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時を繋ぐカプセル

作者: Tom Eny

時を繋ぐカプセル


うだるような真夏の午後だった。陽炎が揺れるアスファルトの向こうに、古びたバス停が蜃気楼のように揺らいでいる。僕はバックパックを肩にかけ直し、滲む汗を拭った。東日本大震災のボランティアに参加したのをきっかけに、僕は地域活性化の活動を続けている。都会の喧騒に疲弊し、人との繋がりを失いかけていた僕にとって、見知らぬ土地で人々と触れ合い、少しでも役に立つ時間は、何よりも得難いものだった。今日は、過疎化が進む山間の集落で、昔ながらの祭りの準備を手伝ってきた帰り道だ。体は心地よい疲労感に包まれ、心は満たされていた。


カーナビが示すルートは、工事のために迂回を余儀なくされた。細い山道へとハンドルを切り、しばらく進むと、突然、小さな集落が現れた。Googleマップのストリートビューにも映らないような、まさに秘境だ。ふと、道の脇に立つ一軒の古びた店が目に留まった。土壁は剥がれかけ、木製の引き戸は色褪せている。軒先にぶら下がる色あせた招き猫と、小さな看板に書かれた「駄菓子」の文字がなければ、ただの廃屋に見えただろう。


軋む音を立てて開いた扉の向こうは、外の灼熱が嘘のようなひんやりとした空気に包まれていた。微かに湿り気を帯びた土壁の匂いと、駄菓子特有の砂糖と合成着色料が混じり合った、独特の甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる。薄暗い店内には、埃をかぶった木製の棚が続き、色褪せたブリキのおもちゃや、セロハン越しに光を鈍く反射するドロップが、時間の止まった標本のように並んでいた。


奥から現れたのは、白髪交じりの優しそうなおばあちゃんだった。「いらっしゃい。お客さん、珍しいねぇ」その声は、ひっそりとした店内に温かく響いた。僕は道を尋ねるとともに、何かお礼の品を買おうと店内を見回した。その視線の先に、壁際にひっそりと佇む一台のガチャガチャを見つけた。赤く錆びついた筐体には、「一回100円」の表示が色褪せて残っている。好奇心に引かれ、試しにハンドルを回してみたが、ギギギと音を立てるだけで一向にカプセルは出てこない。「あらあら、もう壊れちゃってねぇ。随分前からそのままにしてるんだよ」と、おばあちゃんは困ったように微笑んだ。


「もしかして、お店ももうすぐ…?」僕が恐る恐る尋ねると、おばあちゃんの声は、どこか遠くを眺めるようにぼんやりとしていた。「もう歳だからねぇ。店を畳もうと思ってるんだよ。残ってるもんも、もう処分するだけだから、よかったらこれ、全部持っていっておくれ」彼女が指したのは、ガチャガチャに残ったカプセルと、棚の隅に積まれた、日焼けした小さな箱に入った駄菓子のおまけらしきものだった。


おばあちゃんのその一言が、僕の胸の奥深くに響いた。震災の地で、失われていく人々の日常や絆を目の当たりにしてきたからこそ、この駄菓子屋が辿る運命が他人事とは思えなかった。長年守り続けた店への愛着と、それでも抗えない時の流れへの諦め、そしてこの場所が過去になることへの深い寂しさが、彼女の言葉の奥に滲んでいるようだった。僕にできることは少ないかもしれない。それでも、この場所が完全に消え去る前に、何か残せるものがあるのなら。僕は衝動的に、しかし明確な決意を込めて、残りの商品すべてを買い取ると申し出た。「そんな、悪いよ」と一度は断られたが、僕が「これも何かの縁ですから」と食い下がると、おばあちゃんは観念したように、しかし心からの笑顔で深々と頭を下げた。その手から伝わる温かさに、僕の心も温かくなった。


家に戻った僕は、買ってきた駄菓子とカプセル、そして箱に入ったおまけを自室の片隅に置いたまま、心地よい疲労感に包まれてそのまま眠ってしまった。数日後、僕の部屋に友人のケンが遊びに来た。彼は筋金入りのレトロ玩具コレクターだ。


「あれ、これどうしたの!?」ケンは部屋の隅に置かれた箱を見つけるや否や、獲物を見つけたかのような目を輝かせた。「うわ、これすげぇな!まさかこんな場所で出会えるとは…!」


僕は眠い目をこすりながら「ああ、この前ボランティアの帰りに寄った駄菓子屋で、店を閉めるっていうからさ、全部買ってきたんだ」と答えた。ケンはガチャガチャのカプセルを一つ手に取り、僕にこれ見よがしに見せつけた。「おいおい、これ見てみろよ!〇〇アニメの初期の超レアな消しゴムだぞ!しかも未開封で、保存状態も完璧じゃないか!これはヤバい、間違いなくコレクター垂涎の逸品だ!」彼の興奮は止まらない。箱から出てくるおまけを見るたびに「これは△△社の幻の試作品だ!」「〇〇地域限定で配布された幻のシール!」と叫び、その歴史的背景や、なぜそれが希少なのかを熱弁した。僕がただの古いガラクタ、おばあちゃんへの手助けの証だと思っていた品々が、彼の目には輝くお宝として映っていたのだ。


ケンは僕の許可を得て、それらの写真を撮り、興奮冷めやらぬままSNSにアップした。


「【緊急速報】奇跡の大発見!〇〇(地域名)の秘境に迷い込んだら、時間が止まったような駄菓子屋が!そこでまさかの超絶お宝発掘!店を閉めるって聞いて全部買ってきたけど、とんでもないお宝だった…!店主のおばあちゃんもすごく良い人。この場所、みんなに知ってほしい!#幻の駄菓子屋 #昭和レトロ #お宝発掘 #奇跡」


投稿は、まるで火薬に引火したかのように瞬く間に拡散していった。「まじか、こんなお宝がまだ眠ってたなんて!」「この駄菓子屋、行ってみたい!」「昭和レトロに涙腺崩壊…」コメントが雪崩のように流れ、スマホの通知音が鳴り止まない。特に、専門的なコレクターたちの間では「これは世紀の大発見だ!」「こんなデッドストックがまだあったとは!」と騒然となり、あっという間にトレンドのトップに躍り出た。


数週間後、再びその集落を訪れた僕の目に映ったのは、以前とは別世界の光景だった。細い山道には、全国から押し寄せた車が列をなし、駄菓子屋の前には開店前からすでに長い行列ができていた。おばあちゃんは、慣れない忙しさに目を丸くしながらも、その顔には生き生きとした笑顔が戻っていた。駄菓子屋だけでなく、寂れていた温泉宿は予約で埋まり、地元の農産物直売所にはバスツアーの観光客が押し寄せ、活気に満ちていた。テレビ局や雑誌の取材もひっきりなしに入り、「奇跡の駄菓子屋」としてこの地域は瞬く間に全国へとその名を知らしめたのだ。


僕は、自分が普段のボランティア活動で整備していた古い町並み巡りや、途絶えかけていた地域の祭りが、このバズをきっかけに多くの人々に注目され、新たな形で息を吹き返しているのを目にした。僕の小さな善意と、ケンが拡散したSNSの投稿が、失われかけた駄菓子屋の灯を再びともし、地域全体に大きな活気を取り戻していた。


夕焼けに染まる駄菓子屋の前で、僕は活動を終えた仲間たちと顔を見合わせた。 「まさか、こんな形で実を結ぶとはね」 誰かが呟いた言葉に、僕たちは深く頷いた。


震災の経験が僕に教えたのは、失われたものの大きさだけでなく、小さな繋がりや、見返りを求めない善意が、どれほどの光を灯せるかということだった。あの日の迷い道が、僕に教えてくれたのだ。時を繋ぐカプセルは、単なるおもちゃではなく、過去と現在、そして未来を繋ぐ希望の象徴だった。そして、失われかけた地域の記憶は、温かい人々の心と、現代のテクノロジーの力で、再び輝きを取り戻し始めていた。僕たちの活動は、まだ始まったばかりだ。この場所で、僕は新たな一歩を踏み出す予感がしていた。

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