第六話 聖女
『いずれ、勇者の足手まといになる日がやってくる。今日のようにね。そうならないうちに離れたほうがお互いのためだと思うよ』
「――っ!?……夢か」
太陽が窓の隙間から差し込んでいた。どうやら、朝になったらしい。
気色悪い感触がして衣服を確認すると、ぐっしょりと汗が貼り付いていた。ベッドに接している背中は熱く、胸や腹部は冷たい。風邪をひかないように衣服を着替えたが、どうにも気色の悪さは拭えなかった。その理由については、見当がついていた。
足手まとい。
その言葉が、頭を離れない。横で眠るルナへと視線を向けた。ルナは日記帳を片手に眠っており、全く起きる様子がない。ペンが床に転がっているところを見ると、先ほどまで起きていて、村の時のように犠牲者の名前を書き留めていたのだろう。
「ゆっくり休んで」
この様子では、襲撃でもされない限り今日一日は目が覚めないだろう。足手まといだろうが、何だろうが今できることを精一杯やるだけだ。
モヤモヤと霧のように薄く、前が見えないような不安を誤魔化すように、僕は準備をしていくのだった。
「何だい、また来たのかい?」
「はい」
ローザさんが嫌味っぽく呟く。
太陽が昇り始めたとはいえ、まだ空気は冷たく、街の人間の大半がまだ寝静まっていた。そんな朝早くに失礼だと思いながらも、僕は再び孤児院の扉を叩いていた。
ローザさんはすでに起きていたのか、身支度は済んでおり、鋭い目で僕を睨んでいた。
祖母は物心ついた時には亡くなっていたが、もし生きていればどんな人だっただろうな、とふと思った。
「私はあんたが知りたい情報は何も持っちゃいないよ」
「はい」
「なのに、何で来たんだい?」
「ルナの役に立つためです」
ローザさんの目を正面から見つめる。
彼女が真実を隠しているのか、どうなのかは分からない。
けれど……
「僕に何が出来るのかは分かりません。もしかしたら、この先勇者の足を引っ張ることになるかもしれない。けれど、だからこそ今できることだけは、手を抜きたくないんです」
頭を下げる。
「掃除、料理、洗濯のお手伝い。なんでもやります。お給金は要りません。僕をここで働かせてください」
「……なら、入りな。精々コキ使ってやるよ」
「はい、よろしくお願いします!」
「遅い、野菜の皮剥きにどんだけ時間がかかってんだい!」
「すみません!」
「しかもまだ使える部分も切りやがって。貸しな、野菜ってのはこう切るんだよ」
それから数刻。
コキ使う、という意味を僕は身をもって実感していた。子供達に自己紹介する暇もなく、まずは床やテーブルなどの拭き掃除、その次は彼らのシーツや枕の洗濯、そして今は食事の仕込み。
その全てに指摘を受けながら作業を消化していく。文字通り身を粉にしているような感覚であり、情報収集する暇など欠片もなかった。
そんなことを回想している間に、ローザさんは包丁をひったくり、もの凄い速度で皮を剥いていく。しかも、実の部分はほとんど切り落とされていない。神業だ。
僕も村にいた頃は、他の家の手伝いをして生計をたてていたから家事には自信があったものの、ローザさんの動きは今までに見たどの人よりも洗練されていた。
「何惚けてんだい。次はガキどもの部屋の掃除だよ。全く、あいつらときたら部屋を散らかし放題しやがって……」
ブツブツと不平を言うローザさんに謝りながら、子供たちの部屋へと急ぐ。
子供たちはすでに外へ遊びに行っているようで、毛布や枕、遊び終わったあとの玩具が散らばっていた。床に落ちた玩具はところどころ欠けていたり、色が剥げていたり、ボロボロだ。
恐らく、これまで孤児院にいた子供達が使いまわしてきたのだろう。年老いたように黒ずんでいるぬいぐるみにお疲れ様、と心の中で呟き、立ちあがろうとすると後ろに視線を感じ、振り向いた。
そこには、9歳くらいの女の子が一人ポツンと立っていた。
「おはよう。はじめまして、僕はウィル。今日からここでお手伝いをさせてもらっているんだ」
怖がらせないように、できるだけ穏やかに話しかける。女の子は最初、警戒するように立ち止まっていたが、ぬいぐるみを動かしたり、腹話術の真似事をしてみると興味を惹かれて近づいて来てくれた。
「君の名前は?」
「ニコ」
「そうか。皆は外で遊んでいるの?」
「うん」
「ニコちゃんは遊ばないの?」
「うん。だって、かけっ子したって男の子には勝てないもん。ぬいぐるみで遊んだ方が楽しい」
そう言うニコの横顔は少しだけ寂しそうに見えた。口ではそう言っているが、本当は彼女も誰かと一緒に遊びたいのだろう。一人で遊ぶ虚しさは、僕も経験があった。
「この部屋の掃除が終わったら、少しだけ一緒に遊べるけど、どうかな?」
「いいの?」
「うん。けど、ローザさんには内緒だよ」
「分かった!」
それから部屋を手早く、できるだけ丁寧に掃除してニコと遊ぶ。普段、ぬいぐるみで一緒に遊んでくれる友達がいないのか、ニコはとても楽しそうだ。ふと、一つの考えが頭をよぎった。
「ねぇ、ニコちゃん。ニコちゃんは聖女様って知ってる?」
できるだけさりげなく尋ねる。
子供を騙すようで気がひけるが、それよりもルナの身の危険の方が重大だ。聖女と呼ばれた人間がこの件にどこまで関わっているのかは分からないが、ルナが全く無関係な人間の情報を調べていたとも思えなかった。
「聖女様?アンナお姉ちゃんのこと?」
「知ってるの?」
「うん。アンナお姉ちゃんはね、凄いんだよ!どんな傷だって、病気だってすぐに治せちゃうの!街の皆が頼りにしてたんだから!」
その人物のことを語るニコは誇らしげに胸を張る。その様子から、本当にその人物が大好きだったのが伺えた。だが、すぐに思い出したように表情を曇らせた。
「でも、三年前にいなくなっちゃったの……勇者に選ばれて」
「勇者に!?それってどういう……」
「感心しませんね」
どういうことかと、さらに尋ねようとしたその時。聞き覚えのある冷たい声が扉から聞こえた。
「あなたは……スネイルさん?」
「はい。覚えて下さっていたようで光栄です」
そこには蛇のような笑みを浮かべた青年――スネイルが立っていた。
「感心しませんね。仮にも勇者の一行ともあろう者が孤児院にまで来て間諜の真似事とは。それも、あんな幼い子供に」
「……すみません」
言い訳しようがない。今、僕とスネイルさんは部屋を変えて紅茶を飲みながら二人きりで話をしていた。
カップを口元に運ぶと、風とともにその豊かな香りが運ばれてくる。花の蜜にも似た甘い香りは、それだけで労働でカラカラに乾いた喉を潤してくれるようだった。
紅茶は初めて飲むが、きっと高級な茶葉を使っているのだろう。そんな茶葉を惜しげもなく振る舞いながら、スネイルさんはニコニコと微笑んでいた。
ただし、その笑みは冷たく、目の奥はまるで笑っていない。獲物を見つめる蛇のように狡猾で抜け目がないように思えて、宮殿で感じた印象は間違っていなかったと直感が告げていた。
「どうして貴方がここに」
「おや、私が生まれ育った孤児院にいてはおかしいですか?」
「えっ、ここのご出身なんですか?」
「ええ、そうですよ。よく言われますがね」
そう言って上品に両手を組む。言葉遣い、仕草、姿勢は生まれながらも貴族と言われてもなんら不思議に感じない。
むしろ、昨日出会った神官たちの誰よりも洗練されて見えた。また、彼の純白の法衣は高貴さと共に女神に仕える敬虔な神官としての側面も感じさせた。
ボロボロの部屋にあって、汚れ一つない彼の純白の装束はひどく場違いにも思えず、どれをとっても失礼ではあるが孤児院の出身には思えなかった。
「話を戻します。ウィルさんは聖女の――アンナの噂を求めて来たのですよね」
「はい。ご存知なんですか?」
「ご存知も何も、友人でしたから」
「え?」
「アンナとは幼い頃からこの孤児院で過ごしました。アンナは昔から天才でしてね。ろくに教わりもしないのに女神の奇跡を使いこなし、高位の神官ですら困難な病や怪我の治癒を行うことができました。しかも、それに対して高額な治療費をとることも、偉ぶることもありませんでした。その姿から、かの『聖女アネスト』の再来と言われていたんですよ」
友人の思い出を語るスネイルさん。しかしその表情はどこか無機質にも感じた。
何かを抑えていると言うのか、友人の思い出を語るというよりも、友人の記録を読み上げているような感覚だった。重要な手掛かりから少しでも情報を読み取ろうとしても、スネイルさんからは何も読み取ることができなかった。
「と言っても、それも聖剣に選ばれて勇者になるまででした……あの日はとても鮮烈に覚えています。教皇たち上層部がてんやわんやでしてね。聖都生まれの人間が勇者に選ばれるなんて百余年振りのことでしたから。聖女の再来にして勇者ということもあったのでしょうね。国民は日夜宴を催し、国は威信をかけて護衛となる人間達を選別しました。そして、誰もが魔王を倒すと信じて疑わなかったアンナは三年後に行方不明となり、やがて新たな勇者に聖剣が引き継がれたと知れ渡りました」
聖剣が引き継がれた――それは、つまり……
そこでスネイルさんは嘲るように笑みを浮かべた。口は三日月のように弧を描き、元々細い瞳孔は弓のように惹き絞られて、人ではなくまるで笑顔を浮かべた仮面のように不気味な笑みだった。
そのまま遠い過去を見つめるように天井を見上げた。
「ククッ――当たり前ですよね。確かにアンナは攻撃用に強力な奇跡も使用できましたが、碌な実践経験もなかったただの少女ですよ?そんな人間が聖剣の力を得たとして何ができるというんですか?」
「それは……」
「アンナもアンナです。聖剣に選ばれて何を勘違いしたのか知りませんが、『魔族に襲われている皆を救いたい』なんて、身の程知らずにも程がありますよ……しかも、護衛を誰一人連れてはいかなかった」
「たった一人で旅を……?」
「ええ。教皇たちの指示を無視してね。まあ、選別された人間たち全員が束になっても、それまで剣を振るったこともない少女に一蹴されていたのですから、いてもいなくても同じだったとは思いますがね……そう言えば」
スネイルがこちらに目を向ける。
こちらの心を覗き込むような瞳に、思わず椅子から飛び退きたくなる衝動をグッと堪えた。テーブルを挟んでいるはずなのに、体を舐め上げられるような気色の悪さだった。
「ローザ先生からお聞きしたのですが、ウィルさんは勇者様のご友人だそうですね。どうして一緒に旅を?」
「どうしてって、友達としてルナを助けたいからです」
「ああ、違いますよ。どうして何の力も持たない凡人が勇者と旅をしてるのかということですよ」
「!?」
先ほどまでの丁寧な言葉遣いとは一変して――いや、形はそのままに明確な悪意を言葉に滲ませながら、スネイルさんは続けた。けれども、その言動はこれまでのどんな言葉よりも彼の姿を明瞭に表しているようにも思えた。
これが、彼の本性か。
「あなたは考えたことはないんですか?自分が勇者様の足手まといになるのではないのか、と」
「……考えました。確かに僕は足手まといかもしれません。けれど、足手まといだろうが、何だろうが今できることを精一杯やるだけ「それが甘いと言っているんですよ!」」
ドン、っと僕の迷いを断罪するように机を叩きながら彼は言った。
「今できることを精一杯やるだけ……確かに耳障りの良い言葉です。親が聞いたらさぞや子供を褒めてやることでしょうねぇ。物語の主人公が言えばまさに名言だ。だが、これは戦争ですよ?物語に語られるような英雄譚ではない。敵は勇者の弱点を容赦なく突いてくるでしょう。無能な友人とくれば尚更だ。人質にとって勇者の命を要求することだって考えられる」
「そ、そうならないように努めるつもりです」
正に僕が懸念していた核心を突かれて、心が揺らぐ。
どうして、彼はこんなにも僕の心を言い当てられるんだ。
「無理ですよ」
「どうして貴方はそんな風にき、め……つけ……て」
あれ、おかしい。舌が回らない。それだけじゃない。
「ハァッ……ハァ……」
空気が上手く吸えない。手足に力が入らない。座った姿勢が保てず、無様に床に転がってしまう。頭と背中に鈍い衝撃が走った。そんな僕を、スネイルさんは嘲笑を浮かべながら覗き込んでいた。
「麻痺毒です。命に別状はないのでご安心下さい」
「ま、さか。紅茶に、毒、を……?」
「ええ。今から貴方には勇者を誘き出し、聖剣を奪うための人質になって貰います」
「!?……こ、んな、ことをして」
「タダで済む訳がない、ですか?ええ存じていますよ。私は、いえ我々は貴方と違って遊びでやっている訳ではありませんので……」
「われ、わ、れ?」
それは、どういう……
その返答は全く違う場所から返ってきた。
「スネイル、終わった?」
「ああ」
若い女性の声が聞こえた。続いて、数人の足音が近づいてきた。男女性別や服装はバラバラで、共通点はスネイルさんと同じ年頃というところだろうか。その内何人かには見覚えがあった。あの日、ルナを睨みつけていた人たちだ。
「それでは、お休みなさい。間抜けで無能なご友人殿」
スネイルさんの声を最後に、僕は意識を失った。
※
「ふわあぁぁ……暇だなぁ」
「そう言うなって」
夜になり、夜勤勤めが始まったばかりだというのに同僚の欠伸が止まらない。そうしたくなるのも無理はないだろう、と兵士は思った。
このベルード門は――いや、正確には聖都全域を覆うこの守護結界は建国以来、外敵の侵入を許したことがない鉄壁の守りだった。その守護を解く呪文は、歴代の教皇に受け継がれており、実質的には無敵の結界だ。見張の仕事は一応、あるにはあったが殆ど他国から来る人間への見栄――お飾りといっても過言ではなかった。
だからこそ今日も何事もなく一日が終わる――はずだった。
「は……?」
夜空に白い亀裂が走ったように見えて兵士は目を擦る。
同僚に確認しようとした瞬間――ガラスが砕けるような音とともに結界が砕け散る。
そして。
「兵士の皆様、こんばんわ」
それは、一見して若い男のように見えた。顔には白粉が塗り込まれ、その白地には無数の刺青が呪文のように刻まれていた。線の細い体を覆い隠すように華美な衣装を身に纏い、一見して珍妙にも思える姿は旅芸人一座の道化師のようにも思える。
だが、その身に纏う圧倒的な威圧感が彼をただの人間でないと証明していた。
「七魔第五柱――幻魔イルゾースト。以後、お見知りおきを」
冗談のように大きな帽子をさっと下ろして一礼しながら、彼は既に事切れた兵士を前に高らかに告げた。それは狂宴の始まり。その挨拶だった。
「さぁ、今宵の演目は『聖都アネストの崩壊』。乞うご期待下さい」
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よろしくお願いします。
※結界
聖都アネスト全体を守護する大結界。彼女と同じ初代勇者一行の魔法使いであったアリスと共同で開発したもの。この結界は、設置されてから約千年間誰にも破られておらず、平和の象徴とされていた。ただし、その圧倒的な防御力ゆえに何らかの方法で悪用された場合を考え、解除方法が歴代の教皇に伝えられてきた。それが、今回の襲撃を生んだと後世で分析されている。