巫子守入団試験に向けて①
目が覚めた。知らぬ間に、肩で息をしていたようで、少し息を整える。大きくため息をついて、汗で濡れた髪をかきあげた。側では、まだ朝の光が自分に届かないのをいいことに、二人が安らかそうに眠っている。
何か、また夢を見ていたのだろう。内容は思い出せない。
それでも、二人を見ていると、夢の余韻——それは馴染み深い、何となくもの悲しくて胸が締めつけられるような感覚が、ゆるゆると解けていく気がした。
下を向いたことで垂れ下がってきた髪を手で払おうとして、ハッとした。いつもより髪が波打っている。寝癖ではない。全体が本当に波打っているのだ。
(ちっ。最近ちゃんと頭を洗えていないせいだ……)
幼い頃、髪結いの祝い(四歳ごろに男長になった髪を結ぶ祝い)をするのが面倒だと、親から言われた。今の長さを詐称しようとしたのか、それとも幼い自分が髪を切られるのを嫌がったからなのだろうか。そこの辺りはよく覚えていない。あの父に焼き石で髪を挟まれ、無理やり髪をうねらせられたのだ。だいぶ根元の方までやられたので、火傷のせいで頭皮の毛穴が曲がったのか、髪を手入れできないでいると髪も曲がってしまう。巫子の時はまだ洗えていたが、それでも髪を手入れする〈若〉の腕が悪かったりすると、どうしてもうねってきていた。
ハァ、とため息をつき、そっと立ち上がる。寝巻きのままでは震えるほど寒かったので、上着を着た。穴の入り口の筵を除けて、外に出た。変にうねった髪を誰にも見られたくなかった。二人が寝ているうちに洗おう。洗って頭皮を柔らかくすれば、うねりは落ち着くのだ。
近くの水源にしている小川に行き、持ってきたつけえりのような布で肩を覆う。髪を朝の冷たい水につけ、洗い始めた。初冬の指が切れるような水は、かろうじて凍ってはいないのだが、まるで液体の氷を塗っているように冷たい。あっという間に手がかじかんで、感覚がなくなっていく。
指通りが良くなって、うねりがおさまってきて初めて、サキは自分の頭を上げた。ほとりにある穴に用を足したあと、そのまま手と顔を洗う。瓶に水を汲み、肩布を手に挟みつつ乾いていそうな薪を選んで拾って、岩穴へと戻った。
肩にかけていた布を干したあと、居間に組んである囲炉裏に向かい、拾った薪を組み置いて火打石で火を起こす。あとはシニエの魔霊が炎を維持してくれるだろう。少し火に当たって指の感覚を戻した後、水を汲んだ瓶の中身を鍋に入れて、まだ火にかけず置いておく。粥を作るのだ。
寝室の隣にある食糧庫へ、二人を起こさないように行き、朝食分の雑穀と干し肉を持ってくる。
「う、ん?」
寝室に光が差し込んだのだろうか、ヨルザが起きてきた。
「おはよう。起こしちゃった?」
「いや、そんなわけじゃない。それにしても、さっむいな」
ほらよ、とヨルザがサキの着替えを放る。
(雑だな。……まあ、そこが嬉しいんだけど)
サキは雑穀と干し肉を仮置きの板に置くと、岩陰に隠れて着替えた。洗濯物を入れる桶に寝巻きを入れる。寝室ではヨルザがシニエを起こしていた。
「じゃ、俺ら顔洗ってくるわ」
筵を除けて、ヨルザとシニエが岩穴から川に向かって歩いていく。登ったばかりの朝日を浴びて、二人は金色に淡く輝いている。それを見てなぜか、とても美しいと思った。
(何を思っているんだ、私は)
一瞬浮かんだ考えを首を振って払い、サキは雑穀と水を入れた鍋を火にかけ、干し肉をほぐし始めた。
「三人とも! 申請が受理されました」
イナーグアが陣によって岩穴に飛び込んできたのは、昼時のことだった。
「受験までの指南は私が行いますので、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
イナーグアは指輪を配り始めた。受験者のための仮登録証のようなもののようで、透明な繋石がはまっている。これを巫子守門下郷入り口にあるという防護壁に押し付けて入るのだそうだ。
「それと、シニエにはこれを」
彼女が差し出したのは、細い組紐が両端についた弱視補正用の鼻眼鏡だった。
物質の世界と呼ばれる〈表〉にも、〈裏〉への距離が近くて繋力が染み出している箇所がある。そして、そういう場所で生まれた者は、繋力が生む空間の歪みの影響で視力や聴力に変調をきたしてしまう。例えば未毘古王国北部国境の白剣山脈に住む〈雪の民〉達は、難聴者が多いことで有名らしい。この鼻眼鏡は、繋力で歪んだ感覚を繋力で補正し、見えやすくするものなのだそうだ。
「……俺が、頼んだやつですよね?」
「他に何があるのです? これはあなたを自由に、そして他の者と平等にする道具。なんの遠慮が要りましょうか」
「……あ……」
声でもないような掠れた音を口から出し、シニエは震える手でそれを受け取る。いつもやんわりと笑っているシニエに、こんな表情が浮かぶのを初めて見た。それに、サキはいまの今までシニエの目が見えにくいことを知らなかった。全然そうに見えなかった。だとしたら、彼は子供の時、普通の人と遜色ない動作や作業をするのに、どれほど努力したのだろうか。想像がつかない。
「合っていないと酔うので、目を閉じてください」という指示に従い、シニエのすらっとした鼻筋に、眼鏡の鼻あてが挟まれる。顔の前に垂れ下がった組紐を耳に引っ掛けて、頭の後ろにやると、繋力のせいなのかキュッと頭に締まって固定された。
その途端、透鏡に奇妙な模様が浮かぶ。先日の移送陣に似ていたから、これも何らかの効果を持つ陣だろう。模様の中の紋章らしき羅列や輪がクルクルと光って回り出す。
「正面を向いてください」
シニエはイナーグアの正面に立ち、顔を向けた。彼女は懐から矢立の筆を取り出して、その穂先で回り始めた陣に触れる。墨はいらないようで、彼女は猛然とそれを走らせ始めた。
紋章を払って消したり、何か線を書き加えたりしてしばらくやっていたが、ふいにその手を止めた。
「どうです? 視界に変化は見られました?」
言われて、シニエは閉じていた瞼を開いた。途端、鳶の羽のような赤茶の瞳に光が増す。
「す、すごい。俺がいたとこって、こんなにくっきり、はっきりしてたんだ」
頬を紅潮させて、自分達の方にさっと振り返ったシニエが、ふいにつっと顔を歪めた。
ぱっとシニエがしゃがんだ。そのまま、右手で顔を覆う。ヨルザがすぐさま駆け寄って、話しかける。
「どうした、急に。慣れなくて気分でも悪くなったのか?」
「いや、見えないことで、もう何も諦めなくていいんだなって、思っただけ。頼むから、手の中は覗き込んでくれるなよ。顔が情けなくなってる」
手に阻まれたくぐもった声でそう言われると、逆に見たくなってしまうものだが、そこは年頃の男子にとっては多分野暮だ。やめておこう。
ヨルザがしゃがんだままのシニエの背を、慣れた手つきでさすっている。その仕草はちょっとやそっとの経験で身につくものではない。彼がなんだかんだ言いつつサキの面倒を見るわけも、これを見ると何となくわかる気がした。
ヨルザは、シニエが落ち着くまで、ずっとその背をさすっていた。
久しぶりの更新になりましたね。沙白です。
次は、②です。




