思わずそうしてしまってからそっと手を離す。テシャが身体をくねらせて正面を避ける。「控室でうつむいてたからわからなかった」とテシャは言った。
「ごめん、ここで会うとは思わなくて。……何でここにいるの?」
「それはこっちのセリフだよ。こっちにマネストの隣村の使者がやってきて、村が滅びて巫子は行方不明って、そりゃ、誰でも心配するよ! ……どうしてマネストを出たのよ? ねぇ?」
甲高い声でまくし立てるテシャの目には、みるみる涙が溜まっていく。サキは思わず、自分より少し背の低い、その細い体を抱いた。
「…………正直に言うと、カユンカに逃された。魔霊が襲ってきて、巫子がいなくなれば引き下がるだろうって」
「何も言わなかったわけ?」
「いや、言ったよ。それでも、彼は譲ってくれなかった。未毘古に逃れて、そしたらさっき私の横にいたヨルザとシニエに会って、イナーグアさんの紹介でここに来た」
聞き終えたテシャは、気が済んだようなほっとしたような顔をした。しかし辛そうに眉を寄せ、彼女は語り出す。
聞くところによると、心配ではあるが村で何もできないでいた秋口に、サキを探す〈巫子狩り〉の捜索がテシャの村に入り、テシャは拐われてしまったらしい。つまり、サキが村を失って数日で、関門を突破して未毘古に入国していたのは、結果的に正解だったということになる。
「いくらなんでも、度が過ぎてるよ、それは!」
「でしょ? だから、儀知で逃げ出した」
儀知は、ヨルザとシニエがいた霧聴にほど近い、未毘古王国南方の都市である。
「ええ……?」
もしサキがテシャの立場だったら、逃げる根性なんて無いと思う。テシャが「ふふっ」と胸を張る。あの頃からテシャは変わってないなあ、と思って、サキはテシャの頬を両手で包んだ。
「テシャはすごいよ。私、捕まったまま本山に連れてかれそうだもん。……無事でよかった」
「ん。……お互いにね」
テシャはサキの手を頬からそっと剥がすと、照れを隠すように黙ってサキの胸に顔を埋めた。温かいものが、テシャの肌の温もりと一緒に胸に流れ込んでくる。このままテシャを連れて帰りたかった。あの海に帰りたい。夜になって、月の光輝く水面を見つめて、火を焚いて騒ぐ、皆の様子を見ていたい……。
(けれど……)
もう帰るべき島も、舟もなく、騒ぐサキの海の民もいない。
「おーい! どうしたんだ? 大丈夫か?」
「そっとしておけ、ヨルザ」
ヨルザとそれを押さえるシニエの声が聞こえて、振り向く。顔を戻し、サキはテシャの顎をそっと持ち上げた。
「そろそろ戻らないと、みんな待ってる。テシャは?」
「わたしも。突然引き止めてごめんね。元気そうな顔が見られて、ほんとに嬉しかった」
「慣れたら家に会いにきてね。私も来るから」
「もちろん!」
サキは扉へと駆けていく。
「ごめん! 遅くなった」
「お前が彼女に会いたかったのなら、俺らはいくらでも待つぞ?」
「おい、変にカッコつけたこと言うな。小恥ずかしい」
「変って何だよ。本心だよっ!」
扉の前でどうでも良い口論を始めた二人を見て、笑いがこみあげてくる。
「ふっ、ふふふ」
「えっ?」
急に笑い出したことに驚いたのか、ぽかんとしている二人の背中を、サキはそっと押した。
「ふふっ。さっ、戻ろう」
三人はまた、ガヤガヤしている宴会場に入っていった。
新しい人物が出てきました。ゆっくり覚えていってあげてください。
次は、全体の入団式です。




