9.防げた事件
『私は、私のために事件の真相を知ろう』
そう決めたナルは、いつもよりも軽い足運びでリズムをとりながら、この繁盛した通りを歩いて行く。
その気分よく歩いて行くナルを、一筋の光を見るように凝視する者が1人いた。
それはおそらく極刑されるであろうラン。
彼を救おうとする者は、きっともう居ない。
実の父親にすら、見放されたのだから──
◇◇◇
「それにしても……本当にカイル様にランのことを全て任せてしまったけど、良かったかしら?」
あの時は「後は任せて」と言われたから、カイル様と騎士の人達にランを預けてしまったけれど……。
まぁ、私が居ても何も出来ることは無いし、ああいうのは本業の人に任せれば良いだろう。
ランが騎士達に何か出来るとも思わないし……いや、あれ?ランが持っていたあの毒……まだ回収されていなかったわ!?
騎士達がランのことを嘲笑って、いつも通りのことを行えていない。
凶器になろう物は全て回収することは鉄則なのに……いや、これは騎士達だけのせいではない。
気がつかなかった私の責任でもある。
「何も無ければいいのだけれど……!!」
ただ何も起きていないことを願う。
本当に、何も無ければ────
──タッタッタッ
ナルは急いでランが捕縛されていた所へと戻る。
何事もなく、ランが捕まっていることを願って。
いつぶりか分からない。
それほど全力で駆けてきた。ただ目の前の光景を見たナルは、疲れを感じていない様子で、グッと唾を飲み込む。
……予感は当たってしまった。
目の前に広がるのは、息苦しそうに胸を抑える、両手両足の指でも数えられない程の多くの人。
ただ、不幸中の幸いなのか、まだ息をしていない人は見つからない。騎士を含めた、周囲の人達は苦しそうに胸を抑えながらも、その発生源から逃げるようにズリズリと地を這って遠ざかる。
……命を懸けて。
そしてその発生源は、予想通りと言うべきだろうか、ただ、少し予想は当たってほしくはなかったかもしれないと心の奥底で思う。
皆が逃げ回る中心に居たのは、その瓶の蓋を開けて血だらけで立ち上がるランだった。
まさか……とは思っていたが、ランはこの毒の正しい使い方を知っていた。……いや、知ってしまっていた。
この毒は、空気と触れ合えば触れ合う程、徐々に体を蝕んでいく。
だからこの毒の正しい使い方は、少しずつ相手に飲ませ、段々と体を弱らせ、やがて死に至らせる……。
その行程は数ヶ月という月日をかけて、ようやく完遂する。
ただ……現状、その瓶の中の毒の量は、凄まじいもの。
その瓶の蓋を開け、周囲にその毒の混ざった空気と触れ合おうものなら……。
「はは……ははは!」
中心に立つランは、血にまみれて更に狂気を増していた。その顔で笑みを浮かべ、まるで人を嘲笑うかのように笑い声を上げるランは、もはや鬼や悪魔と言った方が正しいほど、到底人には見えない。
「お前らが……お前らが悪いんだ!全員寄ってたかって俺を貶めようとして……どの道俺は死ぬ……いや、殺される!!それならお前らも道連れだ!」
そう言ったランだが、その場を動こうとする素振りは全く見せない。別に動こうと思えば多少は動けるだろう。ただ、ランのいる場所は広場の中心、その毒で人を殺そうとするなら、そこほど適した場所は無い。
その毒の威力は壮絶だ……それを1番近くで嗅いでいるランはきっと、今から毒から離れても助からない。
それを承知でランは、私を含めた国民を殺そうとしている。
どの道死ぬであろう……自分の命を懸けて。
もうあの顔は、何も恐れてはいないだろう。
この後のことも、爵位を降格されたことも、父に叱られたことも。
……自分の死も。
いや、そんなことを考えている暇は無い。
時間が経てば経つほど、この毒は空気と結びついて遠くに運ばれ、被害は大きくなる。
まずはその発生源を潰して、その後に今度こそランが何も出来ないようにしないと……。
『お母……さん』
そんな今にも消えそうな、細く弱い声が後ろで聞こえる。そこに視線を向けると、小さな子供が苦しそうちしながらも、お母さんの方にテチテチと向かう姿があった。
当然子供は毒が回るのが早い。ただ、その子のお母さんは上手く息ができないほどに息が荒れていた。
そのお母さんの元へ寄り添う小さな子供、その2人に、小さき頃の私とお母様が重なる。
子供は「大丈夫?」と言いながら、お母さんの口元にハンカチを被せる。自分の口元は開けているのに。
その光景を見た瞬間、私の体が誰かに操られたかのように動く。
気がつけば私は、子供に私のハンカチを渡し、もう1つのハンカチを自分の口元に被せてランの元へと駆ける。
これ以上、被害が広がらないように。
これ以上、誰かが私のように悲しまないように。
駆け抜ける私は、横目でカイル様を確認する。
幸いカイル様は元から近くにいなかったようで、若干フラフラと足元がおぼつかない様子だったが、立つことは出来ていた。
それにホッと安心した私は、そのまま速度を落とさずランに近づく。
その途中で瓶の蓋を拾う。
ランの手元まで、毒の瓶まで、あと3歩まで迫る。
ランはもう手足はおろか、指1本、指先すら動かせないだろう。
「これは間に合う」そう思った時、ナルに大きな影が迫る。
その影に目を向けると、それは赤黒く光る色をした、不覚にも綺麗だと思ってしまう鮮血だった──────
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